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2016年10月16日 (日)

限界集落の真実 「過疎の村は消えない!」②

①の続き

■効率性の価値vs.安心・安全・安定を求める価値
効率性・経済性・合理性を追求する立場がある。現代日本社会では、とくに1990年代以降、この価値が急速に我々を取り巻き、絶対的価値のように振る舞い始めた感がある。これはおそらく、より新しい世代が社会の激変の中で編み出してきた、新しい時代を乗り切るための新しい思考法なのだろうか。

他方で、我々の生活の中では、「このささやかな暮らしがいつまでも続きますように」、「自分の子孫や孫が、大きな苦しみや不幸に見舞われることなく、安心・安全のうちに過ごせますように」、こういう願いもまた、当然の価値として存在する。これは、世代を越えて親・子・孫へと受け継がれてきた価値である。

前者が自由主義・競争主義を軸とした、平成日本に現れていた新しい主導的価値であるとするなら、後者はもともと日本社会に根付いてきた伝統的価値と言えるものだ。ところで前者がたしかに新しい時代に適合するためのものであるとしても、それがつねに勝者・敗者の色分けに専念するのに対して、後者の価値は旧態的ながらも、我々人間一人一人を大切にし、また他者の暮らしを尊重することにもつながる、共生の理念と言ってよいものである。

むろん、社会が存続していく上で、全体の効率性の観点は無視されるべきものではなく、激動の時代の中で経済や国家を運営していくのに必要不可欠なものではある。しかしまた、効率性を重視するあまり、暮らしの「安心・安全・安定」が脅かされるなら、何のための効率性なのかということにもなる。

ところで、この二つの価値は、議論の展開の仕方においても、大きく異なる性格を持っている。効率性を重視する価値の観点からすれば、限界集落をどう扱うべきかの問題は、過疎高齢化の進んだ集落を、政府や専門家、あるいは経済がいかに支え、救えるのかという発想にならざるをえない。そしてこの発想から始めれば、その結末も当然、何をどこまで救済すべきなのかという話になるのも道理なわけだ。

しかし、暮らしの安全・安心・安定の価値から見れば、政府や行政がどう救うかという発想以前に、地域の中で暮らす人々自身がどうしたいのか、あるいはこの地に関わりのある人々が今後もこの地とどう関わり、どう行動するつもりなのか、当事者たちの主体性が問われることになる。あるいは、すでにふるさとを失った人間にとっても、本来、日本社会を構成する重要な基盤であったむらや町といった地域社会を、自分自身も含めて今後、どのように社会全体として受け継ぎ、日本という社会をどんなふうに設計したいのか、他者の問題ではなく、自分自身の問題として問うことである。

■福島第一原発事故の暗い影
結局、雇用の問題と言っているのも、本当は「暮らし」の問題として考えるべきものなのである。

「雇用が欲しい」などと発想していたのでは、その解決も誰かに委ねるしかなくなる。しかし、これが「暮らし」であれば、「暮らし」は自分たちの手で工夫可能な領域だ。そこから発想することが、問題を切り拓き、力を動員する手がかりになる。

■メディアが左右するリスク問題の現実
メディアが問題をポジティブに取り上げることで、現実にもポジティブな反応が現れる。

実像とは慣れた演出はむろんすべきではないが、メディアの認識、メディアの理解ひとつで、都市と村落の関係性は大きく改善する可能性がある。

■成長モデル・競争モデル・衰退モデル
これまで我々が従ってきた「成長モデル」は、当たり前すぎて否定は難しいものだった。しかし、人口減少に入ったので、人口増加を前提にしたこのモデルは、時代の要請としても転換が求められつつある。

いま台頭している「競争モデル」や「衰退モデル」から派生する、「効率性の悪い地域はこの際消えてもらった方がよい」という議論、中心による周辺の切り捨てを正当化しうるこの議論から、いかに別の、ポジティブな発想へと切り替えていけるかが問われている。

■大都市の暮らしと地方の暮らし
大都市住民の孤立、無力さ。このことと、限界集落問題は表裏一体のものと理解すべきだ。大都市の暮らしは、一見、効率がよさそうに見える。しかしそれは個人を犠牲にした巨大な都市システムによって成り立っているのであって、その犠牲は、地方や村の暮らしとは比較にならないほど大きなものだ。そしてその都市システムは、巨大化しすぎて人間の手が届くものではなくなっており、予想を超えたことが生じた場合には、個人を守るどころか、さらに個人に犠牲を強いるようなものでさえある。

■周辺発の日本社会論へ
日本社会はいまこそ大きな転換期を迎える。しかもこれから起きる転換は、どうも良い方向には向いていないようだ。我々は、この先の舵取りをどちらへと見定めればよいのだろうか。この書を通じて示したかったのは、このことを、中心からの視点ではなく、周辺からの視点で考えていくことで、現在の我々が迎えている閉塞状況の本質を見極め、またそれを乗り切る答えを探すことができるかもしれないということである。

いかがだろう。《高齢化の進行による集落消滅は、全国の中でまだ一つも確認できない》《地域の将来を決めるのは、他人ではなく、本人自らであるべきだ。個人に置き換えればすぐにわかる》《効率性を重視するあまり、暮らしの「安心・安全・安定」が脅かされるなら、何のための効率性なのか》《大都市住民の孤立、無力さ。このことと、限界集落問題は表裏一体のものと理解すべきだ。

引用終わり

渡澤翼  

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