« 恐怖は人の強み | トップページ | 現代社会の危機に対する日本仏教からの提言1 »

2016年9月24日 (土)

ヒンドゥー教は、妥協と諦めの観念か?アーリア人が纏め上げたウパシャニド哲学にその理由がある

インドは、2000年以上の長きに渡り、アーリア系民族が序列上位に立つ仕組みを作り、それを維持してきた。
インドの他国との大きな違いは、国民の8割以上がヒンドゥー教を信仰している事だが、その思想的前身であるウパシャニド哲学が非支配層に、諦めと妥協の観念を植え付けたことが大きい。

アーリア人は非支配層に対し、現世は「苦」である事を教授し、自らは支配者として君臨する。北インドには覇気が無く、決まった仕事以外のことをまったくやろうとしない人が多いのも、このウパシャニド哲学に端を発する諦めと妥協の観念が大きく影響している様に思う。

以下、世界史講義録さん より
リンク

ウパニシャッド哲学はどんなことをいっているか。
まずは人間の生死について。人は死んだらどうなるか。回答「輪廻転生」。
すべての生きとし生けるものは生と死を永遠に繰り返します。死んだら、またどこかでなにかに生まれ変わってくる。生き続け、また死にまた生まれ変わる。

死んでも生まれ変わることをインド人はどう捉えたかというと、これは苦です。

死ぬことが苦しみなのは理解しやすいですが、インド人は生まれること、生きていることも苦しみと考える。飢饉、疫病、戦乱、天災、あらゆる不幸が人生にはついてまわる。生きることは苦痛とセットです。考えても見て下さい。現代でも生まれついたカーストによってはものすごくつらい人生が待っているんですよ。「今度生まれ変わってもあなたと一緒になりたいわ」なんていうセリフとは無縁な世界です。絶対生まれ変わりたくなんか無いわけ。こういうセリフが出てくる日本の風土はやはり暮らしやすいんだろうね。

死んだあと何に生まれ変わるかということですが、これは生きている間にどんな行いをしたかで決まる。生きているということは、なにかの行為をしているわけで、その行為を「業(ごう)」といいます。どんな業を積んだかによって、次の生が決定される。簡単に言えば悪い業を積めば、虫けらに生まれるかもしれない。よい業を積めばましな生き物、人間とかね、に生まれ変われる。

人間に生まれたとしてもやはり人生は苦であるわけで、人々の願いは二度と生まれ変わらずにすむことです。クルクル廻る輪廻の輪から抜け出すこと、これが最高の願い。抜け出すことを「解脱(げだつ)」という。

栗田明 

« 恐怖は人の強み | トップページ | 現代社会の危機に対する日本仏教からの提言1 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1761240/67260399

この記事へのトラックバック一覧です: ヒンドゥー教は、妥協と諦めの観念か?アーリア人が纏め上げたウパシャニド哲学にその理由がある:

« 恐怖は人の強み | トップページ | 現代社会の危機に対する日本仏教からの提言1 »

ランキング

  • にほんブログ村 政治ブログ 世直し・社会変革へ お勧めサイトランキングへ
2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

カウンター

最近のトラックバック

無料ブログはココログ