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2017年1月28日 (土)

なぜ、キリスト教は性欲・自由意志・輪廻を全否定してしまったのか?5

[キリスト教封印の世界史 ヘレン・エラーブ著作 井沢元彦監修 杉谷浩子訳 第三章《性欲・自由意志・輪廻の全否定》紀元300~500年 民衆を思うままに操った宗教的洗脳と教義の威力]よりお送りします。
どうにもならない異端には、力で強制し始める。弾圧・排除だ。純化といわれる行為だが、もし、キリスト教が、苦痛にあえぐ民衆の救済者ならば、あってはならない行為であるはず。キリスト教とはそういう欲と私情・自我に塗れた観念なのだ。
---------------------------------4より
 教会がドナトゥス派にとった行動は、暴力による異端弾圧の先例となった。厳格なドナトウス派は、カトリックが定めた聖職者の基準は甘すぎると訴えた。彼らの教えはあっと言う間に広がり、4世紀半ばのアフリカではカトリックの信者数を上回っていた。アウグスティヌスは、信仰を強制してはならぬという長年の主張とは裏腹に、ドナトゥス派をカトリック教会に取り込もうと説得に走った。だが、説得が失敗に終わると、今度は強攻策に訴えた。近ごろ制定されたテオドシウス法典には異端禁止の項目があるではないか、と力説したのだ。教会は彼の口車に乗り、ドナトゥス派を情け容赦なく弾圧した。
 アウグスティヌスはドナトゥス派を攻撃するため、「入門の強制」の教義を打ち出した。教会は中世の問、暴力による異端弾圧を繰り返すのだが、その際この教義が弁明の道具に使われることになる。アウグスティヌスはこう訴えている。
《敵に接吻されるよりも、友に侮辱される方がいい。優しさをもって騙すよりも、厳しさをもって愛する方がいい……。ルカ伝、14章、23節にもこう書いてあるではないか。「無理にでも人々を連れてきなさい!」と。父なる神は、天罰への恐れによって、人々を御子に引き寄せたのだ。》
 20世紀初めになっても、教皇レオ13世は、目的は手段を正当化すると説いた。
《死刑はこんなとき、教会の目的達成に欠かせない効果的な手段と言える。たとえば、教会に反逆する者がいたとき、教会統一の目的を邪魔する者、特に強情な異端者や異教の指導者が、教会の秩序を乱し、人々をあらゆる犯罪に導くことを他の刑罰で防げないとき・・・・・・。単数もしくは複数の悪人が多くの信者を破減に導くおそれがあるときは、その悪人を排除しなければならない。そのような場合、信者を救う道がほかになければ、教会が悪人を処刑しても許されるし、また、そうする義務がある。》
---------------------------------6に続く



五芒星

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