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2016年7月18日 (月)

経済学の勉強を始めて思うところ

 経済学を少し勉強してみてつくづく思うのは、絶対に経済学者に騙されてはならないということである。

 例えば、現代の経済学はアダム・スミス(1776)⇒ケインズ(1936)⇒フリードマン(1979)の3人の経済学者の理論が骨格になっているが【参考リンク】、その中で理論的土台を成すのは、アダム・スミスの『国富増大を担う経済主体は私益にしか関心がない』という認識である。私益にしか関心のない主体だから景気は乱高下を繰り返し(これをスミスは“神の見えざる手”と呼んだ)、その後社会が不況に陥るたびにその対策としてテクニカルな方策が打ち出されてきた。ケインズやフリードマンの財政理論や金融理論もその一類型だと思う。

 これらの経済理論が最早時代遅れであることには、身内の経済学者たちもさすがに気付き始めている。しかし、有効な新経済理論はどこからも出てこない。その根本原因は、アダム・スミスが個別経済主体の欲望を全面的に肯定した点が今もなお中高年世代(≒指導者層)の意識の中に残っているというのが一点、そしてもうひとつが、ほぼ全世代にわたって市場拡大の呪縛から脱却できていないという点だろう。

 若い世代はすでに私益主体から脱却できているので、こちらは言わば時間の問題だが、“市場拡大神話”は結構根深い。しかし、GDPの数%の増減など庶民生活にあまり関係がないということは実感ベースではわかり切ったことであるし、言われてみれば当り前のような話である。にもかかわらず、少し経済を勉強すると誰もがあっさり騙されてしまう。これこそ『騙し』『ペテン』『洗脳』の典型だ。

 政策レベルで捉えても、市場拡大路線に拘らなければ、おそらくもっと有効な策がどんどん打ち出せるはずだ。実際、ネット界にはアマチュアならではの奇想天外なヒントが山のように積み上がっているし、米国債やドルの暴落も、にっちもさっちも行かなくなった現在の市場社会を大転換させる絶好の機会というプラスの発想も出てくるだろう。また、るいネットや関連トラックバック投稿は非常に良くできた参考書になっている。

 そんな訳でこれからは、マスコミや学者に洗脳されると何も考えられなくなるということを四六時中念頭に置いて、必要なことを学んでいくor調べていくというスタンスを貫徹して行きたいと思っている。

匿名希望

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