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2016年8月27日 (土)

追求のススメ1.未知なる世界への収束と自考(3)

足の指が先祖返りして、それ以前の獣たちがそうであるように、足の指で枝を掴むことが出来なくなったカタワのサル=人類は、樹上に棲めるという本能上の武器を失った結果、想像を絶する様な過酷な自然圧力に直面した。とうてい外敵に対応できない原始人類は、洞窟に隠れ棲むしかなかったが、彼らは恒常的に飢えに苛(さいな)まれていた。だが、洞窟の外は外敵が一杯で、夜中に他の動物が喰い残した動物の死骸の骨を密猟するのが精一杯だったろう。(人類は、動物の骨の髄や脳みそをすすって生きてきた。)
つまり、人類は、外圧に対して、本能という機能でも共認機能でも適応できない、完全なる不適応態となってしまった。主体(本能・共認機能)と外圧(世界)が全く整合しない、全面的に不整合な世界=絶望的な逆境の中に置かれたのである。
彼らは常に生存の危機に晒されており、当然「どうする?」⇒「世界(自然)はどうなっている?」という未知への収束と自考回路に全面的に先端収束する。そして、人類は、直面する未知なる世界=不整合な自然世界を「なんとしても掴もう」と、自然を凝視し続けた。それは、生命の根源をなす適応本能(整合本能)と共認機能を深く結びつけることになった。そのようにして、みんなで毎日毎日自考し続ける、その中で、自考共認⇒自考充足の回路が、共認回路の奥深くに形成され、その共認充足が更に強く皆を自考に向かわせていった。

そして遂に、未知なる自然(例えば、一本一本の木)の背後に、整合する世界=精霊を措定する(=見る)。人類が万物の背後に見たこの精霊こそ、人類最初の観念であり、人類固有の観念機能の原点である。直面する未知なる世界(例えば自然)の背後に精霊を見るのも、物理法則を見るのも、基本的には全く同じ認識回路であり、従って精霊信仰こそ事実認識=科学認識の原点なのである。

生命は、常に最先端の可能性に収束する。サルは本能(という機能)の限界を突き破った共認機能に先端収束し、人類はその共認機能の限界を突き破った観念機能に先端収束する。かくして、人類は、生存課題の全てを本能⇒共認⇒観念へと先端収束させる事によって、観念機能を発達させ、その事実認識の蓄積によって生存様式(生産様式)を進化させていった。そして遂に1.3万年前、弓矢の発明によって外敵と対等以上に闘える段階にまで生存力を高め、過酷な生存圧力を克服していった。(更に、その後は、自然圧力を動物一般のレベル以下にまで低下させてきた。)
このように、人類は、その最先端の観念内容を組み換えることによって、極限的な生存圧力に適応してきたのである。
ここで、人類の意識構造に焦点を当てて見ると、人類の意識=脳回路は、哺乳類(原モグラ)時代に形成された本能(機能)の上に、サル時代に形成された共認機能が塗り重ねられ、その上に人類固有の観念機能が塗り重ねられて成り立っていることが分かる。(この、本能⇒共認⇒観念という人類の意識の三層構造は、脳回路や意識潮流の分析をはじめとする様々な問題を突破するために不可欠な認識である。)



岡田淳三郎 

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