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2016年12月 9日 (金)

江戸時代 統合階級の追求力

>徳川政権の政治姿勢の特徴として非常に軽い政府であることもあげられます。端的な例として奈良に五条代官所というのがあり、だいたい今の奈良県の半分ぐらいが行政領域でしたが、代官所の人数は全員で20人程度でした。その他の天領も似たりよったりでその程度の人数で統治していますので、いきおい農民を始めとしてその他町民に対する管理はまことに緩やかであったことは間違いありません。

江戸時代の統合階級は、少人数で地域を納めていた。
現代のように社会の変化スピードが速いわけではないが、縦割り行政のような蛸壺化に陥ることなく、各自が統合課題を担っていたと推測され、そうであるがゆえに言語能力、追求力、共認形成力は現在の公務員・サラリーマンに比べてはるかに優れていたと考えられる。

豊かな農民
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「江戸時代の農民は幕府や諸大名から重い年貢をかけられたうえ常に圧政で苦しんでいた」というわりとポピュラーな史観があります。ほとんどの時代劇ではこのイメージをステレオタイプに表現するため日本人の間に定着しているといってよいと考えています。

まず「江戸時代の農民は重い年貢にあえぎ、自分たちで作った米を食べることすらなかった」という説があります。この説はわりと皆様無邪気に信じているものですがはたしてそうでしょうか。もちろん文字通りの実態の地域も存在しました。たとえば今の岩手県に当たる南部藩であるとか、鹿児島県の薩摩藩とかはまさしくそうだったでしょう。しばしば飢饉も訪れましたので、そのときには全国的にそれに近い状態の年もあったでしょう。しかし多くの年は必ずしもそうではなかったんではないかとの説があります。

江戸時代の初期はともかく中期以降になると、諸国でさかんに新田開発が行われた結果、当時の推定人口が必要とする米の量を上回る収穫が得られるようなりました。たしかに米は江戸時代を通じて通貨と同等に近い価値あるものとして扱われていましたが、しょせんは食い物です。通貨と違い個人で食べれる量の上限は決まっています。もし人口の9割以上を占める農民がほとんど食べなかったら膨大な在庫で膨れ上がってしまいますが、江戸時代を通じて膨大な在庫に苦しんだ事実はまず無いといってよく、結局農民はちゃんと米を食べていたことになります。

また「農民は重い年貢に苦しんでいた」との説も常識として扱われていますが、これも必ずしもそうでなかったと検証されています。少し記憶に怪しい部分はあるのですが、江戸時代初期は七公三民の年貢率でこれでは本当に農民は生きていくだけで精一杯の状態です。ところがその後年貢率はどんどん下がり、有名な八代将軍吉宗の時代には三公七民すら下回ることがしばしばあり、享保の改革で吉宗は四公六民程度にもっていくため悪戦苦闘しております。幕府以外の諸藩もおおむね同じような状態のところが多く、江戸時代の幕府および諸藩の財政危機は米余りによる米価低下と税収不足のダブルパンチによるとされています。

結果として農民は米を食べ、年貢もそれほど重くなく、さらに米以外の換金作物にはほとんど税金がかけられなかったので、想像しているよりもはるかに裕福な暮らしをしている農民は決して少数派でなかったと考えられます。とくに西日本では裕福な農民は多かったようで、かえって明治の地租改正により重税感が増して一揆騒ぎが頻発したとされています。

それから水戸黄門で有名な各地でゾロゾロいる悪代官ですが、じっさいはほとんどいなかったようです。江戸時代も初期は代官みたいな文官は武士として卑しい存在と考えられたようですが、どこの家でももともとの家禄だけでは食べていけなくなり、競ってなにかの役方(文官)につきたがるようになりました。幕府はいろいろこすからい政治を行っていますが、基本姿勢は天領での統治が諸藩の模範になるようにとの基本姿勢は終始変わらず、各地の代官には高い見識をもち高潔な人物を選抜して派遣しています。むしろ農民に同情しすぎて年貢率を下げたり、江戸からの増税要求に十分応えられないなどの弊害が生じるほどでした。

徳川政権の政治姿勢の特徴として非常に軽い政府であることもあげられます。端的な例として奈良に五条代官所というのがあり、だいたい今の奈良県の半分ぐらいが行政領域でしたが、代官所の人数は全員で20人程度でした。その他の天領も似たりよったりでその程度の人数で統治していますので、いきおい農民を始めとしてその他町民に対する管理はまことに緩やかであったことは間違いありません。

ここまで並べれば分かると思いますが、私の江戸時代の農民観は「重い年貢にあえぎ」、「ひえや粟ばかりを食べ」、「悪代官の横暴に苦しむ」ものではなく、「それほどの負担でもない年貢を払い」、「しっかり米を食べ」、「お上からの締め付けなんか無い」かなり優雅な農民像を描いてしまいます。そうでなければ各地で伝承されている農村文化(農村歌舞伎みたいなものも含めて)があれだけ多彩に展開される余地が生じようが無いからです。

匿名希望
 

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