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2016年7月12日 (火)

バルナバスの福音書②

引き続きつれづればなリンクより転載します。
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イエスはユダヤ人である。そして使徒たちも含めモーゼの教えを守る敬虔なユダヤ教徒であり、礼拝は会堂(シナゴーグ)にてトーラー(モーゼ五書)に沿ってなされた。キリスト教はユダヤ教徒と寸分の違いなき同じ信仰であるはずであった。が、時とともに解釈を曲げ偽善で塗り固められたユダヤ教はモーゼの言葉を受け入れられないほどに堕落した。
エルサレムのユダヤ教徒たちはイエスを弾圧した。神殿を商業施設として使い私服を肥やし、神を尊ぶふりをして実は物質を拝する、そして論理で武装し堕落を指摘する隙を与えないユダヤ人たちの態度をイエスが激しく叱責したからである。唯一神とその神殿を利用して富を築いたユダヤ教徒にとって純粋な正論を語るイエスは憎々しい存在であった。ユダヤ教徒の中でもサドカイ派とパリサイ派による迫害は苛烈を極めた。

弾圧者の筆頭に在ったパリサイ人(びと)のパウロはローマの市民権をもつユダヤ人であった。ある日、天空にイエスの姿を見てさらにその声―汝を異邦人への伝道者とせん―を聞き改心してイエスの教えに帰依する。当初はかつての迫害の恨みからユダヤ人たちから強く拒絶されはしたが、故郷に近いアンティオキア(現トルコ・アンタクヤ)で多神教徒(古代神を祀る偶像崇拝者)たちに対し熱心な伝道を行った。
イエスがこの世を後にしてからはその兄弟のヤコブ(聖マリアがイエスの後にヨセフとの間に得た子)がエルサレムの信徒たち(エルサレム教団)の指導者となっていた。そのヤコブにアンティオキアの噂が届くと様子を伺うため使者を立てるが、それに選ばれたのがパウロと旧知であったバルナバスである。
バルナバスが見たアンティオキア教会はいまだ多神教の影を纏うおよそ一神教とは言い難い有り様であった。まず割礼を行わなかった。安息日を守らなかった。そして手製の偶像の前で犠牲を屠り、その血と肉を口にした。しかしパウロをエルサレムに連れ帰りヤコブに引き合わせると、新たにモーゼの教えに触れたのであれば直ちに全てを実践するのは難しいであろう、偶像に捧げた犠牲の血肉から遠ざかりさえすれば神は汝らを拒みはしない、と、ヤコブは周囲の反対を押してアンティオキア教会を破門せずに受け入れた。その後パウロとバルナバスは伝道の道を共に歩んだ。
しかし「イエス」の在り方について論争が起こった。バルナバスは「イエスは人の子」であるとし、パウロは「イエスは神の子」であるとし、二人は激しく争った末に袂を別つ。傷心のバルナバスは故郷キプロスに戻りそこで生涯を閉じたとの伝説が残る。

弁論に長けたパリサイ人のパウロはやがて使徒として迎えられ、イエスの言行の解釈を明文化する上で絶大な功績を残したとされる。パウロの名を冠した数々の手紙は「パウロ書簡」として福音四書とともに新約聖書に含まれる。

エルサレムは多神教を奉じるローマ帝国の一属州であった。一神教の立場からローマの古代神を敬わないユダヤ教徒社会のエルサレムは(神へ情熱だけではないが)帝国と反目することになる。西暦70年、ユダヤ戦争でローマ帝国に敗れたユダヤ人はエルサレムから追い出される。ヤコブの率いるエルサレム教会も今のヨルダンへと活動の場を移した。しかし地理的に遠いアンティオキア教会は戦渦を逃れてそのまま存続し布教活動を続け帝国内に膨大な信徒を獲得した。やがてローマ帝国がキリスト教を容認しさらに国教とするに当たって中心に存在したのがアンティオキア教会の流れを汲むものたち、つまり多神教の要素を多分に含むパウロの弟子たちとそれに教化された信徒たちであった。彼らの考えと後に結びつくのは「神」とは「父なる創造主、子なるイエス、父が子に吹き込んだ精霊」の三位を一体とする理論である。

四世紀に入り、無尽蔵に拡大したローマ帝国を一つの共同体として掌握するための決め手に事欠いたコンスタンティヌス一世は信徒の増え続ける「イエスの信仰」を共同体意識として利用することに目をつけた。そのために混乱した教義を整理し正当教義を明示する必要に駆られたのである。口伝により広まったイエスの言行が遠く離れた各地で拾い集められ収められた福音書のその数は数千に及ぶ。どれが正典で、どれが外典で、どれが異端であるかを審理し「キリスト教」を確立するため325年、ニカイア(現トルコ・イズニク)にて初めての公会議が行われる。

審理の争点は「イエスの存在について」「三位一体論」の二つであった。しかしこの時代にはパウロの流れを汲む「イエスは神の子」と「父と子と精霊」という考えがすでに権威を得ており会議の流れはおのずと決められていた。そして採択されたのが「ニカイア信条」であり、膨大に集められた福音書のなかでニカイア信条に適う福音書はたったの四書、聖マタイ、聖マルコ、聖ルカ、聖ヨハネの名を冠するその四書のみである。しかし「冠している」だけで実際に誰がいつ書いたものであるかなどは学説ばかりで実は不明である。ただし共通項として「三位一体と神の子イエス」があることを踏まえればこの四書は「パウロの福音書」と呼ぶことが出来よう。こうしてモーゼの教えと決別して確立したのが「キリスト教」である。「イエスの信仰」とは別のものである。
異端とされたほかの福音書は炎にくべられた。異端として追放されたアリウス派をはじめとする諸派は隠し持った福音書を手に東方へと逃れ、岩窟に地下都市を築き隠遁の時代をすごす。

「三位一体」の構造をなぜ一神教が許さないか、それは正しい説明が広くなされていないのでここに記しておく。
「神」とは「在りて在るもの」である。その存在の原因は存在せず、その存在は何者にも依存しない。誰からも生まれず、そして誰も生まない。そして人の姿はおろかどのような姿をも持ち合わせない「みえぬ存在」、つまり「非物質」である。肉体を持ったイエスを神の子とするのはイエスを媒体として神を物質化することである。物質化された神と神格化されたイエスは「同質」となり人々は目に見えるイエスを直接「神」として見てしまう、ここですでにキリスト教が創造主をおいてほかに神はなしとする一神教の原則から外れたことになる。ユダヤ教、原初キリスト教、後のイスラ―ムにおいても預言者(アダム、ノア、アブラハム、モーゼ、ダヴィデ、イエス、ムハンマド、そのほか大勢)は神の言葉を託されただけであり神そのもの、或いは同質などとはされていない。また、神像やイコンのみならず偶像とはあらゆる物質がそれになり得るのである。肉体とてその内に入る。人の子が何物かに価値を置き固執し、そのために自己や他人を、社会を、国家を犠牲にささげることこそが偶像崇拝である。そして現代、最も身近な偶像は貨幣である。
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続く

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