« 2019年1月 | トップページ | 2019年3月 »

2019年2月

2019年2月16日 (土)

知性の劣化

長周新聞リンクより
今日の知性の衰退の状況は深刻です。例えば、少し前に韓国の音楽ユニットBTS(防弾少年団)のメンバーのひとりが原爆投下直後のキノコ雲の写真(長崎)と、朝鮮半島が日本の支配から解放された写真を並列したプリントTシャツを着ていたことが物議をかもしました。この行動自体に対する批判は別にして、私が感じたことはそんなことをすれば、どのような反応があるのかについて想像力を働かせていない、何も考えずにおこなったのではないかということでした。
 ネットやマスコミでは、Tシャツを着ていたことが批判の的になっていましたが、どのような影響を招くのか考えずに行動していることの方がより深刻な問題だと捉えています。何の悪質な意図もなく無意識のうちに、そのようなことを行動、発言することの危うさを感じます。ものを考えないということは、マスメディアや権力を持つ者に煽動されたり流されやすいということです。かつての戦争のときがそうでした。だから恐ろしいのです。
 知性をみがかなければ、結局はお互いへの感情的な批判と不満が積み重なっていくだけです。いわゆる「ネトウヨ」の人たちもそうです。インターネット上で感情のおもむくままに、差別的発言を続けたり、罵倒の声を投げつける。それは勢いがあるように見えますが、そうした言葉を発信すればするほど、自らのボキャブラリーの少なさや知性の浅さを露呈していくだけです。自分が感じていることが、絶対正義だと、頭の中が凝り固まっている。なぜそうなるかといえば、学ぶことをしないからです。そもそもすべての物事は変化し続けており、永遠に絶対に正しいということは、神様でもない人間がわかるはずはないのです。
 社会的地位にある人が、心ない発言をして批判をされたときに、「そんなつもりはなかった」といって弁解するケースがあります。この国の政治家をみてもそういう人物が出てきていることを残念に思います。ここには知性の劣化があらわれている。そのことが深刻な問題ではないでしょうか。
 無意識に発言されるくらいなら、極端なことを言えば、歴史的事実や評価を充分に知った上で、自分の意見として差別発言をする人の方が、まだましなのではないかと思うほどです。




高梨俊寛

~「エモい」で判断するのがあまりに危険なワケ~共感力の求められる社会にはリスクも孕んでいる

毎年様々な流行語が生み出されるなかで数年前から耳にするようになった言葉のなかに
「エモい」なんていうものがある。
英語のemotionalを語源としており「感情に訴えかける。」「心に刺さる。」などの意味があるようだ。
このような言葉が広がる背景には現代の社会が共感や感情による影響の大きさを表していると言える。
共感力が社会に及ぼす影響が大きくなってきたことは本源社会への回帰でもあるが、伴って孕んでいるリスクもある。
以下引用
====================
実は、学術の世界でも同じようなことが起きています。ダニエル・カーネマンの社会心理学の研究や、ダン・アリエリーをはじめとする行動経済学の研究により、人間の判断が客観的な費用や便益に基づいて合理的に行われているわけではないことが次々と明らかにされています。
「金銭などの動機づけを与えれば人間は合理的に行動するはず」だ、という前提のもとで、経済学も、経営学も、行政学も発展してきたはずなのに、そもそもの前提が間違っていたことが明らかになってしまったのです。
人間は「合理的」な判断はせず、むしろ「共感」や「エモい」に突き動かされて生きているのではないか、という認識が社会に広まりつつあるからこそ、そのような単語が流行するのかもしれません。しかもその認識は、単なる時代の流行ではなく、実証研究によって明らかにされた事実でもあるのです。
最近ではこの、人間の「エモい」性質を使って、社会をよりよくしようとする研究も進められています。その代表格がノーベル経済学賞受賞者リチャード・セイラーとハーバード大学の法学者キャス・サンスティーンらが主張するナッジ(nudge)。心に響くちょっとした仕掛けを施すことで、社会問題を解決しようというものです。
有名な事例が「男性用小便器の的」で、小便器の中央部にハエや的の小さな絵を描いておくと、そこに向かって排泄されるので、便器の外が汚れづらくなるそうです(食事中の方、申し訳ありません)。
こうして考えると、社会はもっと「共感」や「エモい」反応を大事にしていくべきではないか、現実に即さない「合理性」は忘れたほうがよいのではないか、と思われるかもしれません。しかし、何事にも副作用があり、その副作用のほうを心配しているのはおそらく筆者だけではないはずです。
感情に基づく反応は極めて強力です。だからこそナッジが社会によい影響をもたらしてくれるのですが、逆に、それを悪用しようとする者がいれば、どうなるでしょうか。企業や政党が私利私欲のため、本来の意図を隠して人々の共感に訴えかけることも十分考えられます。
道徳心理学者ジョナサン・ハイトが『社会はなぜ左と右にわかれるのか』という著作で説明していますが、人間は情報を総合的に評価してから理性的に判断を下すのではなく、本能的に判断を下してからその理由を後づけするという説があります。
つまり、瞬間的に共感するかどうかを判断してから、その共感を正当化するための理屈を事後的につくり出しているというのです。これが本当なら、誰かを説得したいとき、理屈よりも印象が大事だということになります。説得される側も、好印象ならそれを正当化する理由を考え出し、悪い印象ならそれを否定する材料を集めることになります。
実際、最近のネット言説を眺めていると、まさにこの悲しい人間の本性が露骨に表れているように見受けられます。自分が信奉する人やメディアが言うことはすべて隠された真実、キライな人やメディアの言うことはすべてフェイクニュース、という反応は、イデオロギーの左・右問わず見られます。
ここで「だって人間だもの」とあきらめて、瞬間的な共感(反感)ですべて判断してしまってよいものでしょうか? 実際、思考停止でも十分な場面もたくさんあることでしょう。
男子が小便器の的を見たら、何も考えずに的を狙えばいいように、ナッジが提案するトリックにみんなが「だまされる」ことで、納税率が上がったり、犯罪が減ったり、社会はよくなるかもしれません。そもそも個人の趣味のレベルであれば、「エモい」音楽や映像で気持ちよくなっている人に文句をつけるなど、無粋というものです。
しかし、選挙で政党や候補者の名前を投票用紙に書くときや、地元で建設が予定されている施設の説明会で発言するときの判断も、共感だけに基づいていいものでしょうか? これらの判断と、小便器を使うときの判断が同じでいいはずがありません。あるいは、SNSやニュースサイトのコメント欄に自分の考えを書き込むときも、共感レベルの本能的な反応を示すだけでいいのでしょうか?
ダニエル・カーネマンは、『ファスト&スロー』の中で、人間の非合理的な側面を実証しながら、人間の脳内にある「システム1」と「システム2」の存在を指摘しています。
システム1とは、行動経済学の実験やナッジの実践が着目する、感性的で即断的で、「非合理」なことも多い判断のシステムです。システム2とは、事実や仮説を検証し、何が正しいのか、頭を使って熟慮するシステムです。
実際に起きている深刻な社会問題やネット上での言論に対し、誰もがシステム1だけで発言したり、行動したりするようでは、おそらく、問題は解決しないどころか、社会の分断が進むだけでしょう。むしろ、わたしたち1人ひとりが、システム1に偏りがちだという人間の弱点を認識したうえで、その本能的反応を乗り越え、意識的にシステム2で問題を考えていくことが必要です。
そのためには、まず、自分の共感(反感)を疑うことから始めなければなりません。共感できない他者に対して無意味な攻撃に走らず、寛容になる能力、あるいは無視する能力が必要です。
システム1の弱さを克服したうえで、システム2を駆動して、共感できない人たちとも「共存」するための解決策を見つけることができれば、より生きやすい社会へと近づくことができるのではないでしょうか。事実、ちまたで言われる「WIN-WINの解決策」とは、共感ではなく共存によって初めて成立するものです。
====================
参考:リンク



ABC豆

2019年2月15日 (金)

どうすればできるか?

■どうすればできるか?(天下泰平 リンクより)
:::以下転載:::
▼成功するまで失敗し続ければいい。ローマ法王に米を食べさせた男・高野誠鮮さんインタビュー [STORY OF MY DOTS](リンクより一部引用)
 どうすればできるか、それだけを考えればいい。
 できない人はやらないからできないだけなんです。
 以前なにか提案したとき、70歳代の方に反対されました。
 「そんなことくらいは、わしだって考えていた」って。
 ぼくは言いましたよ。
 「いつまで考えているんですか?なぜ今までやらなかったんですか?」って。
 切れた電球の下で、暗いと不平をいったり。議論してたって、いつまでも明るくなんかならないですよ。
 実際に電球を変えなきゃ、明るくなんかならないんです。
:::引用終わり:::
石川県の限界集落であった神子原を救ったスーパー公務員の高野誠鮮さんの言葉。
「切れた電球の下で、暗いと不平をいったり。議論してたって、いつまでも明るくなんかならないですよ。実際に電球を変えなきゃ、明るくなんかならない」
これは日常的にもよく見かける光景。
誰だって生きていれば、何かしら壁にぶつかったり、問題が起こって頭を抱えることも多々あるかと思いますが、ただ周囲に不平不満や愚痴ばかりこぼすだけでは、その壁を乗り越えることも、問題を解決することもできません。
いつまでも暗い電球の下で暮らす日々が続くだけ。
ただ電球を変えるだけで人生も明るくなるかもしれませんし、隣の部屋に移動するだけで、明るい世界が待っているかもしれないのに、いつまでも、その場のその環境に居続けているのは、誰のせいでもなく、自分自身が選んだ選択。
そして、行動することが出来ない人の多くは
「できる方法を考える」
のではなく
「できない理由を考える」タイプ。
できない理由ばかりを並べて自分を納得させ、未来に成功イメージが湧かないので行動に移せない。
高野さんも
「どうすればできるか、それだけを考えればいい。できない人はやらないからできないだけなんです。」
と仰るように
「どうやったらできるかな?どうすれば良いかな?」
まず、できる方法を考える癖を身につけ、未来がイメージできたら、あとは頭で考えずに直感に任せて行動するのみ。
人間、普段使っているのは、脳みそも遺伝子も数%程度、潜在意識は優秀で、その気になれば何だってできちゃうものです。
ただ、何でもかんでも後先考えずに、ガムシャラに行動するのが良いとは限らず、今は「在り方」が問われる時代でもあるので、行動すればすべて成功するとは限りませんが、
やらずに後悔するよりも、やって後悔する方が100倍、次に繋がります。
我が人生もチャレンジばかり、すべてが成功ではなく失敗も数多く重ねてきましたが、成功や失敗は、ある時点で物事を切り取った場合の結果に過ぎず、
「失敗は成功のもと」
という言葉のように、すべての失敗と思われる結果は、次の成功、人生そのものの成功に繋がっていると思います。
成功した時は、あまり理由を深く考えませんが、失敗は
「なぜ、失敗したのか?」
と深く考えるので、失敗のすべては自分自身の成長の糧になっていると思います。
そして、結局のところ成功も失敗もないのだと気付かされます。
:::引用終わり:::




石山 巌

2019年2月13日 (水)

ひとはなぜ服を着るのか

「自分」の輪郭は、思っていたより不確かだ
衣服が物理的に体を守る、でもそのためだけに人は服を着るわけではありません。
まず指摘されるのは、自分の体は、そこから痛みを感じるように自分のものだけれども、(鏡などがないと)その見た目を自分自身で見ることはできないということ。
スポーツをして体の表面がドキドキしたり、シャワーで体を流すのが気持ちいいのは、体(自分)の輪郭がはっきりして、不安が減るからだ、という説があります。
参考:サイモン H.フィッシャー からだの意識
確かに、服がこすれて体に当たるから体ってわかるわけで、裸だとそういうのわかんないんですよね(普段そんなこと意識してませんが)。あと、布団に包まったりして落ち着くのは、単に体が守られるだけでなく、体のイメージができるから、という話は新鮮です。
自分という存在は、思ったよりも当たり前ではなく不確かなもの。だからこそ人は服を着るのだ、という話ですね。
例えば自分の体を自由にして良い確認としてピアス開けをしたり、階級の差を減らすためにスーツを着たり、制服を着ながらも個性を出すために着崩したり。
自分のことは部分的にしか経験できない、かゆみや痛み、音や光はバラバラに入ってきて、全体としての自分は、どうやっても想像するしかありません。
僕が衝撃を受けたのは、「自分の自分に対するイメージこそが第一の衣服である」という根本的な衣服観です。
想像された自己の身体像こそがわたしたちが身にまとう最初の衣服だとすると、衣服はもはやわたしたちの存在の覆いなのではありません。それなしにわたしたちはじぶんの存在を確定できないわけですから、それはむしろ、わたしたちの存在の継ぎ目ないしは蝶番(ちょうつがい)とでも言うべきものです。衣服は人間という存在のギプスである、と言ってもいいかもしれません。この<像>としての身体こそがわたしが身にまとう第一の衣服であるからこそ、わたしたち人間は、繊維を編みだすよりもはるか以前から、皮膚をまるで布地のように裂いたり、引っかいたり、あるいは皮膚に線を引いたり、顔料を塗ったり、異物を埋め込んだりしてきたのです。
引用:ひとはなぜ服を着るのか p.31
服・アバターというものは、見た目がどうこう・イケてるイケてないの話だけでなく、「自分の見た目をどうするか」「自分をどう見せたいか」「自分自身をどう想像するか」というように、自分の認識・想像にかかわる人間にとって極めて根本的な存在なんですよね。
引用元:リンク



匿名希望

2019年2月10日 (日)

『勝ちグセ』になる人の性格『負けグセ』になる人の性格

リンク
以下リンクより引用
_______________________
・子供のころに作られる『勝ちグセ』、『負けグセ』
小さいころ、どのような教育、環境で育てられたか?によって、『勝ちグセ』と『負けグセ』の思考は形成されてしまいます。
子供のころ、親や先生に「やっちゃダメでしょ!」とか「あれもダメ」「これもダメ」、ダメダメダメ・・・と言われ続け育ってきた人は『負けグセ』の思考になる原因。ダメ出し=欠点、短所を強調し、「私は何をやってもダメなんだ・・・」と潜在意識に植え付けられてしまうのです
一方『勝ちグセ』の持ち主は、小さいころにホメられて育ってきた人たち。例えば、元メジャーリーガーの野茂投手。日本人選手のメジャー入りの扉を開いた彼の『トルネード投法』は本来の投球ホームから、かなり逸脱しています。もし監督が「その投球ホームはダメだ、すぐに直しなさい」と言ってとしたら、彼はメジャーで活躍できたでしょうか?
イチロー選手の『振り子打法』も、本来のバッティングホームから逸脱しています。もし監督が「そのホームはダメだ、すぐに直しなさい」と言ってたとしたら、彼はメジャーで活躍できたでしょうか?
彼らの変則的ホームは一般的に見れは欠点だったかもしれませんが、それを長所と捉えたことで、能力が十分に発揮でき、結果、多くの成績を残せたのです。
・イイ子ちゃんは負けグセになりやすい
世間で言われる一般常識、過去の基準や倫理観、モラルなどに囚われ過ぎている人は『負けグセ』になりやすいです。
「男はこうでなければいけない」「女はこうでなければいけない」「30代なら収入〇〇万円以上なければいけない」「上司や部下はこうでなければいけない」など、「こうでなければいけない」と自分勝手に枠を決めて、と、それからハミ出すことができない人は『負けグセ』になりやすいです。
例えば、何度も『職業』を転々としている人。周りの人たちから「もういい歳なんだからさ、落ち着ける場所で働いたら!」と言われたとき、「転職を繰り返すオレって、やっぱダメな人間なのかな・・・」と思ったり「安定したところで働かないと!」と焦ったりする人は明らかに『負けグセ』の持ち主です。『勝ちグセ』の持ち主だったら「今は転職でスキルアップする時代!」とか「転職によって自分の能力が高まる」とプラスに考えます。
あと、『負けグセ』は「人に迷惑をかけてはいけない」と強く思います。人に迷惑をかけることは決して良いことではありませんが、しかし人間は必ず周囲に迷惑をかけて生きています。逆に迷惑をかけないで生きていくことは不可能なのです。
『勝ちグセ』の持ち主は、自分にできないことがあったら、他人の迷惑とか考えず、できる人に相談したり、お願いをします。それが一番早い解決策だからと思っているからです。こうやって人間は太古の昔から助け合いながら生きてきたのです。
・『負けグセ』から『勝ちグセ』の思考になるには
【①勝ちグセのある人と一緒にいる】
人は近くにいる人の影響を受けやすい。だから勝ちグセの持ち主の近くにいれば、自然に勝ちグセの思考を身に付けることができるようになります。
また、尊敬する人のセミナーや講演会に参加したり、尊敬する人の書いた本などを読んでマネるのもいいですね。ただ読んで「いい話だった」で終わらせるのではなく、尊敬する人の生き方や考え方を同じようにマネして行動することです。
【他人と比較しない】
負けグセの持ち主は、どうも他人と比較するクセがあるようです。自分に主観を置かず、他人に主観を置いているため、それも自分より能力が優れている人と比較してしまう傾向にあります。自分より能力が優れている人を尊敬するのはいいですが、比較してはいけません。他人と比較せず、常に自分に主観を置き、自分と比較して行動しましょう。そうすることで『勝ちグセ』の思考が身に付きます。
【男性ならカラダを鍛え、女性なら美を追求する】
『勝ちグセ』の思考になるには、まず自分に『自信』を付けること。男性の場合、カラダを鍛えることで自分に自信がつきやすくなります。ランニングなどのトレーニングではなく、筋肉をつけるトレーニングです。心理学的に男性は「強さ」を身に付けると、必然に『自信』も付くようになります。
女性の場合、心理学的にメイクや服装など、バッチリきまったとき「強気になれる」と言われております。女性は外見を磨くことで必然に『自信』も付くのです。
【小さな成功体験を重ねる】
成功体験は『自信』につながります。小さな成功体験を重ねることで『勝ちグセ』の思考も強化されます。
小さな成功体験と言っても決して難しいことはありません。例えば「今日会社で10人の人にあいさつしよう!」とか「コンビニでレジの人にありがとう!って言ってみよう」とか「家の掃除をしよう」とか「AからBまで歩いて帰ろう」など、まず目標を決めて、実行し、達成することを、たくさん積み重ねていきます。達成したときは、必ず自分をホメてくださいね。できれば成功体験をノートに記録しましょう。より成功体験が具体化され潜在意識にすり込まれます。



匿名希望

« 2019年1月 | トップページ | 2019年3月 »

ランキング

  • にほんブログ村 政治ブログ 世直し・社会変革へ お勧めサイトランキングへ
2019年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

カウンター

最近のトラックバック

無料ブログはココログ