« 現代社会の危機に対する日本仏教からの提言1 | トップページ | フランスの風刺画の新聞は、節操のない破廉恥な新聞だ。 »

2016年9月28日 (水)

大人は無能を自覚し、子どもたちに学ぼう

追求のススメ3.追求力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」294733を読み、自分は豊かさが実現され私権圧力がとっくに衰弱している中で生まれたというのに、頭の中は旧い邪魔な私権観念に塗れていること、日常キャッチする不整合感も未知への探究心や追求力も自分より子どもたちの方がよっぽど優れていることに気づきました。

気づいてからは、自分の無能さを自覚し、子どもの発想や着眼点に学び、一緒に追求を楽しんでいます。むしろ、安易に自分の知っている答えを与えてしまうことが子どもの力を奪う害なんだと日々実感しています。

先日、論語を音読していた小2の娘が、
「論語って、なんで“子曰く”ばっかりなの?どういう意味?」
と聞いてきました。

つい、それはね・・・と言ってしまいがちですが、答えを言ってしまっては「へえそうなんだ」で終わってしまいます。

「なんでだろうね?どういう意味だと思った?」
と問いかけ、でてきた答えに対してまた問いかけたり矛盾をついたりすると、自らたくさんの仮説を考え、結果的に
①“子”とは、論語を書いた人が尊敬している、親か師匠のような存在だろう
②師匠が日ごろ言っていた、みんなの役に立つ言葉を忘れないように、他の人に伝えるために論語を書いたのだろう
という仮説を導きました。

(※師匠と弟子という具体的な関係を表す言葉はわからなかったのですが、自分の好きな“聖闘士星矢”の“カミュ”と“氷河”みたいな関係じゃ?とひらめいたのです。)

お互い、きっとそうに違いない!という気持ちですごくすっきりして、さらに娘は
「もっと何回も読んで、書いている内容もわかるようになりたい。なんで書こうと思ったのかも知りたい」
と、ますますやる気になって読んでいます。

好奇心のかたまりである子どもは、自分なりに未知なものを追求してそれを親と共有しようとします。

本来、子どもの感じるたくさんの不整合感(疑問や好奇心)は、乳児→幼児→学童と大きくなるごとにその対象世界を拡げてゆき、まわりの家族や仲間と追求充足を繰り返すことで観念力も追求力も磨かれていくはずですが、まわりとの充分な追求充足がないと、思考停止して簡単に答えをほしがるようになってしまいます。

秩序が崩壊している現代で、子どもたちが真っ当にのびのび追求して答えを出せる大人になっていけるかどうかは、旧観念に染まった今の大人たちが、“教える教育”によって子どもたちの不整合感を出来合いの私権観念で簡単に中途半端に整合して、追求停止させてしまっていることを自覚し、まず大人が今まで疑いなく蓄積した常識や知識を立ち止まって問い直し、自分が発想しなかった子どもたちからの疑問に感謝して一緒に追求してゆく姿勢に転換できるかにかかっていると痛感します。

今村恵 

« 現代社会の危機に対する日本仏教からの提言1 | トップページ | フランスの風刺画の新聞は、節操のない破廉恥な新聞だ。 »

コメント

[通念常識を超えるは共鳴。意表と壮大こそ類。ただ思考だけでは不足この宇宙状態である。類流には有無を言わさず神の子に人に与える地平あって役割充実この世も良くなるとも言える。安倍ブログ流には個と全体の両面が大事。調整こそ]
割と共鳴。日本流は君民共治である。がやはり心に童心を置くことが肝心。下記歌も。
がどこか腑に落ちない気も同時にする。既視感の感触。違和感というか喝破で御免。
今はもう「無限個人宇宙における無限探求の頭Think」追求考えることにとうに飽きちまってるというか次の段階。ThinkよりもSinkかなあるいは切迫の創意工夫。(下記作家流)。Sink。不満と言うよりも(飢えは空前パワーになる場合もある。類の辞書には例外と言う言葉はちゃんとあるのかな?)答が欲しいと言うよりも出す(類は答えこそだとよく言)例えばなー切迫外圧「死亡前線を止める」と言うブログが類で一つでもあったかな慈悲愛が論語には書いてるのか(俺への影響の本ではあった)。確かに「俗流科学」では次の答えは正しい教科書的ではある。つまり淘汰だけは頻繁に繰り返し扇動風潮(間では「それは使っちゃいけない日本語だよね」となっている。当然だ言挙げの典型)。偏重の日偏国の証拠は「変化こそ(ダーウィン)。安倍も引用。それが日本なのだと答に飛びつく」のはいかんと前にどこかで批判した通りかな。例え百済語であろうと。
有限宇宙になっている外圧の時代では圧縮の必要が出ている。全ては発明。一に発明と創造と創意工夫に尽きると反論すべき。それだけ切迫である現代宇宙は。能力主義おっと待った!!上記関連。発明的だった異色の大作家は童心純心こそ天才と言った。ヒョーゲンや書く思考だけでなく必要の創意工夫の大創造を地で言った人間であるから確実だろう(あと芸人母親がそう言えば「私の子が一番」と互い自慢。自分娘PRも私権思想である。俺は本は読まなかった。少年漫画の気概壮大はバカにしない方がいいな学者系に多いが。戦前の継承に等しい気概。本来の類も関連だが素朴こそ維新と言う。高度である必要はない。読むと言うことの分裂違和感。司馬氏曰くアレンジは消費ファッションとして本を読むだけで社会化しないのに本を読むのが好きな民族と。論語曰くどんな人も元は純心だったかこれが社会化されたら世も変わるだろう。映画歌でもある。しかし小学生がこんな政治番組見るな思考が狭くなると思ったフトタ総理では論語は印象操作嘲笑されていた戦後マスコミュニズムの絶対支配である。人物研究よりもその人が求めた道こそである。確かに古典復興だろな。しかし・・三島曰く戦後にはドラマがない言わばアートがない。脚本創造はもっとない劇場国家以前)(戦前を受け継ぐ壮大Journalistも発明気質があると俺は見た)。類の言う通り聖書の言う通り有無を言わずに幼子のように素直に受け入れる封建思想も必要と思われる。よって類方面の自己矛盾が見える(or自分は押し付けるのは良くて相手がそれやると持論をコロッと変えるのかな。俺も一部で純粋が消されたことあるるよ。不自然に見えるので敢えて言います)。
その意味で(無能と言う自虐用語はあまり良くないと思いますね。言葉の問題。自他の両方に失礼それとも相手だけに言いたい意図かな。影響。それこそ俺が影響受けた音楽物理学者は言葉の平和的調整でこそ良い世へとWordSmith。治療統治癒時代のヒント)、確かに頭と理知だけで純心がない現代民主主義時代は無能大衆時代かもしれないが。オルテガの喝破。これはジレンマだから難しいながらのんびり「無限科学的探究」をやってる場合でない宇宙外圧も迫っている。融合境界。別にこれは頭思考の科学や答でなく余りに明瞭な「方策」なのである。例えは悪いが「戦武士での軍人任務」に近い原理かも知れない。闘争を超える新たな役割は離れ業の大技の統合か。信長の戦国時代も目的は室町宇宙?の再生で戦ではない。ある党も「個人主義と全体主義は両方で」と喝破。類ブログでも個の無限で終わらせずに役割を与えた方が人間は充実すると言う論はあった筈。最近は類は自己矛盾も見るな。同じことを言う。叩こうとするから自己矛盾となる。俺にはよう見える。やはり歴史と言う縦軸の圧力これを先ずはSimpleに強制で背負うこと。SimpleこそBest。換言だが経験個人主義よりも歴史全体主義が賢者と言われる通りである。だから簡単に他人様を即断しない方がいい。狭く凝り固まるとそれこそ人類の成長を阻害する。真っ白な純心を。これが最大の能力。(Hegelは叩かれるから逆に挙げているまで)。中途御免。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1761240/67587904

この記事へのトラックバック一覧です: 大人は無能を自覚し、子どもたちに学ぼう:

« 現代社会の危機に対する日本仏教からの提言1 | トップページ | フランスの風刺画の新聞は、節操のない破廉恥な新聞だ。 »

ランキング

  • にほんブログ村 政治ブログ 世直し・社会変革へ お勧めサイトランキングへ
2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

カウンター

最近のトラックバック

無料ブログはココログ