« 2016年4月 | トップページ | 2016年6月 »

2016年5月

2016年5月31日 (火)

実現論:序1(上) 近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機

*これは、7~8月の投稿群を実現論 序としてまとめ直したものです。 【いま求められるのは、運動論の提示】 東北大震災と原発災害を受けて、人々の意識が大きく動き出したようで、大転換の時が近づいているように感じる。 もちろん、その背後には、押し寄せる幾重にも重なった危機のうねりがある。 とすれば、この危機を乗り越え、次の新しい社会をどう実現してゆくか、その具体的な運動論の提起が急がれるように思う。 私は40年前、チンケな運動を総括し、より現実に密着した運動として共同体企業の建設を提起し、現在も共同体企業(類グループ)を経営中である。 そして社会変革については、その実現基盤を探るべく、原始社会やサル社会にまで遡って、社会構造の解明に取り組んできた。まだまだ解明しきれていない部分も多いが、もはや時間がない。やや見切り発車となるが、そろそろ具体的な実現過程に浮上する時がきたようである。 運動論を考えるにあたって、まず現在の世界状況を概観しておこう。 原発事故で大量の放射性物質が、大気中や大海中に放出された。 それでも多くの人は、安全視して普通に生活しているが、それは表面だけで、心中の不安は消えないでいる。むしろ今後は、時が経つにつれて、放射能被害の深刻さが明らかになってゆくだろう。日本の政府やマスコミが、どれだけ事実を隠蔽し、デマを流そうとも、世界が福島を注視しており、事実に近い情報が明るみに出てくるからである。 問題は、原発だけではない。原発事故の引き金になったのは地震だが、数年前から、世界中で地震や噴火や旱魃や洪水が急増しており、しかもその頻度が増してきている。どうやら地球は、大きな変動期に入ったようである。 その上、世界を支配する勢力の一派は、連日、ケムトレイルと呼ばれる各種の微細な金属粉の空中散布を続けており、加えて、電磁波を照射して、電離層に穴を開けたり膨らませたりして気象を操作する気象兵器を実戦発動中である。しかも、このHAARPと呼ばれる気象兵器は、地震を起こすこともできる地震兵器だとも言われている。 それだけではない。 先進国をはじめ世界中の国家が、これまで膨大な額の国債を発行し続けてきた結果、今や、いつ国債が暴落してもおかしくない状態にある。現在の世界経済は、国債の発行を主力エンジンとして回っているので、もし国債が暴落すれば、市場は崩壊する。 つまり、先進国をはじめ世界各国は、市場崩壊の危機に直面しており、それは、中国をはじめ中東や欧米をも含む世界各地での暴動の頻発としても、表面化してきている。 このまま市場が崩壊すれば、資本主義は終焉する。実は、上記の気象兵器の発動も、崩壊寸前に追い詰められた支配勢力の一派の、最後の悪あがきである。 【答えを出せない学者・官僚・マスコミ】 これら地球危機と経済危機に伴う破局現象は、これから世界各地で毎月のように発生し、その頻度を増してゆくだろう。 そこから人々が、人類滅亡の危機を感じ取ったとしてもおかしくはない。実際、書店でもネットでも、「これからどうなるの?」という人々の関心に応えて、滅亡論や予知・予言系の情報が出回っている。 滅亡論や予知・予言の当否はともかくとして、改めて周りを振り返ってみれば、たしかにかなり前から、国家も企業も家庭も、全てが機能不全に陥っておかしくなっており、あらゆる面で人々の活力が衰弱してきている。しかも、その上に地球危機と経済危機が迫ってきている訳で、どうやらこの社会は、全面閉塞の果てに、遂に全面崩壊の危機に陥ったようである。 ところが、この社会が全面閉塞に陥った’90年から数えても既に20年も経過しているにも関わらず、社会をリードすべき学者や官僚やマスコミのどこからも、いまだに大転換の方向を指し示す答えは出てこない。 むしろ、この社会を統合してきた学者や官僚やマスコミが、何の答えも出せず、まったく機能しなくなったからこそ、社会は全面閉塞に陥り、その果てに全面崩壊の危機に立ち至ったのだと見るべきだろう。 いったい、何故こんなことになってしまったのか? 近代社会(=市場社会)は、民主主義や市場主義に代表される近代思想に導かれて発展してきた。 しかしその結果が、人類滅亡の危機だとしたら、この社会を導いてきた民主主義や市場主義などの近代思想が、根本的に誤っていたことになる。少なくとも、全面崩壊の危機から脱出できない現状は、近代思想がこの危機に対してまったく無効であることを示している。 それも当然で、もともと市場社会を導いてきた近代思想こそがこの危機を生み出したのであって、その近代思想が答えを出せないのは必定だからである。 従って、この危機を突破するためには、根底からの認識転換が必要になる。 ところが、学者や官僚(司法を含む)や物書き(ジャーナリストを含む)は、その近代思想を飯のタネにしているので、その思想=旧観念を捨てることが出来ない。もし捨てれば、何も書けなくなり、たちまち、その地位を追われる。 従って、彼らは決して転換できず、近代思想に代わる新理論=答えを生み出すことができない。その結果、どこからも答えが出てこないので、社会は全面閉塞に陥り、ついに全面崩壊の危機を迎えたのである。 ところが、彼ら統合階級は、いたく近代思想を信奉しているので、自分たちが社会を崩壊に導いたA級戦犯であるという自覚が全くない。まったく、どうしようもない連中である。今や、大学や官庁やマスコミに巣食う統合階級は、無駄メシ食いどころか、人類を滅亡に導く狂信集団に成り果てたと見るべきだろう。

岡田淳三郎

2016年5月29日 (日)

明治以降の皇室の正体①

太田龍著『天皇破壊史』よりの抜粋を紹介します。ユダヤ・イルミナテイと日本の皇室との関係がよくわかります。後はそれを踏まえて縄文日本原住民以来の日本民族が自覚するかにかかっている。 阿修羅『太田龍の偉業に敬意を表して捧げます』リンクより転載します。 -------------------------------------------------------------- 天皇ー。 この言葉は勿論、中国風漢字の表現であって、本来の「やまとことば」、 縄文日本原住民の言葉ではない。 天皇ーこれは音読み。そしてこの字に対する訓読みは存在しない。 天皇はともかくとして、「天皇陛下」という言葉を考えてみる。 「陛下」とは何のことか。これは純然たる中国風である。 「陛」とは階段のこと。つまり、階段の上に皇帝の玉座がある。 陛下とは、その階段の下との意味だが、 中国風、西洋風をごったまぜにした日本ではそれは、 天皇、皇后、皇太后、太皇太后に対する敬称だとされる。 このような呼称が、縄文日本原住民の伝統に由来する 「すめらみこと」とうまく折り合うのであろうか。 明治以降、天皇はエンペラーと英訳される。 しかしエンペラーとは何ものか。 それは古代ローマに由来する。それが中国式の名前を借りて「皇帝」と翻訳された。 ローマの「エンペラー」は軍団長、軍団の最高指揮官から発して、 何十人もの軍団長のなかの最も猛々しい、最も冷酷無比、大虐殺民族皆殺しを実行しうる能力を証明した将軍がエンペラー、すなわちローマ軍最高司令官に推載される。 そんな仕組みである。 このような愚劣で低劣、悪逆無道なサタニストを、 縄文日本「すめらみこと」と一緒にすることが許されるのだろうか。 日本のすめらみことは、未だかつて、ローマ皇帝中国歴代皇帝のように、 軍の最高統帥権であったことはない。しかし、問題は別のところにある。 漱石が「馬鹿と自惚れと弘毅を兼ね備えた病人」と批判したその維新の元勲とは、まさにこの伊藤を指す。彼は、初代内閣総理大臣であるのみならず、明治二十二年に発布された大日本国帝国憲法制定の中心人物でもあった。 「大日本帝国憲法は万世一系の天皇、これを統治す。天皇は神聖にして侵すべからず」と記した・・・ しかしその伊藤自身が慶応二年(一八六六年)十二月、長州忍者部隊を率いて、孝明天皇シイ逆の実行部隊の前線指揮を執ったという。 孝明天皇シイ逆の首謀勢力は、長州と岩倉、そして伊藤博文の指揮する長州忍者部隊、さらに孝明天皇のお側近くで内通していた主犯は岩倉の妹、堀河紀子で、間もなく岩倉らは証拠隠滅のために、堀河紀子を暗殺せしめたとも伝えられる。 伊藤の主導下で公布された明治大日本帝国憲法下、初の総選挙によって第一次帝国議会(衆議院)が明治二十三年に選出された。 山蔭基央(やまかげもとひさ)の山蔭神道機関誌「己貴(めざめ)」によれば、このとき心ある公家はその前途を、「今上帝は金帝であろう、しかし、その次の帝は銀帝、その次は銅帝、その次は泥帝(どろてい)、そして五代目は哀帝(あいてい)」と占ったという。 これをその後の歴史に当てはめれば、明治天皇は金帝、大正天皇は銀帝、昭和天皇は銅帝、平成天皇は泥帝となる。そしてその次は哀帝。つまるところ廃帝になると。 平成天皇は泥帝。泥帝とは泥舟。間もなく浸水して沈没する運命で平成の次の代で日本の天皇制は消滅するという。現在の日本の世相そのものではないか。 この悲しむべき予測が公家によってなされたところが深刻だ。 京都に縁の深い公家たちは、維新の舞台裏、その真相を非常によく知っていたからである。 明治前半期までは幕末明治初年の史実は昨日のことのように生々しい現実で、孝明天皇シイ逆事件の内幕など、当時の公家たちにとっては常識にすぎなかった。 しかし、このニセモノ日本の体制に流され、迎合していく人の心と魂は、 たちまちのうちに底なし腐敗の沼に引きずり込まれていく。 フリーメーソンについて最低の知識教養なしに、明治天皇と明治時代を語ることは無意味だ。 『フリーメーソン会員が第三十三階級に到達すると、その人物は如何なる悪事をも働く用意が 出来ている。殺人などごく些細な事件である。戦争と革命は、彼らの仕事の一部に過ぎない。 「神に敵対する戦争」及び「キリスト教に対する戦争」は第三十三階級のフリーメーソンの 秘密集会における、お気に入りの題目である』(ジョン・コールマン著『フリーメーソン再論』) 近代地政学の元祖を、日本人はドイツ人(ハウスホーファー)と錯覚させられているが、元祖は大英帝国で、とりわけ英国東インド会社(BEIC)が地政学に秀でていた。 アダム・スミスが、この英国インド会社お抱え学者であったことを、日本人は全く知らされていない。 十九世紀半ば、インドが公式に英国女王を元首とする大英帝国の領土となり、それに伴い、 東インド会社が清算され、東インド会社「三百人評議会」を母体として、新たに極秘のうちに 「三百人委員会」が組織された。その移行に約五十年を費やし、おおむね一八九七年前後に正式に新たな「三百人委員会」は発足したといわれている。(前掲書) 英国王室は「The Order」を維持している。 日本の天皇が、英国王から「ガーター勲章」を受け取るということは、この「Order」の中に組み込まれることを意味する。この場合の「勲章」は「オーダー」であって「メダル」ではない。 つい最近まで日本人は誰ひとり、そのことに気づかなかった。私が平成四、五年、ジョン・コールマン博士の『300人委員会』を手に入れて読破し、その重大性を知って、日本の人々に紹介し始めるまでは。 大正天皇は、即位前も即位後も病弱であって印象は薄い。英国から見て、とりたてて功績というのほどのこともない。にも拘わらず、英国が大正天皇にもガーター勲章を与えたという ことは、「彼等」が日本の天皇、皇室を、代々世襲デガーター結社員あるいはガーター騎士団員として認証し、取り込むことに成功したということを意味する。日本民族にとって、大正時代、これ以上に重要な事件は一件もないと私には見える。 昭和天皇は、敗戦後かなり経過してから記者会見の場において、生涯を振り返って最も楽しかったのは、 大正十年、皇太子時代、英国を訪問し、英国王室から歓待されたという体験だとの主旨のことを述べられた。昭和天皇のこの言ほど、日本民族や神国日本にとって、屈辱的なものはあり得ないと私には思える。単なる恥辱に留まらない。それは、そのまま放置すれば、確実に神国日本の死に至る、 大量の猛毒が日本民族の体内に注入されてしまったことを意味する。 ------------------------------------------------------------- 続く

2016年5月27日 (金)

労働とは明治維新以後に"Labour"に対する語として作られた造語

労働において賃金とともに時間は重要な要素となります。日本人の労働観に関する考察を紹介します。 ----------------------------------------------------------- 「仕事と日本人」武田 晴人 著 現代の日本人は人生の大半を働くことに費やしています。その現代の労働観は明治維新以降に成立した新しい概念であり、江戸時代の日本人の働くことと、今とは大きく違っていました。そんな日本人の労働観の成立から変遷までの流れを日本経済史の専門家である著者が概説した力作が本書です。 労働とは明治維新以後に"Labour"に対する語として作られた造語であり、それ以前は労働という言葉自体が無かった。近代は時間を基準にした規律が成立した時代であり、近代の労働観は時間を有効に使って働くことが勤勉であるとされ、成功は時間で測られるようになった。これに対して近代以前は日本でも西欧でも産業革命以前はそうであったように「時間に追われるような形で行動を律していなかった」ということであると言える。 時間に追われないとは言え、ぐだぐだとはたらいていたわけではない。例えば江戸時代の農民は長時間労働をしていた。それは勤勉革命と呼ばれる現象の影響が大きい。 農民は領主に隷属していたが、江戸時代以降身分的な隷属から解き放たれて地位が向上した。 その結果、「農業経営に対して自身が責任を負うシステム」が構築され、農業経営の裁量権を農家の大黒柱に与えたことで、生産性が飛躍的に向上した。それは資本投資による労働生産性の上昇ではなく、労働集約的な農業生産のあり方を徹底した結果だった。 そのため、農家はかなり長時間にわたって農作業に自主的に従事していたようです。 経済学者のトマス・スミスは日本の農民の働く姿を「自然の条件に左右されるにもかかわらず、日本の農民たちは、自然の変化にただ流されるのではなく、計画性を追求していた。」と言いました。 農書「百姓伝記」など農作業の計画性を重視した、今で言うライフハック的書物も多数あり、それらは「繰り返し農民たちに時間の管理の大切さを訴えてい」たようです。 しかし、延々はたらきっぱなしだったかと言うとそうではなく、休日数は増加していたことが資料上もあきらかで、勤勉さによって生産性を向上させ、仕事のやりくりに熟達していったということでした。 明治維新以前、分業と協業という経済システムの成立する以前のはたらき方は、課題を一人でマネージメントし、多様な内容を家族の中で分担するような形で、多様性のある課題をこなすために、農民であると同時に大工技術を身につけているなど、村の中では職業自体分化していなかったようです。 「労働」という言葉が誕生する前の時代には、(中略)さまざまな仕事を課題とか課業として組み合わせてこなすために時間に対して独自の考え方を育て、裁量的に毎日取り組んでいたことになります。 そのようなはたらき方をしていた日本に労働という概念が持ち込まれます。 労働とは造語だと書きましたが、"はたらく"のそもそもの意味は「人が動くことをあらわし、その結果としての効果も含む」ということだったようです。そして労という字の本来の意味は「日常的とはいえない災禍などの出来事のときに「力を出すこと」で、つまり、「骨を折ってはたらく」のが労働だと言える。 これは西欧の"Labour"という語の背景にある概念を的確に翻訳したものです。 伝統的なヨーロッパ社会においては"Labour"は奴隷が行うものであり、人間活動の基本的要素とは考えられていなかった。奴隷制から時を経てキリスト教的世界観においては労働は原罪の故に行わなければならないものであると捉えられ、さらに家族の中で収益性のある労働と、家事労働など収益に直接結びつかない労働が別々の場所で行われるようになり、労働が分離される。つまり労働にかける時間は少なければ少ないほど良いという価値観が西欧の伝統的な労働観で、これが日本に輸入された。 ただ、ウェーバーが賞賛する中産的農民の資本主義の精神は「節約し、貯蓄して、再投資するところにその真髄があ」り、「他人に指図されて「骨折り仕事をする」というようなものではな」く、「西欧社会では「骨折り仕事」や肉体労働は、身分的に不自由な人たち、たとえば奴隷たちの労働と、その観念としては共通していた」 つまり、日本に輸入された労働観は西欧の奴隷制に端を発する考え方であったといえます。 kousyoublog(リンク)様より引用 ----------------------------------------------------------- このなかでは、特に以下が注目されます。 ●労働とは明治維新以後に"Labour"に対する語として作られた造語であり、それ以前は労働という言葉自体が無かった。近代は時間を基準にした規律が成立した時代であり、近代の労働観は時間を有効に使って働くことが勤勉であるとされ、成功は時間で測られるようになった。これに対して近代以前は日本でも西欧でも産業革命以前はそうであったように「時間に追われるような形で行動を律していなかった」ということであると言える。 →「労働」という言葉は造語というのは新鮮です。現代の日本では当たり前に思われている労働とは、せいぜい150年ほどの歴史しかない。そして、近代以前の社会では、時間に追われるようなことはなかったというのも興味深い。 ●農民は領主に隷属していたが、江戸時代以降身分的な隷属から解き放たれて地位が向上した。  その結果、「農業経営に対して自身が責任を負うシステム」が構築され、農業経営の裁量権を農家の大黒柱に与えたことで、生産性が飛躍的に向上 →農民は長時間働かされてきたというイメージがありますが、江戸になってかうら農業経営を自ら担えるようになり、生産性は飛躍的に向上したとのこと。 ●「労働」という言葉が誕生する前の時代には、(中略)さまざまな仕事を課題とか課業として組み合わせてこなすために時間に対して独自の考え方を育て、裁量的に毎日取り組んでいたことになります。 →これは、まさに現在の裁量労働と同じく、人は自らが判断し自主的に行う労働においては活力と生産性があがる証左ではないでしょうか? つまり、近代の工業生産社会における「労働(労働内容を指示され時間や成果を管理される)」が広まっていくにつれて、本来の「はたらく」ことに比べて、生産性も充足も大きく低下していったのではないかと考えられます。自主的な働き方、みずから裁量権を持てる働き方、奴隷的な立場から自身が責任を負う働き方、人間にとって真の生産性上昇とやりがいや充足をもたらす働き方とは、近代労働概念にとらわれないところに答えがあるように思われます。

center_axis

2016年5月25日 (水)

原発:近代科学原理主義者たちの産物

「想定外」。このたびの原発事故で関係者(科学技術者)が発した言葉だ。 この言葉を聞いた我々一般大衆は「そんなことも想定していなかったのか」と呆れ、ことの重大さ対する関係者の傍観的姿勢に怒りを禁じえない。 しかし、冷静になって考えてみれば、この「想定外」という発言は、学者自らが近代科学の重大な欠点に気づいていないことを示している。 近代科学は、ある一定の条件下でだけ成立する法則の集合体だ。あたかも全ての条件下で適用可能な一般法則のように思われているが、実は違う。万能性はない。しかも、この欠陥を逆に捉えると、恣意的に条件を変えれば、自らの都合が良いように特定の結果を導く事が出来る。ここに近代科学が万能であるという妄信が加われば、恣意的に操作した結果得た答えでさえ、万能性のもとに得た最良な結果である、という妄信が生ずる。 今回の原発事故は、そのようにして生じた。 どこまでの事態を勘案するか、恣意的に条件設定したにも関わらず、あたかもそれが万能であるかのような「安全」という答えを導いた。そして、恣意的な条件操作をした際に抜け落ちた、もしくは、作為的にに勘案しなかった部分が「想定外」だったのである。 恣意的な操作をしているにも関わらず、それを万能と思い込むことは、もはや原理主義といっていい。「想定外」という発言がでる時点で、自らが恣意的な操作をした事を認めていない。当然、自らが信仰する近代科学の重大な欠陥には気づいていない。恣意的な操作をしたことを「意図してやったわけではない」という発言は、自己正当化を通り越して完全に思い込みの世界である。 そのような原理主義者が立派な学者として崇められているらしい。恐ろしい事だとしかいえない。 我々は、原発を生み出したのは、近代科学原理主義者たちであると知ると同時に、そのような危険人物が特権階級に居座っていることを知らなくてはならない。  HAYABUSA 

2016年5月23日 (月)

’10年末なんで屋劇場レポート1~人類史を追求する意義と視点

’10年末なんで屋劇場のテーマは人類史の追求という決して万人受けする内容ではないにもかかわらず、多数の来場があり、まさに課題収束という意識潮流を象徴するような追求の場となった。「モンゴロイドの歴史」の概略は既に投稿されている243120、243121、243124、243125、243129、243130 が、以下に、劇場でさらなる追求を行った部分をレポートする。 ● 今何故、人類史を追求するのか? 経済情勢はドル・米国債の暴落へと向かっており、少なくとも21世紀初頭には世界は大転換を向かえるだろう。それはこれまでの追求によれば、おそらく西洋文明から東洋文明への転換ということになると予測される。我々の進むべき方向性はどこにあるのか?激動の時代を生き残っていく可能性のある民族はだれか?そもそも私たち日本人の祖先とは?こうした疑問に、まずはしっかりと歴史的事実を踏まえて答えを出していくことが今、必要とされている。 このことは言い換えれば、激動の時代には新たな可能性を切り開いていく新理論が求められる、ということでもある。新理論への期待に応えるものとしては既に「実現論」がある。ただし実現論は「前史及び始原人類の時代」についての考察は十分、新理論期待に応えるものとなっているが、私権時代(所謂、文明誕生以降の歴史時代)については、不十分かつ、実現論公開後にも新認識が登場しており、改訂を必要としている。そこで、来るべき、理論収束に向けて、前回より、実現論・私権時代の書き換えに着手している。今回は、3000年前までのモンゴロイドの歴史(東洋史)について追求する。 ●人類史を考える上での学説の取り扱い方について 今回、モンゴロイドの歴史の考察にはY染色体遺伝子分析の研究資料を用いている。しかし、遺伝子分析を鵜呑みにしてはならない、という点は最初に付け加えておく。そもそも現時点では全遺伝子が解明された訳ではない。タンパク質合成に無関係とされる非コード領域については明らかにされていないし、遺伝子相互の関連性も不明である。そのような状況で、たったひとつの遺伝子を取り上げて一体、何がいえるのか?という根本的な疑問がある。実際、モンゴドイドの遺伝子分析については日本の研究者である崎谷氏と、その元資料ともいえるアトラスでは、年代に2~3倍の開きがあるという状態である。 それに分子時計というモノサシを使って、しかも現在の人々の遺伝子を見比べて、どこで別れたか、という逆算をしているが、この分子時計についてもまだまだ科学的事実といえる根拠は乏しい。 また、現生人類はアフリカのたった一人の女性から枝分かれしたとするミトコンドリア・イブ説も、極めて疑わしい説である。そもそも、最末端から出発して、その元は?、更にその元は?とたどってゆけば、最後は必ず一人にゆきつくが、そのような発想法そのものが根本的な誤りなのではないだろうか。最近、新人は旧人とも交配したとされているが、系統樹は末広がり形だけでなく、その逆の混血による末窄まりの系統樹も想定され、実際には末広がりと末窄まりの系統樹を重ね合わせたような形になっていると考えられる。 従って、まだまだ幼稚な遺伝子研究に基づく説だけではなく、遺跡考古学や環境考古学とも組み合わせて考える必要がある。少なくとも現在の学問状況から言えば、遺跡の方が信頼度は高いと考えるべきであろう。今回作成した年表も、遺跡考古学とつき合わせて作成したものである。

2016年5月21日 (土)

余計なものに捉われず、まっすぐ充足に向かえばいい☆

先日、お子さんがいる先輩たちと子供たちも一緒に集まって、一緒にご飯を作って食べたり、遊んだりしました♪
そこで、子供たちと遊んでいて、はっとしたことがあったんです!

私と先輩が並んで座ってたら、子供が一度私のひざの上に座ってから、「やっぱりこっち~」って隣の先輩のひざの上に座りました。
私が、「嫌われた~(;;)」と思わず言ってしまったんですが、その子は「嫌いじゃないよ??好きだよー☆」って伝えてくれたんです!

よくよく考えたら、その先輩はさっき来たばかりだから、子供にとっては、早く仲良くなりたい☆って充足の方にまっすぐに向かっただけ◎

なのに、大人の私は意識しなくても余計なことを考えちゃってる(言葉にしちゃってる)ことに気付いたんです!

これって、普段でもよくあることだなあと感じました。
余計な捉え方・観念で、充足・可能性にに向かうことを見失ってしまってる(><)

ただ、余計なものに捉われず、まっすぐ充足に向かえばいい☆

常に充足まっしぐらな子供たちから、とっても学ばせてもらいました(*^^*)

安部真未  

2016年5月19日 (木)

「性」に肯定的なイスラム教

>私たちが抱くイスラムの女性のイメージは、ベールをかぶって、肌も出せない=不便な生活を強いられているというものだったりしませんか。そして、そのようなイメージや一夫多妻制などから連想して、イスラムの女性は虐げられている(≒軽んじられている)という印象を多くの人がもっていると思います。ところが、実は、全く違う。そのような印象は偏見であるということを知りました。(214307

私もイスラム教に対しては、女性に対して抑圧的なイメージを持っていましたが、イスラム教における女性観を追求する中で、そのようなイメージは西洋(キリスト教)的価値観から見た、極めて一面的な偏見であることが解りました。

以下、「イスラムと女性」(リンク)より引用。
********************************************************************
クルアーンによれば、すべてのものは番(つがい)に創られ、夫と妻が慈しみ合うのもアッラーの徴にほかならない。

『大地から生えるもの、彼ら自身、そして彼らの知らないものもすべて雌雄に創り給うた方のいと尊きかな。』(第36章[ヤーシーン]36節)
『彼こそは一個の魂からおまえたちを創造し、そこから妻を造り、彼女の許に安住させ給うた方。』(第7章[高壁]189節)

『おまえたち自身からおまえたちのために同棲する妻を造り給い、おまえたちの間に情熱と同情の心を設け給うたのも彼(アッラー)の御徴のひとつである。』(第30章[ビザンチン]21節)

『おまえたちのうちの独身者、またおまえたちの男女奴隷のうち善良な者は結婚させよ。たとえその者が貧しくとも、アッラーはお恵みによって彼らを富ませ給うであろう。まことにアッラーは広大にして、あまねく知り給う。』(第24章[御光]32節)
『彼女ら(妻)はおまえたちの衣であり、おまえたちは彼女たちの衣である。…』(第2章[雌牛]187節)

「衣」の比喩は、夫婦のエロティックな関係を実に詩的に表現している。また、別の箇所では、妻は畑に譬えられている。
『妻はおまえたちの耕地である。それゆえ意のまま耕地に赴くがよい。』(第2章[雌牛]223節)

女を生殖のための道具とみなし、物質化し所有物化している、と目くじらを立ててはいけない。農夫は畑を精根込めて耕し、種を蒔き、日夜手を入れて慈しむ。ここには夫婦のほのぼのとした牧歌的なイメージがある。

(中略)

キリスト教には、霊的向上、神への奉仕にとって肉の営みは障害であるとみなす考えがあり(パウロ -「男は女に触れないにこしたことはありません。」[コリント第1-7:1]、「未婚者とやもめに言いますが、皆わたしのように一人でいるのがよいでしょう。」[同7:8])、そのように性を厭う宗教は必然的に女性を厭う傾向を合わせ持つが、イスラームには性を否定的に捉える傾向はまったくなく、むしろ、「結婚した者は宗教義務の半分を果たしたことになる」(アル=バイハキーの伝える伝承)という預言者(彼に平安あれ)の言葉が示すように、結婚は信仰生活の重要な一部であり、禁欲的独身主義の方がかえって悪とみなされている。
********************************************************************
この他、イスラム教の聖典には、以下のような性に関する教えや表現が多数登場する。

・ブハーリーの真正集(コーランに継ぐ規範集)によれば、ムハンマドは禁欲や去勢というものに対し否定的であり、いくつかのハディースで性欲を否定的に見る信者に対し、自分も神の使徒でありながら女性と結婚しセックスをしていること等を挙げながら、禁欲や去勢を戒めている
・ムハンマドは『天国では男性は一日100人の処女(フーリー)とセックスが出来る』と述べていたとされる。また、『われわれは天国で処女とセックスが出来るのでしょうか?』と問いかけた信者に対して、『もちろん出来る。そしてセックスが終わった後には、彼女は清らかな乙女に戻るのだ。』と述べたともされる。
(以上、ウィキペディアより引用)

イスラム圏独特のヒジャーブ(所謂ヴェール)に関しても、女性を「隠す」ことが本来の目的ではなく、大人の女性であることを象徴する衣装であると捉える方が正しいようであるし、コーランにおいて強制されている訳でもない。(参考:リンク

これらのことから解るように、イスラム教における「性」のとらえ方は極めて肯定的であることが解る。イスラム以前の遊牧部族は、母系制であったことが解っているが、イスラムにおける「性」に対する肯定性は、これら母系集団時代の名残を残していると考えられる。
(考えてみれば、コーランにおいて規範化されている一人4人までの一婦多妻制と言うのは、戦争圧力下における父系制転換の中で、女集団を(人工的であれ)残存させる方法論だったとも考えられる)

西谷文宏 

2016年5月17日 (火)

バラモン教の起こり~ヒンドゥー教への発展

現在インドの80%以上の人々が信仰するヒンドゥー教であるが、その定義は明確ではない。ヒンドゥー教という呼び名もインド内部から出てきたものではなく、仏教が興隆する前のバラモン教と区別するためにインド帝国時にイギリス人が呼び始めたものだという。また、どこまでをヒンドゥー教と呼ぶのかも曖昧であり、インドの憲法によれば仏教やジャイナ教なども広義の意味ではヒンドゥー教の一部であるとされている。

このように、非常に枠の曖昧であるヒンドゥー教は、その歴史において明確でない部分が多い。
前身であるバラモン教や、カースト制度などについても成立過程には様々な説がある。


最も有力な説では、バラモン教は紀元前1000年頃には遅くとも成立したと言われている。この時代は、インダス文明が衰退し、中央アジアの遊牧民族であったアーリア人の一部がインド地方に移住してきていた。
バラモン教はその過程で、インドに移動してきたアーリア人が元々信仰していた自然崇拝の宗教に、先住民族であるドラヴィダ人等の信仰や儀式などを取り入れることによって成立したと言われている。


バラモン教の成立において非常に重要なのが、身分制度のヴァルナ制である。今カースト制度と呼ばれている制度の大枠で、4つの身分に分かれている。

バラモン:司祭
クシャトリヤ:王族・武士
ヴァイシャ:庶民(農業、商業)
シュードラ:奴隷

カースト制度はこのヴァルナ制を大枠として、更に血統(ジャーティ)によって細分化されている。例えば、ヴァイシャ階級で米農家ジャーティ、という形になる。

ヴァルナという言葉は元々「色」を意味する。このことからもこの制度は肌の色での区別、つまり肌の色の黒かった先住民族を制度的に差別し、身分を固定するために生みだされた制度であることがわかる。巧妙にバラモン教と結びつけて広めていったため、今でも解消されないほど強固なものとなっている。
抑圧されていた下流階級の人々にとっては、自分が生まれたカーストの模範的な生き方をすれば来世ではより上のカーストに生まれることができると信じることによって、辛い日々の中に希望を見出すことができた。また、バラモン教は下流階級の宗教の神や習慣等を柔軟に取り入れていったことも下流階級に広く受け入れられた大きな理由である。


その後、農業や商業が発展してくると、クシャトリヤ階級やヴァイシャ階級の力が大きくなってくる中で、新宗教運動や革命思想が起こってくる。
有名なのは、仏教やジャイナ教である。
これらは元々バラモン階級の圧倒的な権力に対して不満を抱いていたクシャトリヤ階級、ヴァイシャ階級の間に急速に広まっていった。
そこで、黙っているわけにはいかないバラモン階級がとったのが、世俗化という道である。
それまでバラモン階級が独占した祭祀、儀式、哲学等も、寺院の建設や文献編纂によって一般民衆に広めたり、土着宗教の神をより多く取り入れていくことで、再び民衆の間に広まっていった。
逆に、一時は急速な広まりを見せた仏教やジャイナ教は民衆から離れていく傾向にあったとされ(例えば大乗仏教は教義研究に走る等)、インドの中ではその勢力は衰えていった。
バラモン教が仏教の起こった後に世俗化して復興したものを、ヒンドゥー教と呼ぶことが多い。


その後、イスラム勢力やイギリスの支配下におかれると、それらの勢力もヒンドゥー教を駆逐するよりもむしろカースト制度を利用して統治したため、よりその身分固定の性格を強めていったと言われている。




以上、バラモン教の起こりからヒンドゥー教への変遷、発展を見てきたが、何故ヒンドゥー教がインドの圧倒的多数の人々が信仰する民族宗教となりえたのか、またカースト制度は何故この長い年月を経た今もなお残っているのか。それには他の宗教にはないインドやヒンドゥー教の特徴が強く影響していることを歴史が表している。

最後に、全体の流れを図解化しておく。

             農商工発展  バラモン教世俗化
               :       :
┌─────┐ ┏━━━━━┓:┏━━━━━┓:┏━━━━━━┓
|アーリア人|→┃バラモン教┃→┃新宗教運動┃→┃ヒンドゥー教┃
| の宗教 | ┃ 成立  ┃ ┗━━━━━┛ ┃として復興 ┃
└─────┘ ┗━━━━━┛         ┗━━━━━━┛
   ↑    ┃カースト制┃            │
   │吸収  ┗━━━━━┛    ┌───────┘
   │       ↓強化     ↓
┌─────┐ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┏━━┓
|土着宗教 | ┃ムスリム、イギリス支配下で宥和政策┃→┃現在┃
└─────┘ ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┗━━┛

ばんび 

2016年5月15日 (日)

イスラムと神官

イスラム(イスラム原理主義の考え方)には王がいないというのは、概ねその通りである。しかし正確には神官(階級)も認めていないのが正確なところらしい。

多くの方がイスラム教の登場の背景で指摘しているように、イスラム教は
>遊牧部族の共同体集団がいくつも並存していた。武力支配国家はまだ登場していない。そこに急激な市場拡大の波が押し寄せる。(中略)市場の拡大は私権意識を増大させ、貧富の格差を拡大させる。かつ、自我を封鎖する力の序列原理⇒武力支配国家も存在していない。アラブの遊牧集団の部族間闘争が激化するのは必然である。
>「この混乱をどうする?」これがイスラム教が登場した当時の、アラブにおける社会統合機運の中身ではないだろうか。
そのためにムハンマドはまず、ウンマという部族を超えた共同体(教団)を形成した。(中略)そして、この共同体ウンマに各部族を服属させていった。これがアラビア半島の諸部族を統合してゆく。これがイスラム国家の原初形態である。「日本を守るのに右も左もない」
リンク

以上のように、イスラム教は優れて政治的(統治的)問題意識から登場している。従ってイスラムには(キリスト教や仏教に見られる)聖と俗という考え方は存在しない。あくまでも「政教一致」が基本である。
イスラム教を生んだマホメットはカリフと呼ばれるが、それは宗教的指導者を意味するのではなく、政治や社会生活も含めた社会的指導者であり、その後継者たちもその政治的指導者の地位は引き継いだが、預言者の資格は引き継いでおらず、宗教的権威はない。その後君主(スルタン)も登場するが、殆どの君主がカリフの称号も名乗っている。(これは、スルタン=カリフ制と呼ばれ20世紀までこの制度が多くの国家で維持されていた)

イスラム世界は、聖職者という階級を認めておらず、従って、免税などの宗教的特権はなく、兼業や妻帯も許されている。

つまりイスラム世界は宗教共同体であり、生活共同体である「ウンマ」全体の指導者であって宗教のみならず、政治や生活規範の指導者という考え方なのである。
(この点が例えばローマ法王等の他宗教の宗教指導者とは大いに異なるところである。しいて言えば王=神官という部族連合時代の形態そのものともいえるが、自らの権限の根拠を神から与えられているとしているわけではないことから見ても、イスラム世界は、より原始共同体に近い精神性があるともいえるのではないか?)
以上参考;
リンク 「キリスト教とイスラム教」)

北村浩司
 

2016年5月13日 (金)

私権社会が神権政治で始まる必然構造

古代の私権社会の誕生は複雑でその前の社会の慣習や秩序を引き連れて徐々に変化していきました。
この変化は地域や時代によっても異なりますが、いずれも支配者である王が最初から人民を牛耳ったわけではありません。最も早くかつ劇的に私権社会へ転換したメソポタミアですら、最初の王は神から選ばれた存在として大衆に接しています。従って神が行なう祭祀を代行して人民と神の間を取り持つ処に位置します。何代か重ねるうちに王自身が神と同一である(神の化身)と吹聴し、やがて王が神の変わりに直接人民を自由に支配することができるようになります。これらの変化に仮に500年かかったとして、この間で王は10世代以上の交代が行われている事になります。

同じように古代国家成立を果たしたインドではどうだったでしょうか?
インドはインダス文明の担い手であったドラビダ人の部族と北方から進入したアーリア人の間で紀元前1800年頃に接触が発生し、やがてアーリア人の国家としてガンジス川河口に都市国家が誕生します。アーリア人とドラビダ人の間では小競り合いはあったかもしれませんが、そう大きな侵略戦争は発生していません。アーリア人がドラビダ人を支配した方法が実に私権社会の有り様を示しています。
アーリア人は元々は現在のトルコの辺りに発生した遊牧部族です。メソポタミア文明以降の乾燥化と部族間での戦乱から逃れた(負けた)一派がヒンズークーシュの険しい峠を越えてインド北方に到着します。いわゆる負け組みの到着です。

彼らはヴェーダ教という土着宗教をもっていました。ヴェーダ教は祭祀を重んじる遊牧部族の特徴をもっています。インドの地でドラビダ人と接触した際に文明も人口も技術も劣るアーリア人が彼らを支配する為に取った手法は戦争ではなく、ドラビダ人の技術を取り入れる代わりにアーリア人の宗教を与える事でした。彼らはドラビダ人の宗教(彼らがもっている神話体系)とアーリア人の祭祀至上主義を重ね合わせてリグヴェーダーという両部族の神が混在する経典を作り上げます。文字技術だけは既に持ち合わせていたアーリア人はヴェーダーの体系の中にドラビダ神話を組み込む事で、祭祀至上主義だけは残して新しい宗教を作り出します。その頂点に君臨したのが神の声を伝えるバラモンの存在です。ドラビダ人は一度(ひとたび)その新しい宗教を認める事でバラモン体制の中に組み込まれていきます。

やがてそれらがバラモン教として整理される頃にはアーリア人=バラモン、ドラビダ人=シュードラというように固定した階層とその支配が完成されてしまいます。政治を司る王はクシャトリアとして祭祀者であるバラモンの下に位置します。
いわゆる本来の統治者である政治が宗教の下に組み込まれる事で社会が安定するのです。

これは日本のそれと実に似通っており、武力行使によらない無血統治、或いは日常の大衆の統合の為には土着宗教の力が不可欠である事を示しています。そして大衆共認をうまくコントロールする為にはあくまで政治は神の代行であるという神権政治が私権社会を追共認させる上で必要なイデオロギーであることは間違いないと思います。

逆に言えば私権社会と言えども、大衆共認側の土着的共認の土台を無視しては誕生していない事を示しており、支配者は常にそれを意識してある時は利用し、ある時は配慮していった歴史があるのではないかと思います。




田野健

2016年5月11日 (水)

【図解】観念パラダイムの逆転5 現実、その下部意識と上部意識

    ┌───────’70年貧困の消滅───────┐
    ↓           │           ↓
下部意識は自我私権      │      上部意識は現実否定→
意識が急速に衰弱し、────┐ │      倒錯思考のパラダイム
充足基調⇒本源収束へ    │ │      による既成観念が覆う
    ∥         ↓ ↓           │
    ∥        生存圧力の場から       │
    ∥       同類圧力の場へ大転換      ↓
    ∥           ∥        社会は全面閉塞
    ∥           ∥           ∥
    ∨           ∨           ∨
  新しい充足基調⇒本源収束の可能性の実現に意識の焦点を当てる

現実否定→倒錯観念のパラダイムによって生まれた上部意識の既成観念(自由、平等、個人など)は、貧困の消滅以前も現実に何かを生み出したわけではないが、下部意識発の自我私権要求を正当化するための欺瞞観念としてそれなりに機能していたため、観念によって社会が閉塞に陥ることはなかった。しかし、貧困の消滅以降、下部意識が充足基調⇒本源収束に転換することによって、既成観念群は現実(下部意識)の役に全く立たなくなり、社会は全面閉塞に陥ってしまった。

田中素 
 

2016年5月 9日 (月)

集団律と潜在能

受験のことで恐縮なのですが、

みんながその目的で集まる学校と
少人数がその目的を持つ学校があります。

私立はともかく、公立学校は、受験目的の募集は薄いことを考えると、進学校を進学校たらしめているのは、受験生だと言えます。

巨人を巨人、阪神を阪神にしているのも、企画者自身より、入団希望者やファンです。

社会を社会にしているのも人々です。ファン一人が巨人を変えられないように社会も一人では変えられない。むしろファンは、球団ファン史に合流しているように見えます。集団(群れ)として同時に律しているように見えます。集団律のような感じで。

大きな声援も、同時抑揚も、個人では出てこない潜在能を表に出します。

個人主義の最大の障壁は潜在能がほとんど発揮されずに、やむを得ず協力することや、個人が個人を尊重するにとどまるために結局守れないことだと想います。

2016年5月 7日 (土)

より深い共認充足を生み出す機能が観念であるなら・・・近代思想は

>観念機能は共認充足を母体として初めて真っ当に機能し、共認される構造にある。やはり観念機能の可能性は、本能⇒共認、その充足の先にしかないのだ。(234051)

近代思想の行き詰まり原因があらためてよくわかります。これまでるいネットでも、何度も語られてきましたが、個人を原点とした近代思想は、信じられるのは己だけ、つまり共認非充足から生み出された観念であり、思想であるということです。この時点で、人類の持つ観念機能本来の力のその大半を、もはや失っているといえるでしょう。

いや。それ以前に、機能基盤そのものを既に失っているのです。

共認充足を母体としない、自己や自我の充足のためだけの観念が、共認充足、すなわち社会を統合する力を生み出せるはずもありませんね。近代の思想運動が、否定的言語を用いた反体制運動や要求運動にシフトした理由も、その「社会変革」が実現しなかった理由も、しかもその後は運動家たち自らが、既存社会の中に取り込まれて行ってしまった理由も、そのすべてがとても頷けます。

『観念は共認充足を生み出す機能である』

であるならば、現代社会、すなわち文字観念社会の絶対否定言語の使用・氾濫量の多さは、その近代思想の問題構造を、そのまま如実に反映させているということなのだと想います。近代思想とは、その本来の観念機能とは裏腹に、明らかに共認非充足を社会に生み出す観念として機能しています。しいて充足の観点から捉えるとしたら、それはあくまで、『単に自我充足を個別に生み出すだけの観念』として。なのです。現在の答えの出せないマスコミの否定言語のオンパレードや否定文字観念の多さは、まさにその構造の象徴なのだと想いませんか?

<参考投稿(230550観念機能は、充足するためにある。>

リリー・フランキー

2016年5月 5日 (木)

6/27なんでや劇場レポート「日本人はいつ物を考え出すのか?」(3) 騙しの破綻→特権階級は追い詰められている

学習観念(近代思想)は役に立たない。学校教育で習ってきたことだけでなく、本で読んだ認識もほとんど役に立たない。また、マスコミの報道や情報は捏造だらけで、人々の判断を狂わせるだけ。

反復し定着していない認識が使えるわけがない。にも拘らず、認識を反復→定着させることなく、次々と新しい教科内容を詰め込んできた学校教育は愚民教育に等しいのではないか。しかも教えている中身は架空観念のオンパレードである。それが現実の役に立つはずがない。そして、学校に行く動機も己の利権のため。

これら教育の問題全体を総合的に捉えると、膨大な時間とエネルギーを費やしたにもかからわず、ほとんど役に立っていないわけであって、とすれば、近代以降、大掛かりな騙しの枠の中に我々ははめ込まれてきたのではないか。

こういう状況(構造)はどう捉えたらいいのか?

近代以降200年、学校教育が始まって100年余りが立つ。
その中で、全体が騙しであるという認識を得たのは最近1年くらいの話であり、それまでは気づかなかった。

もちろん、近代思想がペテンであるということは、共同体類グループ設立の前から発見していたが、近代社会が金貸しに支配されているという認識はこの2~3年のものである。そして、理解しようとして読むこと(理解主義)が洗脳の罠に嵌る構造は数ヶ月前に発見されたものである。ここに来て近代社会の騙し(罠)が続々と発見されるのはなぜか?

主体側の原因として、'70年貧困の消滅以来、私権原理から共認原理への転換が進行しており、私権収束力が衰弱し、それに代わって共認収束力に転換したので、新しい角度からの発見が可能になったという面は当然ある。

しかし、やはり大きいのは対象側(外部状況)の変化である。
ここに来て次々と騙しの構造が発見されるのは、近代社会の支配階級(金貸し)とその手先たる特権階級(学者・官僚・マスコミ)が追い詰められていることの現われではないか。今ままではボロが出なかったが、'00年以降、9・11事件の捏造をはじめとして、もはや彼らの策謀は大衆の目からはミエミエである。

特権階級が追い詰められている、その現れの一つが、日本における検察・官僚・マスコミの暴走である。

彼らは一般人にはない権力を持っている。例えば、無数の微罪・軽犯罪のどれを挙げてどれを見逃すか、その裁量権は検察・官僚が握っている。マスコミの編集権も同様。従って、権力を握る人間は公正でなければならない(そうでなければ不正の温床になる)というのが暗黙の共認(不文律)であったが、現在の検察も官僚もマスコミも公正さを投げ捨て、その暴走は止まる所を知らない。

特権階級たちがここまで暴走し、誰の目にも明らかなボロを出したのは、今回が初めてである。それは彼ら特権階級が追い詰められていることの証左である。彼らは背に腹は変えられないが故にミエミエの手段でも繰り出さざるを得ず、そしてその多くが大衆にバレてゆく。

こうした状況で、学校教育やペーパーテスト全体がおかしいのではないかという問題意識が生まれ、近代社会の全てが騙しなのではないかという認識が登場してきたのである。

こういう認識が登場したということは、騙しの構造を突破し得る可能性が現実のどこかに存在する、あるいは登場したということを意味する。∵人は可能性がないことは考えない。

そして、今や私権時代から共認時代へ大転換中→旧思想は役に立たない⇒新認識が必要とされている。

では、騙しの構造を突破する新認識の必要性は、どういう構造(条件下)で生まれるのか?

匿名希望 

2016年5月 3日 (火)

無用である理由から分かる、旧観念と代償観念の違い

私権が衰弱すれば、私権獲得のための観念=旧観念(既成観念)は不要になる。
現実に本源充足の可能性が開かれれば、得られない価値を頭だけで充たす代償観念は不要になる。

すごく当たり前のことなんだ~と思いました。

旧観念って何?代償観念って何?それらの違いって?ってグルグルなりがちでしたが、この図解(223814)で無用である理由からアプローチしてみると、とてもスッキリです(^^)/。

なので、以下の文章もなるほどと思いました。

>●性権力支配や精神破壊に対しては、旧規範が危機を感応する。しかし、それは近代市場に裏打ちされた価値観念(恋愛・自由・個人etc)VS残存する旧社会の私権規範の闘いなので、危機を叫んでも敗北してゆくだけである。

婚姻相手を親が決めるという私権規範(旧観念)としての家父長制と、警戒心ゆえにみなと充たしあえない代償として収束している自由恋愛との闘いは、歴史的には自由恋愛の勝利に終わりますね。
でも図解からみると、所詮どちらも観念捨象へと向かってゆくわけで、貧困が消滅した現在、結局無用の長物と化すんだと思いました。




谷光美紀
 

2016年5月 1日 (日)

本源充足の可能性を実現していくのに、重要なこと♪

18571の図解化(223814)をして、みんなで話していて、なるほどって思ったこと。

潜在思念は大きく本源充足の可能性を感じて行動していて、充足する方へ行動していく。けど、実践的な模索をしつつ、答えがないって模索を諦めちゃうと、無用になったはずの代償観念にすがって可能性を封鎖してしまうことって結構あるのかも。例えば、男女関係で顕著だけど、1対じゃない関係を始めたりしても、可能性がなさそうって模索を諦めたり、答えがないってなった途端に、一対や結婚などの無用になった代償観念を持ち出して可能性を封鎖しようとしたり…っていうのはみんなから話を聞いていると結構あるんじゃないかと思うんです。

そんな話をしている中で、これからの可能性を模索する中で、すっごく重要なんじゃないかと想ったことが2つ!

まずは、一人とかでは諦めちゃうようなことでもそれを一緒に考えてくれる仲間がいてくれること☆

そして、

>観念捨象の実践模索では足りない=観念を必要とする地平(18572

はもちろんあって、模索だけではしんどくなっちゃうから、いきなり答えじゃなくても、可能性を一緒になって探索し固定化していくこと☆

この2つがあったら、本源充足の可能性をもっともっと実現していけるのかもって想いました♪



宮崎未帆 

« 2016年4月 | トップページ | 2016年6月 »

ランキング

  • にほんブログ村 政治ブログ 世直し・社会変革へ お勧めサイトランキングへ
2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

カウンター

最近のトラックバック

無料ブログはココログ