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2017年8月

2017年8月30日 (水)

「身体の持つ受信能力」をフルに使って、“相手から見た”真正面に対峙する

>私が向かい合おうとした時の、相手の方の私に対する感想は、「ただ突っ立っているだけ・遠い感じがする・こういうことを真似てすれば良いのだろうという、どこかで高を括った感じ・形を真似ているだけ・地蔵のよう」等々というものであった。
向かい合う気持ちを強くしよう、しっかり見よう、もっと感じようと思っても、「独りよがり・自分だけ熱くなっている・私に向かい合っていない・自分のことだけを気にしている」との感想を受けた。
結局、全て自己満足でしかなかった。
>「武禅」の場で、相手の方はハッキリ私に対して感想を言ってくれて、私自身はこんなにも思い込みの中で、自分勝手に自分を良いように考えていただけであったことを知りました。
やろうと思っている事が出来ておらず、それにもかかわらず出来ていると勘違いの自分が日常なのだという事を知りました。
>「聴く」ということ。
これが自分にとっては最も難しく、「ただ聴く」「ちゃんと聴く」これが本当に出来たら、相手と本当に良い関係が結べるのだろうなと思う。
>そんなことよりも、心が震えて止まらなかった。
本当に向かって来てくれた。
その時の感動は、意識して見れば何が起こったのは分からない。
でも、凄いものが凄い大きな力。
自分自身が感動しているということは、こんなことか!これが出来るようになりたいのだ。
ならないと人間じゃない。
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こんばんは☆
これは、「武禅」という修行に参加された方の感想の一部です。どんな修行なのか、とても興味が湧きますよね!
開けても暮れても人間関係。相手の活力を上げようとするとき、私たちはその目の前の相手を未知なる存在として捉えられているでしょうか?
人と向き合うこと(=自分と向き合うこと)を武道で追求しておられる日野武道研究所サイトより紹介します。
続きはこちら→リンク




男と女の職場話

2017年8月25日 (金)

わからないものに関心を集め続けること

こんばんは☆
わかった!となったときにキラキラする子どもたちの目
未知なるものを追求するときのワクワク感
みんなのやる気に火をつけられたときほど、己の力もみなぎる。そんな経験はありませんか?
人類の活力源たる『未知収束』『追求充足』とはどういうものだろう?
そんなことを考えさせられた、数学者岡潔氏の思考。紹介します。♪
続きはこちら→リンク




男と女の職場話

2017年8月21日 (月)

書評紹介『平均思考は捨てなさい』~私たちは「平均」に支配される社会に抗えるのか

ハーバード教育学大学院の心理学者トッド・ローズの著書『平均思考は捨てなさい』を紹介します。
 今の社会では、テストの評価/成績を平均の上か下かで評価やランク付けが行なわれ、受験では評価やテストの点数が平均的な受験生と比べられ、就職では、評価やテストの点数だけでなく、スキルや経験年数、性格検査の得点までが平均的な応募者と比較される。そして、多くの人が、自分が「普通」でいられているか、「平均」からずれていないかをひどく気にする。
しかし、実際には、平均的な体形を計算で割り出しても、現実にはその体形の人をほとんど見つけることができうず、スキャンをした脳の活動マップの平均を割り出してみでも、その平均マップと同じ脳の人はほとんどいない。つまり、平均的な人間は、ほとんど現実には存在しない。私たちの意識が「平均」という言葉に騙されているにが実態だ。
 アメリカの書籍ですが、あるで今の日本のために書かれたかのような内容です。
以下、私たちは「平均」に支配される社会に抗えるのか――書評『平均思考は捨てなさい』(リンク)より一部転載。
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■社会は平均に支配されている
 私が高校1年生の時、とても難解な試験を課す日本史の教師がいた。いまでも、テストが始まった瞬間の衝撃を思い出すことができる。試験開始を告げるチャイムが鳴って問題をめくってみたはいいが、そもそも何を問われているのかわからない。ほぼすべてが難関大学受験レベルの論述で構成されたテストは、よくある単語の知識ではなく、歴史に対する本質的な理解が問われていた(いま思えば、とても良い先生だった。いま思えば、だが)。
 その結果、私のように付け焼き刃の準備で臨んだ多くの生徒にはペンを動かすチャンスすら与えられず、後日発表された試験の平均点は20点。お情けで8点と書かれた答案が返ってきた私は、見事に赤点だった。ただ、同じテストを受けた同級生に声をかけると、10点以下の“赤点仲間”が続出していた。その理由は単純で、私を含めた不勉強な怠け者と、勤勉な高得点者が多数を占めていたからだ。現実には、加算の「平均」として示された20点を獲得した生徒はほとんどいなかったのである。だが当然のように、その学期の評価は平均点を基準に行なわれた。
 本書は、邦訳のタイトルに象徴されるとおり、「平均」という評価基準に支配される社会へのアンチテーゼである。現実社会には「平均的な人間」など存在しないということを示すと同時に、それによって人々の個性が失われている現状に警鐘を鳴らしている。
 たとえば、「はじめに」で示されるエピソードは、平均への過剰な期待を表す典型例としてわかりやすい。20世紀に実施されたあるコンテストは、婦人科医の権威であるロバート L. ディッキンソンが1万5000人もの若い成人女性のデータを参照し、平均的かつ理想の女性像として導いた「ノーマ」の体型に、最も近い人物を選ぶために開かれた。だが、コンテストの結果を見ると、応募者3864人のうち、審査対象となる9つの部位すべてで平均の範囲内に収まる人物は一人もいなかった。わずか5つの部位に限定しても、それは40人未満にすぎなかったという。
 本書で特に興味深いのは、こうした具体例をていねいに紹介しながら、社会が「平均的な人間」という概念を歓迎するようになった背景と、それに抗う科学者の歴史が丹念に描かれている点である。そして、その最たる例であり、社会に大きな影響を与えた考え方として、本書では、経営学ではなじみ深いフレデリック・テイラーによる科学的管理法が挙げられている。
 テイラーが提唱し、労働者の個性を重視しない平均主義に基づいたその管理法は、組織から無駄を省き、徹底的な効率性を生み出した。当時の経営環境を考えれば、その功績は計り知れない。また、学問の世界がその発想に囚われることはなく、テイラー主義そのものは時代を経て見直され、経営学が着実な進歩を遂げていることも付け加えておきたい。一方で、「平均は理想の姿であり、個人はエラー」という基本的な考え方は現代社会にも根強く残っている旨の筆者の主張には、うなずく点も多い。
 たしかに、平均点、平均身長、平均年収、平均寿命など、世の中には「平均」を枕詞にした言葉で溢れている。自分がその範囲に収まることがある種の安心感を生み出すだけでなく、そこから外れている人が批判の対象になるケースは少なくない。そして、それは最終的に、個性が評価されない残念な社会につながっていることは事実ではないか。
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斎藤幸雄

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