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2017年1月30日 (月)

宗教と異端視1

「宗教っぽい」という言葉が頻繁に見られるので、少し考えてみたい。

そもそも「宗教っぽい」という言語が指すのは明らかに「マイナス視」である。
“宗教そのもの”に関しては誰も否定はしない。例えば宗教色の強い学校もあれば、大学などにおいて宗教学やキリスト教・仏教について学ぶ場合もある。その際「宗教」について学生から批判されることは少ない。また、私たちは寺に賽銭を投げ、初詣は神社に参る。私たちの日常は驚くほどに「宗教」に囲まれている。

そこで、あえて「宗教っぽい」という時の状態を考えてみる。これらが示す内容は「うさんくさい」「信じられない」「現実的ではない」「マインドコントロールされそう」という、明らかな「警戒心」「恐怖心」を持って放たれる言語である。それは「オウム真理教」や「統一教会」「法の華」「ライフスペース」などの新興宗教の「異質な行動」がやや過剰にメディアで報道された結果であろうと推測される。

簡単に言うと、「宗教っぽい」というのは「社会的異端視」を表す言葉の最たるものであろう。

<続く> 
 



水元史樹

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