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2015年10月

2015年10月30日 (金)

【図解】超国家・超市場論2 闘争適応と共生適応

        ┌─――─―――――─―┐
        |   外圧適応態   |
        └―――――――――――┘
         ∥         ∥
         V   抜け道   V
【適応原理】 闘争適応 ‐‐‐‐> 共生適応    
         ∥         ∥
         V         V
       集団適応      取引・交換
         ∥         ∥
         V         V
【統合原理】 能力序列       お金
         ∥         ∥
         V         V
      ┌─――─┐ 原理的に┌─――─┐
【統合様式】| 国家 | 異なる | 市場 |
      └――――┘ 存在  └――――┘ 


国家と市場は異なる適応原理に基づく根本的に異なった存在である。
これは、国家と市場の関係を論じる上で決定的に重要な認識である。

新川啓一

2015年10月28日 (水)

認識回路には、感応回路と観念回路の二相ある!

18571 前夜の意識状況3 無用となった感応観念(価値観念や規範観念)
自我私権やそれを正当化した規範観念や価値観念は肉体的に(=自我回路や共認回路で)感応するのに、危機・課題は観念によってしか(超肉体的=超感応回路的にしか)認識できない。この感応回路と観念回路の認識位相の違いが、パラダイム転換を超困難にしている直接の理由である。

この「感応回路と観念回路の認識位相の違い」を認識することが、非常に重要であると認識するに至った。
どうやら私たちは、その構造を認識していないほど、四方勢至氏が提示する構造認識も、感応回路優位で捉えてしまっている可能性が高いからだ。

例えば、結論が自分に響いたかどうか(感応したかどうか)が意識の中心にあり、全体構造を掴むことが捨象されている。感応回路優位では、旧観念(感応観念)に絡め取られ、「見えている風景が違う208599」(対象範囲が狭く、自分中心になってしまう)。
そのまま何度読もうが、構造認識の獲得には至らない。感応回路ですぐに結論付けることは、危機や課題を前に思考停止していることと同じある。

認識回路には、感応回路と観念回路の二相ある!

それらの位相の違いが、パラダイム転換を超困難にしている直接の理由であるから、その位相の違いを認識することが直接の答えになる。

両回路を相乗的に使いこなすことが、人類の認識機能の本来の姿である。(7452)しかし、今の私たちは観念回路が貧弱ゆえ、全体がどういう構造になっているのか?(=相手がどう構造的に認識しているのか?)を掴みにゆく意識が弱い。⇒だから、意識的に掴みにいく必要があると強く認識しておこう!

福田尚正

2015年10月26日 (月)

「個々の積み上げが何かを実現する」というロジックは正しいのか?

「できることからコツコツと」
環境運動等でよく耳にする、どこか否定しきれないこのロジック。
本当に正しいのだろうか?

私は経理の仕事で、各経費科目ごとに予測数値を積み上げていくことを毎月するのだが、どんなに精密に科目毎の数値を予測しても(いやむしろ精密さにこだわればこだわるほど)、最終的に全体の確定値(現実の値)とのズレが大きいことが良くある。

かなり正確に予測したつもりなのに、である。
なんでだろう?
多少の読み違いはあれ、正確に予測した各経費科目の積み上げ値が総数に一番近づけるはずではないか。

実は、この意識が落とし穴。
その思考方法自体がおかしいのだ。

実際は、全体から見ていく予測の方が、確定値に近く精度が高い。
なぜならそれは、全体値の過去年からの推移、今年に特有の条件などを加味して、今年はこのような数値を予測しましたと、誰に対しても説明でき、誰もがその過程を共有できる方法だから。
一方個々の積み上げ方法は、最初の段階が個人の中で完結しているので、その根拠を共有しずらい。キツク言えば、「とにかく私の各経費科目への予測を信じてください!」と無理強いしているようなものなのだ。だから、もしそこで判断軸がズレていたとしたら、その全体への影響は甚大となるのである。

このような現実での経験上、「個々の積み上げが、何かを実現する!」というロジックには、胡散臭さを感じてしまうのだ。(それが成功するのは、実現すべき課題(超えるべき問題点)が明確で、そのための行動方針も鮮明な場合のみだろう)

何かを実現する(成果をあげる)為には、必要なもの、やるべきこと、そしてそれらの優先順位が必要だ。ところが、「個々の積み上げ」となってしまった途端、その判断は個々(環境運動の場合だと個々人)に委ねられてしまう。これこそが、旧思想に導かれたパラダイム! ズレたままどんなに個々を積み上げても、何も実現しないのは当たり前なのだ。

谷光美紀

2015年10月24日 (土)

若手に学ぶ「柔軟性」→「固定観念からの脱却」

彼は、初めての課題に取り組んでいた。
参考となる先例の成果品を参照し、今回の課題をどう進めていくかの叩き案をまとめてミーティングに臨んだ。

おそらく、彼はここまでの作業で、過去の成果品のアウトラインを掌握していて、今回の課題にどう取り組んでいくかを具体的にイメージする段階に入っている。
経験の無い事だからと臆する事も無く、叩き案にはちゃっかりとイイトコ取りを済ませ、そのエッセンスが盛り込まれていた。

結果、ミーティングでは、この成果品に対する補足や改善を皆から集め、皆がすっきりと作業に取り掛かれることになった。
このスピード感に感心するとともにワクワクとさせられた。

同じ課題を、固定観念の強い中高年などが担当したらどうだったか?
おそらく、先例の成果品の不明点やミスなどに惑わされ、こだわり、なかなか先に進まない。時間をかけるほどに成果品への距離が遠くなる可能性が高い。

固定観念からの脱却は、この様な身近な同化対象の存在に気が付く事が一番早いのかもしれない。

斎藤一浩

2015年10月22日 (木)

変わるとは・成果を上げるとは②~無能の自覚から、同化能力の形成・強化へ

>「じゃぁ、少しでもみんなの為になることはなにか?」209258

例えば、
・トラブルを引き起こしてしまったときは、速やかに報告しよう
・みんなから言われたことは、一語一句逃さず聞こう
・そして、実行しよう

こうすることが、無能の自覚を受け入れる状態です。
「自分にはもっと出来るはず」「こんなはずではない」など、自分の評価は一切はさまず、
「みんなの為になることはなにか?」
を、考えることに全てを傾けている状態です。

そして、さらに、この行動は、相手=みんなへの同化過程でもあります。

このようにして、無能の自覚から、それを乗り越えて同化能力の形成・強化につなげていくことが出来ます。

「変わるとは。」「成果をあげれるようになるとは。」このような過程から、生まれてくるのだと思います。

2015年10月20日 (火)

変わるとは・成果を上げるとは①~「個人」の問題意識からの脱却

トラブルを起こす人は、なかなか無能の自覚ができない。 「無能の自覚をせよ!」 と、言われると、 「自分は無能なんだ・・・」 と思い込もうとして、ダメ観念・活力衰退、そしてみんなと距離を置くようになってしまいます。 (そういった場合の殆どは、トラブルを起こしたときなど、みんなが事実経緯を知りたいと思っているのに反して、発信できず、さらにトラブルを引きおこす。) -無能の自覚を「思い込もう」としても、受け入れられないのでは? -どうしたら、無能の自覚をできるの? そもそも、無能=能力衰退は、外圧の変化に伴う、規範の崩壊そして、同化能力の低下という、社会的背景があります。 このように、 「個人の問題ではなく社会(=みんな)の問題なんだ。」 と、捉える事ができると・・・ 「じゃぁ、少しでもみんなの為に、役に立つことはなにか?」 と、考えることができます。 ”無能であること”を一個人の問題としてしか、捉えられていない間は、「自分を」何とかしようとするばかりで、思考は内向き、結局自分にこだわり、一向にみんなへ意識は向かいません。 では、本当に、少しでも、みんなの役に立とうと思えば・・・・ なにができるか?

2015年10月18日 (日)

【図解】素人の社会活動30 現実を対象化する思考=事実認識

素人の社会活動28・29・30を貫く幹を図解

私権時代は、本能⇒共認・自我回路上の潜在思念が、私権の追求という課題に収束する。平たく言えば、自分の事しか考えてない身勝手な存在だということだ。

他方で、共同体喪失からくる非充足に対処するため、失われた本源価値を頭の中だけで対象化した倒錯観念や、自我私権闘争に立脚した欺瞞観念に収束する。この結果、現実と観念、存在と意識、は断絶したまま、つまり自分を誤魔化したままになる。

ところで現代人は、思考法というと観念回路だけをイメージしてしまいがちだ。これは、上記のような、現実と観念、存在と意識が断絶していて、かつ、都合の悪い下部意識=潜在思念を捨象しているからである。ようするに、潜在思念に基づく行動はさておき、奇麗事のみを意識している状態だからだ。

それに対して、人類の真っ当な思考である『現実を対象化する思考』とは、本能⇒共認回路と(⇒)観念回路が一致している思考法をいう。当然、この思考法の中には、潜在思念が現実を対象化し行動に繋げるという、非観念過程も含まれている。そして、本源回路発の潜在思念は自ずと可能性収束する。

つまり思考するとは、非観念過程から観念過程までの一つながりの、可能性収束という原理に貫かれた過程をいうのだ。

     :本能⇒共認(自我)回路 :  ⇒観念回路    
     : 【潜在 思念】    :   【観念】    
     : 《非観念過程》    :  《観念過程》   
・・・・・:・・・・・・・・・・・・:・・・・・・・・・・・
 ┌─┐ : ┌――――――――――――――――─―──┐ 
 |私| : |      私権の 強制圧力      | 
 |権| : └――――――――――――――――――――┘ 
 |時| :     ∥      :     ∥     
 |代| :     ∨      :     ∨     
 |の| : ┌―――――┐    :   ┌―――――┐ 
 | | : |私権の追求【存在と意識の断絶】倒錯観念 |
 |歪| : |     |    :   |欺瞞観念 |
 |ん| : └―――――┘    :   └―――――┘ 
 |だ| :     ↓   《貧困の消滅》  ↓     
 |思| : ┌―――――┐    :   ┌―――――┐ 
 |考| : |私権の衰弱|    :   |輝きを失う| 
 └─┘ : └―――――┘    :   └―――――┘ 
     :     ↓      :     ↓     
 ┌─┐ : ┌――――――――――――――――─―──┐ 
 |共| : |    社会と意識の統合不全      | 
 |認| : └――――――――――――――――――――┘ 
 |時| :     ∥      :     ∥     
 |代| :     ∨      :     ∨     
 |の| : ┌――――――――┐ :┌――――――――┐ 
 | | : |私権追求から脱却| :|支配観念から脱却| 
 | | : └――――――――┘ :└――――――――┘ 
 |現| :     ∥      :     ∥     
 |実| :     ∨      :     ∥     
 |を| : ┌――――――――――┐<====┛     
 |対| : |本源回路発の潜在思念|           
 |象| : └――――――――――┘=====┓     
 |化| :     ∥      :     ∥     
 |す| :     ∨      :     ∨     
 |る| : ┌―――――┐=======>┌―――――┐ 
 |思| : |状況認識 【存在と意識が一致】 事実追求| 
 |考| : └―――――┘    :   └―――――┘ 
 |∥| :     ∥      :     ∥     
 |事| :     ∨      :     ∨     
 |実| : ┌―――――┐    :   ┌―――――┐ 
 |認| : |可能性収束|=======>|原基構造 | 
 |識| : |行   動【存在と意識が一致】 の解明 | 
 | | : └―――――┘    :   └―――――┘ 
 | | :     ↓      :     ↓     
 | | : ┌――――――――――――――――─―──┐ 
 | | : | 現実を対象化する思考=事実認識の再生 | 
 └─┘ : └――――――――――――――――――――┘ 

2015年10月16日 (金)

ただ、事実の『媒体』になるだけ

どーしたら相手に伝わるんだろう?と疑問をもった。

私は以前このるいネットで佳作をいただいました。その内容は劇場の感想レポートなのですが、「なんで佳作を取れたんだろう?」と思ってました。その時の投稿する心構えは「相手の言った言葉を思い出し、ノートにまとめた内容をそのまま投稿しよう」といった感じでした。

自分が今まで誰かに何かを伝える時とは別の感覚でしたが、事実をなるべく正確に伝えなくては!と意識していました。というのは今までだったら「ココを詳しく言いたいな」という【自分の意見】を伝える事にエネルギーを費やしていました。自分発の思考です。

>人と人を繋ぐもの、それは『なるほど!』と思える答えであり、それを伝えることは、どこでだって、誰にだってできること。そんな『充足媒体』をいっぱいいっぱい作り出していく。それが最前線の「なんでや露店」の役割であり、それを全うするためには、自らも『媒体』になることなんだと思う。

【『媒体』になる】という事はとても重要な事で、事実を自分という媒体を通して伝える事。これは自分の意見ではなく相手を想う【相手発】の思考。自分の意見を伝えなくては!と思うほどモヤモヤするし事実に着色してしてしまう。しかしそこで

・相手が一番求めてるものは?
・事実は何?

自身にこの問いかけをして素直に伝えることで、相手にストレートに伝わります。【自分の意見】から【『媒体』になる】という意識転換が大切だと感じました。

大脇正嗣

2015年10月14日 (水)

勉強するほどズレてゆく若者

近い世代の人達と会話をしていると、比較的似たような視点を持っている人が多いことに気付く。特に社会的な話題への問題意識は驚くほど近い。上の世代の方に言わせれば、「若者ほど潜在思念で物事を捉える傾向が強い」とのことだ。

しかし、感覚的に捉えることは近いのに、相手が真面目に勉強する人間であるほど会話が遠のいていく。相手が「世の中こうなるべきだ!」と熱く語ってもこちらには響いてこないのだ。一体なぜなのか?

実は、「勉強=教科書の暗記」になっていることに問題があるようだ。

潜在思念で問題を発見した者の次の行動は、「解決するために勉強する」となることが多い。物事を知ることは間違いなく重要だが、その根本には「答えは勉強内容の中にある」という思い込みがある。つまり、勉強したことを覚えれば問題の解決にたどり着けると信じて疑わないのである。

しかし、教科書などの勉強道具は、大抵「旧観念」(=近代思想)に基づいて作られたものである。その結果、皮肉なことに勉強すればするほど現実の問題を解決する答えからは遠ざかり、代わりに脳内に「理想の世界」を構築して出られなくなってしまう。近代思想の性質とはそういうものである。(参考:3802

しかも、タチの悪いことに、「自分はこんなにも勉強してるんだ」という自負がある。そこにプライドが出来上がると、他人の意見に耳を貸すことが無くなり、何よりも自分自身の潜在思念すら否定する状態に陥る。

せっかく潜在思念で物事の本質に触れていながら、答えを旧観念に染まった教科書や他者に求めることでズレていく若者は少なくない。

知識を得るために本を読んだり人の話を聞くことは良いことだ。ただ、それらを吸収するときにまず「自分の実感と対比すること」が必要である。答えは現実の中にある。それを飛ばして「答えありき」で勉強に打ち込むと、どんどん袋小路に突き進む結果になる。

潜在思念と比較しながら必要な知識を吸収し、物事を判断することが本当の「答え」に繋がるだろう。

小西良明

2015年10月12日 (月)

充足初の『認識の必要』は、意外にシンプル!?

不全発の『変革の必要』だと、
不景気どうする?/失業率どうする?/地球温暖化どうする?/離婚率の増加どうする?/少子化どうする?/精神破壊どうする?
等々、お互いに矛盾してたり答えが無い無限の課題が登場し、途方に暮れてしまいます。

それに対して、充足初の『認識の必要』を考えると、
景気はどうでもよいから、生活するために必要なものがあればいい/失業が問題なのではなく、必要な物が分配されれればいい/必要な課題を分担する集団が必要で、豊かな男女関係も子供の教育もその中で全うに行われる/⇒それを実現するためにはどうする?
と、根底的な次元でシンプルな課題として現れます。

認識をちょっと変えただけで、可能性が一気に広がりました。

匿名希望

2015年10月10日 (土)

現実はみんなで変えていくもの

>>現実を社会と言い換えても同じである。社会は人々の共認によって統合され、その意識=共認内容が変化してゆくことによって変わってゆく。現実が変わる=社会が変わるとは、ただそれだけの事である。
その共認内容は徐々にしか変わらず、例えそれが30年ほどの間に猛スピードで変わったとしても、その共認内容の変化に応じて一つずつ規範や制度が改革されてゆくことによってしか、社会は変えられない。

現実は人々の意識だから、社会を変革するには、まず人々の意識が変わらないと始まらない。人々の意識を変えるには、万人が共認できるような、具体的ではっきりとして、可能性が見出せる認識が必要である。
もちろん、社会という大きな集団をまとめるにはそれを統合する観念が必要なので、意識が変化したのち、既存の制度や規範を改革していくことで、社会は変わっていく。

○新しい認識が共認される→人々の意識が変化⇒社会の制度を改革

>>そこで、最も重要なのは、絶えず新しい認識を紡ぎ出し、人々の共認内容(意識)を変えてゆくことである(新しい認識さえ共認されてゆけば、それに応じて制度etcを変えてゆくのは簡単である)。

そして、重要だと思ったのが、現実を変えるための認識を「紡ぎ出す」という点。紡ぎだすという言葉には、色々な要素が絡み合って、一つのものができるというイメージがある。新しい認識は一人ではなく、みんなで紡ぎだしていくという意識をもつことが重要ではないだろうか。

そのためには、みんなで認識を形成する場が必要であるし、一人一人が傍観者ではなく、当事者として参加することが求められる。(認識を形成することで、社会が変革されていくという実感を得ることができれば、ますますその可能性に向かって活力を見出すことができると思われる)

私権原理から、共認原理へとパラダイムが転換している今、現実は変えることができるという認識と、それは誰か一握りの手に委ねられているのではなく、現実を形成するみんなによって変えていくという意識をもつことが必要である。

杉山直之

2015年10月 8日 (木)

無能の自覚・・・もう一度真っ白な子供に戻って思考する。

・「無能の自覚」そうすることで、必ず可能性に向かっていける。202379 ・仕事ができる人ほど、「無能の自覚」をしている 202390 ・~まずは「女としての無能さ」を受けれる~ 206520 仕事の成果や、男としての器の広さ・女としての器の広さは、無能の自覚ができているかいなかにかかっている。 逆に、なかなか「無能の自覚」ができずにいる人たちは、なぜ、自覚できないのだろう? >それはいまだに古い観念に囚われているから。 人類が観念動物であり観念によって適応してきた。 だから、外圧の変化に伴い、観念を適応させていかなくては人類は滅亡する。 「無能の自覚」の必要とは、 【観念は不変ではない、外圧に伴い変化するものである】、 ということを理解することからはじまるのだと思う。 211135 無能の自覚とは、旧観念の全否定に他ならない。 よって、まずは、自らの思考の全てを疑い、否定しなければならない。 「みんなはこういっているけど・・・自分的にはこっちだよなぁ」 「違和感あるなぁ・・・。これじゃぁ・・。」 なんて、思っていてはダメ。 ・みんなが言っている通りに行動してみる。 ・自分では決して判断しない。 ・どんなときも、みんなに尋ねてみる。 徹底的にする必要がある。 もう一度、子供にもどって、真っ白な思考で、考えてみたらいい☆

2015年10月 6日 (火)

観念塗り替えたら終い ~価値観念から、現実に立脚した観念に塗り替える。

「観念を塗り替えたら終い」・・・どこを、どうやって塗り替えていったらいいんだろう?というのを話し合った。 観念には大きく2種類あるように思える。 ①潜在思念で捉えた、可能性を固定化する。 ②不可能視を正当化する。 ①は例えば日本古来の充足規範に象徴されるように、リンク 現実の中で、どうすれば集団として上手くいく=適応していけるかを固定化したもの。現実に立脚しているので、下部意識(本能、共認)で捉えたものと、上部意識=観念が繋がっていて行動に繋がるから、必然的に充足する。 ②は宗教等や近代思想に代表される。 宗教なら現実の中ではなく、空想世界を作りあげて、その枠の中で充足する為の方法を固定化したもの。近代思想なら、現実がどうなっているかは置いておいて、こうだったらいいを価値的に固定化したもの(自由、平等、平和)そして、そうでないものを否定し要求する。 この場合、下部意識=現実と上部意識=観念は必ず断絶を生むので、上手くいかず活力が低下する→閉塞する。 観念の塗り替えポイントは「価値観ではなく、現実(下部意識)に立脚していること」。注意ポイントは、事実認識も価値観(いいor悪い)として捉えていては②と同じようになってしまう。 現実が~だから、~すると上手くいく。というように常に現実と結びつけて塗り替えていくといい。

野田晋一郎

2015年10月 4日 (日)

【図解】共認革命9 強制共認と発信階級の犯罪

人類が共認動物だからこそ、たとえ統合階級による強制共認であれ、人々は収束する!!
そして、強制共認で人々の意識を支配するために、共認形成の場を剥奪し、支配観念を押し付ける発信階級を生み出した。

****************************************************************

           人類は共認動物
              |
              ∨
    私権社会と云えど、共認によって社会は統合される
              ∥
              ∨
        ┌───────────┐
        |統合階級による強制共認|
        └───────────┘
         ∥         ∥
         ∨         ∨
 強制共認を自主共認である  人々を上から一方的に与えられた
 かのように思い込ませる   観念や制度を受け入れる存在にする
         ∥         ∥
         ∨         ∨
┌─────────────┐┌────────────┐
|倒錯観念で武装した発信階級||人々の共認形成の場を剥奪|
└─────────────┘└────────────┘
         |         |
         ∨         ∨
       支配観念を押し付け、人々を洗脳
              |
              ∨
           社会は全面閉塞
              |
              ∨
    素人は、発信階級が押し付ける旧観念が元凶と気付く

いいじゃん☆

2015年10月 2日 (金)

【再認識】「なんで?」と思うこと。

『なんで?』思考の目的は、「どうすればいいの?」の結論を出すことよりも、「どうしてそうなっているの?」といった、問題の背後=構造を知る事が重要と認識を改めました。

さらに、

『なんで?』思考は、=“現実を直視する”こと。「どうしてそうなっているのか」と考える事そのものだったことに気付きました。

さらに、さらに、

『なんで?』思考によって知る・探るべき構造は、一人で考えていても自分の頭の中にある“旧観念”(知らず知らずに植えつけられた古い観念)でしか考えられない・・・これでは、答えは見つからない→現実から逃避して、思考を停止してしまう(._. )

【!!重要気付き!!:↑これこそが、社会を全面閉塞させた真犯人。“誰でも”持っているもの。】

そこで!!

新しい場、即ち“みんな”で「どうしてそうなっているのか」を追求できる、問題を共有・認識し追求していく場があればいい。
これが、現代の全面閉塞した社会に必要なもの。
これが、共認形成の場というもの。

中村淳子

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