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2017年1月20日 (金)

“自由”とは、

自由な時間、自由な思考、自由な発言、自由な雰囲気、…
 自由恋愛、自由な関係、自由な意志、…
 結社の自由、信仰の自由、思想の自由、発言の自由、…

 など、“自由”というのは「束縛からの開放」「束縛を解く力」とか言う意味で使われているのではないだろうか。その背景にあるのは、“束縛(=支配被支配の関係)”されているという意識であり、それを産み出している社会の存在である。

 うちの実家は農業である。都会で働く叔父さんが盆休みなどに里帰りして、「百姓は、毎日働いて休みが無く大変じゃねー。」と良く言っていたのを思い出す。叔父さんは、サラリーマンで9時5時勤務だったんだろう。今は、土日休みなのだろうか。うちの家はというと、雨が降ったら休みになるが農繁期は休みなしだ。しかし日曜日じゃないのに休める。曜日が気にならない。気になるのは、天気だけだ。

 しかし、よくよく考えてみたら、サラリーマンなんて時間拘束の奴隷のようなもんである。与えられた仕事をこなすだけで、左遷されないように上司のご機嫌取りに疲れ果て、帰りにちょっと一杯やらなきゃやってられなかったのだろう。叔父さんは糖尿病になった。昔の奴隷と違うのは、拘束時間が短くなり、労働内容が改善されただけじゃないのか。“時短”がことさら叫ばれるのは、“奴隷”としての拘束時間の短縮を求める悲痛な叫び声のように聞こえる。「自由な時間」を主張するのは、奴隷として束縛から開放される“自分の自由な時間”を確保したいが為であろう。自然、自然と叫び山や川に向かうのは、ささやかな本能への回帰なのだろう。うちの親から活動時間のことなど聞いたことがない。そもそも時計を持っていなかった。

 自由、自由、と叫ぶ者ほど、きっと“真の自由”を知らない者なのであろう。私のうちは貧しかったが、うちの親の方がよっぽど“自由”であったように思う。私は、仕事をする場所として、そして生きていく場所として、“真の自由”な空間に身をおきたい。

木橋哲夫

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