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2019年2月13日 (水)

ひとはなぜ服を着るのか

「自分」の輪郭は、思っていたより不確かだ
衣服が物理的に体を守る、でもそのためだけに人は服を着るわけではありません。
まず指摘されるのは、自分の体は、そこから痛みを感じるように自分のものだけれども、(鏡などがないと)その見た目を自分自身で見ることはできないということ。
スポーツをして体の表面がドキドキしたり、シャワーで体を流すのが気持ちいいのは、体(自分)の輪郭がはっきりして、不安が減るからだ、という説があります。
参考:サイモン H.フィッシャー からだの意識
確かに、服がこすれて体に当たるから体ってわかるわけで、裸だとそういうのわかんないんですよね(普段そんなこと意識してませんが)。あと、布団に包まったりして落ち着くのは、単に体が守られるだけでなく、体のイメージができるから、という話は新鮮です。
自分という存在は、思ったよりも当たり前ではなく不確かなもの。だからこそ人は服を着るのだ、という話ですね。
例えば自分の体を自由にして良い確認としてピアス開けをしたり、階級の差を減らすためにスーツを着たり、制服を着ながらも個性を出すために着崩したり。
自分のことは部分的にしか経験できない、かゆみや痛み、音や光はバラバラに入ってきて、全体としての自分は、どうやっても想像するしかありません。
僕が衝撃を受けたのは、「自分の自分に対するイメージこそが第一の衣服である」という根本的な衣服観です。
想像された自己の身体像こそがわたしたちが身にまとう最初の衣服だとすると、衣服はもはやわたしたちの存在の覆いなのではありません。それなしにわたしたちはじぶんの存在を確定できないわけですから、それはむしろ、わたしたちの存在の継ぎ目ないしは蝶番(ちょうつがい)とでも言うべきものです。衣服は人間という存在のギプスである、と言ってもいいかもしれません。この<像>としての身体こそがわたしが身にまとう第一の衣服であるからこそ、わたしたち人間は、繊維を編みだすよりもはるか以前から、皮膚をまるで布地のように裂いたり、引っかいたり、あるいは皮膚に線を引いたり、顔料を塗ったり、異物を埋め込んだりしてきたのです。
引用:ひとはなぜ服を着るのか p.31
服・アバターというものは、見た目がどうこう・イケてるイケてないの話だけでなく、「自分の見た目をどうするか」「自分をどう見せたいか」「自分自身をどう想像するか」というように、自分の認識・想像にかかわる人間にとって極めて根本的な存在なんですよね。
引用元:リンク



匿名希望

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