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2016年7月22日 (金)

『続・日本の歴史をよみなおす』網野善彦著 その3

その3
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【村とされた都市】

 輪島の七一%の頭振(水呑)の中には、漆器職人、素麺(そうめん)職人、さらにそれらの販売にたずさわる大商人、あるいは北前船を持つ廻船商人などがたくさんいたことは間違いないところですし、百姓の中にも、輪島の有力な商人がいたことも明らかなのです。先ほどもふれましたように、輪島の頭振(水呑)の中には、土地を〔持てない〕人ではなくて、土地を〔持つ必要のない〕人がたくさんいたことは明白といってよいのです。とすると、百姓を農民、水呑を貧農と思いこんだために、われわれはこれまで深刻な誤りをおかしてきたことになります。
(《続・日本の歴史をよみなおす 第一章 日本の社会は農業社会か》P.249)

 またこの食野の一族で、井原西鶴が『日本永代蔵』の冒頭で、「波風静かに神通丸」、「三千七百石つみても足かろく、北国の海を自在に乗て云々」と述べた、和泉の唐金(からかね)屋も、佐野浦の百姓であることが確認できます。このように、江戸時代の日本列島の海辺には、百姓、水呑で、時国家や柴草屋と同じように、大規模な廻船業を営んでいる家は、無数にあるといっても差し支えないと思います。
(《続・日本の歴史をよみなおす 第一章 日本の社会は農業社会か》P.253)

 実際、日本列島は、三千七百以上の島々からなり、海岸線は二万八千キロメートルにおよび、農耕地になりうる低地、台地は二十五%ぐらいしかないのです。能登半島のような地形は日本列島の半島や島のいたるところにありますし、中世以前にさかのぼると、地形は現在とはだいぶ違っています。たとえば、能登半島の町野川河口の小さな潟は、いまはほとんど消えてしまいましたけれども、昔ははるかに大きかったと見られますし、日本海海辺のいたるところにこのような潟があったことがわかっています。
(《続・日本の歴史をよみなおす 第一章 日本の社会は農業社会か》P.253)

 また太平洋岸でも、岐阜県は、いまは海のない県といわれていますが、古代には大垣の近くまで海が入っていたのです。かつて伊勢湾台風で水に浸かったところは、もとは海だったところだといわれている地帯ですし、大阪湾も同様に広く、南関東も、水郷地帯といってもよいほど水びたしでした。
(《続・日本の歴史をよみなおす 第一章 日本の社会は農業社会か》P.253)

 このように、中世以前の地形にまでさかのぼりますと、能登半島についてのべてきたようなことは、日本列島の全体にあてはまるに相違ありません。そしてそうなりますと、日本列島の社会が、農民が人口の圧倒的多数をしめる農業社会であったという常識も、おのずと完全に覆るといわざるをえないわけです。
(《続・日本の歴史をよみなおす 第一章 日本の社会は農業社会か》P.253~254)

 しかしこれまで、私もふくめて、一般的に歴史家はこのようには考えてきませんでした。二十年ほど前に私は『日本中世の民衆像』という岩波新書を出しましたが、そのころ中世の百姓が農民だけではないことははっきりと気がついていました。それは百姓の負担する年貢のうち年貢米はむしろ少数派で、絹、布、塩、鉄、油などが年貢になっていることがわかっていましたので、中世の百姓は、決して農民などとはいえないと思っていたのです。 けれども、江戸時代に入れば、農業が発達したことも確実なので、「お百姓さんといわれるように、百姓は農民と解してもいいと思います」などと、この本には書いてあります。そのため新しく刷られた本には補注を書き入れ、これが間違いであるとはっきり書きましたが、十年前は私もその程度の認識でした。
(《続・日本の歴史をよみなおす 第一章 日本の社会は農業社会か》P.254~255)

【水田に賦課された租税】
 では、どうして日本人はこういう誤った思いこみを長年にわたってしてきてしまったのか、これが大問題なのです。ちょっと考えればすぐわかるように、百姓ということばは、本来、たくさんの姓を持った一般の人民という意味以上でも以下でもなく、このことば自体には、農民という意味はまったくふくまれていません。古代の和訓では「おおみたから」と読まれていると思いますが、これにも農民の意味は入っていません。
 現在の中国や韓国では、「百姓」ということばは意味どおりに使われています。ですから、中国人の留学生に、「あなたの国で使っている『百姓』をどのように日本語に訳しますか」と訊いてみましたら、しばらく考えて「普通の人」と答えました。
 そのとおりなのだろうと思うのです。士大夫(したいふ)、つまり官僚でない一般の人民を百姓と呼ぶのが普通の用法なので、現在でもそのまま用いられているのだと思います。その留学生は、日本に来て「百姓」というとみなが農民だと思っていることに、最初は違和感を持ったといっておりましたが、まことに当然なことで、百姓は本来、農民の意味はまったくふくまれていないのです。
(《続・日本の歴史をよみなおす 第一章 日本の社会は農業社会か》P.257~258)

 村も同じで、これも群に語源のあることばですから、本来、農村の意味はないのです。にもかかわらず、厳密に実証的でなくてはならない歴史家、科学的な歴史学を強調している歴史家たちが、史料に現われることばを、使われている当時の意味にそくして解釈するという実証主義の原則、科学的歴史学の鉄則を忘れて、なぜ百姓という語をはじめから農民と思いこんで史料を読むというもっとも初歩的な誤りを犯しつづけてきたのか。私も同様だったのですから決して偉そうなことはいえないのですが、これは非常に大きな問題で、簡単に解答を出し切ることはむずかしいのです。しかし、いくつかの原因をあげることは可能だと思います。
(《続・日本の歴史をよみなおす 第一章 日本の社会は農業社会か》P.258)
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岸良造 

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