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2018年8月

2018年8月19日 (日)

勉強しつづけるのはしんどい。だから年配者は頑固なのだ。

基本的に知性が欠落してきた人間が多いほど、安定(=近代観念)が求められるという状況を打破せねばならない。
■信仰心は難しい事を考えすぎない事に役に立つ
私達は常に選択を迫られている。
例えば何を食べるかだって選択のうちの1つだ。米を食べるか、パンを食べるか。パスタにするか、蕎麦にするか。
人生は選択の連続である。そして意外と選択は結構、脳のリソースを強く使う。
かの有名なスティーブ・ジョブズなんかは、決断の力を極限まで失わない為に、毎日あの同じような服を着ていた事で有名だが、”正しい”選択を常に迫られると人はヘトヘトになってしまう。
こういう時に、宗教は結構便利である。
だいたいどの宗教にも、比較的規範となるような鉄則がそこそこ整備されており、それを遵守するだけで”その宗教からみれば正しい”行いを、あまり難しい事を考えずに”選択”する事ができる。
人はみんなと同じことをすると安心する生き物だ。
特定の宗教の信者は、その宗教の教義による”正しい”とされる行動をみんなで一緒にやることで、安心して”正解”を選択することができる。
宗教は”自由”すぎる世界から、”正しい”行いのみをふるい分けてくれるという、選択コストを減らしてくれる魔法のツールなのだ。
■勉強し続けるのは多くの人にはシンドイ
「数百年も前に決まった事を、現代にもなって守るだなんて馬鹿げている」
こう思う人も当然いるだろう。
僕も個人的にはこの考えには賛成するのだけど、しかしいつまでたっても自分の頭で何が正しいのかを考えて決めるのは意外とシンドイ。
僕は勉強が苦ではない性分であり、かつまだ頭がそこそこ働くという事もあって、今現在は新しい考えを取り入れる事についてはあまり拒否反応はない。
だけど、最近になって、これが果たしていつまで続けられるのだろうかと若干不安になってきている。
人間という生き物は、いつもずっと頭脳が使えるわけではない。
人によっては随分高齢になっても頭が柔らかく、様々な知識をみにつけられる人もいるけれど、僕がみている限り、多くの人は40歳を超えたあたりから新しい事を勉強する事が極端に苦手になってゆく。
あなたの周りにも、妙に頑固な人や新しいやり方についてこれないタイプの人がいないだろうか?
僕が思うに、ああいう人というのは新しい考え方を取り入れたくても、もう取り入れられないのだ。
僕はそういう人の事を”知性が抜けた人”と読んでいるのだけど、僕が思うに遅かれ早かれ、人間という生き物はみんないつかはそうなる。
私達は成長するにつれて身体が大きくなり、知力も上がっていく傾向があるけれど、当然だけどそれは永遠に続くわけではない。ある段階まで至れば、人は今度は下り坂に差し掛かる。
そういう時、新しい”常識”は、あなたに強い恐怖として襲いかかる事になる。
新しい知識が正しい事であり、それを身につける事が道理だとしても、もうあなたの頭にはそれを学ぶだけの知性が残っていなかったとしたら、あなたはどうするだろう?
たぶんだけど、あなたは新しいことを頑なに認めない、ステレオタイプな頑固な爺さんのような態度をとっちゃうんじゃないだろうか?
一部の年配の方が頑固なのは、新しい常識を再度学び直すのがくっそ面倒くさいからに他ならない。
それをエレガントに威厳を持って拒絶するのに、頑固というのは便利なツールなのだ。
年配の方が頑固になるのも、理由があるのである。
■宗教はアップデートされない、自然淘汰を生き延びた知見である
僕は幼い頃、伝統とかいうものが物凄く嫌いだった。神社とか寺、歴史的建造物をみるよりも、ゲームボーイをやってる方が圧倒的に楽しかった。
しかし最近になって、伝統や宗教というのは本当に強いなという事を実感する。
 
新しい事は、新しいがゆえにすぐに入れ替わる。
さっき例に出したゲームボーイだなんて、今やってる人なんてほとんどいない。かつて一世を風靡したポケットモンスターだって、いまは思い出を懐かしむことぐらいしかできない。
昔、ポケモン大会で優勝した人の名前なんて、もう誰も覚えちゃいないだろう。
一方、伝統や宗教というのは本当に変わらない。
若い頃は、この変わらないという事が退屈で古臭いものにみえてしまうものだけど、歳をとると逆に変わらない事にこそ、優しさを感じてしまう。
今では歳をとった人が伝統を遵守し、保守になる気持ちがよくわかる。変わらないという事は、それだけ知性が抜け落ちた人にとっては優しいのだ。
だからこそ、多くの人はある段階から伝統という変わらない、大いなる物語を自分の生き方の模範に取り入れるのだ。
あれらの知見は、それこそ数百年もの間の自然淘汰を経た結果、まだ現存している1つの強力な”正しい”ものの見方なのだ。
誤解してほしくないのだけど、僕は今でも技術革新は大好きだ。日々アップデートされる医学知識を身につける事についても、あまり今の所苦労はしていない。
けどアイデンティティーの構築や生き方の規律のようなもののバックグラウンドに、保守的な知識や宗教という時の洗礼を耐え抜いた”枯れた知識”を導入する事にも強い魅力を感じるものまた事実である。
そこには日進月歩のように進歩する、日々アップデートをしなくてはならない医学知識を学ぶ事の苦労は微塵もない。
その割には、時の洗礼を耐え抜いたという、妙な強さを持っていたりするのだから、実に魅力的だ。
歴史の重みや変わらなさってのも、いいものだなぁと思うのである。
私達は伝統という安定感を自分の中に取り入れる事ができた時、ラットレースのような目まぐるしく常識が覆えされる世界から、ようやく足を洗えるのかもしれない。




長曾我部幸隆

2018年8月12日 (日)

思考を止めれば、一番良いものを常に与えてくれる

最近気になっているのが潜在意識。
潜在思念で現実を対象化する(327113)とは?
潜在思念で思考するとは?
自前の観念は役に立たない近代思想をはじめ旧い常識群で凝り固まっている。
そんな観念を使って頭で考えていても何も追求には至らない。
潜在意識を解放し、潜在意識で考えること。
subconscious リンク というサイトから紹介。
ではまず私から。
仕事でつまずく。
→ひたすら努力。
→成果が出ない。
→潜在意識に出会う。
→何を願うのかも含めて自分で考えるのを止める。全て潜在意識に丸投げする。
→その手段としてひたすらアファをする。
→その時その時に一番ふさわしいひらめきや、幸せが勝手にやってくる。
→常に幸せの境地。
→今ここ。
皆さんはどんな感じですか。教えてください。
私の場合は具体化してアファしてて、それなりに成果が出てますけど、
「何を願うのかも含めて自分で考えるのを止める」とは願望を潜在意識に決めさせるということですか?
潜在意識に決めさせるというか、潜在意識は最初からもう既に完璧なんです。
ただ、それを受け取るだけです。
「丸投げ」のコツとかあったら教えていただけないでしょうか?(*^^*)
どうしても「いつ叶うのかなぁ?」「どうやって叶うのかなぁ?」って、
他の方の進展があったスレをみてるとついつい考えてしまうんです(;_;)
それにアファやイメージは一日でやればやるだけいいのでしょうか?
基本的に、一日一回はやってるんですけど!
丸投げのコツは私の場合はひたすらアファをすることです。
ネガティブ、疑念は湧水のように絶えず湧いてきますから。アファで対抗しています。
瞑想は回数の問題ではない!って事ですね(^-^)v
質ですね!!!わかりました!ありがとうございます(^-^)
それでうまくいく人もいますが、障害が多い場合はひたすらアファをお勧めします。
ひたすらアファメーションのコツを教えてください!
コツは潜在意識をコンピューターとみなすとわかりやすいです。
使っているうちにどんどんバグが蓄積されうまく動かなくなっていきますよね。それをほんの少しのバグでもその時その時で除去していけばコンピューターはスムーズに動き続けます。その除去に当たるのがアファです。内容は自分がしっくりするのが一番いいと思います。
私は現実とは潜在意識がそのまま現われた世界だと思っています。
まさに現実とは潜在意識の鏡のような存在というわけです。
現実がうまくいかないという時は潜在意識にバグが生じているということなので潜在意識をアファで元のキレイで完全な状態に戻してあげます。
コンピューターがうまく動くように現実もうまく動き始めます。
各人それぞれだとは思いますが、具体的にどんなアファを使っていますか?
「自分で何も考えない、そうすれば完璧な潜在意識が完璧な形となって現実に現れます」という内容を自分にしっくりくる形で常に言っています。毎回変えてます。これという定型文はありません。
思考っていうのは顕在意識で考えるっていうことです。
潜在意識に全てを委ねていないってことです。
だから思考を止めましょうと書きました。
思考を止めようとすることも思考ではないか?という疑問もあると思います。
だから、「思考を止めようとすること以外の全ての思考を止めようとしましょう」と書きました。これで思考を止めようとすることも思考ではないか、という反論を防いでいます。
これが幸せになるための結論です。



宮田一郎

2018年8月11日 (土)

図解化は実現の摂理に基づく思考のトレーニングになる

126261 因果関係と生成関係(実現関係)の矢印
>実現の可能性を封印され、現実に対する否定意識と(変革)不可能視だけを深く刻印された旧観念パラダイムの下では、物事の摂理を原因→結果という因果関係で理解することが、当然の思考法となっている。しかし、当然のことながら、その思考法or因果関係からは、決して実現可能性は導き出されてこない。
暗記脳に基づく学校教育では歴史構造も「原因→結果の因果関係」で教えられることが常である。故に知らず知らずのうちに物事を「原因→結果の因果関係」でしか捉えられなくなっている。
例えば壁にぶつかった際、「○○が悪いから上手くいかない」と現実否定の旧観念パラダイムでしか捉えられず、突破口が見いだせない状態から抜け出せない。
>進化(=実現)の歴史が、常に逆境発の⇒探索(どうする?)⇒可能性収束⇒(新機能の)実現態の塗り重ねであるとすれば、実現の摂理は常に、逆境⇒課題(どうする?)⇒可能性収束⇒実現態という生成関係or実現関係(⇒)で表現されることになる。
必要なのは上記の実現の摂理に基づく思考。図解化はその思考回路を太くする恰好のトレーニングになる。




石山 巌

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