« 民主主義の欺瞞~その実態は「決して責任を追求されることのないトップ0.1%の富裕層による独裁体制」 | トップページ | 少数による世界支配が民主主義の機能であり、民主主義が作られたそもそもの目的 »

2016年10月 6日 (木)

戦後民主主義の虚妄

「真の民主主義を実現しなければならない」

もっともらしいこの言葉は、時に「戦争」をすることの正当化観念として用いられる。
しかし戦争行為の裏に潜む金貸しの目論見がネットを通じて明らかになってくると、もはや「民主主義」そのものに対する違和感⇒欺瞞性を感じずにはいられなくなってきている。(参考:301059

そもそも「民主主義」とは成り立ちからして大衆を騙すための観念である、とその本質をズバリ見抜いているブログ記事があったので紹介したい。

■戦後民主主義の虚妄(2/4)(心に青雲リンクより)

:::以下引用:::

 民主主義ほど良い制度はないとみんな思っているようだが、もとを辿れば古代ギリシアや古代ローマはともかく、近代民主主義は資本家(主にユダヤ人)が、もっと儲けようと考えて、封建領主の奴隷だった大衆をいわば解放して大量にものやサービスを買えるようにしようとしたために誕生した制度なのである。

 ユダヤ資本家どもは、大衆を煽動して、自分たちの意見が言えるぞ、自分たちの代表が領主の独裁に代わって議会制度をつくって、政治に参加できるぞ、と甘言を弄して革命を起こさせて王権を打倒させ、領主を駆逐して、民主政治を実現させた。

 とはいうものの、資本家がいいように事を運ぶための方便なのだから、民主主義はほとんど建前で、資本家は選挙を裏で操り、報道機関を独占して、資本家に都合のいいように大衆を誘導する情報を流す。むろん政治家や官僚も、資本家の忠実な犬として養成して下僕にした。一応は大衆に奉仕する役人ではあるが、決して大衆が主人公になっているわけではない。

 国家学を究めることなく、国家形態のほんの一部である民主制だけを取り上げて「すばらしい制度だ、これが基本だ」とするのは、愚かすぎる。
 国家学として説くならば以下のようなおおまかながらもスジをたてて考察しなければならない。

 そもそもサルがヒトとなり、人間となる過程で(ほかの動物もそうだが)集団としてしか生きていけない存在としての誕生だったのだ。集団は統括されなければならず、必ず統括者が登場してこないわけにはいかない。原始社会においては「長」が統括し、やがてそれが「王」となって、世襲されていく。

 だから、大衆が集まってわいわいしゃべりながら物事を決めていったとか、どやどやとまとまりなく狩りに出て行ったとかがあったとしても部分的なことであって、社会にとっては不合理なのだ。それより統括者を決めてそれに従う形態をとらねば人間は存在できなかった。つまり大昔から民主制度なんかはなかった。

 集団化(共同体化)しなければ生存できなかった人類は、農業や狩りだけではなく、他共同体との対峙のためであった。他共同体とは、必ず敵対関係に置かれる。作物や獲物のぶんどり合い、女のぶんどり合い、土地のぶんどり合いだ。闘争に敗れれば皆殺し。女は征服民族の子を生まされる。
 そうされないためには戦わねばならない。

 戦う組織を専門的に創らねばならないから、軍隊が生まれた。
 これが共同体を創らなければ生きられない人間、そして国家を創った人間の必然である。国家自体が悪だとするサヨクはアタマがどうかしている。
 人間にとって国家も必然なら軍隊も必然なのだ。

:::後略・引用終わり:::

石山 巌 

« 民主主義の欺瞞~その実態は「決して責任を追求されることのないトップ0.1%の富裕層による独裁体制」 | トップページ | 少数による世界支配が民主主義の機能であり、民主主義が作られたそもそもの目的 »

コメント

[確かに部分政治制度論よりも全体国家論が大事。言わば南朝流か。ダサいことが大抵は真実である]
(が今頃に急に民主主義批判は不自然には見えるけどな。民主主義批判かor反論が目的か文が不自然)。今頃に民主主義批判。もっと早く言うべきではないのか。
歩み寄れば民主主義以外の制度は知ってはいる。頻繁に知識人に過剰信仰されるギリシャも問題だったと言う神話だ所詮は民主信仰することはない。原点はともかく昨今も話せば話すほど遠ざかる薄まるデモクラ風景がどうやらである。日本流に言えば。龍馬は日本を船中八策で再度日本とまとめたが。この再現の必要である。
(今更矛盾したこと言われてもである。反論の為の反論が目的のようでは詮無い。
類の言う通り危機のネガテブ思考では新世界創造は見えない。分かっててそう書くすり替え自己矛盾でそれこそマスコミレベルである)。
でチョムスキーの民主主義批判はMarxに近いようには見える。参加した気にはなる民主主義。
龍馬の言う志を心にまで広げるなら勉強頭でない庶民の心にまで素朴にまで広がり大民主主義となる。平将門流か。事実真実がどうこうとしても現実主義的には民主主義がまだずっと牢固なのでいっそ逆用する戦法がこれである。
全ては創造である。軍隊を言う前に境界の神を融和せよ。右が有限なら左は無限。それぞれ一長一短の役割である。だが目下の戦後民主主義では左の無限知的探求個人主義を超えることが大事となっている。個人でなく全体主義を背負って行動すれば調和的で役割分担の大船融合となる。了見狭いとこれが出来ない。人類と言うのなら超人類も副産物となる。そうなれば創造の大貢献となる器だろう。トータル照だ。


コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1761240/67587950

この記事へのトラックバック一覧です: 戦後民主主義の虚妄:

« 民主主義の欺瞞~その実態は「決して責任を追求されることのないトップ0.1%の富裕層による独裁体制」 | トップページ | 少数による世界支配が民主主義の機能であり、民主主義が作られたそもそもの目的 »

ランキング

  • にほんブログ村 政治ブログ 世直し・社会変革へ お勧めサイトランキングへ
2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

カウンター

最近のトラックバック

無料ブログはココログ