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2018年4月

2018年4月26日 (木)

努力の努は、奴隷のド

以下リンク努力の努は、奴隷のド/
人生について考えるより
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努力。何かと求められるものですよね。日本人は今でも「努力」とか「頑張る」いう言葉が大好きなようです。
遊びに夢中になっている時、それは「努力して遊んでいる」とは言いませんよね。何故でしょうか?。遊んでいるだけで、お金を稼いでいるわけでは無いからでしょうか?。
私の会社にはプログラムが趣味のような人がいて、それはもう嬉しそうにプログラムを作成します。いろいろな技術書も熱心に読まれていますが、「すごい努力家ですね」と言うと、「そうでもないよ」と言われてしまいます。本人は努力しているつもりはないと言うのです。
こうして考えてみると、私達は「努力」という言葉の中に、自分自身でも気が付かないうちに「歯を食いしばって行うもの、我慢する事、忍耐」というイメージを持っているのかもしれません。
「啼かなくていいホトトギス:小林 正観:中経文庫」で、小林さんが「努力」の「努(つとめる)」という字について解説をされているのを読んで、私達がなぜ「努力に我慢」というイメージを持つのかが少しだけ理解出来ました。
(中略)
奴の右側は「股」ではなくて「又」ですねw。
又と言う字は「手」を表す漢字で、「奴」とは「女+手」という意味を持っています。
現代の日本に生活していると信じられませんが、女性が男性と同じように権利を認められ、社会で活躍する事が許されるようになったのは、ごく最近の事です。
女性の権利を認め、女性を開放する思想の事を「フェミニズム」と言いますが、フェミニズムは1789年のフランス革命をきっかけに19世紀以降に盛り上がってきた考え方で、6000年以上ある人類史から見れば「100ほど前=ごく最近」と言えるのです。
(参考:wiki「フェミニズム」記事 様)
つまり漢字が成立したような昔には、女性には男性と同じような権利は認められておらず、働き手(それも下働きと言われる雑用係)として使われる存在でした。
いろいろな労働を行う存在が女性であったため、転じて奴という字が出来上がったそうです。
「努」は奴に力を加えています。つまり「いろいろな仕事を、目一杯やらせる」という意味を持った字になっているんですね。
努力は、その上にさらに力という字を添えていますから、それはもう「歯を食いしばってでもやらせるもの」という意味になるわけです。
小林さんは、そんな努力を続けていると心に沸き立つ感情があるといいます。
それが「怒」。奴+心と書きますよね。
無理やりやらされるから、文句の1つも言いたくなる。腹が立つ。それが「怒」というわけです。
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匿名希望

2018年4月13日 (金)

現代人が喪失した「本能と直感取り戻す」には? 代々木忠語る。

○AV監督の代々木忠が「本能と直感を育てるには」について、分りやすい説を述べています。
リンク からの引用です。
>>先日、高校教師をしている40歳の男性から手紙をいただいた。その手紙によれば、風俗の女性を抱いたことはあるけれど、いわゆる素人女性とは生まれてこのかた恋愛もセックスもしたことがないという。
・手紙を読ませてもらって、この人は本能が未成熟なのだと思った。もっとも、本能が未成熟なのは彼だけに限った話ではなく、いまや多くの日本人が彼と似たり寄ったりのような気もする。
・人間が食うや食わずの頃は、衣食住を確保するために全精力を傾ける。これは「生活の文化」の時代であり、本能の領域がそのほとんどを占める。わが国の歴史をふり返れば、直近では第二次世界大戦後がそれにあたるだろう。
・とりあえず衣食住が満たされれば、次には「感性の文化」が花開く。たとえば空腹を満たすためには美味い不味いなどと言ってはいられないが、余裕が出てくればグルメだ美食だということになり、寒さを防げればとりあえずなんでも着たのに対して、デザインが流行がという話になる。もちろんこれらの感性は、芸術をも育んでゆくわけだが。
・次に来るのが「知性の文化」の時代である。いまの日本がこれで、思考オクターヴ系が主導権を握っている。戦後、物質的豊かさを追求してきた、そのツケというか、歪みがあちこちに現れたとき、人は心の豊かさにいったん目を向けようとはしたものの、名ばかりの「ゆとり教育」は失敗に終わり、格差社会の警鐘とともに、少子化もあいまって、教育熱は以前にもまして顕著であるように僕には映る。
・さて、冒頭に紹介した素人童貞である高校の先生も、手紙を読ませてもらったかぎりでは、思考オクターヴ系であると拝察する。思考型人間は情報を集めて分析するのが得意だ。より正しい結論を導き出そうとするがあまり、情報量は多ければ多いほどいいと思い込んでいる向きもある。
・でも、そのぶん本能が未成熟だから、とりわけ感情オクターヴと本能オクターヴが主導権を握るべき恋愛やセックスでは、自信がなく、でもそれを情報で埋めようとして、さらに迷い道へと入ってゆく。
・今回は、本能と直観を育てる方法のひとつを紹介しよう。
 季節も暖かくなってきたので、あなたが山に行くとする。それも自分ひとりだけで。持って行くものは、1リットルの水、塩、そしてテントか寝袋。ちなみに塩は山ヒル対策用である。どのみち、野宿を覚悟してほしい。
 街のネオンが見える所ではなく、まわりに人工物のない山がいい。なぜなら、武器も食べ物も灯りも持たず、自然の中に身を置くことが今回の目的であり、それがすべてだから。できれば月の出ない夜がいい。
 目的地には、遅くとも日没前には到着したい。必要な人はテントを張り、そうでない人は寝袋を敷く場所を確保して、訪れる夜を待つ。暗闇があたりを支配し、その闇が深くなるにつれて、自然は徐々に音を消してゆく。
 何も見えない中で、物音ひとつに聴覚を研ぎ澄ませ、見えない闇を凝視する。匂いにもきっと敏感になる。言われなくても、自分の五感をフルに働かせることになるのだ。
 ちなみに、ある人に言わせれば、里山はかえって危険なのだそうだ。里山とは人里近くにあり、人間の住む場所とその対極にある自然との境界線でもある。つまり山に棲む動物たちが里山に下りてくるのは、だいたいエサがないときで、彼らは戦闘態勢でやってくる。だから充分気をつけてほしい。
 万一なにかのトラブルに巻き込まれたとしても、僕に文句は言わないでいただきたい。自己責任のもと、あなたがたったひとりで、リスクと向き合うのである。何が起きるか、わからない。だれにも頼れない。頼れるのは自分だけ。究極の恐怖。
 この恐怖に対するあなたへの報酬は「野性」である。あなたの中に眠っている野性が、必ずや目を覚ますに違いない。野性は本能オクターヴの成熟を加速させ、感情オクターヴの直観を働かせはじめる。直観とは言い換えれば「洞察力」である。それまで見えなかった物事の真理が実感をともなって見えてくる。きっとあなたの、その後の人生は変わる。
☆そういえば、戦争が終わっても何十年もジャングルで生活した小野田元少尉が、日本に戻って福島の山中で子どもたち相手に開いていた「小野田自然塾」を息子と体験したことがあります。全く同じことを実践していました。




荘家為蔵

2018年4月11日 (水)

嫉妬や焦りを「気にしない」仏教の考え方

リンクより
将来への不安や他人に対する劣等感にさいなまれてしまう、気分はどんどん落ち込んでしまいます。そんなマイナスの感情をプラスに変える方法はないのでしょうか。ベストセラー『気にしない練習』の著者で、元結不動密蔵院住職の名取芳彦さんに聞きました――。
▼不安
結婚や出産のこと、老後のこと、自分のキャリアのこと……、将来のことを考えただけで不安になってしまいます。
過去は「過ぎ去った」と書き、未来は「まだ来ない」と書く。だからこそ変化を楽しむ心を持ち、臨機応変に人生を楽しむべし。ただ、後悔しないために、「これをやろう」「これはやめよう」と思ったら、ちゃんと覚悟すること。
 
仏教では「マイナスの感情」の説明は明快です。人間には自分の「都合」があり、都合通りにならないとマイナスの感情が生まれます。
都合とは自分の事情のこと。たとえば朝出かけるときに「うわー、寒い」と眉間にしわが寄るのは、「もっと暖かければいいのに」という都合があって、それがかなわなかったから。あるいは、自分より仕事ができる人がいると心がざわつくのは、「自分のほうが他人より仕事ができたほうがよい」という自分の都合があるせいです。
このマイナスの感情を仏教では「苦」といいますが、苦は自分の都合があるのに自分の都合通りにならないことが根源です。一方、「悟り」というのはいつでも心が穏やかな状態のこと。つまり苦がなければ、心は限りなく穏やかな「悟り」に近づくのです。
人間にとっての「苦」をなくすための方法
人間にとっての「苦」をなくすための方法は2つあります。1つは都合をかなえてしまうというやり方。たとえば車や電子レンジを発明するなど、便利なものを生み出して都合をかなえるのです。喉が渇いたときは、水を飲んで満たせば苦はなくなる。これは西洋的な考え方です。
もう1つは、仏教の考え方で、都合そのものを減らすことで苦をなくす。たとえば、「Aがいい」ではなくて「BでもCでもいい」といった具合です。「これがいい」ではなく「これでもいい」と考えられるようになれば、心は穏やかになりますよ。
未来を考えるときの3つのコツ
さて、では未来への不安はどうすればいいでしょうか。ある先輩の僧侶が、外国人から「人生で後悔するとしたら、やったことですか、やらなかったことですか」と聞かれたそうです。すると先輩は「どちらでもありません。後悔の本質とは、やったときにしても、やらなかったときにしても、心からこれをやろうと思ったかです」と答えたそうです。つまり自分自身が覚悟を持って決めたのかどうかが、未来を考えるうえで大切なのです。
未来を考えるときのコツは、3つあります。まず1つ目は、仏語でいう「観自在」。なるべく自在な考え方をすることです。たとえば、坊さんたちは紙1枚の中に雲を見ます。どういうことかというと、ただの紙だけれど、そこに雲や雨があると想像する。紙の原料がどこかの大木なら、その木を育てた太陽や雨があり、そこを巣にしていた鳥がいたかもしれない、とか。そういうことに思いを巡らし、自由な考え方をするということです。
2つ目は変化を楽しむこと。季節の変化を楽しむように、自分が年を重ねる変化を楽しむことができるならば、同じ状態を保とうと思わなくてよい。
3つ目は臨機応変であること。その場に応じて適切な行動を取れると人生は楽になります。この3つを意識するとよいでしょう。
▼劣等感
雑誌などで頭もよくて地位も高い女性の話を読むと、「私なんて全然ダメ」と劣等感を抱いてくよくよしてしまいます。
中国に「鵠(こく)を刻して鶩(あひる)に類す」ということわざがあります。白鳥を作るつもりで木を刻めばアヒル程度のものは刻める。つまり立派な人の行いをまねして努力すれば、その人にはなれないが、それに近づくことは確実にできるという意味です。
真言宗での成仏の仕方には、仏様のまねをするという方法があります。「身口意(しんくい)」といって、仏ならどうするか、どう言うか、どう考えるか、この3つをまねしろというのです。目標にする人がいたら、まずはこの3つをまねしてみるのも一案です。
失敗の連続で自己嫌悪に陥っているのであれば、そこから避難するのもひとつの手。何事も頑張ってしまう女性ほど、こうやらねば、こうあるべきとがんじがらめになっている。そんな人は、もっと周りに助けを求めるとよいですね。
▼嫉妬
仕事のできる会社の同僚の評判が気になって仕方がありません。嫉妬している自分にもイライラします。
すべては比べることから始まっている。人と比べてしまうと、一生懸命やっていることにも自己肯定感が持てなくなってしまう。向上心を持つためなら比べる相手は必要だけれど、自分を卑下しないことが大切です。
そもそも学校の成績や仕事の成果など、私たちは幼い頃からずっと比較されて生きています。
ところが仏教では、比べても意味がないという考え方をします。大正生まれの詩人・金子みすゞさんではないですが、「みんなちがってみんないい」、私は私なのです。一方で「こんなふうになりたい」とか、「その人に近づきたい」と思うなど、向上心を持つためには、人と比べることがある程度有効である場合もあります。
ただし、比べることにより、自分がやっていることの大切さがわからなくなったり、一生懸命やっていることに対して自己肯定感が持てなくなったりすると、嫉妬につながってしまいます。
嫉妬の気持ちが生まれたら、机の上や引き出しの整理をするのがおすすめです。いろいろ散在しているものをキレイに整理すると、心の中も整理されていきます。
特に引き出しの中。アイテムごとに分類できる仕切りをつくって、鉛筆は鉛筆、クリップはクリップ、と並べていくと、それぞれほかの文房具と比べても意味がないことに気づきます。「私はクリップなのに鉛筆に嫉妬してるわ」と思えるようになりますよ。




森浩平

2018年4月 6日 (金)

「深く考える力」の本質

“古い観念に思考が妨げられて、自由自在に思考できない”“もっとすっきりできそうなのに、モヤモヤが残る”いう思いは、多くの人が感じていると思います。
このような思考の壁は、とことん事実を追求した天才だけが突破できるとも言えますが、むしろ我々多くの凡人は入口部分で躓いているだけ、という疑いが濃厚です。
過去るいネットでも「3分間、観念停止」(315890)、「『1日10分』で脳が生まれ変わる』」(204692)といった認識が提示されていますが、以下同様に思考の壁突破に向けた認識を、田坂広志(田坂塾)の「深く考える力」から引用紹介させていただきます。
**************************
我々の多くは、緻密に論理を積み上げていくことが
「考える力」であると思っていますが、
実は、それは、「考える」という行為としては、
ごく初歩的な段階にすぎません。
 
最も高度な「考える力」とは、
そうした論理思考を超え、突如、新たな考えが閃く直観力のこと。
それが「深く考える力」の本質です。
そして、「賢明なもう一人の自分」は、まさに、その直観力を持っています。
また、例えば、データベースを超えた「膨大な記憶力」。
我々の心の奥深くには、実は、
人生で触れたすべての情報が記憶されています。
しかし、我々の通常の思考では、
それらの情報のごくわずかしか取り出すことができません。
 
しかし、「賢明なもう一人の自分」は、それらの情報の中から、
必要なものを、瞬時に取り出すことができます。
実際、表面意識でのブレーンストーミングでは
どれほど考えても思い浮かばなかった記憶が、
「賢明なもう一人の自分」が動きだすと、突如、
心の深層から浮かび上がってくることは、しばしばあります。
このように、我々誰の中にもいる「賢明なもう一人の自分」は、
こうした素晴らしい能力を持っているのですが、
では、なぜ、そうした能力が、我々の日常の思考において発揮されないのか。
その理由は、「自己限定」です。
すなわち、我々の多くは、
自分の中に、そうした力があると信じていないのです。
いや、むしろ、我々の多くは、「自分は直観力が無い」「自分は記憶力が悪い」という
無意識の自己限定をしてしまっており、この自己限定が、我々の力の発揮を妨げ、
ときに、無残なほど委縮させてしまっているのです。
しかし、もし、我々が、
この無意識の自己限定を取り払うことができるならば、
その瞬間に、我々の中から「賢明なもう一人の自分」が現れ、
直観力や記憶力を始めとする、素晴らしい叡智を発揮してくれます。
 
それが、「深く考える力」の本質です。
**************************
(リンク)




 
竹村誠一

2018年4月 5日 (木)

人の悪口を言うと、自分自身が傷つく理由

潜在意識を守る 悪口を言わないリンクから引用させていただきます。
---------------------------------
人の悪口を言うと、自分自身が傷つく理由。【脳科学】リンク
脳は主語が理解できない
私たちが日頃何気なく使っている言葉が、脳と体に大きく影響しています。
例えば、脳は主語を理解できないという性質を持っています。 
主語が理解できないので、自分が発した言葉全てを自分のこととしてとらえてしまいます。
(中略)
大脳新皮質(理性・知性の脳)を「新しい脳」、それ以外を「古い脳」と呼びます。
人間特有の高度な精神活動を担当する「新しい脳」のほうは主語を認識できているのですが、感情を司る「古い脳」のほうは認識できず、新しい脳から送られてくる情報をすべて鵜呑みにしてしまう性質があります。
だから、人の悪口を言うと、脳の中では自分が悪口を言われた時と同じ状態になる
つまり、相手の悪口を言うと、自分自身に悪口を言っていると判断し、自分も傷つき気分が悪くなります。
人をけなしてばかりいる人は、なぜか自己嫌悪に陥っていくのはそのためです。
そして、より、人に対して攻撃的になります。(自分が自分を無意識に攻撃している状態となるわけですから逃げようがありませんね)
(中略)
人の悪口ばっかり言ってる人に明る人を見たことがない。
そういう人は、鬱屈していて、どこか影があり、不幸そうに見える。
(中略)
もうネット上にあふれるヘイト文字は読まない。
書いてる本人は自分を傷つけてるのが分かってない。
そんなものばかり見てたらヘイトな感じが潜在意識にどんどん蓄積していって
心がギスギスする。
(中略)
さっきの続きでタイガーウッズさんの話が載ってました。
スポーツの試合で、どうしても勝ちたくて【あ~相手がミスればいいのに】【相手のシュートが入るな ! 】などと思うことが、ありますね! それは、知らないまま自分で自分に呪いをかけていることになっているのです。
反対に、相手を褒めれば、自分が褒められたのと同じ状態に。
反対に相手を褒めてあげると、自分が褒められたと思い、気分が良くなり自尊意識が高まります。
タイガーウッズは、ココ一番の大勝負の瞬間、対戦相手が上手くいきますように!と祈るそうです。
(中略)
悪口の反対。褒めまくろうと思います。
------------------------------(引用終わり)-----





上前二郎

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