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2016年8月31日 (水)

チベット仏教に代表される学問としての仏教

チベットは現在でもダライラマに代表される国家と宗教が一体化した国であり、仏教との関係は切っても切れない。チベットになぜこれほど精密なインド発の仏教が残っているか興味があった。

チベット仏教はイスラム教とヒンズー教で押されて消滅したインド仏教の受け入れ先であり、7、8世紀にそっくりインドの仏教思想が移動してきた。チベット仏教の特徴は小乗でも大乗でもなく、また神秘性に特化した密教でもない。チベット仏教をひと言で言うならば、民衆を教育する文化向上、実学として取り入れた。工学、医学、言語学、倫理学であり、仏教学はその一つに過ぎなかった。仏教がタイやスリランカ、ミャンマーなど周辺国に取り入れられた背景には文化的後進国であったそれらの国の導き役として機能した可能性がある。

以下はインターネット講座「チベット仏教文化」リンクより抜粋しました。
>チベット仏教は、もっぱら八世紀以降のインド後期仏教を受容しそれがチベット流に変容展開したものである。インド仏教は、大別するといわゆる小乗仏教と大乗仏教に分けられる。大乗仏教はさらに顕教と密教に分けられる。七、八世紀以降、インドでは、顕教の分野では例えば論理学や認識論という難解な学問が緻密に研究され、又密教の分野では、『大日経』『金剛頂経』以後に、中国、日本には伝わらなかった発達した密教が展開した。

これらのインド仏教の二つの側面が当時文化水準の低かったチベットにそっくり流れ込み、それがチベット古来の宗教とも習合しながらチベット独特の仏教を生み出していった。それは、一方では僧院のなかで綿密に組織されたカリキュラムにしたがって論理的に仏教教理を研究する顕教的側面と、他方では実践的な儀礼を重視する密教的側面が不離に連繋したかたちの仏教である。 
チベット仏教というと、一般に曼茶羅や父母仏に代表される神秘的な密教が連想されがちである。しかしチベットの僧侶、とくにダライラマ政権を樹立したチベット仏教最大宗派のゲルク派は、顕教の学習に非常な力を入れている。総じてチベットの僧院は、初歩的な読み書きから高度な仏教哲学まで教える総合教育機関の役割をはたしてきたと言える。

 インド以来の仏教の伝統に、「五明」という学問の枠組みがある。これは、菩薩が修行を重ねて最終的に一切智者のレヴェルに達するまでに修めるべき五つの学問分野で、一般につぎの五つがあげられる。
工巧明:工芸、美術、天文暦学。
医方明:薬学、医学。
声明:文法学、言語学。
因明:論理学。
内明:仏教学。 

五明のうち始めの四つは世俗の学問であり、にもかかわらずその学習が重視されたのは、「菩薩はある時は医術により人々を益して導く」「ある時は仏師絵師であり仏像を彫ったり仏画を画いたりして人々を導く」「ある時は異国の人や方言を話す人に不自由なく説法するために文法学や言語学に通じていなければならない」「ある時は異教徒を論破して仏教に改宗させるためには論理学にも通じていなければならない」という理由による。  

チベットでは古代から中世にかけて仏教を受け容れそれが定着していった。その理由は、より広くみるなら、チベット人はこうした「仏教のもつ文化としての総合性」に関心をもったからではないか。
チベット周辺の諸民族やモンゴル人がチベット仏教を採用したのも、それの宗教性もしくは神秘性に惹かれたというばかりでなく、むしろその文化的総合性をもって蒙昧な民衆を教化してゆくことを目的としたからだろう。

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