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2017年6月15日 (木)

宗教の悲惨な歴史

比叡山延暦寺を焼き討ちは、日本での虐殺の事例としてよく出て来るが、一方で政教分離を守る戦いとも取れる。他国での宗教の悲惨な歴史を見ると、頷ける。
>信長の最も大きな功績は、政治的な力をもった仏教を壊滅し、宗教が政治に口だしすることを防いだことかもしれない。これにより、江戸時代は政教分離が守られ、明治以降、日本人は宗教に捕らわれないフレキシブルな考えをもって海外の技術を導入し、短期間に国力を蓄えた。
雑記帳より転載です
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宗教の悲惨な歴史
Distressing history of religion
イデオロギー:政治や社会のあるべき姿についての理念の体系
それ自体は、一見、正しく崇高な理念であっても、現実を無視し、人間の本性を無視した理念は、正義どころか悪になります。恐ろしいのは、悪と知りつつ行う行為には歯止めがありますが、正義と信じて行う行為には歯止めが無いことです。
一途に思い込んだ正義ほどやっかいなものはなく、イデオロギーに魅了され帰依した人間は、その失敗を認めず、どんなことになろうと、『善意から出た行動が、悪い結果に結びつく筈がない』と考えます。そして、そのイデオロギーを標榜する国家や組織が犯した悪や失敗を認めようとしないのです。
人類が20世紀に学んだのは、政治にイデオローギを持ち込んだ社会主義は、『平等な社会を造る』という崇高な目標を掲げてスタートしたにもかかわらず、共産党員という支配階級と非支配階級に別れたとたんに極めて不平等な社会になったということです。
さて、イデオロギーの最たるのものが、宗教です。
『神の国をつくる』という、その人や集団にとっては正しく崇高な理念であっても、その神を信じない人にとっては悪魔の理念であって、極めて危険な思想です。
歴史が教えるのは、究極のイデオロギーである宗教が政治に関与した場合には常に悲惨な結果をもたらしてきたということです。逆に宗教と政治を分離し、宗教に捕らわれない政治を行った国は永らえ、発展しているという事実です。。
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■現在のドイツを中心に戦われた、30年戦争。単なる覇権を争うだけなら、プロテスタントとクリスチャンの間の宗教戦争という側面があったために、『神の名において異端者を完全に抹殺』した結果、多くの都市が完全に消滅し、ドイツの人口は1/3に減ってしまった。
■ローマ帝国末期。衰えたとはいえ、ローマ帝国にはまだ軍隊があり抵抗が可能な時に、キリスト教の司教たちは信者にむけ、『北方蛮族によって破壊され殺されているのは地上の国であって、われわれキリスト教徒にとっての安住の地は死んだ後に行く神の国以外には無い』と説いていた。紀元455年にヴァンダル族が僅か1万の軍で攻めてきた時、ローマ法王レオは、キリスト教会と関連施設は略奪の対象外との条件をつけて略奪や殺戮を認め、20万人以上のローマ市民は抵抗しなかった。この後、西ローマ帝国は紀元476年に滅びる。
ローマはローマ法のもとで、その地方や民族にあった広範囲な自治権を認め、寛容の精神で統治していた。ユダヤにおいても、ユダヤ教の特殊性を認め、ローマへの兵役負担などの義務を免除し、神官による広範囲な自治は認めが、統治に関しては神権政治は認めなかった。しかし、ユダヤ教はイスラム原理主義と同じく、神権政治こそが究極の目標であったため、何度も反乱を起こし、70年のマサダの砦で終わるエルサレム陥落の戦争を経て、131年には、救世主(メシア)を名乗った指導者のもとで大規模な反乱が起こった。
五賢帝のひとりであったハドリアヌスはこれを鎮圧。ユダヤ民族がパレスティナに住むのを禁じた。これ以降、1948年のイスラエル建国まで、ユダヤ民族は国をもたない流浪の民となる。
■ヴェネティア共和国。中世のキリスト教全盛の時代にあって、サン・マルコ教会を人々の心の拠り所にしていたにも関わらず、宗教と政治を完全に分離し、政治に一切口だしさせなかった。
ローマ法王が唯一、自分の思い通りにならない国と嘆いたが、巧みな外交戦略によってヴェネティア共和国は1000年の長きにわたって繁栄し、地中海を支配した。
■日本の戦国時代、浄土真宗の一向宗が爆発的に広がり、信者からのお布施によって、本願寺は日本各地に大きな支配力と資金力をもつ存在となった。各地で一向宗による一揆が起こり、加賀では一向宗の国ができて、仏教による神権政治が始まった。これに対抗したのが織田信長。比叡山延暦寺を焼き討ちしたのを手始めに、伊勢や越前の一向一揆を攻め、日本史上例のない、女子供を含む門徒全員の大量殺戮を行った。総本山である大阪の石山本願寺も長期にわたる籠城戦ののち攻め滅ぼした。
信長は戦国時代を終わらせる道を拓き、楽市楽座などの革新的な政治を行ったが、信長の最も大きな功績は、政治的な力をもった仏教を壊滅し、宗教が政治に口だしすることを防いだことかもしれない。これにより、江戸時代は政教分離が守られ、明治以降、日本人は宗教に捕らわれないフレキシブルな考えをもって海外の技術を導入し、短期間に国力を蓄えた。
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(転載おわり)





孫市

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