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2017年6月

2017年6月16日 (金)

書評『人生は残酷である-実存主義(エリート)の終焉と自然哲学への憧憬』

戦後教育は、知識人といわれる、己のことしか考えず社会を傍観者として批判するだけの人々が信奉する近代思想を浸透させた。そして現在、マルクスもサルトルも近代思想も知らない人々が大勢を占めるようになった。
そのため、それらの人々は、顕在意識上は近代思想など自分には無関係と思っている。しかし、その本質の、教えられた内容を疑うことも無く信じて、それと異なる意見は傍観者として批判するだけで、自らその本質を見極めていこうとしない習性は、戦後の近代思想教育の産物であることに無自覚である。
それは、
>「戦争反対、差別反対」を声高に叫ぶ<善意の人たち>という暴力的カルトイデオロギー集団。
と同じ思考法である。
そこを超えて本当の充足を得るためには、
>人は崇高で深遠な思いと同時に、地に足を着けた現実という生き様を矛盾することなくやりこなしていかなくてはならない。それはなかなか骨の折れることではあるが、「やる」という選択しか人類には与えられていないと私は思う。
のように、みんなが幸せな社会になるように、現実を直視し、たとえそれが今まで教えられたこととは異なっていても謙虚に受け止め、事実を追求し続けていくことが必要になる。
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(リンク)
著者が一貫して言わんとすることは、エリートと言われる人たち即ち学者や評論家あるいは一流企業人や官僚たちが、ただそれだけでエリートとして通用している事への懐疑、政治家の器と視野の狭さに対する批判である。
彼らからは、世界は心豊かな社会へとはなりえないことを指摘している。
後半では日本人のこれからの未来との関りについて深く鋭い視点に目を醒まされる!
特に戦後思想界をリードしてきたサルトル実存主義の日本知識人への絶大な影響とあまりに酷い後遺症、そして、マスメディアに支配され続ける無思考な国民への警鐘が鳴らされている。
さらに戦後日本の知識人を衝き動かし、いまもエリートに浸透するマルクス思想。
そして、「自由に生きよ! 」「行動せよ! 」と呼びかけたサルトルに日本の全知識人が影響された事実を否定することはできない。戦後日本人は、進歩的に映ったこの思想に支配され、今もマスメディアや教育の現場を支配し続ける。しかし、それは無思考のままに未成熟な外来思想に追随した愚行に過ぎなかったのではないか。
したり顔で、単なるイデオロギー的偏見や感情論を垂れ流すテレビのコメンテーターたち。
ヒステリックにトランプ大統領に反対する知識層と一般大衆。実は全てが情報操作でしかない。
「戦争反対、差別反対」を声高に叫ぶ<善意の人たち>という暴力的カルトイデオロギー集団。
誰もが自分の頭で考え、自分の言葉で意見を発していると思っているが、その全てがカルトイデオロギーと無思考の産物でしかないと著者は説く。
そして、著者は読者に問いかける―。
「人が考えるということ」「思索すること」とはどういうことなのだろうか。
そして「自分の人生を生きる」とは。
さらには、「自分」が「存在する」ということの本質は何だろうか、と問い直す。
《中略》
人は崇高で深遠な思いと同時に、地に足を着けた現実という生き様を矛盾することなくやりこなしていかなくてはならない。それはなかなか骨の折れることではあるが、「やる」という選択しか人類には与えられていないと私は思う。



 
本田真吾

無知の知を知る方法

村上春樹は新刊で40万人の南京大虐殺があったと書き、それを非難されると「歴史を修正しようとする者たちとは戦っていかねばならない」と反論した。
村上春樹は南京大虐殺についてどの位研究したのだろうか、少しでも研究・調査すれば“あった”と言うには躊躇するような多くの矛盾が出てくるはずである。
彼の南京大虐殺の知識というのは我々一般人と同じで、ただ聞きかじった知識であろう。その聞きかじった知識で全世界に向かって南京では40万人が虐殺されたと喧伝したのだ、なんという無責任な奴であろうか。七十に近い男が言論には責任が伴うということが未だ分かっていない。
誰か村上春樹に対して言ってやればいいのだ「貴方は本当に南京大虐殺を信じて書いたのか?もし嘘だった場合、大変なことになるぞ、どう責任を取るつもりなのだ、命を賭けても40万人大虐殺はあったと言えるのか」と。
若いころ村上春樹の本を読もうとしたが「ノルウェイの森」というタイトルを見て、薄っぺらで欺瞞的なものを感じて村上春樹を読むことをやめたが、あの時の直感は正しかったようだ。
私たち人間は無意識的に“自分の考えていることは正しい”と信じ込む癖がある。それを改めようとしたのが、ソクラテスや孔子、釈迦が言及している“無知の知”であろう。それは、つまり知識人たちはなんでも分かっていると考えているが、本当は何も分かっていない、また神の知恵に比べて我々人間の知恵など取るに足らないものだから、我々は常に謙虚であるべきだというものであろう。
我々はソクラテスたちの時代から何も進歩していない、何千年たっても人類は“無知の知”を自分たちのものにできていない。現在においても我々は“自分の考えた事は正しい”と考え安易にネットなどに書き込んでいる。
私たちがもう少し謙虚で自分たちは無知であると知る為にはどうすれば良いのか。 自分の意見・考えに対して“本当はどの位自信を持っているのか”がピタリと分かる方法がある。
それは自分の全財産の内どのくらいなら賭けられるだろうかと考えることである。
例えば財産が一千万円あるとして、その内いくら位なら実際賭けられるだろうかと考える。数万円なら賭けられる、それでは数十万はどうだ、数百万では・・・と考えていけば、いくら位までなら賭けられるという金額が出てくる。その出てきた金額が自分の考えに対する自信の程度を示している。自分の考えが絶対に正しいと考えていれば全財産どころか命だって賭けられるであろう。しかし数十万円しか賭けられないと思うならば、それはほとんど信じていないということになる。信じてもいない事をいかにも正しいかのように発言するのは詐欺師である。
責任感をあまり感じないネット上で発言するにしても、責任が伴う事柄ならば、せめて全財産の半分ぐらいは賭けられるという自信ができて初めて発言すべきであろう。このように“実際いくら位なら賭けられるだろうか”と自問自答をしてみれば、多くの場合は“私はまだ本当には信じていないのだ、無責任に発言すべきでない”と自分の無知を理解し謙虚になることができる。
皆さんも「自分の意見は正しい」と思った時には“自分は全財産の内どの位本気で賭けられるだろうか”と自問自答してみてください、そうすれば本心ではどのくらい自分の考えに自信を持っているのかがピタリと分かりますから。



蘆花

2017年6月15日 (木)

宗教の悲惨な歴史

比叡山延暦寺を焼き討ちは、日本での虐殺の事例としてよく出て来るが、一方で政教分離を守る戦いとも取れる。他国での宗教の悲惨な歴史を見ると、頷ける。
>信長の最も大きな功績は、政治的な力をもった仏教を壊滅し、宗教が政治に口だしすることを防いだことかもしれない。これにより、江戸時代は政教分離が守られ、明治以降、日本人は宗教に捕らわれないフレキシブルな考えをもって海外の技術を導入し、短期間に国力を蓄えた。
雑記帳より転載です
リンク
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宗教の悲惨な歴史
Distressing history of religion
イデオロギー:政治や社会のあるべき姿についての理念の体系
それ自体は、一見、正しく崇高な理念であっても、現実を無視し、人間の本性を無視した理念は、正義どころか悪になります。恐ろしいのは、悪と知りつつ行う行為には歯止めがありますが、正義と信じて行う行為には歯止めが無いことです。
一途に思い込んだ正義ほどやっかいなものはなく、イデオロギーに魅了され帰依した人間は、その失敗を認めず、どんなことになろうと、『善意から出た行動が、悪い結果に結びつく筈がない』と考えます。そして、そのイデオロギーを標榜する国家や組織が犯した悪や失敗を認めようとしないのです。
人類が20世紀に学んだのは、政治にイデオローギを持ち込んだ社会主義は、『平等な社会を造る』という崇高な目標を掲げてスタートしたにもかかわらず、共産党員という支配階級と非支配階級に別れたとたんに極めて不平等な社会になったということです。
さて、イデオロギーの最たるのものが、宗教です。
『神の国をつくる』という、その人や集団にとっては正しく崇高な理念であっても、その神を信じない人にとっては悪魔の理念であって、極めて危険な思想です。
歴史が教えるのは、究極のイデオロギーである宗教が政治に関与した場合には常に悲惨な結果をもたらしてきたということです。逆に宗教と政治を分離し、宗教に捕らわれない政治を行った国は永らえ、発展しているという事実です。。
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■現在のドイツを中心に戦われた、30年戦争。単なる覇権を争うだけなら、プロテスタントとクリスチャンの間の宗教戦争という側面があったために、『神の名において異端者を完全に抹殺』した結果、多くの都市が完全に消滅し、ドイツの人口は1/3に減ってしまった。
■ローマ帝国末期。衰えたとはいえ、ローマ帝国にはまだ軍隊があり抵抗が可能な時に、キリスト教の司教たちは信者にむけ、『北方蛮族によって破壊され殺されているのは地上の国であって、われわれキリスト教徒にとっての安住の地は死んだ後に行く神の国以外には無い』と説いていた。紀元455年にヴァンダル族が僅か1万の軍で攻めてきた時、ローマ法王レオは、キリスト教会と関連施設は略奪の対象外との条件をつけて略奪や殺戮を認め、20万人以上のローマ市民は抵抗しなかった。この後、西ローマ帝国は紀元476年に滅びる。
ローマはローマ法のもとで、その地方や民族にあった広範囲な自治権を認め、寛容の精神で統治していた。ユダヤにおいても、ユダヤ教の特殊性を認め、ローマへの兵役負担などの義務を免除し、神官による広範囲な自治は認めが、統治に関しては神権政治は認めなかった。しかし、ユダヤ教はイスラム原理主義と同じく、神権政治こそが究極の目標であったため、何度も反乱を起こし、70年のマサダの砦で終わるエルサレム陥落の戦争を経て、131年には、救世主(メシア)を名乗った指導者のもとで大規模な反乱が起こった。
五賢帝のひとりであったハドリアヌスはこれを鎮圧。ユダヤ民族がパレスティナに住むのを禁じた。これ以降、1948年のイスラエル建国まで、ユダヤ民族は国をもたない流浪の民となる。
■ヴェネティア共和国。中世のキリスト教全盛の時代にあって、サン・マルコ教会を人々の心の拠り所にしていたにも関わらず、宗教と政治を完全に分離し、政治に一切口だしさせなかった。
ローマ法王が唯一、自分の思い通りにならない国と嘆いたが、巧みな外交戦略によってヴェネティア共和国は1000年の長きにわたって繁栄し、地中海を支配した。
■日本の戦国時代、浄土真宗の一向宗が爆発的に広がり、信者からのお布施によって、本願寺は日本各地に大きな支配力と資金力をもつ存在となった。各地で一向宗による一揆が起こり、加賀では一向宗の国ができて、仏教による神権政治が始まった。これに対抗したのが織田信長。比叡山延暦寺を焼き討ちしたのを手始めに、伊勢や越前の一向一揆を攻め、日本史上例のない、女子供を含む門徒全員の大量殺戮を行った。総本山である大阪の石山本願寺も長期にわたる籠城戦ののち攻め滅ぼした。
信長は戦国時代を終わらせる道を拓き、楽市楽座などの革新的な政治を行ったが、信長の最も大きな功績は、政治的な力をもった仏教を壊滅し、宗教が政治に口だしすることを防いだことかもしれない。これにより、江戸時代は政教分離が守られ、明治以降、日本人は宗教に捕らわれないフレキシブルな考えをもって海外の技術を導入し、短期間に国力を蓄えた。
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(転載おわり)





孫市

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