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2019年3月

2019年3月21日 (木)

欧米社会の個人主義と全体主義

リンク
以下リンクより引用
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 欧米崇拝者ならずとも、欧米社会は「個人」の観念が根付いていると、その個人主義を高評価する人は多い。確かに日本も含め他の文化圏では「個人」という考えはなかったように思える。では、何故欧州社会だけに「個人主義」が誕生したのだろう。あるブログ記事に興味深いことが載っていたので、その箇所を抜粋したい。
-阿部謹也の『ヨーロッパを見る視角』によれば、「個人」の概念が生まれたのは近代資本主義の時代ではなく、11~2世紀だという。古代の欧州は、ほとんどの社会と同様、世間の空気に支配される共同体だった…古代的秩序が失われたあと、11世紀以降に欧州を統合したのがキリスト教だった。キリスト教会は、非人格的な「神の掟」にもとづく共同体であり、近代法の源泉も教会法にあったといわれている(Berman)。
 キリスト教では、すべての個人は地域や家族から切り離され、神の前で絶対的に孤独な存在となり、救済されるかどうかは彼個人の行動に依存する。つまり個人主義というのは、ギリシャの合理主義とキリスト教の普遍主義が混じってできた特殊ヨーロッパ的な思想なのだ。ただ、こういう非人格的ルールが遠隔地貿易で有利になり、欧州の経済的な(したがって軍事的な)優位の源泉となったことは、Greifなどの研究で示されたとおりだ…
 私は阿部謹也はもちろん、Berman、Greifの書も未読である。教会法は世俗的なローマ法とも全く無縁ではなく、西欧の個人主義の思想にローマ的普遍主義も影響を与えている。ただ、「全ての個人(信者)は地域や家族から切り離され、神の前で絶対的に孤独な存在となり、救済されるかどうかは彼個人の行動に依存する」のはイスラムも建前上は全く同じなのだ。イスラムもまた、ギリシア、ローマ文明を受け継いでおり、ウンマという「神の掟」にもとづく共同体がある。
 イスラムも初期は武力征服ありきで、それまで部族対立に明け暮れていたアラブの諸部族を信仰によって統一、周辺のサーサーン朝ペルシアやビザンツ帝国ばかりか、西欧にも侵攻する。ここまでは欧州と同じにせよ、その後のイスラム世界は血族中心社会に戻る。そもそも気候的に遊牧民が主だった世界ゆえ、血縁関係を重視する。現代に至るまで中東は部族社会が色濃い。
 血族重視なら儒教、ヒンドゥー文化圏も同様で、島国ゆえ異民族接触がかなり少なかった日本も、農耕社会で村落共同体が続いていた。ただ、欧州で「個人」の概念が生まれたとされる11~2世紀とはちょうど十字軍の時代と重なる。これは個人主義どころか、全体主義ゆえに可能な侵攻だった。ローマ末期、ゲルマン人が豊かなローマに侵攻したように、今度はオリエントに西欧人が移動する。
 共にユダヤ教から発生したにも係らず、何故イスラム圏は西欧社会と異なり異端審問や魔女狩りは殆ど行われず、「個人」の概念が生まれなかったのだろう?個人ならぬ部族中心主義だが、中東世界は極めて自己主張の強い処であり、それが美徳とされ、押しの強さでは欧米人の比ではないらしい。「オレが、オレが」など日本で言ったなら、「我の強い奴」と爪弾きの対象となるが、同じ多神教世界でもインド人もまた自己主張の強さには定評がある。多民族、多宗教の背景があるのだろう。
 個人の観念が根付いた欧米社会は、むしろ異色だ。だが、それに対する強い反動もあったはずで、同時に十字軍やファシズムのような全体主義も起きている。逆に個人主義が強かった故、全体主義も背中合わせになっていたかもしれない。B級史劇だが、映画『300』の最後に意味深な台詞があった。「相手は野蛮人だ。神秘主義と専制の国」。古代ギリシア、ローマ時代から欧州人は東洋をこう見ていたのは確かで、それは現代も大差ないようだ。東洋人は専制君主に盲従するが、我々は自由の民であり、個人の自由のために戦う、と。
 十字軍は強制ではなく、個人の“自由意志”で行われたものだった。だが己の選択で参加したように思わせても、煽動したのはキリスト教会であり、異を唱えたりすればたちまち異端と断罪された。現代のムスリムによる“自爆テロ”もまた武力脅迫ではなく、表面的には各自の決定で実行したようでも、扇動者は聖職者というのも似ている。『自爆テロリストの正体』(新潮新書、国末憲人 著)に、著者のイスラムと欧米くらい似た文明もない、と興味深い一文があった。日本人による日本人論と同じく、欧米人の個人主義論は手前味噌の自画自賛も入り混じっていると見た方がよい。欧米人は非キリスト教徒の異人種が同じことをすれば、狂信、“個”のない全体主義と誹るらしい。




匿名希望

2019年3月 3日 (日)

努力しても無駄?やる気をなくす「学習性無力感」は現実への否定感からはじまる

「学習性無力感」
無気力・無関心な人たちが増えているということを耳にしますが、それはこの「学習性無力感」によるものなのかも知れません。
もう一度周りをよく見てみれば、本当に自分の置かれている状況が極限に理不尽なのか、見方を変えることで良い方向にむかえないか?見えてくるかも。見えないなら、周りを頼ってみるのも一つの手。無気力になりそうな時はどう今を生きて未来に生きるのか考えて行きたい。
リンク
―――――-以下、リンクより引用―――――
電気ショックのような嫌悪的なトラウマが無力感をもたらすのではなく、それを自分の頑張りではどうすることもできない、と感じてしまった時に、無気力になっていくのだ。
このような努力が無効であるという経験が生み出す無気力状態のことを、セリグマンは「学習性無力感」と命名した。
引用:『フシギなくらい見えてくる!本当にわかる心理学』植木理恵
「どうせ無理」「やるだけ無駄」「意味ないよ」
こんな気分になったことはあるでしょうか?
ちょっと怖い話ですが、人がこう考えるようになるのは、「何をやっても望む結果が得られないのだから、努力するだけ無駄」という信念を学習して身につけてしまうからなんだそうです。
この「学習性無力感」という考えは、アメリカの心理学者マーティン・セリグマンが提唱した心理学理論。
…(中略)…
この言葉、「学習性絶望感」「獲得された無力感」「学習性無気力」とも訳されます。
…(中略)…
■「学習性無力感」の症状
長期に渡り、人が監禁されたり、暴力を振るわれたり、自分の尊厳や価値がふみにじられる(主として、いじめやモラルハラスメントに代表される人格否定)場面に置かれた場合、次のような徴候が現れるという。
被験者は、その圧倒的に不愉快なストレスが加えられる状況から、自ら積極的に抜け出そうとする努力をしなくなる。
実際のところ、すこしばかりの努力をすれば、その状況から抜け出すのに成功する可能性があったとしても、努力すれば成功するかもしれないという事すら考えられなくなる(言い換えると、長年受けた仕打ちによる反動で、どんな可能性さえも「無駄な努力」と断じ、自発的行動を全くしなくなる)。
つまり、学習性無力感に陥ると
嫌なことがあっても、そこから抜け出す努力を選ばない
頑張ったら可能性がある状況でも、「無理」「無駄」と勝手に判断して、やらない
ストレスの原因に対してされるがままになり、無力感や苛立ちに悩むようになる
ということが起こるんだとか。
まあ確かに、そうなりますよね。
メンタルが落ちてる時って、行動しなきゃ変わらないってことがなんかわかっていても行動できないっていうか行動する気にならなかったりするんですよね。
…(中略)…
■誰も無駄なことをやろうとは思わない
「学習性無力感」っていうのは「無駄な努力はしない」「無駄なことにエネルギーを消費しない」っていう行動です。
確かに、合理的で必要なものなんですよね。
確かに、回避できないって状況の中で、意味もわからずに攻撃し続けられたり、理不尽に追い詰められたら「無気力」になっちゃうって気持ちもわかります。
…(中略)…
人って”信じているもの”を土台にして行動してるんです。
現実の中で可能性があったとしても、自分が”可能性あり”って信じてないと行動できないんですよね。
”可能性があるか?ないか?”ではなく、”可能性があると信じているか?信じていないか?”というところが、別れ道です。
もしかすると、あなたの関わりによって無気力になっていく人がいるのかもしれません。
■無力感から抜け出すためにできることはなにか?
学習性無力感とは、「どうせダメだ」となにもせずに諦めてしまうというのが大きな症状です。
この「どうせダメだ」は学習されたものであるので、今度は「やればできる」ということを学習できるところに身を置くことができるのならば、変わることもできます。
…(中略)…
■前と今で違うことを数えてみる
無力感が起きた時の状況と、その時の状況で変わっていることがあるはずです。
…(中略)…
こうすれば変わるよ!とただ行動を変えることを励ましても、「どうせダメだ」と信じている人にはなかなか響きません。
それよりも、周りの状況がどう変わったのかを、認識してもらうことの方が効果があったりします。
自分のせいではなく、環境や人のせいにしてみる
「求めている成果を得ることができないのは、自分のせいだ。」と考えていると、私たちの行動に対する意欲がどんどん下がっていきます。
同じ状況であってもポジティブな人が、それでも行動できるのは、「自分のせいだ」と考えて、結果は変わらないと思うのではなく、
(自分自身ではなく)自分の行動が悪かったからだ → 行動を変えればうまくいく
この環境だからうまくいかなかったんだ → 今度のパターンなら成功の可能性はあるはず
あの人がミスしたからだ → 自分はできる
前の自分と今の自分は違う → 今ならできる
と、考えるからです。
行動できない時には、その時の失敗の原因は自分ではなく、ほかの誰かや環境にあると思いっきり開き直ってみるのも一つの方法です。
■できることからやってみる
人はネガティブなサイクルに入ると、行動をなるべく少なくしようとしていきます。
そうすると、さらに自分にはなにもできないという結果を経験することになっちゃうんですよね。
では、どうすればいいのか?
【行動を変えること】です。
感情っていうのは、私たちの行動や思考を変えると変わっていくんですよ。
…(中略)…
まとめ
厳しい現実の中では、「もう無理だ、、、」と思ってしまう場面もあるはず。
でも、そんな時に、今の自分にできることに集中して、それを選んでみることができたら、現実をより良く変えていくことができるカードが自分には残っていることに気づくはずです。
学んだことで生き方を変えよう。そして一歩を踏み出そう。
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どうなる資本主義

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