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2016年4月27日 (水)

高度情報化時代が、人間を無能化していく

相手が発した言葉通りの意味は分かるけれど、発した言葉の文脈上の意味を取り違えるケースが多い。1つの文章には無限の解釈の仕方があるので、その中で「本当に相手の言いたいことは何か」を見極めることは、コミュニケーションを円滑にすすめる上で必須である。 しかし、現代人はこの解読能力を喪失してしまった。その原因は、「高度情報化時代」にあると内田樹氏は以下のように述べている。リンク ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※ 「情報」と「情報化」は違う、ということはこれまでも何度か書いた。「情報」というのは「処理済み」のものであり、「情報化」というのは「生ものを情報単位にパッケージすること」である。魚屋が市場から来た魚を三枚におろす作業が「情報化」である。パッケージされた切り身が「情報」である。 「高度情報化社会」というのは誤解している人が多いと思うが、「情報化」が進んだ社会のことではなく、「情報化」のプロセスが人目に触れなくなる社会のことである。誰がどこでどんな魚を「三枚におろして」いるのか、誰も見ることができない社会のことである。人々は情報を並べたり、入れ替えたり、交換したり、値札をつけたりする作業にのみ専念している。それが高度情報化社会である。 切り身になる前の魚はいろいろな「使い道」がある。ぶつ切りにしてもいいし、開いて干物にしてもいいし、塩に漬けて魚醤にしてもいいし、粕に漬け込んでもいいし、かちかちに日干しにして人の頭を殴ってもいいし、金肥にして畑に撒いてもいい。そういう無数の「解釈可能性」を「なまの魚」は蔵している。「切り身のパッケージ」はそのありよう以外のすべてのありようを捨象した「残り」である。 「情報化」とは、「前-情報的素材」を「情報」に精製する過程で、無限の解釈可能性の中から適切なものを一つだけ選び、あとを捨てるということである。だから、資源が有限の環境においては、与えられた「前-情報的素材」の蔵する無限の「使い道」のうち、「さしあたり私が生き延びる上でもっとも有用な使い道」をただちに見当てる能力が死活的に重要なものとなる。 だが、この能力は「高度情報化社会」では不要である(だって、すべての情報はもう誰かによって「加工済み」なんだから)。不要であるという以上に、もうこのような能力が存在するということ自体を私たちは忘れた。「前-情報的素材」の取り扱いについて、現代人はほとんど「無能」になってしまった。(引用終わり)

奮迅

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