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2018年11月

2018年11月30日 (金)

裏権力の両建戦術を突破するには、思考を開放し事実を追求すること

近代観念の問題性は、自由や平等といった相矛盾する価値を全面に押し立てて、人々を分断し、思考停止に陥らせるところにある。そのような近代観念を戦略的に駆使してきたのが、国際金融資本であり、奥の院である。彼らの「両建戦術」に対抗するには、我々自身が、近代思想の檻から脱却し、思考を開放しなければならない。そのポイントをブログ「国際秘密力研究」は①問題の本質を突くこと②抽象的ではなく具体的であること、そして③「核心から逸れた抽象論ではなく、現象を観察した結果得られた道理・事実に適合する判断」をもつことであると説く。
思考を開放し事実を追求することこそが突破口であると私も思う。
リンク
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裏権力は両建戦術を常套手段としている。「国際秘密力は基本的戦略思想として「正・反・合」のヘーゲル弁証法を採用。現実への適用例「相対立する政治勢力AとBを作りだし、両方を操作して予め意図した結論Cに誘導」
「両建」とは、二つの相対立する勢力(右翼と左翼、自由陣営と共産陣営等)にテコ入れして人々を所期の目的を達成する方向に誘導する事である。「対立」はあくまで偽装であり、どちらを選んでも、裏権力に都合のよい目的に誘導される仕掛けになっている。
裏権力にとって好都合な選択肢を用意して、どれを選んでも同じ結論に至るように設定されている訳である。したがって、両建に嵌められると本体である裏権力には永遠に辿り着けず、堂々巡りさせられる結果となる。
両建で用意される選択肢は以下の特徴のいずれか、又は両方を持っている。
①問題の本質から逸れている。
②具体性が乏しく抽象的である。
両建を破るにはこれの逆を行けばよい。
①と②を共に破る方法論こそが「中道」である。
即ち「中道」とは
①問題の本質を突く
②抽象的ではなく具体的
な判断・行動、という事になろう。
よく混同されがちだが、中道は中道主義とは違う。そもそも中道は「主義」ではない。「主義」という固定的なイデオロギーではなく思考方法である。「道に中る」「道理や事実に適合する」という事である。
※「道理=理」「事実=事」とすると「事理に合致する事」とも表現できる。現象(事)とそれを成り立たせている法則や原理、人間が依って立つべき当為としての道理など(理)。慈円の愚管抄に見られるように、我が国中世の歴史観では「道理」という理念を重視した。
具体的な歴史的出来事に対して、そこに見られる法則としての「道理」。前者が「事」とすると後者が「理」である。事と理=事理で人間が語り得る全てを表す。
仏教の初期経典に以下のような話が載っている。
仏陀に「苦は自作ですか。他作ですか。自作かつ他作ですか。自作でもなく他作でもないのですか。」
と質問する者がいた。それに対して仏陀はそのいずれをも否定し、
「苦は触で生じる」と答えた。
苦が自から生じると言っても、苦が他から生じると言っても、「触」言わば個別具体的な認識作用が全くないのに、それでも苦が生じるとは言えない、という訳である。
苦の原因は自でも他でもなく「触」(認識作用の端緒)という観察可能な現象だという事。「触」ではなく「十二支縁起(十二因縁、十二縁起)」で答えるバージョンもある。
十二支縁起は「無明→行→識→名色→六処→触→受→愛→取→有→生→老死」という苦が生じる認識論的プロセスである。
この中でも「触→受→愛→取」が特に重要で、触は苦の直接的原因である愛(渇愛)・取(執着)が生じる認識作用の発端となる謂わば善悪の分かれ目、分岐点である。
苦は自生だ他生だと言い争う者達も「触無くして苦が生じる」とは言えないように、具体的な問題を抽象的なイデオロギー論争にすり替えて「右だ」「左だ」と言っている者達も、日本国民である以上はTPPなどでISD条項が押し付けられると主権を失い、結局奴隷状態になるのである。抽象論を排して具体的に思考し、物事の核心をズバリ突く事が「中道」である。



山澤貴志

2018年11月10日 (土)

コトバ崇拝の西洋思想、コトバの危うさを自覚している東洋思想

前回参加した実現塾では「近代観念の弊害」のみならず「観念そのものの持つ危うさ」についても追求が及んだ。確かに言葉は現実を固定するのに便利な手段だが、言葉化されたとたん、現実との乖離が始まる。日本神道の「言挙げせず」、仏教の「空」、いずれもが「観念」が「縁起=事象のつながりの中でどんどん変化していく現実」と遊離していくことへの戒めを含んだ認識論である。
潜在思念と一体となった東洋的思考の重要性を再認識していたところ、以下の「国際秘密力研究」というブログの認識論が目についた。「奥の院」は人々を「近代思想や宗教」を道具として使い、人々を思考停止させ、対立させ、支配していると分析し、そこから脱出するためには、「はじめにコトバありき」の西洋思想からの脱却が不可欠であると説く。全く賛同する。
以下、リンク 「理性崇拝思想の解析と批判」から引用。
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〇「イルミナティ思想とは理性崇拝教」と考えているが、では「理性崇拝」とは何かを考えてみたい。「理性崇拝」で言う「理性」とは要するに言葉を使う能力のことではないだろうか。感覚やそれを概念的にまとめる悟性の能力に対して「理性」は概念を繋ぎ合わせて推論する能力と考える。
〇まず言葉で対象を分節化し概念化する。その概念をさらに組み合わせて推論をする。その推論が実践性を持つならば「理想社会の建設」などという政治行動になったりする。理性崇拝とは要するに対象を分節化させたうえで観念上さらには実践上において操作する能力を崇拝する思想だということができる。
〇この理性の作用のプロセスの中核は言葉が占めている。であるから理性崇拝はつまるところ言葉の崇拝であり、「初めに言葉ありき」の聖書思想に起源の一つがあると思われる。他の起源は言うまでもなくプラトン哲学である。中東思想は全般的にロゴスを重視する。ヴァイスハウプト(引用者注:イルミナティの創設者)もその流れにいる。
〇それらは即ち言葉によって分節化された形で立ち現われてくる世界の姿(イデア的背後世界も含む)を世界のそのまま実相だと観じる実体主義的世界観である。
〇対して仏教では言葉は自己を含む世界の分節化した相をもたらす迷いと執着の根源と考える。もちろん仏教でも言葉を大切にする。しかし言葉が示す概念を実体視し形而上化させることを戒めるのである。この方向性は「実体主義から関係主義へ」という20世紀以降の現代哲学の傾向とも多少通じる。
〇空の哲学では言葉で分節化された分節態(この物、あの物として指し示せる個々の事物)を縁起に依らないそれ自体で存在している実体として捉える実体観を排斥する。・・それでも言葉は現実の作用を持つ。むしろ実体ではないからこそ作用を持つのである。言葉は空であるから作用を持つとは龍樹の言である。
〇意識から生まれる概念をいわば外部化させる実体思想。言葉による現象世界の分節化・実体視の克服=空観。神道では言霊という思想があるが、これは現象世界の背後世界を意味する抽象的実在というより、まさに現象世界で現象的に具体的な作用を及ぼす一種の言葉の動態的作用として捉えられている。
〇例えば「憎い、憎い」と常に思っているとそれが無意識に影響を与えそれなりの人格になってしまう。恨みがましい人格は一日にしてならず一瞬一瞬の言葉を伴う意識作用の積み重ねで形成される。
〇このように「言葉」を巡る抽象的実在論的な捉え方か、具象的現象論的な捉え方かで東西が分かれてくるように思う。我々日本人におなじみ「色即是空」という句は非常に深い哲理を蔵している。逆に「言葉=ロゴスの絶対化」という点で一神教も神秘主義も啓蒙思想も共通しているのである。




山澤貴志

2018年11月 3日 (土)

新しい活力源と生きる目標2.思考のベクトルが逆転した架空観念

このように、本源可能性の実現に向かう潮流は間違いなく上昇し続けています。ところが、活力源は仲間なのに現実にはいじめがあったり、もっとやりたいことがあるのに勉強を強制されたりして、現状は本源充足を実現することが出来ずに立ち往生しています。
その実現を阻んでいるのは、学校制度を初めとする様々な社会制度ですが、それらの制度を作り出したのは、観念(言葉や思想)です。そして、現代の制度を生み出したのは、近代観念、つまり自由・平等・博愛や個人主義や民主主義や権利主義という観念群です。
学校の教科書も、全てこの近代観念によって記述されています。また、親の「いい生活⇒いい大学⇒勉強しなさい」は何十年も前の古い常識ですが、そもそも大学も学校も全ては近代観念が生み出したものです。
この近代観念は、全て「あるべき姿」を表した言葉、つまり綺麗事に過ぎません。例えば、「みんな仲良く」という言葉は、いかにももっともらしい言葉で、誰も反論できませんが、現実にはいじめやスクールカーストが蔓延っており、「みんな仲良く」という言葉は、そのような仲間世界の現実とは間逆の逆転観念です。むしろ、現実が苦しいものであるがゆえに現実から反転して作られた願望に過ぎません。自由や平等や民主や権利という言葉も同様で、現実が苦しみに満ちているがゆえに現実から反転して作られた架空観念に過ぎません。
この架空観念は、人類本来の思考が生み出す事実の認識とは異なっています。
現実に生きる人々は、みな行動しながら追求しています。発明家や起業家はもちろん、経営者や会社員も、みんな行動する中で現実を直視し、事実を追求し、それなりに答えを出して生きています。それが、人類本来の当たり前の思考のベクトルです。
ところが、架空観念の思考のベクトルは、現実ではなく現実から反転した非現実の世界に向かっています。つまり、人類本来の思考ベクトルとは逆転しています。
それでは人類は、いつ、なぜ、思考ベクトルを逆転させてしまったのでしょうか?それは、古代宗教の登場とともに始まっています。私権の強制圧力は、戦争や支配や貧困など、様々な苦しみを作り出しましたが、その苦しみがどれだけ大きくとも、万人が私権の獲得に収束してその苦しみに満ちた現実世界を作り出している以上、現実世界を変革することは不可能です。この変革不可能な現実の壁に跳ね返されて、思考ベクトルを反転させるしかありませんでした。つまり、現実に対する不可能視こそ、人類が思考ベクトルを反転させた真の原因です。
ただし、古代宗教といっても、当時の各民族に残存していた本源性の度合いによって、その方向は異なります。皆殺しの略奪闘争によって本源集団が破壊され尽くした中近東のユダヤ教は、180度逆転した反現実の世界へ向かい、ある程度本源性が残存していたインドの仏教は、90度上方へ向かって脱現実の世界を構築し、氏族共同体が残存していた中国の儒教は、30度ほどずれた規範観念の世界へ向かいました。
問題の近代観念は、180度逆転したユダヤ教の思考ベクトルをそのまま踏襲しています。近代観念の全てが架空観念となった理由はそこにあります。従って、自由や民主や権利等の近代観念は、唯一絶対神を小分けにしたものだとも言えます。全ての観念が唯一絶対で、極めて排他的であり、また、そこでは信じるか信じないかだけが問題で、いったん信じた後は、人々を思考停止させてゆきます。
もちろん、非現実の世界に構築された架空観念は、初めから決して実現されることはありません。また、現実の問題に答えを出せるわけもありません。にも拘らず、いかにももっともらしく頭上に掲げられた観念が架空観念であり、その意味では、架空観念は人々を欺く欺瞞観念だとも言えます。




岡田淳三郎

2018年11月 2日 (金)

感謝の気持ちをそそぐ~ベースにあるのは肯定視~

相手への感謝、肯定視にあふれている人は、ありのままの現実を受け入れる徹底した現実直視があることが見て取れます。
*****以下、賢者の心得から転記リンク
感謝の気持ちをもてる人は、感謝を感じ取れるバイブレーションをもっている人です。そしてその人は、あらゆることの中に感謝すべきものを見いだすことができるでしょう。人から施しを受けた時に感謝することは簡単です。どんな苦難の中にあっても、それでも感謝の気持ちをもてる人は感謝ということの真の意味を理解し、体得している人だと思います。
この「感謝の気持ちをそそぐ」という智恵の種について、賢者たちは次のような表現を用い、私達にアドバイスを送っています。
「今のあなたの、あるがままを感謝しなくてはならないのです」「人は、今、この時点で「完璧だ」「豊かだ」と思うと、豊かさが育っていく」
「変な人が書いた成功法則」斎藤一人
「『感謝想起』をしたからといって、売り上げが上がる訳でもなく楽ができる訳でもありません。世の中の厳しさは同じです。しかし、耐える力が増し、良いほうに向く縁をもてます。『神は自らを助ける者を助ける』と言われるように、『感謝想起』により、自らの内在神を育てた者は内在神が助けます」
「内在神への道」伊勢白山道
「朝起きた時でも、寝る前でも、いつでもええ。親にでも、ともだちでも、モノにでもええ。世界をかたちづくっている何にでもええから、感謝するんや。足りてない自分の心を『ありがとう』て言葉で満たすんや。ありがとう、ありがとう、みんなのおかげて私は満たされています。幸せです。そうやって感謝するんやで」
「夢をかなえるゾウ」水野敬也
「この世の中で起こることはすべて中立で、『いいこと』も『悪いこと』もありません。あるのは解釈の違いだけです」「起こったことを肯定的に評価できる人は、それを教訓や試練と考え、起きた現象に対して『感謝の気持ち』を持つことができます」
「心を軽くする言葉」小林正観
「『欠けているもの』や『足りないもの』に目を向けないでください。寂しいときや満たされないときにでも、ひたすら感謝の種を探し、どんなに小さい進歩でもそれを喜ぶようにするとすごいことが起こります」「『私って恵まれているなあ』『私って幸せだなあ』と思っていると、次から次へと幸せがやってきます」
「毎日、人に話し切れないほどたくさんの『いいこと』を見つける」
「その日『何に感謝したか』ということを記録する『感謝日記』をつけてみるのもよいでしょう」
「幸せだから感謝するのではありません。感謝するから幸せなのです」
「感謝の気持ちに理由はありません。もっているものがどんなに少なくても、感謝することはできますよ。感謝とは、あるがままの状況を素晴らしいと考え、一瞬一瞬を満たされた気持ちで生きることです」
「『脳にいいこと』だけをやりなさい!」マーシー・シャイモフ
「では、ネガティブな心もポジティブな心もどうすればよいのか。
ネガティブに偏った心は、まずは気づきを深めていき、ポジティブに変えます。対象や物ごとへの見方の視点を変えます。心が自分を守るために敵をつくり、抵抗しているのが否定の心です。許しと感謝を育むことが必要なのです。
そらにそれをも超えて、真んなかのニュートラルな状態にもっていくようにします。ニュートラルとはゼロの状態です。ゼロにして、心を超えていくのです。するとそのとき、なかから無限のパワーが出現します。心を超えたところに、すべてを可能にするパワーがあり、愛があり、知恵があるからです」
「ヒマラヤ聖者の超シンプルなさとり方」ヨグマタ相川圭子
「自分の心の中に神を見いだす信仰を始めると、日常の生活の中に隠れている、有り難い事々に気づき始めます。この日常での感謝心が、自己の心に存在する神=良心を大きく現せ始めます。そして現実的な作用を起こさせます。
そもそも私たちは、自分の心を大きくするために、この世へ生まれてきたのです」
「大事なのは自分が生かされている事への感謝の気持ちを持てるかどうかです。これに気がつけば、現実界の人生に起こる悲哀こもごもに、どう対処すれば良いのかが自ら見えてきます。」
「内在神と共に」伊勢白山道
「成功したときに、『これはラッキーな出来事のおかげ』と、自分の人生に起きた出来事を有り難いと感謝の気持ちで受けとめていると、あたかも人生に意思があるのかのように肯定的な流れが生じ始めます。幸福と出会う頻度が高くなっていくのです」
「偶然をチャンスに変える生き方」諸富祥彦
「社会の統制から我々を解放するための最も重要な第一歩は、その時その時のできごとの中に報酬を見出す能力を身につけることである。経験の一つ一つ、流れや生活の過程それ自体を楽しみ、その中に意味を見出すことを身につけるならば、社会による統制の重荷は自然に肩から落ちる。」
「フロー体験・喜びの現象学」M.チクセントミハイ
******以上、転記終わり




 
楊数未知

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