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2016年9月16日 (金)

農村共同体を守り育てる神官階級を原点に持つインド統合階級

日本の支配階級と、モディをはじめとするインドの指導者たちを比べると、インドの指導者たちは非常に愛国的であり、売国的思考とは無縁といえる。日本の欧米留学組みがほとんど洗脳されて帰ってくるのに対して、ガンジーにしろネルーにしろヨーロッパに学んでも、最終的には買収されることがない。この違いはどこからくるのだろうか。

インドはアフリカとスンダランドをつなぐルート上にあり、出アフリカを果たした人々及びスンダランドの水没を受けて後戻りした人々がその基層をなしている。いずれも非常に原始的、従って本源的な採取部族系の人々(日本に例えれば縄文人である)である。

そこにメソポタミア文明を築いたシュメール人とも同系とされる人々が農業文明を持って渡来し、混血し、インダス文明を築いた。この原インド人とシュメール系の人々が混血したのがドラビダ人である。(日本に例えれば弥生人)リンク ドラビダ系の人々は今も女神を信仰し母系社会を維持している点から見ても、平和的に混血したものと思われる。(おそらくここまでは日本も同じ)

その後に牧畜・父系のアーリア人がインドに攻め入ってきたが、彼らは既に形成されていた農耕社会を武力制圧するのではなく神官としてその頂点に立った。それは同じアーリア系の中でもインドに入ってきたインド・アーリア人が負け組であったからとも考えられるし、インド・アーリア人が比較的柔軟で、土着の信仰や共同体を基本的に尊重したからだともいえる。実際、アーリア人によって創られたとされる聖典リグヴェーダも、その中身は、アーリア人侵入以前からドラビダ人がつくりあげていた健康法や規範の体系である。武力では負け組みであったインド・アーリア人は神官階級としてドラビダ人の上に立つという道を選んだのだろう。

なおアーリア人侵攻以前につくられ滅びたインダス文明は短文しかなく、インドの人々が織り成した’素人の創造’を文字化された神話・詩というレベルに引き上げたのがアーリア人であり、その意味でドラビダ人たちからも一目置かれたのではないだろうか。と同時に、この文字文化を持ったアーリア人たちとの理論闘争の必要からドラビダの部族長たちも神話的思考を進化させ、様々な女神信仰が花開き、その習合した多神教としてバラモン教→ヒンズー教が形成されていった。いいかえるとインドの支配階級=バラモンたちは観念力こそを本分とする神官階級として土着の農業共同体を統合したということだ。勿論、観念闘争といっても現実逃避の仏教では庶民の潜在思念から浮いてしまうので、私権闘争の現実をどう統合するかという観点からカーストという名の職能分化や職能規範の確立にインドの支配階級の思考は向かった。

他方、同じように採取民族の上に渡来農耕民、渡来支配階級が覆いかぶさった日本の場合は(実態は母系の連続性を内包した)万世一系という神話によって日本国家を統合し、支配階級同士の無用な私権闘争を止揚した。これは日本に渡来した支配階級が基本的に血統の正当性を重視する王族が中心であったからであろう。(日本の支配階級もその原点に卑弥呼のような神官としての機能を有していたと思われるが、半島系の王族を招き入れて以降、神官としての本分を失い、お家騒動に明け暮れるようになってしまった)

いずれも土着共同体は残存し続けたが、インドは支配階級同士は観念闘争を続け、日本では血統の正当性を媒介に談合した。日本の支配階級が己の血族の維持のためには庶民を裏切ることも厭わず、欧米に留学すると完全に洗脳されて帰ってくるのに対して、インドの知識階級が欧米留学を果たしても最終的には欧米と対立するのも、こうした農業共同体を守り育てる神官階級としての本分を今も見失っていないからであろう。




山澤貴志
 

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コメント

[神とは上とは全体の俯瞰の限界挑戦の奇特貴重。超越の底力。抽象性にも価値を見る思慮深さ]
中々錯綜複雑ながら大枠は理解。確かに土着こそ普遍大事。ナショナリズムが基本。この国は舶来信仰過ぎの所もある。骨が軸がないからだろう。日本問題。抽象性を蔑視するのにそのくせ土着性もない最悪パタン。あやふやな基準である。
ただこの点引っかかる。またすぐに卑弥呼(アマテラスにこじつけるパタンもある。戦後レジーム)が原点と言うのはMarx派の史観すらでも相対化されている。あくまで何番目かの首長に過ぎない。原点アマテラスという旧来戦後史観は限界で画一偶像的。神話を超えるべきだ。便乗悪のりする企業もいる時代、下駄はかせのような論は余り良くない。方策にならない。現代にイスラエル神話を持って来てはロクなことではない。未来予測よりも現状調整の不断努力こそ全て。
事実とされることは大抵は怪しい。ある保守思想家が歴史とは前後の政治地平であると喝破名言。全ては主観と政治工作。Factiousである。西洋言語の方が見抜いていたとは思いたくないがこの国はひどい体たらく。一つの原理に飛びつく意外と画一一色の国である。冒頭の話に巡るとなる。

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