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2019年4月

2019年4月26日 (金)

あらゆる外圧の感取や成果は、自らの判断(能力)だけでは捉えられない。

344314 成果は周りが決める。

成果は、自分で判断するもの。人から何を言われようとそんなの関係ないという個人主義まっしぐらの孤独な人は滅亡人種。

能力が低い人ほど、廻りの評価に対して鈍感は、昔からよく言ったものです。
バカは風邪をひかないという言葉もありますが、人が人として感知する能力が弱いことが主原因である。

肉体の外圧センサーならびに、心でとらえる潜在的なセンサーも低いことが主原因としてある。
センサーが弱い人ほど、廻りを羅針盤にした評価や助言に注意をむけないとけないですね。

 

 

日出・真田十勇士

2019年4月24日 (水)

現実の世界と非現実の世界~どちらも脳が感じた世界~

『第410回 彼岸と此岸(リンク)』から転載します。
彼岸(ひがん)と此岸(しがん)を行き来できるのだろうか?
時に私たちは、現実と非現実の世界を勘違いしている場合がある。
どちらにせよ脳が感じた物語。事実ではない脳が看守した物語。双方とも己にとっては現実?
私の二重構造とはどんな構造だろうか?紐解いてみたい。
--------------------------------------転載
 彼岸(ひがん)と此岸(しがん)という2つの言葉がある。川をはさんで向こう岸が彼岸だが、仏教では彼岸が悟りの世界、対してこちら側、つまり此岸が僕たちの生きている悩み多き世界をさす。

 とつぜん何の話だ?と思われるだろう。これまでマインドフルネスについて何回か書いてきたが、僕自身、わかったようでよくわからない部分もあった。ところが、最近読んだ一冊の本がそのモヤッとした所を一気に解消してくれたのだった。山下良道著『「マインドフルネス×禅」であなたの雑念はすっきり消える』(集英社)という本である。著者の山下さんは現在、鎌倉一法庵の住職をされている。東京外国語大学を卒業後、すぐに曹洞宗の僧侶となって修行を積んでこられた。

 山下さんの経歴の続きは後述するとして、この本の中で「彼岸と此岸」について興味深い例えが出てくる。あなたが映画を見ているとしよう。映画にのめり込むあまり、今自分が映画館の椅子に座っているのも忘れて、スクリーンの中の世界があたかも現実のごとく感じているとする。多かれ少なかれこういう体験はだれにもあるに違いない。

 さて、映画の中の世界(頭が作り出した架空の世界)と椅子に座っているという現実の世界、どちらが彼岸で、どちらが此岸だと思われるだろうか? 冒頭に書いたように、僕たちが生きている世界が此岸なのだから、椅子に座っている(と自覚している)ほうが此岸だろうと思う人も多いはずだ。

 ところが、山下さんは映画の中の世界がじつは此岸で、椅子に座っているほうが彼岸だと言う。いったいどういうことなのか? 僕たちが日常、現実だと思って生きている世界(此岸)は、頭が作り出した架空の世界、もっと言えば妄想の世界だということである。映画のストーリーから出たとき、初めて人は彼岸に気づく。

 では、どうしたら此岸から彼岸へ渡れるのだろう? 山下さんは曹洞宗の僧侶として18年間、只管打坐(しかんたざ)を続けてこられた。只管打坐とは自分の中に湧き起こってくる思い(thinking)をひたすら捨て去りながら座禅をすること。しかし、思いを捨てつづけても、結局、彼岸に渡れたかどうかは認識できない。

 その後、山下さんはアメリカに派遣され、禅センターにて只管打坐を教える。彼はアメリカでマインドフルネスに出合うのだが、違和感を抱く。なぜなら、マインドフルネスとは「気づくこと」だという。でも、気づくことも「思い」の一種だから、禅僧はその気づきも含めて思いを手放さなければいけないのではないかと。

 曹洞宗も含めて日本の仏教は大乗仏教(北伝仏教)である。一方、マインドフルネスの源は上座部仏教(南伝仏教)。山下さんはマインドフルネスの謎を解くべく上座部仏教の国ミャンマーに渡り、4年間修行される。その結果、マインドフルネスこそが、此岸から彼岸に渡る方法だと確信するのである。

 だとすると、「気づくこと」は「思い」ではないのか? それは捨て去らなくてもいいのか? という先ほどの疑問はどうなったのだろうか?

 山下さんによれば、マインドフルネスの「気づき」とは、只管打坐で手放すべき雑念レベルではないということがまずひとつある。しかも「私」は一人ではなく、二人いるというのである。マインドフルネスは、この「私の二重構造」を実感、認識できるのだと……。詳しくは次回お伝えしたい。

 

 

 

匿名希望

2019年4月21日 (日)

だから成功しない。出来ない理由を自分以外のせいにするダメ人間

だから成功しない。出来ない理由を自分以外のせいにするダメ人間
リンク)より転載

****************************
■外部に理由を求めない

仕事に限らず、人生が好転しない人というのは、困難や障害や出来ない事の理由を外部に求める傾向が多いんですね。
•なんで出来てないの?
•やらなきゃダメだよね?
•頑張るって言ってたじゃん

と指摘すると、

 ●
○○の理由があるので難しい(出来ない)んです

って言うわけですよ。

その理由の部分を解決して、やり遂げるのがあんたの仕事なの。

それは難しいのです(出来ないのです)、と宣言することがあなたの仕事ではないはずなんですよ。出来るかどうかを調査してくれ、という仕事でない限りね。

ところが本人的には、出来ない理由が見つかったんだから、もうここから先は自分の仕事ではない、「だって○○なんだもん」と言い続けたら許してもらえる、認めてもらえる、やった事にしてもらえる、もしかしたら良く見つけたと褒めてもらえると思っているんですね。

ちなみにこれ、我が家の甥っ子もそっくりです。

何をやっても、最初の目論見通り上手く行くことなんてほとんどないどころが、おカネになる、自分の利益になる、評価される、感動するようなことって、ほとんど必ず、

 ●
ウワ!全然話が違うじゃん。どうやってやれって言うわけ?

ってくらい想定外の連続、困難の連続、失敗の連続なんですよ。当たり前ですよね。

こんなことは、成功した人の自伝とか評伝にはほぼ確実に書かれている事であって、今さら言われなくても分かってるよという人が大半だと思います。

では、それが分かった上で、その困難な状況を乗り越えたことがありますか?と訊かれたら、10人中8人は頭を掻くんじゃありませんかね。これこそが切ない現実なんですよね。

でも、だからこそ、これだけは早い段階でクリアしておくべきだと思いますよ。

こんなところで言い訳ばかり考えて逃げ回っていても、オトクなことなんて全くありませんから。

端的に言って出来ない理由は、そうやって逃げ回っているあなたのメンタリティにあるんです。この問題に逃げずに対峙して、絶対に解決させるのだと、意を決したらほとんどのことは成就するんですよ。人生なんてその程度のものなんです。

この経験を出来るだけ若い頃、出来れば20代が終わるまでにしておくべきだと思うんですよね。

 ●
もう30歳になってしまいました…

という人は、逃げまくった経験が積み重なっているはずですから、今目の前に厳然として存在する困難から目を背けずに、全力でぶつかってみることを強くオススメしますよ。

そのためには、

 ●
外部に理由を求めない

ということを自分自身に徹底させなきゃダメですよ。

 

 

 

紀伊谷高那

2019年4月20日 (土)

断捨離とは

リンク

断捨離ってどういう意味?

漢字の意味をたどるとなんとなくその意味が理解できるかもしれません。
 断捨離とは、「必要のないものを断ち、捨てて、執着することから離れる」という意味をあらわす整理法のひとつです。

いらないものを捨てて整理し、シンプルに生きようというような意味で、「ミニマリスト」や「最小限主義」と近い考え方です。

この考え方は、ヨガの考え方である「断行(だんぎょう)」、「捨行(しゃぎょう)」、「離行(りぎょう)」を応用したものだと言われています。だから「断捨離」なんですね。

『断』 : これから入ってくる不要なものを断つ(買わない)
『捨』 : いま持っている必要ないものを捨てる
『離』 : 物へ執着することから離れる(物欲をなくす)

この3つを実践することで、本当に必要なものだけしか持たないシンプルな暮らしができるようになります。

断捨離と断捨利の違い

一般に普及している言葉は『断舎利』ですが、一部では「断捨利」と表記されることがあります。
 漢字は違いますが、基本的な意味は同じです。

意味は同じなのに2つの漢字がある理由は、断捨離の第一人者である「やましたひでこ」さんにあります。

やましたひでこさんと断捨離

断捨離の考え方を広めた第一人者に「やましたひでこさん」という方がいます。
NHKのクローズアップ現代などで取材を受けたことで一躍有名になった方です。

この方が『断捨離』という言葉を商標登録したため、営利目的でこの言葉を使うことができなくなってしましまいた。
よって意味は同じでも、商標権の権利を回避する目的で、一部では「断捨利」を表記されています。

ちなみに、個人的な体験をブログに綴ったりする程度であれば、権利上の問題ありません。
 (以下、やましたさんのサイトからの引用)


◆「断捨離」および「クラターコンサルタント」は、やましたひでこの登録商標です。
 個人的な断捨離体験を語り発信するのは、ご自由です。
ただし、商業目的、営業目的が伴う「断捨離」「クラターコンサルタント」のご使用に際しては、明確厳格な基準を設けており、許可無く使用することはできません。

やましたひでこさんは、断捨離の他にも「クラターコンサルタント」という言葉を商標登録しています。
これは「暮らす」と「ガラクタ」を組み合わせた造語なんだそうです。

その他にも面白い言葉の使い方がいくつかあります。
断捨離をすること → ダンしゃる
断捨離している人のこと → ダンシャリアン

ここまでくるともう、新しい言葉の誕生と言えますね。

まとめ
断捨離は「だんしゃり」と読み、辞書にも載っている流行語
いらないものを捨てて物に対する執着をなくそうという考え方のことを指す

 

 

 

 

濱田健 

2019年4月19日 (金)

心と体は一体。自主管理・人材育成にも使える「心身一如」の考え

寒暖差が激しく、体調を崩しやすい・うつ病が発症しやすいといわれる春。心が先か、体が先かではなく、一体(一如)であるという考え方が大事。いつも心と体をセットで捉え、ケアしていく。
人材育成、自主管理、どちらにおいても重要な考えだと思います。

今回は、その「心身一如」という考え方について紹介。
ーーーーーーーーーー
仏教用語に『心身一如(しんしんいちにょ)』という言葉があります。
仏教の教えでは、生も死も、心も身も一体であるというのが根本思想です。
西洋医学では心と体を切り離して病気の体を治療しますが、東洋医学では、心と体のつながりを重視するのは、『心身一如』の考えから来ているのだと思います。
実際、背筋をピンと伸ばしていると、心も前向きになりますし、体が縮こまって下を向いているときは、心も内向きで頑固になってしまうものですよね。

田坂広志さんはこの著書の中で、『心身一如』の理(ことわり)は、『心』と『言葉』との関係においても同様だとおっしゃっております。
私が常日頃から感じていてブログの中でも書いていることですが、このことは有難いことが起こったから感謝するのではなく、感謝しているから有難いことが起こるということにつながってくると思います。
自分にとって面白くないこと、不都合なことが起こった場合、愚痴や文句を言っている限り、似たような踏んだり蹴ったりの現状が起こり続けることがよくあるのではないでしょうか。
実際のところ、辛いときに有難いと思うことはなかなか難しいと思いますが、まずは言葉だけでいいのだそうです。
心が伴っていなくても、まずはそんな経験をさせてくれた相手に方に心の中で『ありがとうございます』と言ってみてください。
慣れないとすごく心が騒いで辛い気持ちが倍増されるかもしれません。
この本の中でも、言葉と現実が一致してくるまでに少なくとも3年はかかると書いてあります。

私は10年以上、ありがとうを言い続けています。
心からそう思えない時もありましたが、今では何かにぶつかるたびに、『ありがとうございます。』と唱えるのが習慣になりました。
ここに書いていることは、スピリチュアルを学ばれている方には当たり前のことだと思われますが、意外に頭ではわかっていてもできていないときもあると思います。
私も知識から魂レベルまで落とし込むまでに10年以上の年月がかかりました。
もちろん、落とし込めていないことも多く、今でも学びの最中でそれは一生続くと思っています。
この本の中に書かれていたのですが、感謝の言葉を心で唱えることを少なくとも3年続けた場合、心に変化が起こってくるのだそうです。
ここで大事なのは感謝の言葉は心で唱えるということです。
相手に向かって、思ってもいない感謝の言葉を言うのではなく、影で一人の時に心から感謝の気持ちが芽生えてきたら、それは本当に心が強くなってきた証拠なのだそうです。
もちろん、心からの感謝の言葉は相手に伝えてあげた方が喜ばれると思いますが、それができない場合、心の中で有難いと感じることで心がどんどん強くなっていくのだそうです。

 

 

柴田英明

2019年4月17日 (水)

自我を捨てていきいきできる職場へ

久しぶりに同級生に会ったときの話。
その同級生は主に人間関係が劣悪すぎて、鬱になりかけていた。
ほかの子でもそのような話を聞くため、いきいきしながら仕事をしている人の少なさに驚く。
こんな活力の低い人たちが多い世の中で、今後何を生み出せるというのだろう、と不安に思わざるを得なかった。

その同級生の話を聞いていると、自我がすごい。
「自分は自分は」とひたすら自分の話が出てくるし、海外にいったら変わる、という。
自我と現実逃避の連続で、正直話をきくのも嫌になるくらいだったが、その人だって転換したいと思っているし、楽しくありたい、と思っている。

でも業務は次から次へと上から降りてきてしんどいし、なにより職場に話をできるひとがいないのが辛いところだと思う。
みんながみんな周りを封鎖してしまっていて、話のもちかけようがない状況。

どこに落としどころをつけるか。
まずは自我を捨てて相手(客)に同化すること。
あと、現実は辛いから妄想の世界に入ってしまっているため、現実をみること。現実の外圧を受けて、ではどう行動していくか、をひたすら考えて動くしかない。
今は内発思考でしんどいばっかりだが、相手に同化して現実を見ることで対象は広がっていくし、可能性は広がると思う、と伝えたら表情が明るくなって可能性が広がったみたいだった。

認識は生きるために必要なもので、いきいきと生きるヒントになっていけるんだと確信した。

 

 

 

匿名希望

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