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2020年3月 9日 (月)

「わたしは正しい」と確信した瞬間、人は権力争いに足を踏み入れる

岸見一郎氏「哲人」と古賀史健氏「青年」の対話から話が始まります。

以下リンク

〇権力争いから復讐へ

青年 先生は「人は怒りの感情を捏造する」とおっしゃいましたね? 目的論の立場で考えるとそうなるのだ、と。私はいまだにあの言葉が納得できません。
 たとえば、社会に対する怒り、政治に対する怒りなどの場合はどう説明されます? これもまた、自らの主張を押し通すために捏造された感情だといえますか?

哲人 たしかに、社会的な問題に憤りを覚えることはあります。しかしそれは、突発的な感情ではなく、論理に基づく憤りでしょう。私的な怒り(私憤)と、社会の矛盾や不正に対する憤り(公憤)は種類が違います。私的な怒りは、すぐに冷める。一方の公憤は、長く継続する。私憤の発露としての怒りは、他者を屈服させるための道具にすぎません。

青年 私憤と公憤は違うと?

哲人 まったく違います。公憤は、自身の利害を超えているのですから。

青年 じゃあ、私憤について伺います。いくら先生だって、さしたる理由もなく罵倒されたら腹が立つでしょう?

哲人 立ちません。

青年 嘘をついちゃいけません!

哲人 もしも面罵されたなら、その人の隠し持つ「目的」を考えるのです。直接的な面罵にかぎらず、相手の言動によって本気で腹が立ったときには、相手が「権力争い」を挑んできているのだと考えてください。

哲人 たとえば子どもは、いたずらなどによって大人をからかってみせることがあります。多くの場合、それは自分に注目を集めることを目的にしたもので、大人が本気で怒る直前に引っ込められます。しかし、もしもこちらが本気で怒るまでやめないのだとすれば、その目的は「闘うこと」そのものでしょう。

青年 闘って、なにがしたいのです?

哲人 勝ちたいのです。勝つことによって、自らの力を証明したいのです。

〇非を認めることは「負け」じゃない

哲人 人は、対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れているのです。

青年 正しいと思っただけで? いやいや、なんて誇張ですか!

哲人 わたしは正しい。すなわち相手は間違っている。そう思った時点で、議論の焦点は「主張の正しさ」から「対人関係のあり方」に移ってしまいます。つまり、「わたしは正しい」という確信が「この人は間違っている」との思い込みにつながり、最終的に「だからわたしは勝たねばならない」と勝ち負けを争ってしまう。これは完全なる権力争いでしょう。

哲人 負けたくないとの一心から自らの誤りを認めようとせず、結果的に誤った道を選んでしまう。誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、これらはいずれも「負け」ではありません。
 優越性の追求とは、他者との競争によっておこなうものではないのです。

青年 勝ち負けにこだわっていると、正しい選択ができなくなるわけですね?

哲人 ええ。眼鏡が曇って目先の勝ち負けしか見えなくなり、道を間違えてしまう。

 

 

 

ビッグチキン

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