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2016年9月

2016年9月30日 (金)

フランスの風刺画の新聞は、節操のない破廉恥な新聞だ。

人を小ばかにするアイロニーはフランス文化の一つらしい。

日本やアメリカでは差別だと一気に糾弾されそうな趣向でも、フランスでは ユーモアとして許容される。
そして、今回のテロにあった彼らはフランスでの被差別者であるイスラム人の最も嫌がる、「アラーの神」まで馬鹿にした漫画を描き、宗教を冒涜してきた。

フランスって、福島の原発の時も風刺画の描いて日本から抗議され、その回答が、「ジョーク、ユーモア」だと回答するなど、日本人の意識からすると他人の心を思いやれない人種に思える。

しかし、フランスはじめ多くのマスコミが、テロ(≒イスラム)だけを非難している。

テロが正当化されるはずも無いが、今回のフランスの新聞社の「言論の自由」の暴走は問題だ。

何故に、節操のない破廉恥なフランス新聞社の売り上げのために他人を傷つける行為が、守るべき「言論の自由」と崇められるのか、理解できない。

このフランスの新聞社は5~6万部だった売り部数が、来週は300万部の売り上げに成るらしい。

<以下引用>~~~~~~~~~~~~~~~
■宗教への冒涜は「言論の自由」か? イスラム勢力による仏「シャルリー紙」襲撃事件
リンク

フランス週刊紙「シャルリー・エブド」のパリ本社に、国際テロ組織「アルカイダ」を名乗る武装した男が押し入り、編集長、編集関係者、風刺画家、警官を含む計12人が殺害されるという痛ましい事件が起きた。事件の背景には、同紙が、過去に何度もイスラム指導者を風刺するイラストを表紙に載せ、イスラム勢力の反発を買っていたことがあると考えられる。

このような暴力的なテロ行為は決して許されるものではない。亡くなった方々の冥福を心から祈りたい。

今回の事件は、「言論の自由」への侵害と見る向きがある。

事件の後、フランス全土で計10万人が「Je suis charlie(私はシャルリー)」の紙を掲げたことからもわかるように、フランス社会は「言論の自由」を譲らないという思いで結束している。

「言論の自由」はもちろん重要だ。だが本欄では、それは無制限に許される自由ではないことも主張したい。

今回狙われた新聞社は、左派的で無神論的なスタンスを取り、過去にも宗教への冒涜行為を平気で行ってきた。

2011年に「預言者ムハンマドを同紙の新しい編集長に指名した」という題で、「笑いすぎて死ななかったら、むち打ち100回の刑だ」と揶揄するようなセリフがついているムハンマドの風刺画を掲載した。その翌日、同紙事務所に火炎瓶が投げ込まれ、事務所が全焼するという事件があった。

さらに同年、同紙が預言者ムハンマドを同性愛者として描いた風刺画を掲載した結果、同紙ウェブサイトがハッカーの被害を受けている。内容はさらにエスカレートして、最近の号では、「イスラム国」が預言者ムハンマドの首を切るマンガまで掲載していた。

当然、国内外のイスラム勢力から激しい批判を受けていたが、その後も「言論の自由」を盾にして、タブーのない編集方針をとった。イスラム教に限らず、聖母マリアが、ブタの顔をしたイエス・キリストを出産した様子を描いた風刺画を掲載するなど、あらゆる宗教への冒涜を行っていた。

マスメディアが、宗教に対する一定の見識を持って宗教を論じるならば問題はない。だが、宗教を冒涜や嘲笑の対象にしても良いという姿勢は間違っている。

今回亡くなった編集長兼風刺画家のステファン・シャルボニエ氏は、雑誌のインタビューで、「自分の書いていることがそこまで人を苦しめているわけではない」という認識を示したが、実際は信仰者たちの心を傷つけ、踏みにじっていた。

~~~~~<以下略>~~~~~~~~

猪 飼野 

2016年9月28日 (水)

大人は無能を自覚し、子どもたちに学ぼう

追求のススメ3.追求力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」294733を読み、自分は豊かさが実現され私権圧力がとっくに衰弱している中で生まれたというのに、頭の中は旧い邪魔な私権観念に塗れていること、日常キャッチする不整合感も未知への探究心や追求力も自分より子どもたちの方がよっぽど優れていることに気づきました。

気づいてからは、自分の無能さを自覚し、子どもの発想や着眼点に学び、一緒に追求を楽しんでいます。むしろ、安易に自分の知っている答えを与えてしまうことが子どもの力を奪う害なんだと日々実感しています。

先日、論語を音読していた小2の娘が、
「論語って、なんで“子曰く”ばっかりなの?どういう意味?」
と聞いてきました。

つい、それはね・・・と言ってしまいがちですが、答えを言ってしまっては「へえそうなんだ」で終わってしまいます。

「なんでだろうね?どういう意味だと思った?」
と問いかけ、でてきた答えに対してまた問いかけたり矛盾をついたりすると、自らたくさんの仮説を考え、結果的に
①“子”とは、論語を書いた人が尊敬している、親か師匠のような存在だろう
②師匠が日ごろ言っていた、みんなの役に立つ言葉を忘れないように、他の人に伝えるために論語を書いたのだろう
という仮説を導きました。

(※師匠と弟子という具体的な関係を表す言葉はわからなかったのですが、自分の好きな“聖闘士星矢”の“カミュ”と“氷河”みたいな関係じゃ?とひらめいたのです。)

お互い、きっとそうに違いない!という気持ちですごくすっきりして、さらに娘は
「もっと何回も読んで、書いている内容もわかるようになりたい。なんで書こうと思ったのかも知りたい」
と、ますますやる気になって読んでいます。

好奇心のかたまりである子どもは、自分なりに未知なものを追求してそれを親と共有しようとします。

本来、子どもの感じるたくさんの不整合感(疑問や好奇心)は、乳児→幼児→学童と大きくなるごとにその対象世界を拡げてゆき、まわりの家族や仲間と追求充足を繰り返すことで観念力も追求力も磨かれていくはずですが、まわりとの充分な追求充足がないと、思考停止して簡単に答えをほしがるようになってしまいます。

秩序が崩壊している現代で、子どもたちが真っ当にのびのび追求して答えを出せる大人になっていけるかどうかは、旧観念に染まった今の大人たちが、“教える教育”によって子どもたちの不整合感を出来合いの私権観念で簡単に中途半端に整合して、追求停止させてしまっていることを自覚し、まず大人が今まで疑いなく蓄積した常識や知識を立ち止まって問い直し、自分が発想しなかった子どもたちからの疑問に感謝して一緒に追求してゆく姿勢に転換できるかにかかっていると痛感します。

今村恵 

2016年9月26日 (月)

現代社会の危機に対する日本仏教からの提言1

2010年1月30日にダボス(スイス東部)で行われた世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で全日本仏教会の松長有慶会長(80)(高野山金
剛峰寺座主)が提言を行った。集う者たちは「雪の中に集う金持ちたち」とも揶揄され、深刻な経済問題を遠ざけ、実質的な成果をほとんど生み出さないと言われているこの会議での提言は、彼らにどの程度の印象を与えたのだろうか。

(以下引用)リンク

財団法人 全日本仏教会
会長 松長有慶

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日本仏教からの提言

21世紀は混迷の時代である。前世紀の科学技術文明の驚異的な発展によって、人々は未曾有の物質的な繁栄を享受しながらも、精神的な痛みを抱えながら生きている。
われわれの周辺を見渡してみても、自己主張が突出し、他人の痛みには鈍感で、地域社会の連帯は希薄化し、凶悪犯罪が日常化する異常な社会が現実化しよう としている。世界全体を見れば、先進諸国の経済的な発展の蔭で、開発途上国の人々との間に貧富の差が急激に増大し、地球環境が劣悪化し、資源が枯渇し、民 族紛争、宗教間の対立抗争が常態化する憂うべき事態が現在進行しつつある。
社会的にも、個人の内面においても、八方ふさがりの閉鎖状態にあって、われわれは今まで自己が持ち続けてきた固定した人生観を冷静に反省して、改めるべき点があれば、率直に生き方を転換させて、事態の根本的な改善を図る必要があろう。
そのために、近代人が比較的等閑視してきた東洋の文化、とくに仏教の文化の中に、現代社会の病根に有効に作用する良薬が少なからず残されていることに、私は注目したい。
大乗仏教を奉ずる日本の仏教徒が、現代社会の危機に対して有効と思われる提言を要約すれば、1.生きとし生ける者の相互の関連性を認める全体的思考、2.多元的な価値観、3.生かせていただいている意識から社会奉仕活動へ、これら3点に集約されるであろう。

1.生きとし生ける者の相互の関連性を認める全体的(wholistic)思考

日本仏教には、人間中心、とくに自己中心的な視点を転換して、無限の宇宙的な視野の下に、人間だけではなく、動物、植物などあらゆる生物の相互のつながりを示す「一切衆生」という思想があり、日本の仏教徒の人生観の根底に横たわっている。
大乗仏教では、一切衆生はすべて仏になる可能性を持っていると説く。人間だけではなく、獣も鳥も魚も、虫けらに至るまで、あらゆるいのちあるものは、仏になりうるという思想は、人間と神との間に明確な一線を引く一神教の世界観とは異なる。
日本仏教では、山や川、草や樹木もまた本質的には、仏であると説く。それは、生きものだけではなく、山や川、風や石ころなどの無生物まで、神として崇敬してきた民俗信仰を仏教が摂取し、仏教の教理によって裏づけを与えたものである。
近代思想は自我を中心として、自と他を明確に区別するところから出発した。それは物事を対象化して捉え、近代の科学技術文明を発達させる基盤を作り上げ た。だが一面において自と他、物と心、人間と自然などの間にあった靭帯を切断し、それぞれを独立の存在とみなす考えが常識化することとなった。
しかし最近の人文科学や自然科学の研究の成果によると、他者から完全に切り離された自己は存在しないし、物質と精神をまったく別個の存在とみなすことは 困難となった。また人間だけが動植物や自然界を支配し、それらを隷属化する権利を持つものではなく、それらの間には相互に関連し、補完しあう共存の関係を 想定せざるを得なくなった。
日本仏教の考えからすれば、自と他、個と全体、物と心というように、一般に対立的に考えられている存在は、もとより一体である。ものごとを分析的により 分け、細分化することによって、ものの本質は見えてこない。むしろ対立的な思考を捨てて、全体的に把握することによって、ものの真実の姿が現われてくると 見る。
仏教は自我を中心として対立的に世界を見る近代思想から、宇宙的な視座の下に、全体的、相互関連的に世界を見る立場へと、視点の百八十度の転換を提案している。
分析的な思考法とか、物心二元論的な思考は近代の科学技術文明の進歩を支えてきたが、さまざまなひずみを現代社会に露呈することとなった。すべての存在 に、いのちを認め、相互の関連性を重視する日本仏教の総合的で、生命論的な観点は、人間疎外とか環境破壊といった現代社会が解決を迫られている問題に対し て、有効な示唆を与えるであろう。

(2につづく)




匿名希望

2016年9月24日 (土)

ヒンドゥー教は、妥協と諦めの観念か?アーリア人が纏め上げたウパシャニド哲学にその理由がある

インドは、2000年以上の長きに渡り、アーリア系民族が序列上位に立つ仕組みを作り、それを維持してきた。
インドの他国との大きな違いは、国民の8割以上がヒンドゥー教を信仰している事だが、その思想的前身であるウパシャニド哲学が非支配層に、諦めと妥協の観念を植え付けたことが大きい。

アーリア人は非支配層に対し、現世は「苦」である事を教授し、自らは支配者として君臨する。北インドには覇気が無く、決まった仕事以外のことをまったくやろうとしない人が多いのも、このウパシャニド哲学に端を発する諦めと妥協の観念が大きく影響している様に思う。

以下、世界史講義録さん より
リンク

ウパニシャッド哲学はどんなことをいっているか。
まずは人間の生死について。人は死んだらどうなるか。回答「輪廻転生」。
すべての生きとし生けるものは生と死を永遠に繰り返します。死んだら、またどこかでなにかに生まれ変わってくる。生き続け、また死にまた生まれ変わる。

死んでも生まれ変わることをインド人はどう捉えたかというと、これは苦です。

死ぬことが苦しみなのは理解しやすいですが、インド人は生まれること、生きていることも苦しみと考える。飢饉、疫病、戦乱、天災、あらゆる不幸が人生にはついてまわる。生きることは苦痛とセットです。考えても見て下さい。現代でも生まれついたカーストによってはものすごくつらい人生が待っているんですよ。「今度生まれ変わってもあなたと一緒になりたいわ」なんていうセリフとは無縁な世界です。絶対生まれ変わりたくなんか無いわけ。こういうセリフが出てくる日本の風土はやはり暮らしやすいんだろうね。

死んだあと何に生まれ変わるかということですが、これは生きている間にどんな行いをしたかで決まる。生きているということは、なにかの行為をしているわけで、その行為を「業(ごう)」といいます。どんな業を積んだかによって、次の生が決定される。簡単に言えば悪い業を積めば、虫けらに生まれるかもしれない。よい業を積めばましな生き物、人間とかね、に生まれ変われる。

人間に生まれたとしてもやはり人生は苦であるわけで、人々の願いは二度と生まれ変わらずにすむことです。クルクル廻る輪廻の輪から抜け出すこと、これが最高の願い。抜け出すことを「解脱(げだつ)」という。

栗田明 

2016年9月22日 (木)

恐怖は人の強み

恐怖が人の心を活性化し、判断力を高めることを、京都大学霊長類研究所の正高信男(まさたか のぶお)教授らが実験で突き止めた。これは、恐怖感情を抱くことは認知情報処理を妨げるという、この1世紀の間信じられてきた心理学の定説を覆し、ダーウィンの主張を支持する知見といえる。

リンク

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心理学でもダーウィンの洞察は正しかった。ダーウィンが活躍した英王立協会刊行のRoyal Society Open Science11月5日付のオンライン版で発表した。

夏目漱石の小説「草枕」の冒頭に「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」とあるように、理と情は対立するものと考えられがちだ。特に恐怖のようなネガティブな感情は人間の判断を鈍らせるというのが心理学の基本原理となっている。これに反対したのがダーウィンで、1872年の著書「人及び動物の表情について」で「恐怖を抱くことは人間の強みになる」と書いた。しかし、この考えはその後、まったく無視された。

研究グループは140年余の年月を経て、ダーウィンの考えを検証するため、実験を試みた。成人108人と子ども25人にそれぞれ、3原色を構成する赤、緑、青のさまざまな色のヘビと花の写真を見せ、その際の写真の色の回答を求めた。成人もこどももヘビの色を答える時のほうが、花の色を答える時より迅速に回答することを確かめた。この実験は簡便で、再現性も高かった。実験を基に「ダーウィンの主張を支持するデータで、恐怖は理性的判断を行うに当たって良くないという定説は覆った」と結論づけた。

正高信男教授は「恐怖に心が活性化する機敏な反応は、危険を回避するために必要な適応だろう。恐怖に対してすくんでしまって、迅速な回避行動が取れない不適応な人々がいるのではないか。この研究は、ダーウィンの指摘の再発見にとどまらず、一般の社会生活を営むのが困難な人たちの心理を解明する手がかりになる」と話している

文太 
 

2016年9月20日 (火)

仏教はギリシャ文化と融合して偶像崇拝化→大衆化した

元来、仏陀の教えは、この世の成り立ちの追求であり、そのための瞑想=修行を第一義としていた。しかし、いつ頃からか仏像を崇める宗教へと変容している。
仏像の誕生は諸説あるが、最古の仏像はガンダーラで発見されている。ガンダーラの仏像をみると、日本では見たこともない顔立ちで表現されており、その表現の多様性に驚かされる。
この仏像は、当時ガンダーラにいたギリシャ人の技術に拠るところが大きい。また、仏像のモデルは、古代ギリシャ、インド、ペルシャの神々を参考にして作られている。

つまり、仏教は、インドから他の地域(ガンダーラ・中国・日本)に伝播する中で、西洋文明の影響を受け、偶像崇拝化し、大衆化に成功したのである(大衆化の際、教義も大きく変容し、海を渡り日本に伝播した)。


以下、ガンダーラのクシャン族が仏教に改宗した背景を引用します。

浄土宗大信寺HPより引用リンク
■引用開始――――――――――
なぜクシャン族は仏教に改宗したのか

 まず、従来の宗教すなわち拝火教あるいはその一派であるゾロアスター教について述べる。この宗教は来世の存在と霊魂の不滅を肯定している。この宗教には善と悪を宇宙の構成原理とし、この世を善と悪の抗争の場と想定した。善に属するのがアフラ・マツダ神などの善神、悪に属するのがアフリマン、アジダハーなどの悪神や悪龍である。
 霊魂は不滅であるので、人が死ぬと善人ならば、アフラ・マツダ神の住む無量光明の世界へ往生できるが、悪人は地獄へ堕ちると説いていた。それは、死後4日目の朝に決定される。ゾロアスター教の欠点というか厳しさは、第一に、生前に天国(極楽)に行けるかどうかが分からないこと。第二に、神も他人も自分が天国に行けるように助けてはくれない、即ち、自力で努力しなければならないことである。
 一般大衆には、生前に極楽往生が約束され、しかも神や仏が救いの手を差し伸べてくれた方が魅力的である。そこで、仏教の登場である。ガンダーラ地方へは当時、上座部仏教が伝わっていたが、これではクシャン族を改宗させるほど魅力的ではない。そこで、革新的、進歩的な僧侶たちが、この旧式の仏教を根本的に改革し、クシャン族の心を魅了するものにする必要があった。なにしろ、クシャン族には、貿易で栄えた富があり、仏教教団としても、改宗させ、経済的基盤を確立し、発展させる必要があった。
 まず、仏教徒の赴くところは、桃源郷のような魅力ある天国(極楽)であると説いた。即ち、大乗仏教の極楽である。
 阿弥陀仏の裁縫極楽浄土の起源は、基本的にはゾロアスター教の無量光の世界(アフラ・マツダ神の住処)を取り入れたものである。(諸説有り)
 次に、極楽往生への安易な方法、方便を示す必要があった。それは、供養を勧め、回向を説いたこである。元来、ゾロアスター教徒は、神、先祖に対して供養をする習慣があったので、更に、仏教教団は、クシャン族に盛んに供養(教団への布施、寄進)を勧めた。そして、その見返りとして回向を説いたのである。
 回向とは、具体的に釈迦牟尼仏陀や弥勒菩薩などが所有している功徳を人々に分与することである。結果的に十分な布施をすれば、それに応じて功徳が得られるわけであるから、クシャン族にも良く理解できる。短絡的には、金で極楽往生が保証されるわけであるから、富裕なクシャン族はこぞって仏教に改宗したわけである。(田辺勝美著:ガンダーラから正倉院へ)
 この説では、仏教がクシャン族に迎合し、クシャン族は極楽への免罪符を手に入れたように見える。しかし、この仏教は、大乗仏教として理論的に思想的に体系化され、多くの人々を教化するに十分な宗教に変革・発展したことは確かであろう。


なぜクシャン族は仏像を必要としたのか

 ゾロアスター教の善神はクシャン朝のコインの裏に刻印されているが、いずれも人間の姿をしている。これは抽象的観念を人体で造形するギリシア美術における擬人化表現に由来する。
 クシャン族の信仰において、国王の神格化と祖先の霊魂の崇拝がある。彼らは、英雄的な国王や王家の開祖を神と同等な存在とみなし、その肖像を制作して神殿や宮殿に安置し礼拝していた。
 また、クシャン族のようなイラン系民族では、偉大な祖先の墓地の石棺に大きな浮彫があって、死者の霊魂がこの世に戻ってきて自分の肖像の中に宿り、子孫から供養を受け、また子孫を見守っているという考えがあった。
 このように、偉大な人が死んだ場合、その死者の肖像を作って、それを礼拝することが当然のように行われていたのである。
 クシャン族は偶像崇拝者であるので、仏教に改宗後は、まず、偉大な釈迦牟尼仏陀や弥勒菩薩の肖像を造って、礼拝しようとすることは、当然のことであったろう。
 彫像技術を持たないクシャン族は、ガンダーラにあってはギリシア・ローマ系職人を、マトゥラーにおいては、インド系職人の力を借りて仏像を造らせたのであろう。
                 ――――――――――■引用終わり



2016年9月18日 (日)

農村共同体を守り育てる神官階級を原点に持つインド統合階級

日本の支配階級と、モディをはじめとするインドの指導者たちを比べると、インドの指導者たちは非常に愛国的であり、売国的思考とは無縁といえる。日本の欧米留学組みがほとんど洗脳されて帰ってくるのに対して、ガンジーにしろネルーにしろヨーロッパに学んでも、最終的には買収されることがない。この違いはどこからくるのだろうか。

インドはアフリカとスンダランドをつなぐルート上にあり、出アフリカを果たした人々及びスンダランドの水没を受けて後戻りした人々がその基層をなしている。いずれも非常に原始的、従って本源的な採取部族系の人々(日本に例えれば縄文人である)である。

そこにメソポタミア文明を築いたシュメール人とも同系とされる人々が農業文明を持って渡来し、混血し、インダス文明を築いた。この原インド人とシュメール系の人々が混血したのがドラビダ人である。(日本に例えれば弥生人)リンク ドラビダ系の人々は今も女神を信仰し母系社会を維持している点から見ても、平和的に混血したものと思われる。(おそらくここまでは日本も同じ)

その後に牧畜・父系のアーリア人がインドに攻め入ってきたが、彼らは既に形成されていた農耕社会を武力制圧するのではなく神官としてその頂点に立った。それは同じアーリア系の中でもインドに入ってきたインド・アーリア人が負け組であったからとも考えられるし、インド・アーリア人が比較的柔軟で、土着の信仰や共同体を基本的に尊重したからだともいえる。実際、アーリア人によって創られたとされる聖典リグヴェーダも、その中身は、アーリア人侵入以前からドラビダ人がつくりあげていた健康法や規範の体系である。武力では負け組みであったインド・アーリア人は神官階級としてドラビダ人の上に立つという道を選んだのだろう。

なおアーリア人侵攻以前につくられ滅びたインダス文明は短文しかなく、インドの人々が織り成した’素人の創造’を文字化された神話・詩というレベルに引き上げたのがアーリア人であり、その意味でドラビダ人たちからも一目置かれたのではないだろうか。と同時に、この文字文化を持ったアーリア人たちとの理論闘争の必要からドラビダの部族長たちも神話的思考を進化させ、様々な女神信仰が花開き、その習合した多神教としてバラモン教→ヒンズー教が形成されていった。いいかえるとインドの支配階級=バラモンたちは観念力こそを本分とする神官階級として土着の農業共同体を統合したということだ。勿論、観念闘争といっても現実逃避の仏教では庶民の潜在思念から浮いてしまうので、私権闘争の現実をどう統合するかという観点からカーストという名の職能分化や職能規範の確立にインドの支配階級の思考は向かった。

他方、同じように採取民族の上に渡来農耕民、渡来支配階級が覆いかぶさった日本の場合は(実態は母系の連続性を内包した)万世一系という神話によって日本国家を統合し、支配階級同士の無用な私権闘争を止揚した。これは日本に渡来した支配階級が基本的に血統の正当性を重視する王族が中心であったからであろう。(日本の支配階級もその原点に卑弥呼のような神官としての機能を有していたと思われるが、半島系の王族を招き入れて以降、神官としての本分を失い、お家騒動に明け暮れるようになってしまった)

いずれも土着共同体は残存し続けたが、インドは支配階級同士は観念闘争を続け、日本では血統の正当性を媒介に談合した。日本の支配階級が己の血族の維持のためには庶民を裏切ることも厭わず、欧米に留学すると完全に洗脳されて帰ってくるのに対して、インドの知識階級が欧米留学を果たしても最終的には欧米と対立するのも、こうした農業共同体を守り育てる神官階級としての本分を今も見失っていないからであろう。



山澤貴志
 

2016年9月16日 (金)

農村共同体を守り育てる神官階級を原点に持つインド統合階級

日本の支配階級と、モディをはじめとするインドの指導者たちを比べると、インドの指導者たちは非常に愛国的であり、売国的思考とは無縁といえる。日本の欧米留学組みがほとんど洗脳されて帰ってくるのに対して、ガンジーにしろネルーにしろヨーロッパに学んでも、最終的には買収されることがない。この違いはどこからくるのだろうか。

インドはアフリカとスンダランドをつなぐルート上にあり、出アフリカを果たした人々及びスンダランドの水没を受けて後戻りした人々がその基層をなしている。いずれも非常に原始的、従って本源的な採取部族系の人々(日本に例えれば縄文人である)である。

そこにメソポタミア文明を築いたシュメール人とも同系とされる人々が農業文明を持って渡来し、混血し、インダス文明を築いた。この原インド人とシュメール系の人々が混血したのがドラビダ人である。(日本に例えれば弥生人)リンク ドラビダ系の人々は今も女神を信仰し母系社会を維持している点から見ても、平和的に混血したものと思われる。(おそらくここまでは日本も同じ)

その後に牧畜・父系のアーリア人がインドに攻め入ってきたが、彼らは既に形成されていた農耕社会を武力制圧するのではなく神官としてその頂点に立った。それは同じアーリア系の中でもインドに入ってきたインド・アーリア人が負け組であったからとも考えられるし、インド・アーリア人が比較的柔軟で、土着の信仰や共同体を基本的に尊重したからだともいえる。実際、アーリア人によって創られたとされる聖典リグヴェーダも、その中身は、アーリア人侵入以前からドラビダ人がつくりあげていた健康法や規範の体系である。武力では負け組みであったインド・アーリア人は神官階級としてドラビダ人の上に立つという道を選んだのだろう。

なおアーリア人侵攻以前につくられ滅びたインダス文明は短文しかなく、インドの人々が織り成した’素人の創造’を文字化された神話・詩というレベルに引き上げたのがアーリア人であり、その意味でドラビダ人たちからも一目置かれたのではないだろうか。と同時に、この文字文化を持ったアーリア人たちとの理論闘争の必要からドラビダの部族長たちも神話的思考を進化させ、様々な女神信仰が花開き、その習合した多神教としてバラモン教→ヒンズー教が形成されていった。いいかえるとインドの支配階級=バラモンたちは観念力こそを本分とする神官階級として土着の農業共同体を統合したということだ。勿論、観念闘争といっても現実逃避の仏教では庶民の潜在思念から浮いてしまうので、私権闘争の現実をどう統合するかという観点からカーストという名の職能分化や職能規範の確立にインドの支配階級の思考は向かった。

他方、同じように採取民族の上に渡来農耕民、渡来支配階級が覆いかぶさった日本の場合は(実態は母系の連続性を内包した)万世一系という神話によって日本国家を統合し、支配階級同士の無用な私権闘争を止揚した。これは日本に渡来した支配階級が基本的に血統の正当性を重視する王族が中心であったからであろう。(日本の支配階級もその原点に卑弥呼のような神官としての機能を有していたと思われるが、半島系の王族を招き入れて以降、神官としての本分を失い、お家騒動に明け暮れるようになってしまった)

いずれも土着共同体は残存し続けたが、インドは支配階級同士は観念闘争を続け、日本では血統の正当性を媒介に談合した。日本の支配階級が己の血族の維持のためには庶民を裏切ることも厭わず、欧米に留学すると完全に洗脳されて帰ってくるのに対して、インドの知識階級が欧米留学を果たしても最終的には欧米と対立するのも、こうした農業共同体を守り育てる神官階級としての本分を今も見失っていないからであろう。




山澤貴志
 

2016年9月14日 (水)

キリスト経とユダヤ教の歴史1~イエス・キリストとは何者なのか?~

「失われた原始キリスト教徒「秦氏」の謎」(飛鳥昭雄・三神たける著)の「第6章 聖地エルサレムから消えた原始キリスト教徒の謎」からお送りします。
知っていそうで知らないキリスト教の歴史。原始キリスト教と言われるエルサレム教団等の初期の教えは、ユダヤ教から派生した。もともと、ユダヤ教徒であったキリストは、現在、一般的になっている偶像崇拝を否定し、エルサレムを離れなかったようだ。キリスト教の歴史は、分派独立を繰り返し、もともとの原始の教えという原点を忘れ、自我暴走を食い止められなかった。イスラムと異なるのは、どこだろうか?その迫害の歴史を見てみることにしたい。ます、イエス・キリストとは一体何者なのか?から見てみよう。
-----------------------------転載
■イエス・キリストとは何者なのか?
 キリスト教とは、ユダヤ教から派生した宗教である・・・・。事典を開けば、必ず目にするこの言葉、実は正確ではない。「キリスト教からユダヤ教が派生した」のである。

 いったいどういうことかというと、これが非常に微妙な問題なのだ。

 第一に、イエス・キリストに対する肩書「キリスト教の教祖(きょうそ)」がいけない。キリスト教の教祖とされるイエス・キリストは、なにも新しい宗教を開いたのではない。隠された「ユダヤ教の奥義(おうぎ)」を公開しただけなのである。

 よって、イエスの立場から見れば、「一般のユダヤ教」のほうが、隠された「本当のユダヤ教」から派生した宗教なのだ。ここで、イエスが説いた思想をキリスト教と呼ぶならば、キリスト教からユダヤ教は派生したことになるわけである。

 おそらくクリスチャンではない方にとっては、意外な話かも知れない。だが、誤解しないでほしい。これは著者の「説」ではない。『新約聖書』に記されたイエス・キリストの思想が、そうなのである。

 イエスの説いた宗教を考えるとき、ここを押さえておかないと、とんでもない誤解をしてしまう。巷の新興宗教のように、教祖イエスが既成のユダヤ教をもとに、自らメシアを名乗ることによって、新しい宗教を築き上げたのではないのだ。

 もちろん、学問的な歴史観のひとつとして、そういった見方はあってもいい。下手に教義がどうのと論ずるより、目に見える現象として新しい宗教が台頭してきたと考えることは間違いではない。間違ってはいないが、真実でもない。

 イエスの説いた宗教は、そんな微妙な教義、宗教観が絡んでくることを、ひとつ頭にいれて、キリスト教の発生を見ていくことにしよう。ここに奇妙な渡来人「秦氏」の正体を解く最後の鍵がある。

 そのためにまず、紀元前後のユダヤ教から始めたい。
-----------------------------2に続く



月読尊

2016年9月12日 (月)

「すべての存在に自我なるものはない」仏教が示す自我の位置

仏教は煩悩に捉われる事を執着としました。
そしてその執着の正体は自我であり、この世に自我はないという事実さえ認めることができれば、心は清らかになり、世界観は広がるとしています。仏教を科学的に語る佐々木閑氏は執着と自我の関係を以下のように説明しています。わかりやすいので転載しておきます。

自我は脱却するものではなく、そもそも事実としてそのような存在はない。そういう認識を持ち、ありのままを見ようと訓練をする事が仏教の瞑想であり、教えなのです。

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執着はなぜ生まれるのかを考えてみましょう。

無明というものがこの世のものはすべてうつろうという真理、すなわち諸行無常を理解していない事だと説明しました。これに加えてじつはもう一つ、無明のもとになっている、人間の根本的な愚かさがあります。それは自分、すなわち「自我」というものに対する誤った認識です。
われわれはふつう、自分の利益のため、自分の功名のため、自分の楽しさのため、自分の幸せのため・・・となにごとも自分を中心に置き、自分に都合のよい方向でものを考えます。ところがブッダは、そもそも自分などないのであり、ありもしない自分を中心に世界をとらえるのは愚かのきわみだと説きました。

われわれはまず、自我というものを世界の中心に想定し、そのまわりに自分の所有する縄張りのようなものを同心円上に形作っていきます。そしてそのいちばん外側に世間と呼ばれる一般社会を配置します。自分はこの世界像の主(あるじ)ですから手に入っていないものがあったら手に入れ、意のままになる縄張りの部分を増やしていこうとします。これが執着です。

すなわち、執着とはこの「自分中心」の世界観から発生するのです。自分中心の考え方に立つ限り、欲望は消えませんし、きりがありません。
しかしここでその中心人物たる自分を「それは実在しない仮想の存在である」として、その絶対的存在性を否定してしまうと、まわりにある所有世界も自然に消えます。自分というのは、本質のない仮想存在なのですから、当然それを取り巻く世界も仮想であるということになり、執着もおのずと消えるわけです。
これを表す言葉を諸法無我といいます。「ダンマパダ」では次のように言います。

「すべての存在に自我なるものはない」と智慧によって見る時、人は苦しみを厭い離れる。これが人が清らかになるための道である。

西洋世界では「我思う、ゆえに我あり」などという言葉があり、人々はあたりまえのように自我の探求をしてきました。ブッダの考え方はこういった姿勢とは正反対のものです。しかし、ブッダは極端な自己否定を土台とする事で人ははじめて世の現象を本当に客観的に見つめる事ができると説いたのです。

2016年9月10日 (土)

追求のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(2)

では、なぜ、勉強や仕事が強制課題になってしまったのか?
国家が登場し、私有権が成立すると、社会の物財はすべて私有の対象となり、私権(地位や財産の占有権)を獲得しなければ生きてゆけなくなった。そこでは、誰もが私権の獲得に収束する。その結果、この社会は私権追求の圧力で満たされるが、この私権圧力は否も応もない(それを獲得しなければ生きてゆけない)絶対的な強制圧力である。
しかし、本能や共認機能を源泉とする本源主体にとって、私権社会は全面的に不整合な世界であり、本源主体を私権圧力に整合させることは、原理的に不可能である。従って、私権圧力に対応するためには、どこかで出来合いの私権観念を導入し、折り合いをつけて(=私権圧力に部分的に整合させて)生きてゆくしかない。そこで、折り合いをつけるべく、良く聞くのが「がんばる」という言葉である。
しかし、それは諦めと妥協の私権観念であり、それでは全身全霊をかけて何かを自考し続けることなど、出来ない。しょせん仕方なく勉強(仕事)しているだけなので、本来の力の半分以下の力しか出せない。あるいは、部分的に整合させているだけなので、すぐに崩れて「がんばる」と言いながら頑張れない。

ところが、実は、1970年に豊かさが実現されて以降、私権圧力はどんどん低下してきている。今や、自然志向や健康志向や節約志向が(つまりは脱市場・脱私権の潮流が)最先端の潮流となり、私権圧力はとことん衰弱してしまっている。つまり、すでに「がんばる」と言っても何の為に頑張っているのか訳が分からなくなっているのが現状である。
ならば、そんなものは捨てれば良い。ここまで私権圧力が衰弱してしまったのなら、もはや諦めと妥協の私権観念など無用の長物である。私権観念を捨てれば、人類本来の本源主体が姿を現す。その本源主体に立脚して、秩序崩壊の危機に瀕しているこの社会を対象化すれば、誰の心にも『社会を守る』⇒その為には『世界を掴む』という志が芽生えてくる。
そして、ひとたび『世界(の構造)を掴んでやる』という大志が芽生えれば、教科書は認識の宝庫に変わる。教科書だけではない。全ての情報が学びと自考の対象となる。
例えば、勉強するにも、「本能と共認機能の表出である言語というものの真髄を掴んでやろう」「世界を数量的に整合させる数学というものの本質を掴んでやろう」「歴史の背景にある必然性を掴んでやろう」「自然現象の背後にある法則を掴んでやろう」等の目的意識(志)をもって各教科に挑戦すれば、未知収束⇒自考回路が作動して、自考力が急速に上昇してゆく。

類塾の自考型教育が目指すものは、それである。それは、明治以来の「教える→分かったつもり→自考停止」の悪循環を断ち切り、新しい自考力の時代に対応する最先端の試みである。
その目的は自考力の形成にあるが、未知なる世界への収束と自考の意志は、(先に見た『大志』がそうであるように)人々の期待に同化する中で形成される。その点、自考という言葉は、共認とは逆の自閉的なイメージを与えるが、事実は逆で、自考の原動力となるのは人々への同化と応合、つまり共認充足そのものである。
また、自考型授業というと、「それなら自分でやる」という生徒がいるが、実は一人では自考は続かない。なぜなら、上述したように、サル・人類の未知収束⇒自考回路は、共認充足や自考充足と一体になって作動するものだからである。だから、みんなとの課題共認や自考共認、あるいは『社会を守る』⇒『世界を掴む』という目的共認、更にはみんなからの「気付き」の発信などの刺激が、自考し続ける上で不可欠の条件となる。
それに、みんなと一緒に自考するのは楽しい。そこには、人類本来の未知収束⇒自考充足の世界がある。更に、その中で『社会を守る』⇒『世界を掴む』という志が芽生えれば、全身全霊を傾けて自考し続けてゆく地平が拓(ひら)かれる。つまり、100%の力を出し切ることができるようになる。
新しい世界に向かって、共に自考力を磨いていこう。

岡田淳三郎

2016年9月 8日 (木)

追求のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(1)

国を動かしている者たちを、昔はお上(かみ)と呼んでいた。現代なら、官僚、学者、マスコミ、政治家等が、それに相当する。彼らこそ、この社会を差配し統合してきた統合階級であり、見た通り全員が受験エリートである。
しかし、彼らは、この40年間の間に、返済不可能な1000兆円もの借金を国家に積み上げてきた。無能の極みと言わざるを得ない。その上、最近では原発、医療、TPP、さらには消費税増税に非正社員の激増と、国民生活は窮迫してゆく一方である。どうやら彼らは、己の地位と利権を守ることしか頭にないらしい。もちろん、心ある学者は「市場拡大の誤り」を指摘し、心ある医者は「医療の罪」を告発しているが、何れもごく一部でしかない。
従って、国民大衆も、そろそろ腹を括(くく)る必要がある。すなわち、『もはや、お上(かみ)は頼りにならない』。それどころか、利権に塗(まみ)れた受験エリートたち(官僚、学者、マスコミ、更には医者)は、今や国民生活に害を与えるだけの存在に成り果てた。
従って、『今や、お上(かみ)は全く信用できない』。
とりわけ不正選挙は、民主主義の根幹を破壊する暴挙であり、上記の現象も含めて、今、社会の至る所で秩序の崩壊が進行中であると認識すべきだろう。

言い換えると、今、社会は再び全面的に不整合な世界へと戻りつつある。従って、秩序崩壊の危機を感じ取った人々の潜在意識では、すでに未知収束の強い力が作動し、不整合な世界への収束と自考が始まっている。
その結果、自給自足のイメージに近い自給志向(自分で賄(まかな)う)や自考志向(自分で答えを出す)が強く生起してきた。とりわけ’12年末の不正選挙以降、人々の自給・自考志向は加速度的に急上昇している。
今や職場では(=社会に出れば)、自考力が全てとなり、自考する力のない者は淘汰され、生きてゆけない時代を迎えている。
しかし、明治以来、学校教育によって「教える→分かったつもり→自考停止」の悪循環を繰り返してきた結果、現代人の自考力はとことん衰弱してしまっている。

どうする?
今、社会は秩序崩壊の危機に瀕(ひん)している。しかも、お上(かみ)は頼りにならない、全く信用できない。とすれば、自分たちの手で社会を守ってゆくしかない。そして、その為には、まずこの世界(の構造)を掴(つか)み切る必要がある。
だから、少年よ、大志を抱け。
『社会を守る』⇒『世界を掴む』等の大志を胸に抱けば、その大志が持続的な未知への収束と自考力を育んでくれる。勉強をする目的も、全ては『社会を守る』⇒その為に『世界を掴む』ためである。
しかし、多くの生徒が(大人もそうだが)、「しんどい」「厄介」「面倒」「関係ない」等の言葉で自己を正当化し、自考課題から逃げ回っている。それは、多くの生徒(大人)にとって、勉強(仕事)が、嫌でもやらなければならない強制課題に成ってしまっているからである。



岡田淳三郎

2016年9月 6日 (火)

追求のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(3)

○健康診断の嘘
血圧の正常値の上限は、1987年の180未満から現在の130未満まで、いつの間にかどんどん引き下げられてきた。この基準値引き下げの結果、高血圧と「判定」される患者は170万人から2700万人へと16倍に膨れ上がり、高血圧疾患には年間2兆円も使われるようになった。もちろん、その分だけ医者と薬品会社の売上が激増した。
また、胸部X線検査は、約100年前に国民病だった結核を診断するため導入された検査だが、現在は結核患者が激減したため、目的を「肺がんの早期発見」に変更した。しかし、がん専門医が指摘しているように、「胸部X線検査で肺がんの早期発見などあり得ない」。
又、すでに20年以上前に、米国や英国の研究で「健康診断によって死亡率が低下することはない」ことが証明されている。

○ワクチン(予防接種)の嘘
高速でDNA変異するインフルエンザウィルスに対しワクチンは殆んど効果が無い。これは、WHOや厚生労働省も認めている事実である。むしろ、ワクチンに含まれる重金属や他の生物のDNA断片などが引き起こす深刻な副作用が多数報告されている。
米国では2009年のインフルエンザ流行の際、疾病対策予防センターが過剰にインフルエンザの脅威を煽り、強制的にワクチン投与を進めたこと、その結果、妊婦の胎児死亡率が24倍にも上昇したことが情報公開法により明らかになっている。
子宮頸がんワクチンも、米国の食品医薬品局が「子宮頸がんの原因とは無関係で、全く無意味」と認めたワクチンである。しかし日本では、2010年以降、10代の希望者にも対象を広げて投与されるようになった。その結果、歩行障害、記憶障害、激しい頭痛などの重篤な副作用が多数発生し、被害者による連絡会が次々発足している。

○がん治療の嘘
アメリカで271人の医者に「自分自身ががんになったら抗がん剤を打つか?」と聞くと、270人が「断固ノー」だった。それも当然で、抗がん剤はベトナム戦争で枯葉剤として使われたマスタードガスから生成され、致死量もマスタードガスと変わらない。しかも値段は抗がん剤1グラム3億円もする代物である。
すでに1988年に米議会のがん問題調査委員会では、「抗がん剤は、実は造がん剤」であると結論付けられており、その後、抗がん剤だけではなく放射線治療も摘出手術も延命効果よりも免疫力低下の害の方が大きいことが明らかとなっている。
従って、今や「がんはうかつに治療すべきではない」ことが、世界の常識となっている。にも拘(かかわ)らず、日本の医者は未だにがんと言えばほぼ100%、すぐ抗がん剤、放射線、摘出手術を強要する。結果、日本は、抗がん剤が世界の20倍、摘出手術が17倍にもなっている。がんほど、おいしい商売はないからである。
健康診断にせよ、ワクチンにせよ、がん治療にせよ、欧米に比べて日本の医療界だけが著しく遅れている理由は、自民党の集票マシーンである医師会が政府・官僚から医科大学までをほぼ牛耳っているからであり、今や医は算術に成り下がってしまったからである。
実際、昔の医者と現在の医者は、全く別の人種と言っても良いくらいに、かけ離れている。とりわけ、中受塾出身者が大多数を占めるに至った現在の50才以下の医師は、無能の極みであって、検査の数値に応じて機械的に薬を選ぶことしかできない。従って、この連中はますます検査頼みとなり、患者を検査漬け・薬漬けにしてゆくしか能がない。60才以上の昔の医者とは大違いである。

岡田淳三郎  

2016年9月 4日 (日)

追求のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(2)

○CO2温暖化説の嘘
・そもそもこの10年間は地球の平均気温は上昇していない、むしろ低下。昨夏から北極の氷床は60%増えている。
・化石燃料を最も使った1940年から80年にかけて、平均気温は低下している。CO2濃度との相関関係はない。
・気温とCO2濃度の関係では、CO2濃度が上がると気温が上昇するのではなく、気温の上昇によってCO2濃度が上がるという関係が事実。(気温上昇によって海中のCO2が大気に放出されるため。) 因果関係が逆。
・CO2温暖化説の根拠は「温室効果」(二酸化炭素が熱の大気圏外放出を防いでいること)だが、温室効果の中心は水蒸気で97%の影響、CO2は3%の影響しかない。しかも大気中のCO2の熱吸収効率は飽和状態でCO2がこれ以上増えても殆ど影響がない。
・加えて動物やバクテリアが大気中に放出するCO2は、人間が工業等で放出する量の25倍。人間の放出量は殆ど影響がない。
・全ては原発等を推進するために政府が御用学者とマスコミを動員して作り出した屁理屈で、こんなものを未だに信じているのは世界でも日本だけ。

○プレート説の嘘
プレート説とは、地球は複数のプレートで覆われており、プレートが境界線で下に沈み込むことにより歪みがたまり、プレートが跳ね上がって地震が起こるという説。
・中国内陸での巨大地震など内陸での多数の地震は、プレート説では説明がつかない。またプレート境界上は地震地帯かつ火山地帯だが、プレート説では火山活動の説明がつかない。
・日本海溝~マリアナ海溝は深さ10kmの断崖絶壁。もしプレートが沈み込んでいるとすれば、プレート同士が削られてできた岩石の堆積物が海溝につもって海溝はなだらかになるはず。
・プレート説は地球内のマントルの対流によってプレートが動くという前提だが、1990年にマントルの大半が固まった岩石であることが判明。従って、対流はあり得ずプレート説は完全に崩壊する。
・この説の下敷きになったのは大陸移動説だが、これは現在の地図から見たアフリカ西海岸と南アメリカ東海岸の形が重なり合うことからの類推。しかし、大陸の形はわずか数万年で大きく変わる(水没など)ので、それは全く根拠にもならない学者たちの稚拙な誤り。
・現在、最も整合性が高い仮説は、マグマの通り道があり、その地球表面で火山や地震が多発する(その結果、プレートも出来た)という説。古い断層のすぐ近くに地震による新しい断層が出来るが、プレート説だと力学的にそれはあり得ない。他方、マグマ説だと、地震で出来た断層の底部はマグマによって再溶接されて強固になるので、同じ場所では古い断層は動き難いという事実とも整合する。

○栄養学の嘘
「栄養は食事から得られる」と信じられてきたが、どうやら近代科学は以下のような簡単な事実さえ解明できずに、誤った認識を広めてきたらしい。
現代の栄養学では、〔食物を燃やして発生した熱量-排泄物を燃やして発生した熱量〕でカロリーを算出しているが、この計算式には何の科学的根拠もない。なぜなら、食物は人体内部で燃焼する訳ではないからである。
例えば、牛は草だけを食べているが、牛は草の主成分であるセルロースを消化も吸収もできないので、摂取カロリーはゼロである。しかし、500kgを超す巨体に成長する。この謎を解く鍵は、腸内細菌にある。腸内に生息する大量の微生物が、セルロースを分解して栄養を作り出し、牛はそれを吸収して成長している。
人間の大腸にも数百種、約100兆個の「腸内細菌」が棲んでおり、実は、人間も体内で摂取する栄養の大半は、この腸内細菌が産出している。つまり、腸内細菌が食物を食べて(分解して)栄養素を作り出しているのである。ところが、人間はセルロース分解菌を持ちあわせていない。従って、人間は固い細胞壁を破ることができないので、青野菜からは全く何の栄養も得ることができない。
ところが、学者たちは、カロリー計算の場合と同様に、細胞膜の中にあるビタミンやミネラルその他の栄養素を計算して、「青野菜こそ、最高の健康食」というキャンペーン(例えば、ポパイのほうれん草の缶詰)を繰り返し、「栄養素が壊れることのない生野菜こそが最高」などと盲信している。これは、もはや学者たちの思い込みによる宗教であり、そんなものは科学でも何でもない。




岡田淳三郎

2016年9月 2日 (金)

追求のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(1)

○原発の危険を隠し続ける、政府・学者・マスコミ
・福島原発を巨大津波が襲う危険性が以前から指摘されていたにも係わらず「想定外の津波」と言い逃れ。
・法律の基準は1年間に1㍉シーベルト、しかし政府やマスコミは1時間あたりのシーベルト量にすり替えて「危険性はない」と発表。水や食品の安全基準も国際基準の200倍~300倍に引き上げて「安全宣言」。これらは、ペテン以外の何者でもない。
・事故後も「原発がないと電力が不足する」「原発事故で計画停電が必要」と電力不足をキャンペーン。実際は、法律によって、原発が停止した時にそれを補う火力・水力発電所の設置が義務づけられており、従って、電力は火力・水力だけで充分余っている。従って、原発の必要性は全くない。これも、政府と学者・マスコミがグルになって国民を騙すための大嘘である。
・現在も大気の放射能汚染は拡大、特に汚染排水による海水の放射能汚染は深刻。廃炉の見通しも立っていない。原発事故以降の日本人の年間死亡率は、太平洋戦争での年間死亡率を上回っている!
・要するに、政府も学者もマスコミも、国民の安全も顧みずに、ひたすら隠蔽と誤魔化しを重ね続けている。

○TPPの嘘
TPPの本命は、アメリカのグローバル企業群による医療・保険支配とグローバル企業に都合の良い知的財産権支配による日本の富の収奪であり、グローバル企業の狙いは、グローバル企業の言いなりになる国家に改造すること(つまり、グローバル企業が国家の上に立ち、グローバル企業群による世界支配体制を構築すること)なのに、政府・学者・マスコミはあたかも農産物だけが問題であるかのように争点隠し。これも、国民を騙すための陰謀である。

○小沢問題の嘘
これらグローバル企業群は、彼らの要求に従わない小沢を潰すべく、検察が罪状をデッチ上げて無理矢理送検し、それをマスコミが3年に亘って大々的に報道。今や、裁判所も検察もマスコミもグルになって国民を欺き、彼らのやりたい放題となっている。

○最大の嘘が不正選挙
・2012年衆院選は、原発が最大の争点。2013年参院選・都議選は、原発・TPP・消費税が最大の争点。前後する地方選ではいずれも自民は記録的大敗(埼玉、千葉、名古屋、静岡、安倍の地元下関、小泉の地元横須賀等)。それは、国民の過半が原発やTPPや消費税に反対しているという証拠。にも拘らず、衆院選・参院選・都議選とも、自民が圧勝。これは、票の不正集計以外に、あり得ない結果。
<不正を裏付ける証拠>
・高松市の選管局長と計算係が不正集計で逮捕。手口は白票の大幅水増し。他にも、伊丹市で、大量の水増し代筆が発覚。
・中央選管は、発表を一ヶ月延期し、証拠隠し(告訴の期限は選挙から30日ゆえ)。
・参院選については選挙無効の訴訟が東京だけでも100件。全国だとその数倍。しかし、高裁は即日結審のインチキ裁判で棄却。マスコミも一切報道せず。
・都議選では2012年の猪瀬と2013年の舛添の各市町村別の得票率が全く同じ。これはコンピューターで操作しない限り、あり得ない数字。
・開票集計システムはムサシという会社一社が独占(投票用紙の製造、投票箱の管理、集計ソフトの製作と管理の全て)。集計ソフトによる集計は誰も監視できない。
・各地で投票所に行列ができたにも拘らず、「投票率戦後最低」。無効票史上最高200万。多くの票が抹殺された疑い大。
・全国17都府県で投票終了時間を通告無しに1時間から4時間繰り上げ(福島にいたっては全投票所で終了繰り上げ)。終了時刻から集計開始までの間における投票箱の不正差し替えは、誰もチェックできない。

岡田淳三郎

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