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2017年7月

2017年7月31日 (月)

「常識」と云う思考停止が、社会を崩壊させる。

社会が目まぐるしく変化している時代に「常識」と云う旧い固定観念で対象化すれば、全てが誤ると思う。
思考停止している事を正当化する為に、「常識」観念をを使っているに過ぎない。確かに、「常識」で覆われる社会は、皆の意識変化に対応出来なく壊れていく。
「常識」に対する見解を述べている記事を紹介する
雨宮の迷走ニュース
リンク
(引用開始)
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『「常識」に疑問を持たない人たちが、社会を退化させる』
最近、「こんなの当たり前」とか、「常識でしょ」っていう言葉に敏感になりました。「え、それって当たり前なの?」「そんな『常識』はじめて聞いたんだけど」っていうのが、結構見受けられるからです。
多くの人は、それをなんの疑問もなく受け入れてます。だからこそ「当然」なんですけど、それって社会全体の思考停止じゃないですか?
 
『「常識」という価値観の押し付け』
「常識」っていうのは便利ですが、やっかいです。本当にそれが正しいかどうかを考えずに受け入れている人が多いように思えます。
たとえば、年末年始営業。年末年始営業が「当然」になったのは、2000年以降あたりからです。わたしが生まれたとき(1991年)は、お盆や年始はお休みの店が多かったんです。それなのに、いまや年末年始営業が当然で、「休業=不便だ」と言う人がいます。
年末年始でもお店が開いている状況は、「最近当たり前になってきた新しい傾向」であるにも関わらず、「年末年始営業なんて常識でしょ」と思いこんでいる人がいます。
ほかにも、「先輩のグラスが空になったら酒を注げ」とか。少し上の世代の人からしたら「常識」でも、わたしは常識だと思えません。だって酒なんて自分で注げるし、好きなペースで飲めばいいじゃないですか。
 
ただの思い込みをさも当然のように「常識」って認識してる人、本当に多いですよね。ちゃんと理由を説明できず、自分の価値観=社会の総意だと思い込んでいる人が使うのが、「常識」っていう言葉なんじゃないかと思います。
なぜ年末年始営業が常識なのか。なぜ先輩に酒を注がなきゃいけないのか。ちゃんと理由を説明できないのなら、それはただ「常識」を盾に使った押し付けです。
 
『「常識」に疑問を持たない社会は退化する』
そもそも、常識ってなんでしょうね。調べてみました。
一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力
出典:じょうしき【常識】の意味 - goo国語辞書
ふむ。ということは、「一般の社会人が持っておくべき当然の価値観」に、「年末年始営業がふつうだ」「先輩には酒を注ぐ」ということが含まれるんですか。へぇー、信じられない。
 
『時代の変化に追いつかない「常識」』
以前巻き起こった「電車で化粧はみっともない論争」では、「時代の変化に『常識』が追い付いていないなぁ」という印象を受けました。
昔は、「女性は家事と育児だけしていればいい。外見を磨いて男性のうしろに立ってお飾りになってればOK」でした。でもいまは、「女は家事も育児もして、男と同じくらい働くことを求められてて、さらに身なりに少しでも手を抜いたら怠慢だといわれる」なかで戦ってるわけです。
電車で化粧するな!って言うんなら、すっぴんでの出社を認めればいいのに、と思いました。でもすっぴんで仕事をするのは「非常識」なんですよね。
 
30年前と現代では、女性を取り巻く環境は大きく変わっています。それなのにいまだに昔の価値観で「常識」「非常識」と言うのは、ただの古い価値観の押し付けです。
 
『「常識」を疑わなければただの自己中』
常識なんてものはすごくあいまいで、流動的です。昔は「入社したら定年まで」が常識でしたが、いまや「転職が当たり前」の社会になっています。つまり常識なんていうのは、「そのときの社会のなかでだけまかり通る共通認識」なわけです。
それでも、一度「これが当たり前だ」と思っちゃうと、なかなか考え方って変わりません。だから古い価値観を押し付ける人が多いんでしょう。その人にとっていまだに「当然」なわけですから。
「常識なんだからそれを理解してない方がおかしい」と思っているかぎり、ただの自己中です。「常識」と言えばほかの人の意見をすべてねじ伏せられる、と思ってたら大間違いです。
 
『常識が硬直すれば社会は退化する』
本来常識なんていうものは、その社会背景や時代の流れによって生まれた共通認識で、ものすごい強い縛りではないと思うんです。だって60代の方にとっての「あたりまえ」と、20代の人にとっての「あたりまえ」は大きくちがいますから。
基本的に、20代より40、50代の人の方が、社会的発言力が大きいですよね。だからその人たちの年代の言う常識で物事を測れば、20代の若者は「非常識」になるでしょう。
 
でもこれって、社会の思考停止じゃないですか?
 
どっちが正しいとかじゃなくて、「なるほど、ネットを使って育ってきた世代はこうやって情報交換するのか」とか、「バブル時代ならこれが当然だったんだなぁ」って互いに理解する方向に進めばいいのに。
それでもいまだに、「ベビーカーは邪魔だ」とか、「女は酌をしろ」とか言う人は必ずいるわけで。こういった、昔の常識がいまでも変わっていないと価値観を更新しない人が、社会の進化を邪魔してます。
 
「常識」と言われたら、反論しづらいですよね。だって反論したら「非常識」になるんですから。でもそれって、なんで常識なのかって考えて理解していますか?
人の価値観は、1日や2日では変わりません。でも自分の価値観を疑わず、それがあくまで当然の正義のように「常識」と言う人が多ければ、社会は古い価値観に縛られ続けていきます。
 
単なる思い込みを「常識」だと思って人に押し付けていないか。他人の言う「常識」は本当に社会の総意なのか。そういったことを考えると、「常識でしょ」という言葉はあんまり使わない方がいいんじゃないか、と思う雨宮でした。
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(引用終了)



松本幸二

2017年7月23日 (日)

スミルノフ物理学を理解するには

『黄色いリボン派の御質問に回答3!!!Dr佐野千遥』 リンクから紹介します。
   ===
スミルノフ物理学を理解するには何と何を事前に勉強している必要が有るか、の御質問が有りましたので、回答致します。
スミルノフ物理学とは極度に単純明快な易しい物理学です。必要とする数学は9割方が中学3年生までの加減乗除と等式、不等式で、後1割が数3の微積分
(本当は離散値の数学の和分・差分にしたいが皆が高校まででは微積分しか習わないので、無限の扱いで誤りにならない限り微積分で説明している。)です。
[註]:後強いていうなら、深く理解したい方々には、フィボナッチ数等を論じるために、整数値整数論、その他、メービウスの帯等の捩じれの数学
5月3日に説明したコイルの内側空間ではN極とS極とが互いに押しのけ合い、外側空間ではN極とS極とが引き合う話は、N極とS極とが押し合うか引き合うかという話なのですから、この世界にこれより単純明快な易しい話はありません。これをも“難しい!”と言うならば、この世の中に易しい話は一つも無い事になります。
前回、カッコ付「正統派」現代物理学の誤りの実例である
“気体を入れた風船の温度を上げると、分子の直線速度があがり、速度が上がると気体分子はより勢いよく風船の内壁に体当たりするので、圧力があがる。”
“翼の上面がこんもりと盛り上がっていて、下面が平らな飛行機や鳥は、上面の方が速い速度の気体分子は下面の遅い速度の気体分子より勢いよく上面に衝突する
[此処で空間は一様平坦であると前提する確率論を導入した現代確率統計量子力学は粒子はあらゆる方向へ均等に飛び散ろうとすると考え、より速度の大きい粒子は全方位により速い速度で飛び散る]ので、上から下へ向けた圧力が優勢で決して飛び上がる事は無い!”
も、文科系の人達でも論理的に堅実に理解する人ならば、明確に理解できる例でしかありません。
無矛盾一枚岩の理論体系であるスミルノフ物理学は極度に単純明快だが、今迄に全く存在しなかった発想法をするので、それのみが1回目に話を聞く時に意表を突かれるだけであります。
2回目3回目になったら、これ程、単純明快な学問は嘗て無かったことに納得が行く筈です
文科系の人達が、ほぼ完ぺきにスミルノフ物理学を理解する事が出来ます。
ですからスミルノフ物理学を理解する為に下準備として
1 高校生の(ニュートン古典)力学
  (静力学、動力学)
2 高校生の(マックスウェルの古典)電磁気学
3 高校生の光学
  (光の屈折率、凸レンズ凹レンズ のみ)
の章のみを学習し理解しておいてください。これだけでスミルノフ物理学を理解する下準備として完ぺきで有ります。
最近の高校生の物理学教科書には原子の話とか、宇宙の話とか付け加わっていますが、これ等は全て嘘八百ですから、全く読む必要は無く、読めば、真面目に学ぼうとする人であればあるほど、寧ろ自力では全く脱出不可能な大混乱と誤謬に堕ち込みますので、読まない事をお薦めします。
ともうしますのは、弁理士試験に於ける出題範囲は正に上述した1,2,3のみだからです。
何故、現代量子物理学とか現代素粒子論とか現代相対性理論が弁理士試験には出題されないかというと、理論が有れば発明者達はその理論をあらゆる方向から検証し突っつき回しますので、全く不確かな一面的記述でしかない現代量子物理学とか現代素粒子論とか現代相対性理論はその使用に耐えられないからであります。
現代量子物理学は各分野の現象面の上っ面を只辻褄合わせをしただけの物でしかなく、現代量子力学は、異なった分野にただただ実験結果と実験式を羅列しただけで統一物理理論・物理モデルを全く持っておらず、章と章との間は矛盾だらけです。
現代素粒子論はその基礎理論である“ゲージ場・ゲージ粒子理論”に於ける“ゲージ場・ゲージ粒子なる物は現実には存在しない事がスミルノフ学派により完璧に論証し尽くされております。
唯一、誤謬の数学・確率論を物理学に持ち込む事を「神はサイコロを投げる事は無い」と言って正しくも批判したアインシュタインが創った頃の相対性理論は、速度が変われば、質量も時間も変動する、と物理学史上初めての提起をした点で意義が有ったのですが、その後、誤謬の量子物理学と誤謬の素粒子論と誤謬の現代宇宙物理学の浸食を受けて、今日の現代相対性理論は完全誤謬に陥っています。(しかし数式は間違っていた。)




佐藤有志 

2017年7月22日 (土)

その問題は、実は自分自身がもたらしたのだ。

>20355 観念パラダイムの逆転3 現実とは、人々の意識である
同類圧力は、人々の共認が形成する圧力である。従って、『現実』とは人々の意識に他ならなくなる。
しかも、主体=対象である以上、人々の意識とは、自分の意識に他ならない。
つまり、自分自身の意識が、『現実』=同類圧力を形成していることになる。もっと簡単に云えば、現実とは自分自身に他ならない。
こうなると、もはや現実を否定することは出来なくなる。実際、現実=同類圧力を形成したのは人々=他人であって、自分だけは別である=自分は無関係であるとは、誰も云えまい。
だとすれば、もはや現実を否定することは出来ない。
   ===
何事も、上手くいっていない時、何らかの具体事象をあげつらい、或いは具体名をあげて他者否定する事は多いだろう。
しかし、上記記事に深く同化すると、その問題は、実は自分自身がもたらしたのだ、と認識したほうが正しいだろう。それが同じ組織で、自分自身が組織的な共認形成に参加してるのだとしたら、尚更。
では、どうするか?
事実の追求と共認が全てではないか。
その問題の原因を全員で共認。⇒課題と役割を再固定できるか。にかかっているのではないか。そこに一切の否定は不要。
状況と課題と役割をみなで共認し、実現可能性が見えれば、その挽回過程は、みなの充足課題に転換できるのではないだろうか。



 
佐藤賢志

2017年7月15日 (土)

人類が一つの終局に向かっている今、我々は陰の支配者の操り人形であることを止め、洗脳を払拭し、押しつけられた物欲から抜け出さなければならない。  1/2

太陽系 リンク より
太陽系形成に関しても初めに物語があり、それに見合ったモデル(仮説)が作られ、それに見合った証拠が集められたのだと思われる。微妙な問題だが、謎を解くためにはモデルを作って検証する必要があり、それ自体は正当な手順と言える。しかし問題は一つのモデルを作り上げると、何がなんでもそれを完成させねばならないという執着のようなものが生まれ、それに向かって都合のいい証拠やデータだけを探し、不都合な証拠やデータは顧みようとしない傾向が生まれることだ。特に最初にそのモデルが有名になってしまうと、こうしたことが起こりやすい。ダーウィンが唱えた、ヒトがサルから進化したというモデルなどはこの典型だろう。そうした仮説を学校というところでは堂々と定説であるかのように教えているので、多くの人は幼い段階で洗脳され、余計な疑問を持たずに仮説を受け入れるようになる。
さて一般の人たちはたかが太陽系形成の話で洗脳などと大袈裟な、と思うかもしれない。しかしこれは進化論と同じように、我々はどこから来たのかという重大な問題と密接に結びついているので、決して大げさな話ではない。特に西洋人にとっては、1600年にジョルダーノ・ブルーノが地動説を唱えたために火刑にされた例もあるように、地球という存在の地位・由来は彼らには重要なものなのだ。それは特にキリスト教と深く関わる問題だからであり、神が人間のために宇宙を作り地球を作ったかのような記述が聖書にあるからだ。すなわちバチカンおよびプロテスタントの教会は、民衆の支配のためにはどうしても地球を宇宙の中心にしておかなければならなかったからだ。
実はこの状況は現在も変わっていない。マスメディアの表に決して出てこない陰の支配者たちは、さまざまなメディアおよび宗教を利用して人類の奴隷化を謀るため、人間中心そして地球中心の考えを植え付けて人類を一元化し、統制支配を容易なものにしようと目論んできたと思われる。このような発言は異様に聞こえるかも知れないが、ここ数千年の歴史を素直に見れば必然的に導かれる見解だと思う。もちろん決定的な証拠があるわけではないが、様々な深刻な問題を抱えつつ、先の見えない混迷する現状を目の当たりにすれば、その原因が突然現代になって現れたものではなく、長い歴史の中で作為的に作られてきたものであることに気付くと思う。
現代の地球汚染、地球破壊、資源の枯渇、水の枯渇、食糧不足、種の絶滅などを見れば、人間中心、ひいては地球中心の考えがいかに多くの弊害をもたらしてきたかが分かる。多くの人は気付かないかも知れないが、欧米の歴史を振り返って見ると、彼らは一度も自然と共生するという発想を持たなかったのが分かる。先にも言ったように、彼らにとっては自然は征服すべきものであり、支配すべきものに過ぎないからだ。しつこいようだが、これは西洋医学とも発想を同じくしているのであって、彼らにとって病気は征服すべきもの、肉体は支配すべきものなのであり、東洋医学の食餌療法および生薬によるバランスの回復、そして肉体の自然治癒力による病気の克服といった発想とは根本的に異なっている。
彼らは地球は神から無条件に与えられた贈りものと考えており、従ってそれを無制限に使うことに躊躇はない。神は愛すべき最高の生命体として人間を創造したのであり、したがって人間は地球とそこに生きるすべての生き物に君臨して当然なのだ。たとえ地球が太陽の周りをまわっていようと、彼らは地球中心の考えを捨てることはできない。それはバチカンが地動説を公式に認めたのが、何と1992年であることを見ればお分かりいただけると思う。しかもそれは一応公式という形ではあったが、ガリレオの異端裁判が誤りであったことを認めた際の補則という形で発表されたに過ぎない。



 
加藤俊治

人類が一つの終局に向かっている今、我々は陰の支配者の操り人形であることを止め、洗脳を払拭し、押しつけられた物欲から抜け出さなければならない。  2/2

太陽系 リンク より
さて太陽系生成論は壮大な物語であり、スーパー・コンピュータを使って惑星形成のシミュレーションなども行なわれており、一般の人たちが反論を試みるのが非常に難しいように仕組まれている。しかしいくら複雑な計算を用い、難しい理論を展開しても変なものは変なのであり、現代科学が解けないものはあくまでも解けないのであって、我々はそれを冷静な目で見定める必要がある。
最初に言ったように太陽系生成論にはいくつもの問題があり、教科書に書かれているような確定した学説ではない。その事実を知っている主流に属さない学者や在野の人たちは、それぞれに異論を唱えている。
-略-
以上述べてきたように太陽系生成に関する学説はあやふやで確定したものではない。にもかかわらず学校では、たった一つの仮説を現代科学が到達した崇高な真理であるがごとく教えている。もし本当に科学的な態度で教科書を作るつもりなら、すべての学説を併記すべきだが、そうしたことはしていない。これは科学(理科)に限ったことではなく、歴史、社会、国語など、いくつもの科目に共通したことだ。なぜこうした教育手段を用いているのか。なぜこうした単一の考えを押し付けているのか。それは支配者にとっての統制管理をより容易にならしめるためだ。我々一般庶民は従順に一つの説を信じ、従順に経済活動を行ない、従順に政府の定めた税金を納め、従順に物質世界の中で物欲に奔走していれば、それが陰の支配者にとって好都合だからだ。
我々日本人がかつて持っていた霊的精神や、物質界を超えた世界観などは、こうした陰の支配者の目論見どおりに色褪せ無価値なものとなっている。我々はさまざまな便利な物に囲まれ、好きなものを食べてはいるが、しかしどれだけ幸福を感じているだろうか。いくら物があっても、植えつけられた物欲のためにさらに欲しいと思い、いくら金があっても満足することなくもっとほしいと思い、この豊かな社会で死ぬまで不満のまま過ごすことになってしまっている。
人類が一つの終局に向かっている今、我々は陰の支配者の操り人形であることを止め、洗脳を払拭し、押しつけられた物欲から抜け出さなければならない。そして自然との共生を目指し、精神的・霊的自己を取り戻しながら、喜びを分かち合う世界の構築に向けて踏み出さなければならないと思う。



 
加藤俊治

2017年7月 5日 (水)

アメリカでは未だに進化論を信じない人が4割もいる。キリスト教=「倒錯観念」の最たるものの怖さ。

■アメリカでは未だに進化論を信じない人が4割いる。キリスト教(=「倒錯観念」の最たるもの)の怖さ。
現実とは遊離した(非現実の)思念から出発した宗教や、これも現実には存在しない「自由・博愛」を標榜する近代観念は、非現実を現実と思い込むことから「倒錯観念」と呼ばれます。
一旦慣習化・肉体化された倒錯観念の影響力の強さの一例として、アメリカでは、世界は神が創造したと信じる「創造論」者が未だに半数近くいるという記事(「日経ビジネス アメリカの今を読む」  リンク)を紹介します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
多くの日本人にとって、「エッいまだに?」と驚いてしまうことが米国で続いている。米市民の10人中4人が、人間が神によって創造された(創造論)といまだに信じているのだ。
 いや、ようやく10人中6人が「進化論」を信じるようになったと言い換えた方がいいかもしれない。米ピュー・リサーチ・センターが2015年11月に明らかにした調査で、ほぼ6割が進化論派になった。
しかし例えばルイジアナ州のボビー・ジンダル知事は創造論を擁護している。テキサス州のテッド・クル―ズ上院議員も「進化論は共産主義者が作ったウソだ。進化論については言及したくない」と述べている。
ジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事やフロリダ州のマルコ・ルビオ上院議員も慎重な態度を取っており、学校では両論を教えるべきとの立場だ。
 彼らはいずれも共和党の大統領候補に名乗りを挙げている。創造論を信じている有権者の票を失わないための策であり、創造論を否定していない人が相当数いる証拠でもある。
・最近進化論者が増えた理由で最も大きい理由は、若い世代を中心に米市民が宗教と距離を置くようになっていることだ。米ピュー・リサーチ・センターが2014年に行った世論調査では、約5600万人の市民が無神論者か無宗教に属していた。2007年の同調査では約1900万人だったので、この間にほぼ3倍に増えたことになる。
 創造論への懐疑が時代とともに深まったもう一つの理由に、裁判での争いがある。過去100年の米国史をみると、学校で進化論を教えることを禁じる法律(バトラー法など)が存在した。
 その中でリベラルな考えを持つ教師は、進化論と創造論のテーマをわざと避けたりしたという。筆者が米国取材で出会った30代の男性は、小学校時代に先生がこの問題に触れなかったと語った。
 時代が下るにしたがい、進化論を教えることを禁じる法律は廃止に追い込まれていく。最近では05年にキッツミラー対ドーバー裁判があり、進化論側が勝利を収めている。
 それでも共和党大統領候補のほとんどは、進化論教育を積極的に口にすることはない。それほど強く、キリスト教の教義が米国社会に流布している表れでもある。



荘家為蔵

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