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2016年10月26日 (水)

民主主義を謳う社会の不整合感は子どもこそ感じている

“民主主義”に対する人々の疑いは、じわじわ加速してきているような気がする。
そして以下のブログ記事を読むと、まさに子どものときにこそ、社会に対する不整合感(本音と建前の断層への違和感)は強烈なのだと思わされた。
現代の、子どもたちの「無気力」の大元でもあるだろう。

ただこれらの不整合感が、無意識のうちに諦めや否定につながってしまわないよう、子どもの周囲の大人には、一人でも立派な同化対象がいる必要がある。導き手が必要である。

「民主主義という欺瞞」リンク より一部転載
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結構、子供の頃から、疑い深い性質だった。

幼稚園の頃は、ぬいぐるみの劇なんか、茶番だと思ってたし。

自分の信じるものは、手の内にあるリアルなもので、それは物言わぬ虫だったり、ミクロマンの様なフィギュアだったり、少なくとも、調子の良い大人を信じてる訳じゃあなかった。

印刷物、映像、様々なメディアを通じても、その根底にある、嘘や欺瞞にも比較的早くから気がついていた。

例えば、教科書に「緑を守ろう」と書いてあるのに、世の中には自動車があふれている。「平等」なんて、言うくせに、子供は酒もタバコもだめ。家の裏には長屋があり、生活には格差がありありと現れている。

何が自由だ。何が平等だ。

子供の頃は、ちゃんと言葉に直せなかったものが、20才を過ぎたら、言えるようになってきた。

要は、大人は、ほとんど嘘つきだってことだ。自分たちに都合が良いように、世の中が動けばそれで良い。

学校が嫌いで、学校の先生が、大嫌いだった。何故かというと、この世界のことをただただ信じなさいと言うばかりで、僕たちから考える自由を奪うからだ。

僕の「なぜ?」「何?」にきちんと返答できた学校の先生は、後にも先にも一人だけだ。

これが民主主義の本当の姿で、学校は洗脳機関で、1票を投じても世の中が変わるわけはないのに、あたかも、そうであるような印象だけを植え付ける。

警察だってそう。真面目に一生懸命社会貢献しようとしている俺は、普段、警察のご厄介になるようなことはない。

でも、車の運転をしているときは、民衆はいつだって重要参考人だ。

警察は、僕らを守ってくれる機関?本当?

もし、この世にクーデターが起こったら、現政権から給料をもらっている彼らは、僕らじゃなく、この国の指導者達を積極的に守るだろう。そこに善悪など関係ない。

選挙の時の、政治家達の叫びが、空しく聞こえる。「国民の皆様の~」「国民の皆様が~」

子供の心にはこう聞こえてる。嘘つき。

自分の為だ。他人の為じゃない。自分さえ良ければ良いのだ、いつだって。
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佐倉えりか 
 

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