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2018年10月 7日 (日)

【禅語】身心~イライラを治すなら、心ではなく体に意識を向けたほうがいい~

注目を集め始めている【禅語】。禅の大きな考え方は内面を変えるためには身(行動)が先にあるというもののようだ。
人間下手に考えて動けなくよりも行動した方が成果につながるということを示しているのだと思う。
以下こちらから引用リンク
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「禅」という言葉の語源は、インドのサンスクリット語の「ジャーナ」。
意味は、「心を整える」。
けれども心を整えようとするとき、心を整えようとは考えないのが、禅における心の整え方。
「……? 何をわけのわからないことを言っているんだ?」
きっと、意味不明の論理に聞こえることと思う。
整えるのか、整えないのか、どっちなんだと。
しかし、ここは大切なところなので今一度よくよく考えてみたい。
心を整えようと意識して、本当に心を整えることができるものかということを。
何か頭にくる出来事があったとして、どうしてもイライラが治まらないとする。
そのイライラを消そうと思い「消えろ消えろ」と念じたところで、本当にそのイライラを消すことができるだろうか。
意識と感情のコントロールに長けていて、意識でもって感情を消すことができる人はそれでいいのだが、そんな達人的技能を習得している人ばかりではない。
イライラを消そうと思ってイライラに気を向けることで、返ってイライラが募るという悪循環に陥ってしまう人も少なからずいることと思う。
ではどうやって人はイライラを消しているのだろうか。
超有名な手法の1つに「気分転換」がある。
読書でも映画でも食事でも散歩でも運動でも何でもいいのだが、何か別のことをして気を紛らわせて、イライラを意識しないようにするというか、忘れてしまう方法。
この「気分転換」という方法は、おそらく誰もが一度は経験したことのある、もっともポピュラーなイライラ対処法の1つだろう。
じつは、禅においてもこの「気分転換」の方法論と似たようなことを言うのである。
イライラを消そうとイライラに執着すれば、余計にイライラを意識する結果を招いてしまう。
だから禅においてイライラを消すとは、イライラを忘れることに他ならないのだと。
相手にしないというか、問題にしないというか、イライラとやり取りを交わすことをやめる。
そうしてイライラを忘れていこう、すなわちイライラと対峙しないで生活しようというのが、禅の発想の根本なのである。
〇身を整え、呼吸を整え、心が整う
で、冒頭の「心を整える」の話に戻るのだが、心を整えるとはつまりがイライラの心をニュートラルな状態に戻すことをいう。
しかし禅では、イライラを治す際に、イライラを治そうとは考えないのであった。
ではどうやってイライラを治すのか。
禅僧は昔から、心を整えるためにまず身を整えることからはじめた。
そして身を整えたあと、次に呼吸を整える。
心という目に見えない、掴み所のないものと違って、身と呼吸は自分の意識ではっきりと整えることができるからである。
そうして身と呼吸を整えた姿が、いわゆる坐禅の姿というわけだ。
さて、身と呼吸の2つが整ったのだから、ついに問題の心を整える番なのだと思いたいのだが、そうでないのが禅の面白いところ。
身と呼吸さえ整えば、心は自ずと整うということで、心を整えようと意識を向けることは禅ではしないのである。
冒頭で「心を整えようとするとき、心を整えようとは考えないのが、禅における心の整え方」と書いた意味は、このこと。
心は意識でもって整えるのではなく、身と呼吸に沿うように、自然と整っていくものだと考えたわけである。
この禅の考え方は珍しいものではなく、日常でも意識することなく同じようなことを考えていたりする。
たとえば小さな子どもは、食事の時間になってもお腹が空いていないということをたまに言う。
そんな時、「ご飯を食べる気になろうね」などと言ってみたところで、天邪鬼の如き子どものお腹は空かない。
ご飯を食べたい気持ちにさせるには、直接心にはたらきかけるのではなく、体にはたらきかけたほうが断然効果的。
手っ取り早いのは、外を走ること。
食事の前に家の周囲を駆け回っていれば、疲れてお腹が減ってくる。
気持ちもご飯を食べたいというものへと自ずと変化してくる。
つまりこれも、心を整えようとする際に、心を整えようとは考えない禅と同じ考え方なのである。
禅の考え方はいろいろと応用が効くのだ。
身と心は密接に関係し合っている。
けれども現代は心の時代。
身と心の関係は、まず心があって、その次に身がくる。
「心身科学」なんて言葉を見ると心の優位性が見て取れる。
心が1番。身が2番。
禅とは逆。
ちょっとした違いに思えるかもしれないが、このちょっとした順番の違いが、禅と科学の違いと言えるかもしれない。




玉田 聡

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