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2017年1月27日 (金)

なぜ、キリスト教は性欲・自由意志・輪廻を全否定してしまったのか?1

[キリスト教封印の世界史 ヘレン・エラーブ著作 井沢元彦監修 杉谷浩子訳 第三章《性欲・自由意志・輪廻の全否定》紀元300~500年 民衆を思うままに操った宗教的洗脳と教義の威力]よりお送りします。
なぜ、キリスト教は性欲・自由意志・輪廻を全否定してしまったのか?
それは、一人の男の放蕩な性の否定から始まった。その後、教会や個人の権力と欲望が相まって、
『人間の自由意志を否定し、性の快楽を非難することは、人々を操る近道でもあった。』という教義を生み出してゆく。
なるほど、この禁欲=タブーが人々を思考停止に落としいれ、考えない民衆を作ってきたのだ。
そして
①初期の異端との対立によって生まれた教義は、個人と社会を操る教会の立場を正当化し
②正統派論争では、性悪説が支持され、善を選ぶ能力がないから、絶対的な権威にすがらることでしか性欲の原罪から逃れられないとし
③教会が輪廻説を非難し、キリスト復活は奇蹟とし、教会に従って生きるか地獄に落ちるのを民衆に選択さえ
④従わない場合は、力で服従させ
⑤政略のためなら平気で信念を曲げる
このような無節操な態度をとり続けた結果、架空・倒錯観念を強めていく。
キリスト教とはいったいなにか?下半身の性欲と上半身の断絶をいかにも繋がっているように見せる架空観念以外のなにものでもないではないか?現実の世界にはくそにもならん教義をこねくり回すとこうなる。
---------------------------転載
 キリスト協会は、初期の異端が巻き起こした性・自由意志・輪廻の論争に決着をつけるため、各問題について教義を定めた。教会が選んだイデオロギーは、個人と社会を操るのに都合の良いものばかりだった。また、人々を服従させようとして、力でねじ伏せても許されるような教義も定めた。やがて教会は暴力による異端弾圧を繰り返すことになるのだが、その際、弁明の道具に使われるのがこの教義なのである。
「異端」(Heresy)の語源はギリシア語の(hairesis)で、「選択」という意味だ。初期の頃は、同じキリスト教でもさまざまな選択肢があった。つまり、いろいろな異端が存在していたのだ。グノーシス主義、マルキオン主義、モンタノス主義、アリウス主義、サベリウス主義、ネストリウス派、キリスト単性論者、エジプトのコプト派、シリアのヤコブ派、アルメニア教会。こうした異端がカトリック教会と対立していた。また、ペラギウスやオリゲネス、ドナトウス派との対立は、特に重要な新教義を生み出すきっかけとなった。さらに、マニ教徒との対立は、教義には発展しなかったものの、「教会は自分たちのイデオロギーでも民衆受けしないものは平気で否定する」という先例をつくった。
---------------------------2に続く



五芒星

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