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2017年1月 4日 (水)

何故、人は赤ん坊の頃の無垢な「何?何故?」を封印していくのか?

について、若い世代の方の声を聞く機会があった。いろんな意見をまとめてみる。

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海が青いのは何故?といった素朴な疑問に対して、親が笑って済ましてしまうし、それが自分の親だけでなく、みんなそうなので、そのうちそんなものなんだと思って、何で?という想いを封鎖していく。

そうこうしているうちに、ああしなさい、こうしなさい、と強制的にやらされることが増えていき、主体的に、世界をつかみにいく姿勢を失っていく。

そうなると、与えられた「コトバ」で世界を理解していくようになり、「コトバ」が本来持っている「どうする思考で自ら世界を掴むための武器」という性格を失ってしまう。何故?何?といった思考の原点には、内なる欠乏とつながった適応本能ともいうべき「どうする思考」があるが、「どうする思考」が封鎖されてしまうので、「何故?何?」思考も封鎖されてしまう。

さらに学校に進む中で、身の回りの必要と無関係な知識を、しかも強制的に勉強することを強要されるので、ますます、どうする思考?も何故?何?思考も封鎖されていく。

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生命とは外圧=内圧という法則に貫かれた存在であり、いいかえれば自然外圧との一体化欠乏をはらんだ存在である。無垢なる赤ん坊もそうであり、常に、自然そして大人たちと一体化しようと、世界把握の強い欠乏をはらんでいる。ところが一体化したいと願っている大人たちがみな思考停止し、根源的な一体化欠乏を封鎖していれば、自ずと、思考停止していくしかない。一体化欠乏の向かった先の大人たちが一体化欠乏を封鎖しているという絶対矛盾。

改めて、追求?することは一人でできるものではなく、追求仲間の存在が不可欠なのだということを痛感した。

しかし、この絶対矛盾からの脱却はそんなに難しいことではないようにも思えた。生存が危ぶまれる絶望的な状態≒不整合な状態の中、みんなでどうすると追求し充足することは、人類が文明時代に入る以前、500万年続けてきたことであり、日本であれば、百姓たちが戦前まで続けてきたもの。そこに回帰するだけのこと。江戸時代の見直しが進む中で、多くの人々が明治以降の日本のおかしさに気付いて、江戸以前の本源的なあり方への回帰を求めている。そういう人々が世代を超えて、どうするをみんなで追求する場をつくっていけば、確実に思考は解放されていく。実践あるのみだ。

山澤貴志
 

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