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2016年1月24日 (日)

なぜ同じような時期に同じような想いや行動が生まれるのか?

るいネットに参加していると、
“あれ、この投稿の内容、ちょうど書こうと思っていたのと同じだ!”
“この事象ネタはやっぱり要チェックだよね”
と、まるで申し合わせでもしたかのように想いが一致することがしばしばあります。

また、このような現象は、例えば芋洗いをする猿の数が臨界点を超えると群れ全体に一斉に拡がり、それが遠く離れた場所の群れにも伝播したという幸島の「百一匹目のサル」の話(13302)や、「直接的な接触が無くても、ある人や物に起きたことが他の人や物に伝播する」というイギリスのルパート・シェルドレイク博士の仮説(リンク)などで見聞きしたこともあり、非常に興味を持ちつつも、一方でこれらの言説にはどこかスッキリしないものを感じていました。

一体なぜこのような現象が起きるのでしょうか?その答えが過去の投稿にありました。

>本来人類は(どんな生物でもそうですが)、同じ環境で同じ外圧下に置かれていれば、考えることに大差はありません。もし全く違うことを考えていれば、そういう人のことは「きちがい」と言います。

西洋人は不思議がって、「共時性」だの「集団的無意識」と研究していますが、近代個人主義の洗脳度が低い日本人にとっては、「以心伝心」「あうんの呼吸」であって、取り立てて不思議なことではありません。(中略)

「共時性」や「集団的無意識」を本質的な概念で置き換えれば、『可能性収束』(「実現論 第一部:前史」参照)なのではないでしょうか。
刻一刻と変化する環境、外圧に対して、本能から観念機能までを駆使して可能性を探求します。そして、その結果が一致したとしても、驚くには値しません。<(13456「共時性」「集団的無意識」について)

外圧は万人にあまねくかかっている。それに対してとことん“なんで?”“どうする?”を追求している人は場所を問わず存在している。その結果として同じような状況認識や発見、あるいは行動が同時期に生まれるのは必然なんだ、と気づきました。



竹村誠一  

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