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2017年1月27日 (金)

なぜ、キリスト教は性欲・自由意志・輪廻を全否定してしまったのか?3

[キリスト教封印の世界史 ヘレン・エラーブ著作 井沢元彦監修 杉谷浩子訳 第三章《性欲・自由意志・輪廻の全否定》紀元300~500年 民衆を思うままに操った宗教的洗脳と教義の威力]よりお送りします。
---------------------------2より
 アウグスティヌスは性欲についてこう述べている。「この悪魔のような性器の興奮」はアダムの原罪の証しだ。それは「母親の子宮から」受け継がれ、人類を罪で汚し、悪を制して善を選んだり、運命を切り開いたりする力を人間から奪っているのだ、と。
 アウグスティヌスのセックスのとらえ方は、キリスト教以前のそれとは正反対のものだった。かってはセックスを人生に欠かせない神聖なものと考える人が多かったのだ。だが、アウグスティヌスの意見は、キリスト教徒の代表意見でもあった。グノーシス主義のカルポクラテス派のように、セックスを「万物を結びつけるもの」として重んじる少数派の異端もいたことはいたが、子供をつくるとき以外はセックスを避けるべきだというのが圧倒的な意見だった。教父の聖ヒエロニムスはこう訴えている。「性の快楽の種を宿すものはすべて毒と見なせ」。エレーヌ・ペイグルスは著書『デダムとエバと蛇』(ヨルダン社、1993年)のなかでこう書いている。
《(アレキサンドリアの)クレメンスは次のことを禁止している。口や肛門による性交。月経時、妊娠中、不妊、閉握後の妻との性交。さらには、「午前中」「昼間」「夕食後」の性交。クレメンスはこんな警告も発している。「暗いからといって、夜でも慎みなく淫らに行うべきではなく、品位をもって行うことがふさわしい。どんなことがあっても、理性の光のなかで行わなくてはならない・・・・」。なぜなら、「夫婦間の性交であっても、子供をつくるとき以外はやはり危険だからだ」》
 好き勝手なセックスを許せば個人に権限を与えることになり、社会を操ろうとする宗教を脅かすことになる、というわけだ。クレメンスはこう述べている。「欲情は、恐れがなくては、やすやすと抑えられるものではない・・・・・・」
 人間の自由意志を否定し、性の快楽を非難することは、人々を操る近道でもあった。アウグスティヌスはこう書いている。
《人間は、服従すればうまく事が運び、創造主の意志ではなく自分の意志に従えば苦痛を味わうように生まれついている……。》
 アダムが犯した 「原罪は神の権威を侮辱するものだった……。それにふさわしい罰が与えられたのだ・・・・・・」とアウグスティヌスは考えた。416年、彼は教皇宛てに手紙を書いた。ペラギウスの考えは司教の権威を根底から否定するものです、ペラギウス派は勢いめざましいカトリック教会を脅かすことになるでしょう、と警告したのだ。アウグスティヌスの友人でアフリカの司教でもあるアリピウスは、ヌミディア塵の種馬80頭を賄賂として皇帝に贈った。アウグスティヌスの味方になってくれるよう教会を説得してほしいというのだ。勝負に勝ったのはアウグスティヌスだった。
418年4月、教皇はペラギウスを破門した。以来、カトリック教会は、原罪が子孫の人類に伝わっていることを、正式に教義として謳っている。
---------------------------------4に続く


五芒星

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