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2016年10月28日 (金)

キリスト教特有の人間中心主義という架空観念が、近代科学を生んだ

まぜ、近代科学は西洋で誕生したのか?

近代科学の誕生の基盤をつくったのが、キリスト教特有の人間中心主義という『架空観念』です。

彼らは、「特別に造られた人間だから神の計画を理解できるし、知る資格がある」と固く信じられたからこそ、自然に対する畏敬の念を捨て去り、堂々と自然に介入することで、近代科学を誕生させることができたのです。

逆に、畏敬の念を持ち、自然との同化を重んじた東洋の人々(特に日本人)には、近代科学を生み出す余地はかったのでしょう。

以下、「キリスト教は近代科学の子宮」リンク より転載
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これまで紹介してきた科学者たちは、「宗教的な偏見を打ち破り、合理的な科学を建設した立役者だ」と一般的には考えられている。しかし、彼らが人一倍熱心にキリスト教を信仰していたことは、近代科学の誕生について、まったく違った解釈を可能にする。つまり17世紀に近代科学が誕生した背景には、キリスト教信仰という強烈なパラダイムがあったという考え方だ。

では、数ある宗教の中で、なぜキリスト教文明圏でのみ科学が誕生したのか。この点を明確に示したのが、ヨーロッパ技術史の研究家であるホワイトだ。

キリスト教では、聖書の創世記にあるように、神が天地を創造したこと信じている。「創造」という行為は、行き当たりばったりに行なうものではない。何らかの計画をもってなされるものだ。したがって、創造されたもの、すなわち被造物を調べれば、創造主の計画を読み取れるはずである。

職人が作った時計を調べれば、「なぜここにゼンマイがあるのか」、「なぜここの歯車は歯が20枚で、こちらは40枚なのか」といったことについて解答が得られ、職人の計画が時計の中から読み取れる。同様に、自然を研究することで、神の計画を知ることができるわけである。

つまり、「神の計画を知りたい」という信仰心が自然を研究する動機となり、科学が誕生したのだ。逆にいえば、キリスト教のような創造神話がない宗教圏では、科学が生まれる動機が形成されにくいといえる。

例えば、日本の神話では、イザナギとイザナミという男女の神による一種の生殖行為によって、大地が誕生したと記されている。さらに、「二神が野合でつながっている間は、生まれてくる子供も蛭子として正当に扱えず、その後、きちんとした儀式を行なうことで、満足した子供(大地)が生まれた」という趣旨の記述がある。これでは、どうしても行き当たりばったりの感をぬぐえない。

しかも、正当な儀式で誕生した子供も「計画通りであった」とは書かれていない。もともと「生殖」という行為は、生み出す主体者の計画が100パーセント反映されるものではない。

ところが聖書では、創造された後、神が「良しとされた」、あるいは「はなはだ良かった」と語っているように、その創造が神の計画通りであったことを保証している。このような聖書の記述が、ガリレオやニュートンたちを自然の研究に駆り立てた、最も大きな要因だったわけだ。

これらのことからホワイトは、1967年に発表した論文の中で、「キリスト教は近代科学の子宮である」、「近代科学はキリスト教神学という母体の中で鋳造された」といった表現を使い、大論争を巻き起こした。この五年前に提唱されたクーンのパラダイム論と共に、ホワイトの論文もまた、科学界に大きな衝撃を与えたのである。

今日の文明は近代科学によって支えられているのであるから、ホワイトはまさに、キリスト教こそ今日の豊かな社会の生みの親であることを学術的に定義付けたわけだ。しかし、その彼の論文はキリスト教界から歓迎されず、かえって敬遠された。その理由は、彼がキリスト教について、「世界がこれまでに知っている中でも、最も人間中心的な宗教である」と論文の中で語っているからだ。

その根拠として、彼は聖書の創世記をあげている。

創世記第一章では、「神は自分のかたちに人を創造された」と語っている。また第二章では、そのように造られた人間に対して、神が「命の息をその鼻に吹きいれられた」と明記されている。聖書の中で、このように造られた被造物の記述は、他には存在しない。人間も神の被造物に違いないのであるが、この点で明らかに、神から特別に扱われているのだ。

さらに、創世記第一章によれば、人間は神から「地を従わせよ(subdue)」という命令さえ受けている。人間が神の代理として任命されているのだ。しかも、この日本語の「従わせよ」という表現はむしろ穏やかな訳語であり、英語の聖書で使われている「subdue」は「力で圧倒して、征服、制圧すること」という意味合いが強い語だ。ヘブライ語の原語「kabash」は、「鞭打って血を流してでも無理やりに屈服させる」というような、さらに強烈な言葉である。

つまり、「神から命を吹き込まれて、神の似姿として生まれた人間であるがゆえに、神の意志や計画を理解できるのであり、だからこそ神の代理として、自然を強制的にでも支配することができるのだ」ということが、創世記から読み取れるのである。

ホワイトは次のように語っている。

「キリスト教は、古代の異教やアジアの宗教とまったく正反対に、人間と自然の二元論を打ち立てただけではなく、人間が自分のために自然を搾取することが神の意志であると主張したのであった」

ニュートンたちが、自然の脅威におののき、「神の計画を知るなど、おそれおおい」と謙虚な姿勢でいたら、近代科学は生まれなかったであろう。「特別に造られた人間だから神の計画を理解できるし、知る資格がある」というキリスト教特有の人間中心主義を固く信じていたからこそ、彼らは堂々と自然を研究でき、近代科学を誕生させることができたのである。

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