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2015年11月

2015年11月29日 (日)

否定回路から脱却できる基盤は「誰もが実現回路をもっている」ことと「実現の時代である」こと。

なんで屋サロンで「言った言わないの責任論になっている人って、結構同じ人だよね…」という話に。なぜいつもそんな言い合いになってしまうのかなと思っていたが、原因は、

>いったん否定回路⇒感応観念に収束して終うと、そこから抜け出せなくなる19060<構造の中で、「今回はうまくいかなかった」「分ってくれない相手が悪い」と否定回路⇒感応観念に収束しがちであることを自覚していないからだろう。

貧弱であろうが、実現回路は誰しももっている。心底では実現したいと思っている。その実現回路を太くしていくためには、内面を探索するのではなく、みんなの成功体験に委ねて、羅針盤にして、実現したという成功体験を自身も積み重ねていくことだろう。

そして、現実の可能性は閉ざされていると勝手に思い込んでいるが、今は充足可能性に導かれて実現していける「実現の時代」であることは、なによりの実現基盤だ。

中瀬由貴
 

2015年11月27日 (金)

【図解】思考次元2 否定意識の倒錯思考

    現実に可能性が閉ざされる          ↓        実現回路が貧弱                ↓                否定回路が形成                ↓↓          ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓  ┃ 捨揚回路(-捨象、+収束の回路)┃  ┃       ↓↓        ┃  ┃      +幻想        ┃  ┃       ↓         ┃  ┃   意識は統合できない     ┃  ┃       ↓↓        ┃  ┃   感応観念をつくりだし────┃─→全意識は統合されない  ┃   意識を統合しようとする   ┃     |  ┃                 ┃     ↓  ┗━━━━━倒錯思考━━━━━━━━┛   常に悩みが生じる          ∥               ↓        思考停止             悩み思考          ↓               ↓         現 実 は 何 も 変 わ ら な い ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■  ポイントは、悩み思考も倒錯思考も根本原因は「現実に可能性が閉ざされてる」ことから「実現回路が貧弱」で「否定回路が形成される」ことにある。  でも考えてみると、現代は本源充足の可能性は開かれている。とすると「現実に可能性が閉ざされてる」と思い込んでいるのは、頭の中で思い込んでいるだけ!  逆にそこを転換することさえ出来れば、倒錯思考や悩み思考から脱却できるのである! 末廣大地

2015年11月25日 (水)

“本音の付き合い”から、“答えの付き合い”へ

>それらの都合の悪い本質部分は、あくまで否定すべきものとして捨象した 私権時代、本音とは、自我・私権(の欠乏)。 表に出したら都合が悪いので、捨象したり隠したりしていた。 だからこそ、私権時代には“本音の付き合い”がやたら価値があるものとされていた(ヒミツや本音を打ち明けてくれることが信頼の証だったり、それを漏らさないことが忠誠の証だったり。) でも共認社会では、本音とは、共認(欠乏)。 誰に知られても構わないし、隠す必要もない。 だから、“(唯一)本音で付き合える相手=親友”という存在は、もはや架空観念でしかない。(共認収束が半顕在化してきた'90年代以降、露店で、高校生が「親友って、何?」と聞いてきたり、新卒募集で、「親友は何人いるか?」という質問に対し「5人」「10人」と答える学生がたくさん登場し始めたりしたことは、それを示している。) そして、“本音”が、どこでも誰とでも共有できるものになった以上、「どうしたら本音を実現できるのか」の“答え(どうしたら充足できるのか、どうしたら活力が出るのか、どうしたらもっと良くなるのか)”こそが、価値があるものとなる。 >今求められているのは、解脱仲間から認識仲間への転換である。(注:解脱仲間とは、古い私権時代の仲間様式であるに過ぎない。活力源が既に私権圧力から同類圧力へと転換した今、求められているのは、本源収束・外向収束を体現した認識仲間である。(25433) これからの時代、“本音を共有する”解脱仲間ではなく、“答えを共有する”認識仲間であることで、人と人は強く繋がれるのだと思う。

西知子

2015年11月23日 (月)

【図解】自主管理への招待(5) 否定し要求するだけの「閉塞の哲学」から、実現対象を獲得した「解放の哲学」へ

投稿211431の図解  【工業生産】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・>【意識生産】 機械が生産の主役・・・・・・・・・・・・・・・・・>人間の労働力が生産の主役となり    ↓                   ↓ 人間は資本力によって支配される・>   〃  社会の主人公となる    ∥                   ∥    ∨                   ∨ ★自己の奴隷性から目を外らせて・>現実を生きていく豊かな能力獲得    ∥                   ∥    ∨                   ∨ ★「個人」幻想へ・・・・・・・・・・・・・・・>自己から対象へ認識ベクトルの転換    |                   ∥    ↓                   ∨ 敵対的な「社会」だけを取り出し・>否定的な対象のさらに根底に、実現    |            を可能ならしめる地平を探り続ける    |                   ∥    ↓                   ∨ 「社会」体系は否定一方に歪小化・>自己を実現し得る肯定的な社会構造    ∥             の地平に至る    ∥                   ∥    ∥                   ∥    ∥             否定そのものを否定し 否定に貫かれた<閉塞の哲学>・・・・・>実現対象を獲得した<解放の哲学>へ 工業生産時代は、自己の奴隷性から目を外らせて、「個人」幻想の中をさまよったので、対象側に目を転じても、否定的な社会体系しか取り出せず、現実そのものは何一つ変革されない。因果関係で<閉塞>してゆく。 一方、意識生産時代は、どうする?⇒方針or○○が必要、と実現思考で貫かれる。ただし、実現思考を貫徹し現実の中に答えを求め続けなければ、旧い否定思考に閉じ込められ、ひとり現実から取り残されることに注意。

匿名希望

2015年11月21日 (土)

非日常的空間で得た「答え」は役に立たない

煩雑な現代社会の中で「答え」を求める時、過去の宗教家・思想家と同じように日常から身を離して物思いにふける人々をちらほら見かける。
例えばインドに行って瞑想をした知人は「悩みが晴れた」「考え方が変わった」などと言っていた。

しかし、それはあくまで「異空間」における考え方を身に付けただけであり、日本の社会に戻って働きはじめた途端に以前と同じ考え方・行動に戻っていた。

結局、生物は環境に適応するものであるため、日常と切り離した場所で得た思想・行動はその環境でのみ有効なのだと言える。元の環境に戻れば再びそちらに適応するのは不思議ではない。

だから、我々にとっての環境である「社会」を変えることでしか現実問題を突破することはできない。
その手段は、「自主管理への招待(2)」(211322)に示されている。

>社会は、その時代の人々の欲求に応え、かつ人々の営為によって担われる〈生産様式〉を土台として、その様式に応じた生産と政治の諸関係を構成し、再び人々の存在と意識をそれらに適応させる。つまり、人問と社会との夫々の存立の基盤を成し、夫々の存在の中核と成っているのは、生産であり労働である。

>社会の土台を成す新しい生産のあり方を提示することなしには、社会を変革することはできない。

要は、異空間で頭の中だけ変えてくるのではなく、現実社会における「日常」である生産活動そのものを変えなければならない。

「答え」を目の前の現実以外に求めるのは、一種の「逃避」とも言える。

小西良明 

2015年11月19日 (木)

思考パラダイムの転換も、男と女の役割分担から・'゚☆

私権時代の思考は一貫して不全発で、男の人の思考も少なくとも顕在的には危機意識発で、だから「即座に不全を処理」したり、「可能性発の必要意識」ってことに、最初は否定的だったり半信半疑だったりする。 でも一方で、実現の意思を強く持ち、本気で闘っている男の人ほど、女の充足性に助けられたり、女の直感を頼りにしたり、という実感もある。 だから、男が同じこと言ってもダメだけど、 女が「大丈夫!」って言ってたら、その根拠を検証してくれる。 女が「イケそう♪」って言ってたら、イケる方法を探してくれる。 女が「いいじゃん☆」って言ってたら、良い結果を出してくれる。 そのうち男の人も、「上手くいくための思考っていうのは、そもそも“可能性発(潜在思念で可能性を感じているから)”なんだ。それを実現するために、構造認識が必要なんだ。」って自覚し始める。 思考パラダイムの転換は、潜在思念では誰もに生じていることだけど、それをいち早く体現して可能性として示すのが、女の役割。 そして、そんな女を肯定的に受け止めて、思考パラダイムの転換を構造的に示してくれる男の人に感謝です・'゚☆ 

西知子

2015年11月17日 (火)

「無能の自覚」とは、「一人では決して実現できないんだ」ということの自覚。

>『無能』という言葉が私権時代は「使えない」という意味だった。 212096 無能と言われると、「自分はそんなはずはない」と、意味を捉え違える人がいるが、それは違う。 社会は閉塞し、新しい可能性を紡ぎだしていく時代、どんなことであろうと、何かを実現しようとおもったら、決して一人ではできません。 だから、共認時代においての「無能の自覚」とは、 「一人では、決して実現できないんだ。」 ということを自覚し、みんなに委ね発信できることです。 だから、成果を出せる人は、本気で実現しようと思っている人は・・・ 【周りに発信する。】 「ここ、どうなった?」 「この部分、心配なんだけど・・・」 「これ、どうおもう?」 「今、なにしているの?」 いつも周りに目を配る。いつも周りを感じている。 そして、周りを巻き込み、実現していく。 一方、 「周りのことはよくわからない。」 「となりの人が何しているか知らない」 「誰が話していても、あまり興味がない。」 「人とはなるべく関わりたくない」 という、無関心な人は、危険信号です!! これぞまさに、使えない人!! 無関心をやめて「一人では決して実現できない」ということの自覚。 これが成果への第一歩!!

2015年11月15日 (日)

Web Bot Project  ・・・ コンピューターでWEB上の潜在思念を集計し、未来を予測する試み?【その1】

「Web Bot Project 」なる未来を予測するための試みがあるらしい。 ■以下引用「すべてはひとつ」リンク________________ 「Web Bot Project 」の仕組みはこうです。 「Web Bot」とは、インターネットのディスカッションサイトに目立たない形でしのばせてあるデータ収集用のソフトウェアのことで。このソフトは、特にネットで交わされた会話の単語に注目し、それを収集するように設計されているそうです。 その集められた単語を ”感情値” と言う独自の値を計算します。(意味と感情値は必ずしも一致しない) 例えば、こういう場合 1.「離婚した妻が所有権を主張して車に乗って行ってしまった」 2.「離婚した妻に車を盗まれた」 いずれの文も同じような内容ですが、「乗って行ってしまう」と「盗む」ではその語に込められた感情の値がまったく異なります。 前者は、話者が状況を冷静に把握し感情価は小さいが、これに比べ後者は、予期しない突然の事態の発言であることを予想させ感情価も非常に高い。 さまざまなディスカッションサイトで収集したキーワードの感情価を測定し、それを特別に開発した言語で処理して数値化し、その増減を明らかにするのがWeb Botプロジェクトです。 そして、そこから何がわかるのか。 あるレベルを越えた感情価を持つ単語があった場合、その単語に関係した出来事が将来かならずといってよいほど起るのだそうだす。たとえばスマトラ大津波の前には、「インドネシア、大量の水、破壊、多くの死者、大災害」などの言葉が感情価が高く津波が来ることを予想させた。」 さて、ここから私の独自の解釈です。 なぜ感情値を測定すると未来が予測できるでしょうか。 ポイントは人類の潜在意識(共通意識)です。人々の潜在意識はこれから何が起きるのかを実は正確に知っている、のでしょう。そして、ある事象の発生日時が近づくと、その事象にまつわる単語が人々を通して顕在化する度合いが多くなる。 1.の文と 2.の文をもう一度よくみてください 1.は 左脳的表現であるのに対し 2.は右脳的表現である。と言えませんか 右脳は潜在意識につながっています。ですので、ある事象が発生する時期が近づくと、その事象に関する感情値が高い(より右脳的表現)単語が多く見られるようになり、それらの現象から、これから起きる事象を予測できる。「Web Bot」の未来予言は、こういう事なのではないでしょうか。 _____________________________引用以上 社会情勢=外圧を受けて、WEB上に表出してきた潜在思念を集約し未来を予測するということか?(予言と書いてあるが) コンピューターでは集計はできても判断はできないので、誰か・もしくは何かの団体が判断するということ? いろいろ謎な部分はありますが、試みとしては興味深いものがあります。

大森義也

2015年11月13日 (金)

動物と人類の違いは・・・共認機能と観念機能

人類も動物と同じように、外圧に適応すべく可能性を探索し新たな機能を塗重ねてきた存在です。 その中で、(サル→)人類と一般動物との違いは、「共認機能」と「観念機能」。 実現論1_4_12 > 共認機能は本能の単なる代替機能を超えた機能である。むしろサルが形成した共認機能は、本能を進化させるDNAの組み替えより遥かに容易に、かつ多様に、(本能の代替物でもある)共認内容を組み替えることが出来る機能であり、それまでのDNA進化という生物史を覆す、全く新たな進化機能の実現だったのである。 実現論1_6_04 > この観念機能(特に言葉)は、サルが頼りにする表情や身振りによる共認よりも、遥かに多様で容易な共認を可能にし、共認内容の無限の組み替えを可能にする。従って、観念機能こそ、DNA進化に替わる新たな進化機能=共認機能の完成形態であると言える。しかし、観念機能がDNA組み替えを超えた新たな進化機能であるという事は、その機能を獲得した人類は、その共認=観念内容によって進化もすれば退化もする可能性を孕むことになる。 ★人類は、共認=観念内容によって進化もすれば退化もする。つまり、人類にとっての命綱。 ・常に外圧(≒みんなの状況)をつかんで、可能性を探索し続け、共認を組み替えてゆくことで、新たな現実を切り拓いてゆけるということ。 ・逆に・・・世の中がおかしな共認(事実に反する共認、自然の摂理に反する共認)に支配されてしまったら、人類の集団や社会はとんでもないorとりかえしのつかないことになってしまう。

岩井裕介

2015年11月11日 (水)

構造化(図解化)において重要なのは「幹」「枝」「葉」を整理すること

>構造化において重要なのは「幹」「枝」「葉」を整理することです。125321

今日のネットサロンの図解作成で失敗をしました。

「思考次元3 本能⇒共認⇒観念の超越思考(構造認識)19061」の図解で、幹は「超越存在たる社会の構造に起因する危機や課題は、超越思考(構造認識)によってしか、把握することも解決することも出来ない。ゆえに構造思考⇒構造観念に収束」というあたりかなーと思いました。

ところが、「構造思考の求める答えとは、内部意識(欠乏や危機や課題)と状況認識をイコールで結ぶことのできる実現回路」という部分を読んで、前回作成した「思考次元1 潜在思念の実践思考19059」の図解とどう繋がるのかなーと考え、その意識に引っ張られたまま図解を作成しました。

結果、どこが幹なのかもわからない中途半端な図解になってしまいました。

「幹を捉えて相手の意図に同化する」という図解作成の意図に反して、自分の(問題)意識を対象化した図解になっていたということです。これを仕事場面に置き換えると、ミスや成果度▼に繋がる典型的な事象だと感じました。

○図解化という思考訓練は“自然の摂理”との同化そのもの126186

>人類の最先端機能たる観念機能による『事実の認識』も同様であって、完全なる認識など存在せず、人類史を通じてより高い適応を求めて無限に塗り重ねられ、進化してゆくことになる。実現論1_1_03

図解化の意味を再認識し、次回から軌道修正していきたいと思います。

2015年11月 9日 (月)

自主管理への招待(6) 実現思考とは何か

【自主管理への招待(6)】

私たちは、こう考える。もし私たちの求めるものが、本当に現実性を持ったものであるなら、それを実現しうる対象的な構造がすでに現存のこの社会の内に実在しているはずだと。私たちが、単なる消費的な欠乏ではなく、日々の労働の疎外を問題にし続け得るとしたら、疎外を克服しうる実現の基盤は、すでに歴史的に用意されているはずだと。人は、対象とイコールに結ばれた主体としてのみ存在するのであって、決して自分だけで生きているのではなく、まして観念だけで生きているのではない。従って、欲望や願望が実現されるためには、それらとイコールに結ばれるそれらの対象が、同時に存在していなければならない。逆に、そのような実現対象が社会的に存在していないとしたら、いかなる価値も理念も決して実現されない。実現対象を獲得し得ない全ての価値意識は、非存在であるにすぎず、いずれ消え失せてしまう。逆に、打ち消し難い課題を自らの内に孕んだ主体は、その実現対象をこの社会構造の中に見出し得るはずである。

私たちは、このような実現の基盤を、採取生産から農業生産へ、農業生産から工業生産へ、そして工業生産から意識生産へと上昇してきた歴史的な生産力の発展に求める。新しい生産様式は、その生産活動に最適の新しい社会関係を求めて、古い生産に基づく社会関係を根底から揺り動かす。いま激動を伴いつつ登場してきた意識生産こそ、新たな社会を担う主要な生産力へと成長してゆく新たな生産様式であり、私たちの根底的な実現の対象である。

教育・情報・サービスの諸産業を中心とする意識生産は、その生産の対象と価値において、過去のあらゆる生産から本質的に区別される。有史以来、すべての生産の主要な対象は、物(自然)であった。それに対して、意識生産の主要な対象は、類(人間またはその関係=社会)である。つまり、従来の生産が主要には自然を対象とする物的価値の生産であるのに対して、意識生産とは、人間または社会を対象として類的価値(関係価値)を生産する活動である。

物的な価値は、専門分化され夫々に固有の領域が拡大される事によって高度化されてゆく。そこでの分化された一つ一つの労働力の内容は、相互に断絶した個々の技術・技能として歴史的に普遍化され定式化されてゆき、従ってその労働力の大部分は、機械に置き換えられてゆく。それに対して類的な価値は、はじめから諸個人を超えた相互の関係そのものの内に生じる価値であって、どこまでも総体的な社会的連関の中につながってゆく。従ってそこでは、労働力そのものの総体化あるいは根底化の程度が、そのまま高度化の程度を規定する。(例えば、教育の高度さは、教育者自身の全人間的価値の程度によって決まるのである。)つまり類的価値の生産においては、たとえどれだけ専門分化されても夫々に要求される能力の根は一つであり、誰もに普遍的に類(人間または社会)総体を対象化する能力が要求される。

それだけではない。意識生産は、工業生産から画然と区別される、一つの決定的な可能性を内包している。工業生産においては、その生産力の主要な担い手は機械であって、人間の労働力は機械の付属物であるにすぎない。実際、そこでの労働課題と労働時間は、機械装置や材料の流れによって分断され、秒刻みに規定されている。それに対して、意識生産における生産力の担い手は、生身の人間の認識と実践だけである。その生産を推進してゆく生産力を、労働力(とりわけ関係能力)として自らの内に具現した意識生産者は、もはや機械を必要とせず、従ってまたその所有者を必要としない。
それどころか、多様な自主判断の過程として日々の労働が営まれ、誰もに総体的な関係能力が要求される意識生産においては、その労働過程から関係性を剥奪して労働者を技術過程だけに閉じ込めようとする私有権力やその体制は、生産を促進するのではなくむしろ生産を妨げる余計な桎梏となる。機械によってではなく、契約をはじめとする様々な社会的関係によって規定され、従って課題そのものが流動しながら数ヶ月にわたって続いてゆくその労働過程は、労働者が自ら生産の全体を把握し、その意味を了解した上で管理してゆく方が適している。何故なら、意識生産において最も重要な生産能力=労働能力である認識能力や組織能力を高度化してゆく最高の教師は、自らの手で生産を管理しさらに会社を管理してゆく事だからである。逆にそこでは、いつも誰かに管理され、与えられた仕事しかやろうとしない古いお抱えの労働者は、もはや生産力たり得なくなる。
(※建築設計という生産活動も、その例外ではない。打ち合せから監理に至るまで、その労働は技術活動である前に、何よりも関係活動である。テクノロジーも又、非定型な社会的諸条件の中に多数の技術を総合的に適用する事である限り、そこでの技術の習得の槓桿を成すのは、社会の習得による諸関係の構成能力と統合力なのである。まして計画の生命は人間と社会の認識であり、それは「建築思想」なる思想?でお茶を濁して済ませるような安易な事柄ではない。)

岡田淳三郎 

2015年11月 7日 (土)

【幹図解】新パラダイムの効用1 現実否定の鎖を断ち切って、プラス活力の上昇へ

     ┌―――観念パラダイムの逆転――――┐      |◎現実=下部意識を対象化     |      |◎現実否定→倒錯思考の既成観念を |      | 全的に否定(現実否定の否定)  |      └―――――――――――――――――┘             ∧  |               ∥  ∨       一直線にorひたすら現実の可能性に       収束すれば良いことになる             ∧  |             ∥  ∨      ┌――――プラスの活力源を強化――――┐      | ◎大きな活力上昇         |      | ◎構成や論理が明快になり、文章に |      |  勢いが増す           |      └――――――――――――――――――┘ ●パラダイム転換によって、→ひたすら可能性収束できるようになり、その結果→大きな活力上昇が期待できる。 ●逆に言えば、プラスの活力源を強化する為には、⇒一直線に現実の可能能性に収束することが必要で、そのためには⇒パラダイム転換により否定の鎖を断ち切ることが必要!! モスキート

2015年11月 5日 (木)

日本の技術を支える縄文精神

日本製品は、一環して省エネ・コンパクトの方向性で開発されていますが、その背景には日本人が持つ深い精神性があります。

> この国民は必要にして有益な場合、その器用さと発明心を発揮する。そして勤勉さにおいて、日本人は大半の民族の群を抜いている。< 203888

> かれらの文明は高度の物質文明であり、すべての産業技術は蒸気の力や機械の助けによらずに到達することができるかぎりの完成度を見せている。ほとんど無限にえられる安価な労働力と原料が、蒸気の力や機械をおぎなう多くの利点を与えているように思われる。< 203891

> 日本は世界中から資源を集めてモノを作り、経済発展をしてきたのですから。私は、こうして蓄積された資源をきちんと利用していきましょうと当たり前の提案をしただけです。< 196628

> 家電リサイクルが動き出した時、海外からはさんざんバカにされたものです。消費者からお金を取って廃棄物処理をするなんて、不法投棄の山になるに違いないと。しかし、実際には、大多数の日本人はちゃんとルールを守っています。メーカーがきちんとシステムを作りさえすれば、市民もそれに応えるのが日本人だと思います。< 196630

> 貴金属のほうから、そういう特性を世に出してくれ、出してくれって言っているようにな気がするんですよ。われわれが特性を探し出すんじゃなくてね。世の中に出してくれ、出してくれと言っているものを出してやるように努力するのが、われわれの仕事じゃないかと思うんです。< 182549

> 東洋には自然に『生かされている』という思想があります。私なんか、多くの微生物に助けてもらってきたわけで、まさに『生かされている』と思います。< 182551

このように、日本の技術を支えているのは、日本人の特性である応望性の高さ、その背後に流れる縄文精神、あるいはもっと深い精霊信仰が見て取れます。

市場社会が崩壊して以降、技術開発の目的が、これまでの効率重視に替わって、自然の摂理に則って必要なものを作ることへと転換することになります。

「世界的な市場縮小で、輸出産業に依存してきた日本はもう駄目だ」という悲観論も耳にしますが、日本人の役割を産業の面でも世界に向けて発揮できるのはむしろこれからだと思います。

松尾茂実

2015年11月 3日 (火)

『オックスフォード大学』と『ローズ資金』の役割 【その2】 ・・・ 洗脳の方法

引き続き、「知性」という…マインドの牢獄 より。

■以下引用リンク_________________________

知性は圧倒的に左脳を通じて表現される。左脳は「物理的」現実、順次的、「合理的」、分析的、客観的なものを扱う脳の部位である、しかし私はそれらの「現実」を見、触れ、味わい、聞き、嗅ぐことができるだろうか? それが存在するとしよう。左脳、すなわち「知性」は五感を通して現実を受け取り、世界を全体としてではなく、部分の集まりとして理解するのである。再び我々の「社会」を見てみよう。

「教育」の背後にある理想は、私が「左脳の囚人」と呼ぶ状態を発達させることであり、オックスフォードのような場所では、それが最も極端な形で行われている。この知性の囚人を作り出すことが支配権力の目的であり、我々が小学校の初日に椅子に座った時から大学を卒業する日まで行われる。

この「教育」システムの中で、人はどのように進歩するだろうか? 試験に合格する、つまり左脳に情報を取り込み、試験用紙にそれを再現することが効率的であればあるほど、より早く、高度に進歩したことになるのである。(エリート家系出身者を除いて)これが見事にできれば、最終的にオックスフォードかケンブリッジ、ハーバードかイェールにたどり着く。

医師や科学者、有力政治家、キャリア官僚、軍将校などになるには一般的に何をすることが必要だろうか? 試験に合格すること、そして「良い教育」(良い洗脳)だ。年世代も絶えることなくこのシステムを運営し続ける機関は、左脳あるいは知性の奴隷となっている人々によって支配されている。このような人々は、各々の物事を全体のまとまりと関連付けて見るではなく、その一部と関連付けて見るのだ。

この事から、たくさんのことに説明がつく。

右脳は知性と対をなすもので、無作為な、直感的な、全体的な、そして主観的な物事を扱う。右脳の視点は全体性、創造性の自由な流れであり、有限ではなく無限なのである。右脳の表現の最も典型的な例は、芸術と異端者である。

「教育」と呼ばれる、イルミナティのソーセージ製造機の目的は、右脳を抑制する一方で、左脳を活性化し、刺激し、報酬を与えることだ。そしてこの過程で最も成功した犠牲者がこの支配権力を運営管理することになるため、社会は彼らの頭の中で形成されることになる。

私が大学でたくさんの左脳中心の人々、特に「エリート」のそれに出会うのはこのためだ。著しく活性化された知性なくしては、彼らはここまでたどり着けなかったであろう。しかし、“もし”マインドを他の高次な意識のレベルに開けば、発達した知性を持ちながら、その限界に従わないことも可能である。

このような人々は「全脳的」と呼ばれる。彼らは脳の両半球使って様々な意識レベルを釣り合わせ、繋ぐのだ。そのような人々は「あちら」側、「こちら」側、「両方」の世界に行き来し、依然として五感でとらえる現実の中で活動しながら、高次の視点からも見ることができる。そして「あちら」側の知識を、知性を通して大抵の人が理解できる言葉で伝えることができるのだ。

私は知性を攻撃しているのではない。知性がなければ、我々は身体というコンピューターを通して効果的に自己表現することができないからだ。天空のどこか“彼方”にいて、5感の現実で機能しようともがいていたり、大多数の人々が理解できる方法では自己表現できないといった「右脳中心の」人々に会ったことはないだろうか?私は長年、あまりに多くのこのような人々に出会っている。

従って、五感を通して効果的に機能するために、我々は知性を必要とする。しかし知性はふさわしい場所にとどまり、知覚の支配者となってはならない。知性だけが優位な立場にあれば、知性はモンスターとなり、最も驚くべきレベルの無知のなすがままになりうるからだ。

こういうわけで、左脳に偏った聴衆を相手にするのは最も能力が試される。そして私は左脳偏重の聴衆が一般的でないような大学には、行ったことがない。しかしもちろん、これはすべての個人に当てはまることではなく、大学にも全脳的な人々は存在する。

私がしばしば目にしたのは、知的な人々が左脳の奴隷となっているだけでなく、左脳という制限された現実の中にある設計概念の奴隷になっているのだ。例えば、今週私は、オックスフォードの多分17,8歳の学生2人と話していたが、社会は「主導権を握った」政府がなくても機能しうることが2人とも理解できなかった。

それは社会の調整役としての政府ではなく、「支配管理する」力としての政府のことだ。私には彼らが理解できない理由が分かる。彼らの知性は、知覚の潜在能力の小さな箱の中のレベルで発達したに過ぎないからだ。しかしこの箱は他の意識レベルを締め出しているために、他の可能性を締め出している。

手短に言えば、彼らの閉ざされた知性は、いろいろある観点のひとつに過ぎないということだ。そしてこうしている間にも、イルミナティの人材発掘者たちは契約書を作成しているに違いない。

___________________________引用以上

火中の栗

2015年11月 1日 (日)

『オックスフォード大学』と『ローズ資金』の役割 【その1】 ・・・ 海外から厳選された学生を洗脳するシステム

>1919年 円卓会議グループとローズ奨学金グループとの間で、RIIAとCFRの設立が決まる 210391 闇の支配組織(年表)より

ローズ奨学制度とは、

>世界最古でかつ最も栄誉ある国際的フェローシップ制度である。オックスフォード大学の大学院生に与えられる。 リンクウィキペディア

となっているが、原資となっている遺産の提供者であるセシル・ローズ自身が極めていかがわしいことと同様、その「成果」についても追究しておく必要がありそうだ。



「知性」という…マインドの牢獄より。

■以下引用リンク_________________________

自分を取り巻く、いわゆる「社会」を見れば、それがハートではなく、高次の意識でもなく、知性によって創られたことがわかる。教育システムは知性を崇め、試験によって、政治や金融、ビジネス、科学、教育、メディア、軍事を次世代に司る、最も優秀な知性の持ち主たちを見つけ出す。これがオックスフォードの役割である。

オックスフォードとその朋友ケンブリッジはたいへん古い大学である。ここには主に「最優秀」校出身の試験成績が最も優秀な者が送り込まれ、支配権力が定めるように世界を見るよう洗脳され、将来支配権力の使用人となるのである。彼らはここで、エリート家系のもつ影響力や、大富豪の子女が通う名門私立校のネットワークによって、オックスフォードやケンブリッジ進学を果たした生徒たちに、合流するのである。

アメリカでも事情はほとんど同じであり、ハーバードやイェールなど、アイビー・リーグの大学では、「ふさわしい」家の出であれば入学は実質的に保証される。

従ってイェールやオックスフォードやケンブリッジなどの「学問の中心」では、試験に合格したことで最も優秀な知性をもつと考えられる者たちと、イェールのジョージ・ブッシュ少年が典型的な例だが、両親や祖父母のおかげで入学できた者たちが一緒になっているのだ。

こうして、我々は支配権力を統括する家系の子供たちと、次の世代に彼らの代わりに支配権力を運営するであろう者たちが、同じ内容の「教育的」プログラムと、知覚プログラムを共有している。これが何百年も続いているのだ。

しかしオックスフォードはエリート中のエリート大学であり、イルミナティの世界支配の目的に奉仕する知性を育てる、世界の一等地なのだ。これが悪名高いセシル・ローズの1902年の遺産でいわゆるローズ奨学金が創設された理由である。この奨学金は海外から厳選された学生をオックスフォードという洗脳マシンに送り込むのである。この洗脳マシンには次のような座右{ざゆう}の銘がある。「Dominus Illuminatio Mea (ラテン語)」=「主は我が光なり」。一体どの「主」のことなのだろうか?

ビル・クリントンはローズ奨学生としてオックスフォードで学んだ。そしてローズ奨学金を受けなくとも、世界各国のエリート家系がその子息を「西欧化」つまり「イルミナティ化」するために送り込んでいる。そして帰国した子供たちはオックスフォードの設計図に沿って自国の社会を変えるのである。オックスフォードは世界を「西欧化」する最も有効な手段となっている。

オックスフォードは25人の英国首相と、多数の海外の指導者を輩出している。20人のカンタベリー大主教、支配権力の奉仕者の大物たち、ルパート・マードックのような大衆を操る輩たちだ。彼の会社や他の報道機関はオックスフォードとケンブリッジ(『オックスブリッジ』)の卒業生で溢れている。政党や、行政府の上層部、医療、主流派の科学、軍事においても同様である。オックスブリッジはまた英国情報機関の諜報員の主要な人材の供給源であり、彼らは幼児がするような「知的」ゲームをして他人の命を玩ぶことになるのだ。

彼らすべて、少なくとも大多数に共通するものは何だろうか?彼らはエリートのイルミナティ血族と同じように、知性の囚人なのである。我々の社会が意識の最も低い表現のひとつである「知性」を基礎とし、「知性」によって創られているのはそのためだ。

              (続く)

火中の栗
 

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