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2016年1月 6日 (水)

実現可能性を導き出す思考が許された今

>実現の可能性を封印され、現実に対する否定意識と(変革)不可能視だけを深く刻印された旧観念パラダイムの下では、物事の摂理を原因→結果という因果関係で理解することが、当然の思考法となっている。しかし、当然のことながら、その思考法or因果関係からは、決して実現可能性は導き出されてこない。

因果関係で理解することが、当然の思考法となっていたのは何で?

圧倒的な身分序列があった封建時代。
下位身分の者は、私権を与えられないのが当然で、
変えられない現実に対して不可能視をしていた。

奴隷は奴隷の身分にいることが当然であり、
死にたいと思っても死なせてもらえないという状況にあった。
それでもなんとか観念上は救われようとした結果、
倒錯観念や欺瞞観念という旧観念が生まれることになった。

倒錯観念は、現実捨象の観念で、宗教がそれにあたる。
そこに実現可能性を導く思考はなく、キリスト教であれば
「全能の神を信じ、礼拝に行きさえすれば、あの世で救われる」
という現実捨象の浅い因果律の思考にとどまっていた。

欺瞞観念は、本音捨象の観念で、フランス革命に代表されるように、
本音では私権を求めておきながら、「自由」「平等」「平和」という実現性皆無のものを求める観念のこと。「戦争」が嫌だからその反対の「平和」を求める。という漠然とした浅い因果律の思考にとどまっていた。

現実直視していると救われず、変えられないのが当然であった時代には
因果律の思考で止まっているのが当然であった。

では、現代はどうか。
圧倒的な身分序列もなく、変えられない現実は無い。
なのに、なにか都合の悪いことが起こると、原因を探し、
そのせいにして観念上で救われようとしている。
そして現実は一向に変わらないどころか、閉塞していく。
この思考は、封建時代と変わらない。

現代には、実現可能性を導く思考が許されているのだから、
なにも奴隷のような思考でとどまっている必要はない。

「なにが原因かを考える」で留まらず、「どうすればもっとよくなるか」を考えることが「できる」時代になっているということに気づけました。

佐々木尊一 

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