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2016年8月23日 (火)

追求のススメ1.未知なる世界への収束と自考(1)

生きとし生けるものは、全て、外圧(外部世界)に対する適応態として存在している。従って、全ての生物にとって、外圧の把握が最先端の課題となるが、動物にとっては、獲物であれ敵であれ、それらは本能に対応した、言わば常態的な外圧であり対象である。
なぜなら、もともと本能は外圧に適応すべく形成されてきたものであり、従って本能と外圧は整合している。従って、本能を主体とする動物たちは、基本的に外圧と整合した世界で生きていると言えよう。

しかし、サルになると、世界は一変する。
サルは、足の指で枝を掴めるように進化したことによって、陸・海・空とは別の樹上という第四の世界を手に入れた。そこには、栄養価の高い果物や木の実がふんだんにあり、外敵に襲われる危険も少ない。かくして、樹上に棲息することによって最高の生産力と防衛力を手に入れたサルたちは、忽ち森林という森林を埋め尽くしてその食料限界まで繁殖していった。
しかし、樹上を埋め尽くして繁殖したサルたちは、絶えざる縄張り侵犯に頭を悩ませることになる。彼らの前に現れた世界は、同類同士で縄張り闘争を繰り広げるという、他の動物には見られない同類闘争の世界である。しかし、本能は、異種間の闘争に対応するために形成されたものであり、同類闘争に対応する本能など存在しない。かくして、サルたちは、本能では対応できない不整合な世界(未知なる世界)に足を踏み入れることになった。

同類闘争という未知なる世界に直面し不整合感に苛(さいな)まれることになった原猿たちは、この未知なる外圧に適応すべく、その不整合な世界の把握⇒自考という、この絶望的な逆境を突破し得る唯一の可能性を秘めた『自考』(自らの頭で考えること)という最先端の可能性に向けて本能などの全機能を一点に先端収束させた。
その未知なる世界とは、まさに同類の世界そのものであり、原猿たちは、未知なる世界の突破口(=整合の可能性)を同類=仲間に求め、仲間をとことん注視する。そして、互いに「どうする?」と相手を注視し続ける内に、遂に、相手も同じく自分に依存し期待している事を発見し(探り当て)、互いに、相手の課題⇒期待を自己の課題⇒期待として同一視し合うに至った。
自分以外は全て敵と思い、いつ襲われるか分からない状況下で怯えていた原猿にとって、「相手も同じく自分に依存し、期待しているんだ」という事を共認し合えた意味は大きく、双方に深い安心感を与え、互いの不全感(=不整合感)をかなり和らげることが出来た。



岡田淳三郎

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