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2017年1月 8日 (日)

読書をすればするほどバカになる? 「読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。」

タイトルの言葉は、19世紀ドイツの哲学者ショーペンハウアーの言葉です。

この言葉を聞いて、なるほどなあと納得してしまった人は要注意。
他人にものを考えてもらう読書とは、自分の頭を使わない状態、つまり思考停止状態であるといえます。
さらに、考えた過程を反復的にたどるとは、答を丸写しするようなもので、まさに暗記脳であるともいえます。

このような思考になってしまったら最後、学校制度が証明をしているように、どんどん追求力が低下していき、楽しく読書しているつもりでも活力さえも失われていく危険性があります。

では、読書はしない方がいいのか、というとそうではないと思います。
他人に考えてもらい、思考を辿るという読み方をしなければ、この負のスパイラルには陥りません。
つまり、自分で考え、思考をつくりだす読み方、具体的には、本の作者と対話するように本を読んでみるといいのではないかと思います。

対話するように読書ができるようになると、そのような思考に陥りにくいだけではなく、実際には会えないような人や偉人達と同じテーブルに座って追求しているようなそのような密度の濃い経験ができるようになるんではないかと思います。

まずは一言だけでも、本に声をかけてみるところから始めてみてはどうでしょうか。


以下リンクより

多読や速読と聞くと、
なんだかとても頭の良い人のような気がしますが、
実際問題として、1年間で1,000冊や2,000冊を読んだと豪語する人の中に、
あまり知識人はいないような気がします。
一般的に普通の人が思い描く読書というのは、
どんどんバカになっていく読書なのです。
いったいどういうことなのでしょうか。
そのときに、「なるほど!」と思っても、1ヶ月、2ヶ月すると、
何が書いてあったのかすら覚えておらず、場合によっては、
読んだことすら忘れている人がほとんどなのではないでしょうか。
19世紀のドイツに、ショーぺンハウエル(ショーペンハウアー)という偉大な哲学者がいたのですが、
彼はその著書で、読書についてこんなことを述べています。

「読書は、他人にものを考えてもらうことである。
本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。」

ジャーナリストの池上彰さんも読書について、
ショーペンハウエルのこの引用文に衝撃を受けた
と著書で書かれていましたが、僕自身も、これを読んだときに、「ハッ」とさせられた記憶があります。

結局、小学生のころ授業で配られた漢字練習帳や、
ひらがな・カタカナの勉強ノートや習字練習帳のように、
先生の手本や印刷された手本を、
ただそのまま上からペンでなぞっている行為と何も変わらない
ということなのです。
だから、読書のときにはモノを考える苦労がほとんどない
と喝破しています。

本を読んでいるとき、
読んでいる人の頭の中は、書いた人の考えで埋め尽くされていて、
自分の考えをほとんどもたずに受け入れている状態です。
いままさにこの記事をよんでいる最中も、
そんな脳内がそんな状態になっていませんか(笑)

速読・多読はすればするほど、自分の脳内が他人の考えで上書きされ続けてしまい、何も考えるということをしなくなるのです。
考えることをしないということは、
頭の働きが良くなることはまず有り得ません。
良くて現状維持、場合によってはバカになる・頭が悪くなる人のほうが多い
と僕は考えています。

仮に頭に残っていても、それは知識のかけらに過ぎず、
生活レベルで落とし込む作業は困難かと思われます。
その辺の話になると、知識と教養の違いは何なのか
という別の議論になってしまうので深くは突っ込みませんが、
いずれにせよ僕が言いたいのは、
短期間で1,000冊読んだ、2,000冊読んだと数を自慢している人は、
その愚かさに気づいたほうがよろしいのではないかということです。
凄いとか偉いとか、仮にもそういう誉め方があるのであれば、

10冊読んだ、100冊読んだから偉いのではなく、
1冊や2冊で10冊、100冊分の中身を得ることのできる人のほうが
よっぽど偉いと思います。
人生の貴重な時間を割いて本に費やすのなら、
ゆっくりと噛み締めながら読むことを推奨します。

落地独歩  

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コメント

[自信があれば他人の考えに同化しても揺らがない反私権。自他全体一体の人類知恵こそだ]
Jounralistもテレビだろ。同じようなものだ。この人士は俺は余り共鳴しない。最近はどこか「自分個人が考えてる状態に酔うエゴの風景がある」。これが個人主義レジーム憲法を守旧している。反全体主義だ。
Orこうも考えれるなあ。自他を分けないのが考えであるともそれが人類知恵。知識や事実はどうでもいいのだ本来は。自分だろうと他人だろうと私権利を本来はさほどまで気にすることではないのである恐らく。
思想解説で「AとBは違う風に考える」これに違和感。どう見ても同じだろと。
この世には物語は三つだけともよく聞くしな。つまり三冊しかないと。あるいは一つかもしれない。
人生を批評するのは自殺批評と原理は同じ冒涜。思い上がりだ。人の人生は質と生産で見れば似たり寄ったりだろう。それに本を読みたいと思って読むのは二流である。日本の本とは歴史位置づけである。塔である。そして創造の土壌である。司馬氏は社会化と言った。だからある意味で量は必要であるトータル賞への挑戦。個人で糧を得るエゴ動機で個人主義私権主義なら別だが。
作詞家の批評で言葉を変換すれば力がと。意味は不明。
類ブログは鵜呑みにしろではまるで共産党に似る。類の自己矛盾。反論の為の反論だからそうなる。何であれ先ずは歴史継承が創造である。自分は存在としてちゃんと居るのだから嫌でも自然と創造となれる。真剣であれば。自分に自信があれば他人の考えに同化することぐらい全然怖くない。自分を信じろ。


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