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2016年12月21日 (水)

仲間を生かす「グループ追求」と仲間を潰す「ディベート」

仲間と何かを作り上げていく過程で、意見を出し合う場全てを「ディベート」だと思ってないだろうか。ここで必要なのは「グループ追求」の場である。この2つの間には"仲間"と"言葉(頭の使い方)"に決定的な違いがある。

ディベートは、リンクにもあるが、「屁理屈で相手をへこまかす方法」に過ぎない。ここでいう"相手"は、つまり"敵"だろう。自分と意見が違うものは全て敵、つまり仲間の中でも意見が違えば"敵"になる。そして、自分の意見を通すためにその"敵"を全力で潰しにかかる=「仲間を潰す方法」なのだ。
自分の意見を表現する言葉さえあれば、他には何もいらない。自分の意見だけに頭を使っていれば、敵の意見を聞くときに頭をつかう必要なんてない。(相手がどう思うか考える必要がない)

一方で、グループ追求は「仲間を生かす方法」だろう。グループ追求においては、自分と違う意見は"気づき"になり、全てが新たな可能性として受け入れられる。だから敵なんていないし仲間を潰す必要もない。むしろ生かしてこそ突破口を見出すことができる。
自分の意見を表現する言葉だけでなく、仲間から意見を引き出す言葉、仲間をまとめる言葉…たくさんの言葉が必要になる。頭を使わない時間なんてない。(相手がどう思うか考えないと言葉が出せない)

協同者であるはずの仲間を殺しても、生まれるのは平行線で終わりのない会議だけ。独りよがりの意見は本当の意味で受け入れられることはない。みんなで考え、みんなで作ったほうがいいものができる、みんなが共感できるはず。「仲間を殺す人」より「仲間を生かす人」の方がいい。

だから、「グループ追求」の時間に「ディベート」をしてしまっては意味が無い。仲間を潰す方法で意見を交わし合っても、仲間と何かを実現することはできない。

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「ディベートで育つ頭の悪い子供」
リンク

以下、引用。

相手のロジックが弱いと思えば容赦なく自分のロジックでケンカを売る。
相手をへこまかせることがあたかも正義かのように・・・。
俺にはなぜ他人の意見をそこまでしてへこまそうとするのか分からない。
他人の意見は他人の意見として聞き、納得がいくものなら取り入れ、納得がいかないものなら無視すればいい。
ケンカをふっかけて相手を黙らせないと気がすまないという態度にどうも違和感を覚える。
相手の意見を屁理屈で抑え込めば自分の意見が真実となる。
そんなわけないだろ。

この相手のロジックと自分のロジックを戦わせてより正しい結論に導こうとする手法をディベートと言う。
簡単に言えばディベートとは屁理屈で相手をへこまかす方法だ。
相手をへこまかすことができたほうが正しいとされる無茶苦茶な手法だ。
アメリカなんかじゃ、子供のころからこんな屁理屈の訓練をしており、日本でも屁理屈で相手をへこまかせる訓練(ディベート訓練)が必要だと言われる。
確かに大人になると分かるのだが、大人になって学ぶのは、知識ではなく、いかに自分のロジックで相手をへこまかせるかの技術。そのロジックは世間一般で正しいとされるものであり、本当に正しいかどうかは分からない。
すでに学んだ(洗脳された)知識を屁理屈で正当化する。
そればかりだから、いくら違う意見に接しても勉強にならない。
どんどん頭は固くなり、ただ相手をへこまかすロジック(屁理屈)がうまくなるだけだ。
知識は増えないし、頭は少しもよくならない。

<以下省略>

久保田早智 

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