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2016年4月

2016年4月29日 (金)

図解を使いこなすには?

仕事場面において、定型課題については、お互いの声かけや確認でこなしていけるが、未明課題(今後どこに可能性があるのか?など判断が難しいもの)については、なかなか意志の疎通ができない、すり合わせができないと感じる。そういったときに、図解というのは有用な共認形成ツールだと感じている。そこで、図解化を実際に使えるようになるには?について教えてもらいました。

●なんで図解をするのか?を明確にする
図解を用いて実際の共認形成を図るには、なぜ図解をするのか?その意志を明確にしておく必要がある。

なかなかうまく行かない・モヤモヤする・もっとスッキリさせたい・充足したい・・・・結局どうしたいのか?その想いを実現するために図解をするという過程を明確にすること。
また、そういった過程を周りに発信し、図解の必要性を共認しておくという下準備が必要。

●図解の上達法
2通りの方法を同時並行で進めていくことで上達していく。
・1つ目は、図解の基礎知識の習得。
いわば、現実で図解を使えるようになる為の基礎練習。
文章の構成や、言いたい事が整理して文章化されているような文章を基に図解をしてみる。そこで図解化をする思考方法などを身につける。

・2つ目は実際の現実を題材に図解化してみる。
現実の圧力に直面しているからこそ、実現の意志をもって図解化できる。ただし、上記より難易度が高いので、すぐにはうまくいかない。
そのため、定期的に発信の場面を儲け、継続して発信し、周りの反応を羅針盤に塗り重ねていく事で使える図解になる。

●幹を掴むには?
図解を書く上で、幹を掴む事が最重要。
幹を自分の中だけで作ろうとせず、自分の周りの様子(誰々はこんなことを言っていた。別の人はあんな事を言っていた等)や意識(活力がある/ない、モヤモヤしている)などを把握する。
そんな周りの人みんながスッキリしそう♪とか、活力が上がりそう!とイメージできるようなものを作ろうとする。それが幹になる。

●図解は二段階ある。
現実場面で図解がどのように使われているか考えてみると、一つのプロジェクト(設計ではある建物を作る。農業ではある作物を作るなど)においては、必ず工程表のようなものがある。それ自体が大きな一つの図解といえる。この工程表どうりにうまく行かないときには、どこでつまずいているのか特定し、なぜうまくいかないのか、ここでも図解化して整理して考えてみる。あるいは、その大きな図解を組み替える。

実際の仕事場面において、具体的に図解化に到らなくても、図解化的思考を用いて仕事をしていることが多々ある事がみんなの仕事場面から出てきた。

これからは、積極的に図解を用いて発信していくことで、成果を出していきたい!

関谷啓太郎 

2016年4月27日 (水)

高度情報化時代が、人間を無能化していく

相手が発した言葉通りの意味は分かるけれど、発した言葉の文脈上の意味を取り違えるケースが多い。1つの文章には無限の解釈の仕方があるので、その中で「本当に相手の言いたいことは何か」を見極めることは、コミュニケーションを円滑にすすめる上で必須である。 しかし、現代人はこの解読能力を喪失してしまった。その原因は、「高度情報化時代」にあると内田樹氏は以下のように述べている。リンク ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※ 「情報」と「情報化」は違う、ということはこれまでも何度か書いた。「情報」というのは「処理済み」のものであり、「情報化」というのは「生ものを情報単位にパッケージすること」である。魚屋が市場から来た魚を三枚におろす作業が「情報化」である。パッケージされた切り身が「情報」である。 「高度情報化社会」というのは誤解している人が多いと思うが、「情報化」が進んだ社会のことではなく、「情報化」のプロセスが人目に触れなくなる社会のことである。誰がどこでどんな魚を「三枚におろして」いるのか、誰も見ることができない社会のことである。人々は情報を並べたり、入れ替えたり、交換したり、値札をつけたりする作業にのみ専念している。それが高度情報化社会である。 切り身になる前の魚はいろいろな「使い道」がある。ぶつ切りにしてもいいし、開いて干物にしてもいいし、塩に漬けて魚醤にしてもいいし、粕に漬け込んでもいいし、かちかちに日干しにして人の頭を殴ってもいいし、金肥にして畑に撒いてもいい。そういう無数の「解釈可能性」を「なまの魚」は蔵している。「切り身のパッケージ」はそのありよう以外のすべてのありようを捨象した「残り」である。 「情報化」とは、「前-情報的素材」を「情報」に精製する過程で、無限の解釈可能性の中から適切なものを一つだけ選び、あとを捨てるということである。だから、資源が有限の環境においては、与えられた「前-情報的素材」の蔵する無限の「使い道」のうち、「さしあたり私が生き延びる上でもっとも有用な使い道」をただちに見当てる能力が死活的に重要なものとなる。 だが、この能力は「高度情報化社会」では不要である(だって、すべての情報はもう誰かによって「加工済み」なんだから)。不要であるという以上に、もうこのような能力が存在するということ自体を私たちは忘れた。「前-情報的素材」の取り扱いについて、現代人はほとんど「無能」になってしまった。(引用終わり)

奮迅

2016年4月25日 (月)

自分のことしか考えない=思考停止

私権圧力に代わる圧力(外力)を感じ取ることができなければ、このままどんどん私たちは思考できなくなってしまう!!(222857

最近、友達と話していてこのことを実感した。

彼は自分さえ食べていければ良い、と主張している人間で、仕事自体は真面目にこなしている。ただし、こちらから問いかけると以下のような反応をする。
「これからどうするの?」→「分からない。贅沢を望まなければ適当に何とかなるだろう。」
「景気悪いけど大丈夫かな」→「あまり自分には関係ない。何とかなるだろう。」

大体こんな感じのやり取りになる。これは、言わば「思考停止」の状態ではないだろうか?「自分さえ何とかなればいい」と割り切ることで、それ以上の思考を全くしない状態だ。

実際に社会を見れば、そんなことを言っていられる状況ではないのだが、考えないことで不安から逃げているようにも見えた。自分さえ良ければ、は本人には控えめな生き方のつもりらしいが、このまま何も考えずに目先的に生きていては、変化に対応できず破滅すら起こり得るのではないか?

自分のことしか考えないことは思考停止であり、結局は自分自身すら維持できなくなる可能性が高い。

思考停止した「自己中」だらけでは社会が破綻してしまう。
周りに目を向け、私権圧力に代わる圧力すなわち同類圧力を感じれば、考えるべきことは無限に湧いてくる。「いかに思考し、可能性を追求していくか?」はそこからしか発生しない。

「自分さえ良ければ」から脱却することは、生き残るために必要な転換だと思う。

小西良明 

2016年4月23日 (土)

【図解】新パラダイムの効用1 現実否定の鎖を断ち切って、プラス活力の上昇へ

22203【図解】新パラダイムの効用1 
「現実否定の観念パラダイム」からの転換によって、投稿や論理が明快になり、より多くの実現派が共鳴。その結果、さらに観念パラダイムの転換を促す認識が多くの実現派によって精錬されていき、プラスの活力源が進化していく、プラスの循環図解。


┌←←←←←←←←┐      
↓        ↑
↓        ↑
↓さ   ┏━【プラスの活力源を強化】━━━━━━━━━━━┓
↓ら   ┃                        ┃
↓に   ┃・より多くの人(特に実現派)が共鳴。      ┃
↓観   ┃   ↑                    ┃
↓念   ┃・実現論が輝き始める。投稿に明快さや勢いが増す。┃
↓パ   ┃   ↑                    ┃
↓ラ   ┃・現実否定の鎖が断ち切られる。         ┃
↓ダ   ┃                        ┃
↓イ   ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
↓ム       ↑
↓の   ┏━【観念パラダイムの転換】━━━━━━━━━━━┓
↓転   ┃                        ┃
↓換   ┃・現実否定の否定。               ┃
↓を   ┃   ↑                    ┃
↓促   ┃・現実否定→倒錯観念の既成観念全的に否定。   ┃
↓す   ┃   ↑↑                   ┃
↓言   ┃・現実=下部意識を対象化。           ┃
↓葉   ┃                        ┃
↓が   ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
↓精       ↑
↓練   ┏━【観念パラダイムの転換を促す言葉】━━━━━━┓
↓    ┃                        ┃
↓    ┃・パラダイム転換そのものを説く言葉。      ┃
↓    ┃   ↑↑                   ┃
└→→→→┃・パラダイム転換を促す諸々の大きな状況認識。  ┃
     ┃   ↑↑                   ┃
     ┃・個々の問題に対する個々の答え。        ┃
     ┃ =小さなor部分的な状況認識・構造認識     ┃
     ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

2016年4月21日 (木)

図解を三色で上塗りすると、より同化できる!!

秀作投稿にもっと同化できないか?もっと図解を構造化できないか?

ふと、三色ボールペンを使って、以下の色分けをし、図解を検証してみることを思い立ちました。すると、潜在思念が活性化し、より同化できたと感じました。お奨めですよ☆

【赤】=不全・問題   →赤は、危機や闘争を喚起
【青】=原因・結果   →青は、冷静な思考を喚起
【緑】=充足可能性   →緑は、充足や肯定を喚起

 原因→ 不全 ⇒充足可能性 →新たな実現態
 (青) (赤) (緑)    (青)

福田尚正

2016年4月19日 (火)

私権圧力に代わる圧力掴み取らないと、私たちの思考停止は続く!

’70年貧困が消滅すると、【国家私権の衰弱】→【’95年企業私権の衰弱】→【’03~’08年家族私権の衰弱】という具合に、私権意識はどんどん衰弱するばかりでした。 今日サロンでみんなと思考レンジを歴史的に振り返ってみると、なんと、その私権意識の衰弱とまったく比例して、私たちの思考のレンジ(対象の幅)もどんどん狭くなってきていることに気づいたのです!! 【国家繁栄のため、社会みんなのため!】→【自企業の利益第一、モーレツ社員】→【マイホームパパ、子育てパパ、モンペ】(→ここまでくると自分のことばかり・・・) これって、私たちは私権圧力にしか反応してないってこと? そこから外れてしまえば、思考するという行為自体を放棄してしまうってこと? ひぇー。><。。 ってことは!私権圧力に代わる圧力(外力)を感じ取ることができなければ、このままどんどん私たちは思考できなくなってしまう!! だからこそ、マニュアル人間も増えてるんだ! 物を識るとは、新たな外圧(同類圧力)をどれだけ掴めるか、とイコールなのですね。

谷光美紀 

2016年4月17日 (日)

“可能性収束を追体験する”のが大事!!

サロンに参加し始めてすぐの頃、『大転換期の予感と事実の追求(967)』を扱ったとき(211954)、「一対一以外の男女関係なんて想像できない~!昔って違ったんですかぁ?!」って目をまん丸にしてた子が、たった4ヶ月、歴史事実(実現論前史)をみんなで学んだだけで、感覚がすっかり変わってしまったんです!!

哺乳類やサル、極限時代の人類の“外圧”に同化することで、オスメス役割分化したこと、それをより強化することで生き延びてきたことetcを、可能性と充足を感じながら受け止めることが出来た。

そうやって、事実を事実として受け止めたら、「何で一人の人と結婚しないといけないのかなぁ?」「どんな外圧に適応して、一対一の形にしたんだろう」「今って、外圧が変わったから、これまでの男女関係じゃしっくりこなくなってるのかもしれないな~」って、いろんな考えが普通に出てくるようになったんだそうです。

>書物であれ、レジュメであれ、投稿であれ、相手(著者)がなぜこれを問題にしているのか、なぜそう考えるのかを深く読み取ること、換言すれば、潜在思念のレベルで対象に同化・応合することが、不可欠になる。(71463

潜在思念のレベルで同化するって、その時々の外圧と可能性収束した構造(意識)を“追体験する”ことなんじゃないかなと思います(^▽^)

ってことは、認識を使える(創造できる)ようになるかどうかは、観念力じゃなくて、“可能性収束力”次第なんですね☆

西知子 

2016年4月15日 (金)

気づきの起きる条件

>「自主管理への招待」の文には、確かな時代認識とともに、そうした否定や断絶の歴史を超えて、「主体(自己)=対象」の地平を獲得(再生)してゆく意志、その充足可能性の予感、そしてそこへ全身を懸けてゆく意志が充満している。 物質を構成する原子を構成する中性子・陽子・電子とかのレベルになると、すべて同じものになっていきます。社会を構成する元は同じなのだから、主体=対象の地平へと向かうのは、むしろ自然な方向とも思います。肯定視も自然な方向だと思います。同化しようとするまでもなく同化しているのが理想的です。 昔、大学4年の頃通っていた大学のキャンパスの周りを歩いていて、ふと全てのことはそういうふうに受けとめられると感じて、直観(気づきを)したことがありました。全てのことは「肯定か否定か」という単純性として意識されました。 気づきは未来の時空間からやってくるのか、現在の時空に偏在するのかは分かりませんが、潜在思念領域で「もやもや」というか「問い」が醸し出され、それが探求・探索の情報収集をしているうちに、鍵穴的な形で徐々に明確化され、ある段階まで到達すると、それが気づきとなって顕在意識の領域に浮上するのだと思われました。 鍵と鍵穴という関係性がありますが、鍵穴が明確になったら、自動的に鍵がやって来るということがあるかもしれません。テレビやラジオが少しだけある周波数の振動を発信したら、それと同調する電波を受信して映像が映ったり音声が聴こえたりするように、もやもやした「問い」を明確化させるほど、それと同調する答えが「気づき」という形で実現されるのだと思います。 答えに向かう「問い」が重要だと思いました。それがない状態の人に一方的に「これが答えだ」というふうに押し付けることは、よくありません。認識から実感(解脱・充足)に、実感から気づき(パラダイム転換)に向かう方向がありますが、あくまで事実・現実を対象化し共認していく課程で生まれる仮説や問い(もやもや)が認識より先にあります。 「もやもや」には色々ありますが、私権獲得のためのそれではなく、調和とみんなの充足につながっている問いほど、精妙なものになると思います。自然の摂理ほどに深くて精密でかけがえなく素晴らしいものはないという意味は、それと同調(同化)するほど、その問いと答えの発信受信の意識状態も、深くて精密でかけがえなく素晴らしいものになっていくということでしょう。 逆に私権獲得のための問いと答えの発信受信を強化するほど、浅くて混濁して取るに足らないマイナーな世界と同調していくということです。 気づきは潜在思念とか本質とかの全体を包括するところからしか起きないように思います。だから自己の領域を超えて主体=対象の地平へと世界を拡げていきます。観念的思考ばかりしているとよく間違いを起こしますが、気づきが間違えたり問題を起こすということは本質的な意味ではありえません。ただ気づきを実行に移すかどうかの選択は常にあり、そこで初めて「実現の意志」が問われるのだと思いました。 

hosop 

2016年4月13日 (水)

いいわけをどう封印するか?

個人主義などという言葉はここ数年であっという間に影を潜め、社会全体は私権社会から共認社会へ大きく動いている。しかし、制度も体制も依然として私権社会の枠組みのままで、現在は転換の過渡期としての課題が山のようにある。

その中でも避けて通れないのが残存する制度や体制を使って自己正当化しようとする自我派である。

何かにつけ言い訳を付けて難しい課題や全体課題を担おうとしない成員も大きくはその範疇に入り、集団で共認形成して成果を上げていく上で足かせとなっており、時に情報を開示しない体質ゆえトラブルを引き起こしマイナス分子になる。

彼らにどう対処していくかはそれぞれの組織で現在大きな壁となっているのではないか?人材育成できないハードルもそこにある。そういう意味で今日はサロンの仲間とタイトルのテーマで少し話し合った。一旦アイデアレベルではありますが投稿しておきます。

”いいわけをどう封印するか”

①まずは相手の言動が言い訳か否かを判定する言葉群
相手が長々と説明した後・・・・以下の質問をぶつけてみる。
 「あなたは本当は何を実現したいのか」
 「今言った事を一言で言うと何か」
 「相手はどう思っていたのでしょうか」

⇒それに対する相手の反応が淀みなく、明確に返ってきた場合は言い訳でない可能性が高い。逆にもごもごなる場合や論点をそらして饒舌になる場合はほぼ言い訳と考えてよい。

②いいわけをしている相手にどのように自覚させるか?

ほとんど言い訳をする人は無自覚である。
 程度の軽い場合は「それは言い訳ですよ」と伝える。
⇒これが以外に基本姿勢。まずは無自覚を周りが自覚させてあげる。
これは下の立場の人から上へ言う方が効果がある。場合によっては事前に作戦を立てておいて下の立場の人に言ってもらう方がよい。

③自覚した相手がどのように反転できるか?
 これが一番困難な課題。この困難さは実は関わる側の時間と一対一の対面の限界性にある。
 指摘は上記のように簡単にできるが、いざ本人に自覚させ、反転させるには共認圧力を使う必要がある。しかしその共認圧力は一朝一夕にはできない。日ごろの関わり方と心がけが重要になる。その為の基本的な規範を3つ提示。
1)ミス撲滅、トラブル撲滅等の強い危機管理共認を周りと形成する。
2)その為には相互に関わりあう事が重要。相手の領域まで突っ込む。
3)対面での会話だけにとどめない。そこでまとめたこと(や事実)を誰でも良いので多くの人に開示しているネット空間に発信し、回りの評価を求める。
⇒それを元に相手に反応を求める。

これらを実践していく事が共認圧力の元に言い訳を封印する力になるのではないか。
しかし意外にもこれを実践していく現実的なハードルは時間の壁である。それに多くの時間を費やし、エネルギーを投入する。普通の人は日常の課題が山のようにある状況下で、非生産的なこれらの課題にエネルギーを投入する事に二の足を踏む。しかし、それが言い訳派を野放しにしていく。

共認原理で動く強固な組織を形成していくには、いいわけは辞さないという規範形成が最終的には一番効力を発揮する。しかしそれを形成する為に日ごろやる事はたくさんある。最初の規範は「流さない」という事になるのではないか。

>共認圧力を作り出すもの、原動力は何なのでしょうか?
(中略)まずは共認充足に貪欲な、その重要性に自覚的な最先端のひとたちから「流さないで発信していく」。221975

2016年4月11日 (月)

対象や主体にある実現基盤を見出す追求=実現思考

>成果度の高さも、実現可能性も、「自分からみんなへ」の意識転換や応望性によって決まってきます。 「対象=主体」という認識を元に考えたら、 全ての言動が“みんなの役に立つ”という軸で統合されている人って、 相手の期待を実現する基盤を、自らに見出して応望しているし、 自らが感じとったみんなの不全感を実現する基盤を、みんな(社会)に期待して、追求し続けている…!! つまり、 自らの内に生じた欠乏や不全感の実現基盤は、みんな(社会)=対象にあるし、 相手の内にある期待の実現基盤は、自ら=主体にある。 そして、実現基盤を見出す追求が、実現するための思考そのものということなんだと思いました。

中瀬由貴

2016年4月 9日 (土)

【図解】自主管理への招待(6)実現思考とは何か

211502『自主管理への招待(6) 実現思考とは何か』
>... 人は、対象とイコールに結ばれた主体としてのみ存在する... 打ち消し難い課題を自らの内に孕んだ主体は、その実現対象をこの社会構造の中に見出し得る...

実現思考とは何か?その秘訣を、以下の型に凝縮した。

◆型(実現思考)⇒新たな不全(欲望・願望)の背後に、新対象あり!!
                         (可能性)
   ≪主体≫    ≪対象≫
 ┏━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 旧主体 ⇔ 旧対象の実現 ┃
 ┃  |       |    ┃
 ┃  ↓       ↓    ┃
 ┃ 新不全 ← 新対象の登場 ┃
 ┃  ∥       ∥    ┃
 ┃  ∨       ∨    ┃
 ┃ 新主体 ⇔ 新対象の実現 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━┛

◆実現するには?⇒“生産力の発展”の史的構造から実現基盤を得る!!

   ≪労働主体≫          ≪労働対象≫
 ┌────────┐     ┌─────────┐
 |  断絶した  |     | 採取生産の実現 |
 |個々の技術・技能|     |    ↓    |
 |    ∥    | <=> | 農業生産の実現 |
 |    ∨    | 高度化 |    ↓    |
 |   機械   |     | 工業生産の実現 |
 └────────┘     └─────────┘
      ↓               ↓
  日々の労働の疎外  <――  新たな意識生産の登場
      ∥          (物的価値から類的価値へ★)
      ∨               ∥
 ┌────────┐          ∨
 |労働力そのものの|     ┌─────────┐
 | 総体化・根底化 |     | 意識生産の成長 |
 |    ∥    | <=> |     ・実現 |
 |    ∨    | 高度化 |         |
 |  自主管理  |     |         |
 └────────┘     └─────────┘

実現するには(労働疎外の答えは)、主体の全てを“新たな対象=新たな意識生産(類的価値の生産)の実現”に向けること。そのために必要となるのが、『自主管理(労働者が自ら生産の全体を把握し、その意味を了解した上で管理してゆくこと)』である。

福田尚正

2016年4月 7日 (木)

「素人の創造」は旧観念を基盤にした私権制度の壁を突き抜ける制度設計提案の段階に入った

「素人の創造」を標榜するるいネットでは「社会統合階級の欺瞞性」や「学者・官僚・マスコミが答えを出せないのは何故か」は過去から一貫したテーマとして扱われてきました。以下の01年の投稿もその一つです。

>かつて、自由・個人・権利etcの観念を中核とする近代思想は、輝きを放っていました。しかし、その近代思想も、'60年代を通じて急速に色褪せてゆき、貧困がほぼ消滅した'70年をもって生命力を絶たれ、輝きを失って終います。・・・ところが、大学(人文系)やマスコミは、既に生命力を失い、形骸化したそれらの観念に未だにしがみついています。実際、彼らは百年も前から同じ言葉を繰り返しているだけで、本質的には何の進歩もみられません。これでは、当面する社会の閉塞や危機に対応できる訳がありません。 968

当時は、「学者やマスコミや官僚が答えを出せないのは、(自由・個人・権利等の旧)観念にしがみついているから」→「それは彼らが、旧観念を売り物にして現代の神官としての特権的な身分を手に入れた特権階級だから」という「旧観念の弊害」という視点で分析しました。さらにそもそも現実を対象化していない架空観念である近代思想は社会を統合する認識足り得ない、という認識論まで遡って検討しています。

しかし、思想の形骸化は更に進み、もはや「旧観念」の力は衰弱する一方なのに、社会統合階級の無能化と暴走はますます加速する一方です。(とりわけマスコミの発信内容はどんどん空虚化していっているのに、マスコミの暴走は止まらない・・・)これは何故なのでしょうか?

架空観念、欺瞞観念といえども、それが思想基盤となって現実の社会‘制度’が構築されてしまうと、社会には大きな歪が生まれてしまいます。具体的には、個人の私権追求の自由を平等に補償する仕組みとしての試験制度が社会全体に行き渡り、試験の難易度を評価軸とした学歴社会と、それを基盤とした近代的官僚制度が出来上がると、社会統合階級は「自分のことしか考えない連中」ばかりで締められるようになってしまっています。

「学者やマスコミや官僚が答えを出せない」原因の一つに旧観念の架空観念性という思想的限界があるのは確かですが、実際にはその思想が結実した試験制度こそが「統合階級の無能化と暴走」を加速している温床なのです。

先日のなんで屋劇場でも議論された通り、試験制度をはじめとする様々な「私権制度の壁」を打ち抜かない限り「秩序収束と変革期待」の綱引き状態を打開することはできません。もはや旧観念そのものは力を失った現在、私たちは新らしい制度設計とその根拠としての旧観念批判という形で、共認形成を進めていく段階に入ったのだと思います。

山澤貴志

2016年4月 5日 (火)

自分発だから思考停止に陥る。みんな発なら自在に思考を切り拓く!

>丁寧にパッケージ化することは、むしろ良いことのように思われている。
しかし、実は、そのように企画化し、説明し、商品化するという一連の
行為自体が、生きた感覚も思考も身体も食べ物もを思考(活動)停止させている元凶のように感じられてきた。>
>問題なのは、その時点で思考(活動)停止して終わってしまうことである。>221421

パッケージ化(規格化?、定型化?、規範化?)が思考停止に陥る原因ということですね。
確かに、そのとおりに行動しさえすれば問題ないということで止まっていると、主体性が欠如して思考停止に繋がりますね。

ただもう一歩考えてみると。。。

その定型化された行動によって誰が喜ぶか・誰の役に立つか、つまり対象まで意識していればどうでしょうか?

その意識があれば、もっと喜んでもらう・もっと役に立ちたい、と思うのではないでしょうか。
その為に“今の定型化された行動に加え、もっとこうすればどうかな”という「工夫思考」が生じるものです。
逆に、あまり喜んでもらえない。役に立てないとなれば、“なんで?”と「なんで思考」が生じるものです。

そのように考えると、「思考停止」の本質問題は、パッケージ化よりも、その行動の背後に『対象への同化が欠如』していることにあるのではないでしょうか。

観念は潜在思念(本能・共認)を充足する為にあります。
思考を発動させるエンジン役は、本能と共認回路であり、貧困(生存圧力)が消滅して本能を直撃する圧力が衰弱した現在においては、主に共認が思考(観念回路)の源です。

とすれば、「対象への同化が欠如」→「思考停止」するのは、「共認充足の欠如」であり、「みんな課題(期待圧力)の欠如」にあるのではないでしょうか。

思考停止は、「自分にとってどうか」という自分発の思考だから。
逆に、「周りはどうか」という相手・みんな発の思考になれば、自在な思考を切り拓くことになります。

>有能と無能を分かつもの、それは『周りのことを考えているか、自分のことしか考えていないか』である。> 220979

※パッケージ化(規格化?、定型化?、規範化?)を問題とするならば、その中身が、「みんなの役に立つかどうか」を追究することが重要になると思います。


麻丘東出

2016年4月 3日 (日)

真の社会は当事者によって創られる

共認時代に転換した今でも、特権階級たちは依然として生き残っている。しかし、特権階級(特にマスコミ)たちは、徐々に行き場を狭め、居場所を失いつつある。 それは、今でも旧観念で世論を形成しようとしているからであるが、今の時代誰も求めていない。このようなことをひたすら続けたことによって、皆から見放されつつあり、それが今日の朝日新聞、電通等の赤字となって顕在化している。 特権階級たちは、皆のために世論を形成しようという意識は全くない(=傍観者)。今でも己の利権、権益を得るかに躍起になっている。この意識では、人を動かすことはできない。 共認時代に転換した今、傍観者では答えを出すどころか、答えがなく目先的なところに収束し、結果的に余計な混乱を招くだけになってしまっている。 >現在、私権闘争は衰弱し、現実は既に同類圧力にその姿を変えつつある。しかもその圧力源=活力源は「あくまでも人々の期待に対する応望が主目的であって、闘争が主目的なのではない。」 「人や社会の役立つ仕事がしたい」という意識は、年々強くなってきている。むしろこの意識こそ、これからの時代の活力を生み出し、当事者になれる出発点だと思う。 当事者になるからこそ、やりがいが生まれることはもちろんや周りの期待に応えることで、評価を受けることができる。良い評価を受けることが出来れば、充足できもっと頑張ろうと思えるし、指摘を受けた場合でも、ここを改善すれば、「もっと良くなれる」と思えば、新たな活力も生まれ、次に繋がる。 今回の議論で社会の当事者になれば、人は確実に成長できるのだということに気づくことができた。この先もずっと当事者意識をもって、仕事や勉強会に参加していきたいと思う。 K-brace 

2016年4月 1日 (金)

知識階級の無能の原因は西洋客観主義

>主体=対象である以上、人々の意識とは、自分の意識に他ならない。 現在の社会制度は概ね明治時代に形成されました。それまでの江戸封建体制を、海外資本の援助とともに西洋近代社会の模倣へと転換したものが、現代の日本の社会制度の基盤となっています。 しかも、当時の指導勢力は、武士社会に於いては下層に位置した人々で、明治維新によって構築された大学制度や官僚制度などに則って西洋思想に傾倒して、知識階級という新たな階級を日本の社会に築いていきました。彼らが主に着目したのが客体→客観主義であり、そのことによって思想する自らを絶対化するという手法です。又こうした手法が学問として正しいと自己正当化も欠かしませんでした。結果として知識階級は、徹底的に社会現象から距離を置く「傍観者」となってしまいました。 彼ら自身はそうすることで新たな身分を獲得できたでしょうけれど、大衆は彼らが日々答えを探求していると騙され、彼等に委ねた結果、終には現在の深刻な閉塞状況に至り、今改めて彼ら知識階級の無能ぶりも露呈しています。 しかし、一方で私権の衰弱とともに事実認識や共認統合による可能性が顕在化し、現在全ての人々が当事者化していっています。注目すべきは、この潮流が西洋学問からは生じ得なかったことだと思います。明治維新以降始めて人々が社会を対象化できる画期を向かえたのだと思います。

匿名希望

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