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2017年2月16日 (木)

常識の変域の両端は知らぬ間に極端になっていく

子どもたちのほとんどが義務教育で学び、義務教育でない高校へは90%以上が進学し、さらに大学へ50%以上が進学しますが、親子の常識から言えば、大学を出るというのが主要道です。問題はこの主要道が災害時には真っ先に通行止めとなり、戦時には爆撃対象となり、恐慌時には連鎖倒産の自殺道にもなってしまうことです。
おそらく社会資本の最適化が明治以降の日本の足腰をだんだんと弱め、想定される最悪が常に更新されてしまうことに一因があり、逆に、望みうる最高が低くなってきていることがもう一つの原因なのではないかと感じます。
変域、最悪側の更新は、例えば抗生物質が行き渡れば新種のウィルスが出現する、入試競争が過熱すればさらに難易度は高くなる、忙しくなれば何かが手薄になるなどがありますし、望みうる最高の低下には、有名大を出ても大きな夢が実現しない、大金を得てももっと上がいて相対順位は変わらない、情報が増えても選択ばかりで何かしらの遺伝情報が空っぽになることなどいろいろあります。
これまでにも、変域が広がるのに比例して、中間の価値が延べられて薄くなり、代わりに、命の重さ、愛は地球を救う、個性の時代など両極端の正当化のために、いろいろと言われてきました。漠然とした善意が地球という惑星を救済してくれる、逆に社会の最小単位である個人の命を大切にすれば社会問題や外交問題が解決できる、
何か何千年も前から同じようなことを言ってきて何も解決していませんし、鮮明さの希薄なスローガンだけを強調することによってやることは何でも良くなっていたり何もしなかったりという時代が長過ぎるような。
無限大の漠然から限界の個まで変域を広げたら、例えば法律が何万もでき、法則が何万もでき、相反する常識が交錯し、面倒だから思考停止したり、即自完結したり、いろいろなポジションが収束不全になっているはずなのに、広げきった固定観念が収束の代わりに強制しているという感じです。
義務教育から大学までの直線を延伸して子どもを序列化するという常識から見ての非常識、教育をできる限り複線化して、いろいろな群れの合議としての社会のことをとても楽しく想像しています。



佐藤英幸

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