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2017年5月

2017年5月24日 (水)

「七つの大罪」と「無財の七施」

4/11の朝日新聞に、素敵な記事があったのでご紹介します。
筆者である徳永進さんは野の花診療所というホスピスの院長をなさる方です。
___________
 人間には「七つの大罪」があるらしい。カトリックの教えである。
「暴食」「色欲」「強欲」「憤怒」「怠惰」「傲慢」「嫉妬」の七つ。心当たりある、他人事じゃないわ、と思う。誰もが人生、これらの罪を避けきることは至難、と思う。
「人の死に立ち会う、よくそんなハードな仕事続けておられますね」と声をかけられることがある。「人を助けたいんです」、みたいなことはここまで年を重ねると、気恥ずかしくて言えない。「ええ、罪滅ぼしで」となら言いやすい。
「戦場に行かなかった罪」「地震や津波で家族を失わなかった罪」「自分が死ななかった罪」「今年も無事に桜を見た罪」。
えっ、それって罪かあと言われそうな罪の、罪滅ぼし。
 仏教は、罪や悪の反対側にある善、施しが人間にはあるとして、「無財の七施」を教える。「眼施(げんせ)」「和顔施(わがんせ・優しい顔をする)」「愛語施(あいごせ・愛情ある言葉を使う)」「身施(しんせ・体で奉仕)」「心施(しんせ・心配り)」「牀座施(しょうざせ・座布団を出したり、席を譲ったりする)」「房舎施(ぼうしゃせ・宿を用
意する)」の七つ。身分も知識もお金もない者でも、これらの行為を他人にしてあげることができるという。
 最初の眼施は、優しい目で人を見るということで、容易そうで奥深い行為、とも思える。ホスピスケアに限らず、ケアそのものの原点は「眼施」、だろう。
 死の臨床の原点ともいえることを青木新門さんは「納棺夫日記」(文春文庫)に書いている。「末期患者には激励は酷で、善意は悲しい。説法も言葉もいらない。きれいな青空のような瞳をした人が側にいるだけでいい(要旨)」。
 日に日に老眼が進む中で、そんな瞳について憧れながら、考えている。
___________
罪を償い清め、無かったことにする前者、施すことで相手を喜ばせ現実を変えていく後者。
ホスピスの現場でなくとも、日常の中でも納得する話だと思いました。



 
黄色い太陽

2017年5月21日 (日)

古典論理が人類を破滅に追い込むa

古典論理は同一律・矛盾律・排中律の三つから構成されている。
同一律(Principle of identity)
「AはAである。」「A=A」
「AはBである。」「A=B」
矛盾律(Principle of contradiction)
「AはAである。」「A=A」と
「AはAではない。」「A≠A」が
同時に成立することはない。
「AはBである。」「A=B」と
「AはBではない。」「A≠B」が
同時に成立することはない。
「命題とその否定命題が同時成立することはない。」
排中律(Principle of excluded middle)
「AはAである。」「A=A」か
「AはAではない。」「A≠A」の
どちらかだけが成立する。
「AはBである。」「A=B」か
「AはBではない。」「A≠B」の
どちらかだけが成立する。
「命題かその否定命題かのどちらかである。」
古典論理は
個人、家庭、組織、国家の同一性を担保している。
個人、家庭、組織、国家が
古典論理を振り回すことによって
個人同士、家庭同士、組織同士、国家同士の対立が発生している。
この対立が人類を破滅に追い込む。
戦争、紛争、経済戦争は
古典論理が引き起こしている。
この人類の破滅を解決する為には
古典論理には存在しない「容中律」の論理の力が必要である。
容中律(Principle of included middle)
「AはAである。」「A=A」と
「AはAではない。」「A≠A」の
両方が成立する。
「AはBである。」「A=B」と
「AはBではない。」「A≠B」の
両方が成立する。
「命題とその否定命題が同時成立する。」
排中律と容中律は完全に矛盾する。



千田祐介

2017年5月 8日 (月)

現実を作るのは心の癖

宇宙の法則は単純 使わないともったいないリンクから引用させていただきます。
---------------------------------------
現実を作るのは心の癖。
現実をどっち側から見るか。
例えば、いつも否定的な方向から見る人。
どんなに素晴らしい出来事、環境でも、すぐ欠点に目が行ってしまう人。
例えばワタスがインドに行く。ワタスは素晴らしい国に思えた。
でも、欠点に目を向ける人ならインドは発展途上です。
あれもないこれもない。人によっては文句ばかりの国になってしまうでしょう。
それはその人が欠点が大好きだということです。
欠点ばかり見てるとそういう世界を引き寄せる。
現実は後、心の癖が先。
(中略)
ワタスは宇宙の法則は非常に単純だと思っています。
大きな家に住みたい。お金が欲しい。 楽な仕事がしたい。
そういうことばっかり言ってると願望が見事にかなう。
ますます大きな家に住みたくお金が欲しい状態になる。
あれもないこれもない。あれもこれも欲しい。
そう暮らしてると、見事に願望がかなって何も手に入らない状態になる。
だから、たった今をどっち側から見るか。
何にもない状態から脱出したいのなら、なんもないよ~と言ってる時間を減らして何もかもあると思う時間を増やせばいい。
欠点ばかりの人と別れたいならその人の欠点を許して、その部分を見るのをやめるだけで良い。
超単純です。
ワタスは何にもいりません。 毎日満たされてます。ありがとうございます。 毎日、感謝してる時間を増やす。
そうすると益々満たされる世界に行く。
ワタスは最近はそのパワーがどんどん増してる気がするのでした。
だから最近は宇宙の法則を使わないとかなりもったいない。
こんな単純な仕組みを利用しないと損だ。
---------------------------(引用終わり)-----


上前二郎

2017年5月 1日 (月)

【あの人は頭が良いから出来る。私は頭が悪いから出来ない。】

「あの人は頭が良いから出来る。私は頭が悪いから出来ない。」、「それは、あなたの部署だから出来るが、私の部署では出来ない」と、繰り返す人が大人にも子供にもいます、
どう考えても間尺に合わない。
「私は頭が悪いから出来ない。」を呪文のように唱える人は少なく無い。もちろん根拠は無い。「私は頭が悪いのだから、出来なくても仕方ないじゃないですか。」と開き直っているだけ。もしくは、「頭の悪い私に、そんな難しい仕事を押し付けるあなたが悪い」と責任転嫁に使っている人も・・・。
このような人材は、一旦、横に置いといて、「頭が良い、悪い」=「出来る、出来ない」は何で決まるのかを考えてみました。
一般的に
・「様々な問題に対して答えを出せる人」を「頭が良い人」=「出来る人」
・「全く共認できない内容を主張」し、「ほとんどの問題にたいして、分からない、出来ない」と言う人を「頭の悪い人」=「出来ない人」と捉えている人が多いように思います。
どこに違いがあるのかと考えると
「頭の良い人」は、様々な問題を捉えていることから考えて、対象領域が広いと考えら「大所高所」から物事を捉えているのに対して、「頭の悪い人」は対象領域が狭いと考えら「枝葉末節」だけを捉えていると思われます。
共認動物である人類の対象領域で考えると、「みんな」と「自分だけ」の違いになると思います
もう少し踏み込むと「自分だけ」を考える人は自分以外のことは捨象しているのだから、自分にとって関係の無いことは全く考えることが出来なくなり「わからない、出来ない」のオンパレードとなり、かつ、「潜在思念の共認部分が生起しない」ため共認できないことばかりになり、結果、みんなから「頭が悪い」と言われるようになると考えられます。
さらに記憶蓄積という観点から捉えると
頭の良い、悪い人材に拘わらず、共に蓄積されているものは潜在思念(本能+共認)で約35億年の蓄積がある。それに対して、生まれてから獲得した観念(知識・情報等)は高々が数十年年程度の差。
・頭の良い人=(数十年+35億年)/(35億円)≒1.0
・頭の悪い人=35億年/35億年=1.0
数値的には差が無いといってよいレベル。
「頭が良い、悪い」の決定要素は対象が「自分のため」か「みんなのため」か、の違いのみとなる。
だとすると「私は頭が悪いから出来ない」=「私は自分のことしか考えていない人」になりますね((^_^)ニコニコ)
しかし、「出来ない」と繰り返す人に対して、周りの人がアドバイス(根拠も提示)をしている筈なのだが、中々、改善されない。
「なぜか?」この疑問に対する答えがるいネットにありました。
・・・・・・・・・・
【すぐに「できない、できない」と言う人は謙虚なのではなく、自信がないわけでもない。むしろ高慢なのである。】リンク より(抜粋)
この世の中には、何かを指摘されると、すぐ「自分にはそれはできない」と答える人がいます。
一見すると、その人は自信がなくて、本当に能力がないと思ってそう言っているように見えます。ですから、周りの人たちもこの人には何を言っても無駄だと思って諦めるようになります。
しかし、何事もすぐ「できない」と言う人は、本当に自信がないのではなく、本当に能力がないわけでもなく、ただ単に高慢なだけ、という場合が大半です。
なぜなら、指摘されたことを心から受け入れて、自分は間違っていると認め、その間違いを治そうと思うなら、その人の口から出てくる言葉は「できない」ではなく、「やってみます」となるはずです。
しかし、「やってみます」と言わずに、すぐに「できない」と答えるのは、その指摘を心から受け入れていない、あるいは受け入れたくないと思っている証であり、どうして受け入れないのか、受け入れたくないのかといえば、その人が高慢だからです。
ですから、もし自分が少しでも人から指摘されて「できない」と思ったり、「できない」と口に出して言ったりすることが多いようでしたら、一旦、立ち止まって冷静に考えてみてください。もしや自分は高慢になってはいないだろうか、と。
-略-
実現の時代。謙虚な人ほど、何にでもチャレンジしようと動き出している。
この期に及んで「出来ない理由」ばかりを考え、すぐに「無理」と言うような者ほど、現実捨象の他人事思考。
-略-
・・・・・・・・・・


 
加藤俊治

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