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2015年7月

2015年7月30日 (木)

共認可能な論理整合とれた一説が、事実!

事実ってなに?どこからが事実? よく思ってもいるし、よく耳にもする。 「事実である or 事実ではない」という線引きを無意識のうちにやっていた自分に気付いた。 教科書や書籍等に書いてあることは事実などと感覚的に思っていたが、そうではない。     「これが事実」という絶対的な答などは存在しない。 様々な仮定・仮説に基づいてあらゆる検証を行った結果、1番論理整合のとれた違和感のない一説が、暫定的な「事実」として据え置かれているだけだ。事実=不変と勘違いしやすいが、事実なんてものは絶対的であるはずもなく、時代とともに絶えず変化していくものなのだ。(ex:天動説→地動説など) 実際、現在において事実として存在する説も、先人達が塗り替えてきたものであるし未来では変わっている可能性も大いにある。 これは事実なのか?という問いかけ・考え方は、無意識のうちに線引きすると同時に、思考することを止めてしまっているような気がする。 そのような思考よりも、これは論理整合とれているのか、みんなに共認されるのかという問いかけと、徹底的な追及を続けていくほうがより事実に近づける。 そうやってまた新たな事実が生まれていくのだ。

高橋智彦

2015年7月28日 (火)

【図解】観念パラダイムの逆転3 現実とは、人々の意識である

生存圧力=>現実は外的な圧力=>現実と自分は無関係=>現実否定
 ∥       ∥         ∥        ∥
 V       V         V        V
同類圧力=>現実は人々の意識=>現実は自分自身===>現実は否定
                           できない

生存圧力が高かりし頃は、現実と自分は無関係として否定することも出来たが、
貧困の消滅→生存圧力が衰弱している現在、
現実とは自分自身であり、否定することは出来ない。
それでも、否定しているのは、周りが見えていない。さらには、
現実を生きていないとも言える。

匿名希望

2015年7月26日 (日)

批判はしても自己反省が無い人、急増中!?

マスコミもそうですが、普段から批判ばかりする人は必ずいますよね!でも、そんな人、あなたの周りにも増えていませんか!?もしかしたら、あなた自身も周りからはそう思われているかもしれません。そう感じる話、サロンで聞けましたんで報告しま~す。

内田樹さんの本の中にあった事例なのですが、内田先生の許に以下のような相談をしに訪れる人がいるそうです。

相談者の方は、どうやら今、働いている会社に不満を持っているご様子です。よくよく話を聞いてみると、『今の会社を辞めるべきですか?』それとも『社内改革をやって状況を変えることは可能でしょうか?』というような内容のことを聞きたいようです。

こういう質問が来た時、内田先生は『今の時点で社内改革が始まっていない限り、変わらないから辞めなさい』と即座に言うそうです。

この発言の背景には、勤めていて変わる気風を感じない時点でその会社はそもそも変わらないし、改革や変革というモノは、そもそもその実現性がまず立脚点として存在した上で成立するもの。だから、理想や幻想、「こうあって欲しいな~」レベルの実現性に乏しいイメージの様な絵空事をどんなに振りかざしたところで、そのモノ自体がありえないもの(実現性のないもの)である限り、全く意味が無いということは明らかなことだということです。

言い換えるならば、社会変革でもなんでも批判だけでは意味が無く、「じゃ、どうする?」などの次への実現の可能性の提示がセットで示せて、初めてその批判は成立するのです。

だから、いくらマスコミが派遣切りや政治家の世襲制を批判しても、報道者側のマスコミ自体が派遣で儲けて、かつザクザク切っていたり、世襲制を色濃く残した運営者体制で我が物顔でふんぞり返っている上層部がいる状態である限り、ただの虚言者の様にしか映らないのはこの論理からもわかります。

そして、内田先生の本の事例で、もうひとつあったのが、会社を『辞めるべき?』それとも『残るべき?』という相談をしに来る人に対しての分析です。

こういう質問をしてくる相談者は、「辞めたい」という思いはあるけど、立脚基盤(お金や能力)がないから自分では辞める勇気が無い。だから相談することで、誰かに決めてもらいたいという想いがあるようです。というのも、仮に能力が高い人ならば聞かずとも、可能性を感じない会社であればとっくに辞めてしまい、違う場所を探しているものです。

つまり、こういった「辞める」「辞めない」の判断が下せない時点で、その人には会社にぶらさがっている意識があり、ぶらさがることでなんとか食い扶持を繋いでいるという状況が相手から窺い知れるのです。そして、そういう人に限って、権利や平等という様な自我を正当化する言葉や本源風な観念にすがって、不平や不満をたらたらと垂れ流し、「そもそもその会社を選んだのは誰だっけ?」という根本的な部分へは意識が全く向かなわず、自己反省なしの批判に終始してしまうのです。

以上から、批判するというスタンスの中には、前提条件として自分は正しい、といった自分の非を微塵も自覚していない自己正当化観念がベースになっている場合が多いということです。言うなれば、相手を否定することでしか、対抗する手段を知らないとも言えます。不満だけなら子供でも言えます。

こういう状態では、最悪、周りを疲弊させるばかりで、実現の可能性など生まれるわけがありません。重要なのは、自我に根ざした批判をやめることです。「批判をする」ときは、自己反省も含めて次への実現にむけて「どうする?」を考える事が必要なのです。

そして、「この次への実現へむけて」とは理想や絵空事ではなく、実現可能性が必ずベースになっているということです。小さな組織で成立しないモノが、社会という大きな組織で成立するわけがない!という言葉もあるように理想を唱えるよりも実現可能性を実行する意識が大切だと改めて感じました。

汚れなき男
 

2015年7月24日 (金)

“個人主義”は存在理由を失い消滅しつつある

>ただ、'70年以降、あまりにも自分主義の弊害が大きくなってきたので、「他人の自由や権利を最大限に尊重するのが、本当の個人主義だ」という論調に変わってきました(そうでないと人々の共認が得られない)。(「個人主義者の詭弁 個人と自我972

こうして、微妙にニュアンスを変えつつ人々の意識を多かれ少なかれ支配し続けてきた個人主義も、遂に完全消滅に向かう気配を漂わせているように思う。なぜなら・・・

①現実の世界の本源充足の可能性が開かれることで代償観念が不要になる

’70年代の思想の衰弱にも関わらず、個人主義などの近代思想が延命してきたのは、それが人々の潜在思念と合致する部分が少なからずあったからだろうと思う。
それは、’70の貧困の消滅に伴い序列原理・序列規範が衰弱し、既存集団の統合不全→益々人々がバラバラの個人に分解されると、都市における根無し草たる人々にとって、「個人の尊重」は、置かれた悲惨な立場を正当化し、ある種の安心感を与える効果を持っていたのではないだろうか。(「個人の尊重」がなんとなく耳障り良く聞こえるのはそのためだろう。)
ところが・・・

>'70共認原理へ転換し、'90~仲間収束、規範収束、そして今や人々は現実課題収束している。これは幻想刺激から離脱し、現実の中に充足基盤を求める『現実、実物収束』の潮流である。(「人々が幻想刺激(テレビ)を捨て、観念体系(≒知の結晶物、鑑、経典)に収束する基盤は、【現実、実物収束】の潮流にあるのでは?」170930

・・・にあるように、私権衰弱に伴い現実の人間関係に充足可能性が生じることで、代償充足のための所詮架空観念たる個人主義は存在理由を失い消滅する。

②金融破綻→市場原理の終焉により、それを正当化する欺瞞観念が不要になる

「他人の自由や権利を最大限に尊重する」は、自分主義の弊害をかわすための妥協的言い回しというだけでなく、序列崩壊後本格的に万人に開かれた市場での私権獲得競争への参戦・・・つまり、「市場原理」や「新自由主義」を積極的に正当化するフレーズとも取れる。(他人の私権闘争も尊重。但し負けたら“自己責任”)

しかし、この間の金融破綻→アメリカ覇権の崩壊→新自由主義批判に伴い、こうした自由で身勝手な市場競争や、その黒幕たる金融資本家(金貸し)を規制する動きが高まるにつれ、市場正当化の屁理屈である個人主義は存在理由を失い消滅する。

③「個人」「自我」からの開放⇒勉強収束、社会収束

もう一つが、若者層を筆頭に、今やあらゆる世代において顕在化しつつある勉強収束・社会収束の潮流・・・これも、個人主義の消滅を物語っているように思う。
つまり、個人主義とは、イコール“自分が原点”であり、自分以外の周りの対象(相手・みんな・社会)との同化を阻み、捨象させる。
従って、仲間収束を超えて社会収束の潮流が顕在化しつつあるという現実は、嫌がおうにも“自分”に目を向けさせ、拘らせる個人主義が消滅しつつあり、“個人”に代る新たな概念の探索と、“自分”を超えたより広い対象への意識の転換が始まっていることを意味していると思う。

越見源

2015年7月22日 (水)

楽観的なアメリカと、暗い日本。明るい未来はどっち?

ロイター通信によると、年末の米国民アンケートの結果、米国民の過半数が09年の見通しに楽観的であるとの結果が報道された。

> 調査は今月9─10日に米国人1003人を対象に実施。明るい未来を期待している人の割合は45歳未満が64%、45歳以上では52%と、若い世代ほどより楽観的であると示された。(ロイター:リンク

方や日本の09年幕明けは、決して明るいものでは無かった。

各企業の年始挨拶の言葉には先行き不安ばかりが表出し、就活を間近に落胆の表情を隠せない学生然り。むしろ、09年は耐える覚悟である事を、誰もがかみ締めているかのようにも感じられる。

さて、ロイターの報道が庶民の現実の意識を反映しているとすれば、この差は何なのであろうか?

これこそが、「現実直視」の違いではないかと思われる。

20354 「観念パラダイムの逆転2 現実否定の倒錯思考」
に書かれている、既成観念(古代宗教と近代思想)どっぷりのアメリカ。未だに、取り返しの付かない金融破綻の現実を前に、相変わらずの現実否定意識が渦巻いている。決して、自らの意識がもたらした結果であるとは、誰も感じていない。その証拠に、金融機関・ビッグ3を始めとする政府への責任転嫁が、まかり通ってしまう。

一方の日本の“暗さ”は、まさに現実を肯定視している証しではないだろうか。むしろ、今まで出口を封鎖し続けてきた欺瞞観念(既成観念)のゴマカシに気付き始め、まさに

>高まった本源収束と社会不全のマグマは、出口を求め、可能性収束⇒答え欠乏を上昇させつつある(20199

のではないかと感じられる。

現実を直視すれば、世界中を見渡しても明るいニュースなど無い。しかし、そのこと自体はなんら問題には成らない。何故ならば、それが既存の社会システムの崩壊を意味するものであり、だとすれば後は自分達が「変われば良い」だけなのだから。

新しい社会へ向けての本格的な探索⇒追求が始まる。まさに、観念パラダイムの逆転が、この日本で起こり始めた!


川井孝浩

2015年7月20日 (月)

【図解】観念パラダイムの逆転1 現実捨象の倒錯観念から、観念捨象の現実直視へ

自我私権==>欺瞞観念
     ・      |
     ・      |
     ∨      ∨
   自我私権-->社会不全
    の終焉     ∥
     ∥      ∥
     ∨      ∨
   充足基調    答え欠乏
     ∥      ∥
     ∨      ∨
   本源収束 ==>事実認識
     ∥    / |
     ∨  |/  ∨
   現実を肯定  欺瞞観念を否定
     ∥      ∥
     ∨      ∨
    本 源 時 代 の 実 現 へ

2015年7月18日 (土)

【図解】新しい潮流1・2('50~'00)私権統合の崩壊→社会収束の潮流

 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃      私権圧力(私権観念)→社会収束を封印      ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
  ∥ ├→50・60年代 ●表層的に社会収束
  ∥ |       (外向欠乏・私権規範の解体)
  ∥ |               ||
  ∥ |       ┌─────────────────┐
  ∥ |※70年    ●貧困の消滅→私権圧力の衰弱(残存)|
  ∥ |       └─────────────────┘
  ∥ |         ↓↓    ↓↓
  ∥ ├→70・80年代 ●不全捨象の充足基調⇒本源収束
  ∥ |       (共認不全>社会不全)
  ∥ |               ||
  ∥ |       ┌─────────────────┐
  ∥ |※90年    ●バブル崩壊→私権圧力の衰弱(顕在化)|
  ∥ |       └─────────────────┘
  ∥ |         ↓↓    ↓↓
  ∥ └→90年代   ●潜在思念の本源収束
  ∥              ↓↓
  ∥         ●認識欠乏増大
  ∥         (統合不全)
  ∨              ↓↓
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃   私権圧力(私権観念)の崩壊→社会収束の潮流増大    ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
    └→00年代   ●社会不全の増大
            (社会不全>私権不全)
                 ↓↓
            ●外向欠乏の増大
                 ↓↓
            ●答えが無いので
             課題捨象の本源収束

私権観念はもともと強く社会捨象を付帯させている為、残存している
 以上、社会・課題・観念の捨象といったマイナス面は残存し続ける。

私権統合の崩壊が決定的となり、私権観念の防波堤が破れたことによっ て、遂に潜在思念の源泉部が私権観念から社会不全へと大転換する。

※しかし、答えが無い以上、課題捨象の充足基調⇒本源収束という段階で
 留まってしまう。

ダイ

2015年7月16日 (木)

存在するものは全て「構造」を有している・・・だから「論理整合」が「事実」認定の鍵となる

>その場合、例えどんな仮説であっても、皆の知っている限りの知識に照らし合わせて論理整合していれば、私はその仮説をいったん事実として認めます。(「大転換期の予感と事実の追求」967


「論理整合」している仮説を「事実」と認めることができるのはなぜか?


物質や生物など実際に存在している(いた)ものであれ、人々の意識潮流や事件・出来事のような現象であれ、集団の仕組みや社会制度であれ、規範であれ観念でれ・・・しかも“過去”に在ったものであれ、これから先の“未来”に在りうるものであれ・・・この世に存在する(した、し得る)ものは、全て必ず外圧に適応するための「構造」を有している。(でないと存在できない。)



そして、「構造」が成立している以上、必ずその構造を論理的に組み立て
ることができる。(→図解化できる。)



すっきりと論理整合した構造(図解)は、何人をも納得させる力を持つ。
(∵人類は観念機能(論理整合)によって状況整除を行う存在だから)



だからそれを「事実」と認定して良いし、論理整合性を追求し明らかにすることで、過去・現在・未来を問わずあらゆる存在や現象の構造を解明し、「事実」として共認形成することが可能になる。


また、こうした存在構造の理論化は、それを構成する現象事実群に規定されるため、未明の現象事実が新たに発見される、あるいは状況や外圧の変化によって新たな現象事実が生ずる・・・などに伴い、どんどん組み替え深化させていくことができる。

その意味で、「事実」というとなんとなく固定化されたイメージが付きまとうが、実はそうではなく、非常に流動的であると言える。


越見源

2015年7月14日 (火)

図解デモと聴写

19274「現代意識潮流と戦略ターゲット」
の投稿には、図解リンクが用意されていた為、試しにこの図解をプレゼン(音読)する人と、聞きながら図解を書いてみる人(聴写)とに別れて取り組んでみました。

説明が上手いと、聞き手もきちんと幹図解が書けます。

逆に、全体像が掴めないままに説明をすると、聞き手側の作る図解もバラバラになってしまう。

実際にやってみると解りますが、図解を説明するには単に矢印を追うのではなく、図解全体の『構造』を捉えないと、相手には伝わりません。

また、聞いている側は、聞きながら頭の中でそれぞれの概念を繋げながら聞き取っていくので、相手の言わんとしている事の全体像が段々と掴める様になってきます。

「図解化が上達すると、音読が上手くなる?!」192390
という事例も挙げられていましたが、どうやら的確なやり取り、議論をするには、発信者も受信者も、構造的理解が出来ているかどうか?が要のようです。

2015年7月12日 (日)

【図解】共認革命8 運動信仰を捨てて、共認革命を

                                

 ┌────────────>社会閉塞
 │               |
 │               V
 │  ┏========社会に関心を持つ =====┓
 │  ∥        ∥             ∥
 │  V        V             V
 │ 旧思想==>┌─行動信仰─┐    ┌─社会変革に対する─┐
 │  ∥    │      │    │  構 造 認 識   │
 │  ∥    │ 社会変革 │    │          │
 │  ∥    │   ∥   │    │    武 力    │
 │  ∥    │身体を張って│    │     ∥     │
 │  ∥    │ 行動する事 │    │     V     │
 │  ∥    │      │    │    資本力    │
 │  ∥    └──────┘    │     ∥     │
 │  ∥        ∥        │     V     │
 │  ∥        V        │    共認力    │
 │  ┗===>旧思想に依拠した    └──────────┘
 │        チンケな運動           ∥     
 │           |             V
 │           V           新理論構築
 └────── 旧体制の補完運動     人々の意識を変える運動
                           ∥
                           V
                      支配観念から解放する
                        【共認革命】
                           |
                           V
                       社会閉塞からの脱却

坂本日出夫

2015年7月10日 (金)

アメリカ投機を拒否しなかった私達

>人々の意識を変えることさえ出来れば、社会は変わる。逆に、旧思想(恋愛・自由・個人・人権という支配観念)に支配された人々の意識が変わらない限り、社会は(基本的には)変わらない。人々の意識を支配観念から解放する共認革命だけが、閉塞状態に陥ったこの社会を根本から変えてゆける。今、必要なのは共認革命である。9235

最近の経済は、アメリカのサブプライム問題に端を発する世界経済の崩壊現象の影響で、新卒の内定が取り消されたり、一部上場の大きな会社が多量の人材を解雇したり、さらには倒産して失業したりしている。その結果、身近なところでも物が売れなくなり、景気低迷で所得も減少して、大衆の意識も節約モードに入っている。

アメリカ資本が、非常識な投資システムを作って世界中に広めてそれが破綻した為に起こった現象なので、アメリカの政治家や資本家と言う手の届かない権力者が、自己中で暴れまわった結果であり、庶民の私達からすると、「アメリカの奴らめ、いい迷惑だ」と言う感じである。

しかし、良く考えると、アメリカの勧誘があったとはいえ、「ファンド」など投資による金儲けを積極的に進めて来たのは、(マスコミなどに踊らされていたにせよ)私達の意識である。

今本屋に言ってみると、「あなたも金持ちになれます」と言った個人にまで投資を進める薄ら寒い題名の本に会える。日本国中のお金が「運用」と言う名で、アメリカの「バクチ」に賛同・参加したのである。

だから、サブプライム問題による世界経済問題は、「アメリカの奴らめ、いい迷惑だ」だけでは決してなくて、その様な方向に舵を切ってきた社会に賛同してきた私達の意識が、根本的な原因なのである。

現代は、大衆の意識の後押し(共認)が有って初めて、政治やマスコミもその方向に舵を進める事がている時代である。逆に言うと、大衆が拒否すると、いくら有力者であろうが思うように社会は動かせない時代になってきたということである。

現在の日本は、膨大なエネルギーと資源を浪費しながら暴走している市場社会である。そして大衆である私達の意識がその暴走方向に動かしている根源なのだと言う意識が必要である。

つまり、景気が悪いから何とかしてくれと麻生さんに皆が言っているし、麻生総理も大衆の意識(要求)に応えてまた来た道の「経済ばら撒き対策」である。単に「景気回復」を叫ぶ事は、もっと浪費が出来る社会にせよという要求であるという事に気が付くべきである。

今までの大量の消費を前提とした市場社会から脱皮しようと言う、皆の意識が高まると社会が変わる。
制度や政策の前に、皆の意識が変わる事が先である。

現在のこの社会はどこが間違っているのかという事を構造的に理解する事で、皆の意識が変われば社会が変われる時代になっている。

社会が変わらないのは、私達が変わらないからなのだ。

猪飼野

2015年7月 8日 (水)

【図解】観念パラダイムの逆転6 残る観念は、頭で塗り替えたら終い

●本源収束の出口を塞ぐ既成観念は、頭で塗り替えたら終い!

  ┌──────┐     ┌──────┐
  │ 私権圧力▼ │     │知識人による│
  │(同類圧力△)│     │ 観念支配 │
  └──────┘     └──────┘
     ↓            ↓
 ┌・下部意識──┐→×←┌・上部意識=観念──┐ ┌─────┐
 │私権収束から │ 断 │★旧パラダイムのまま│→│本源収束の│
 │本源収束へ転換│ 絶 │(現実否定→倒錯思考)│ │出口が閉塞│
 └───────┘   └──────────┘ └─────┘
     ∥            ↓↓          ∥
     ∥      ┌────────────┐   ∥
     ∥      │既成観念を全的に爆破!!│<==┛
     ::(出口突破)←│(頭で塗り替えたら終い!)│
     ∥      └────────────┘
     ∨            ↓↓
  ┌──────────────────────────┐
  │☆新パラダイム(現実肯定→実現思考)=>新たな認識 │
  └──────────────────────────┘
              ↓↓
  ┌──────────────────────────┐
  │万人(素人)による認識創出と共認形成の場(=統合サイト)│
  └──────────────────────────┘
               ∥
         ┌──────────┐
         │ 新たな社会統合機構 │
         └──────────┘
               ↓
         ┌──────────┐
         │特権的知識階級の消滅│
         └──────────┘

浅見昌良
 

2015年7月 6日 (月)

前世紀初頭の段階で、共認社会に移行していた

>逸早く市場拡大の道を歩み、国富(国力)を市場拡大に依存するに至った先進国では、既に戦前(前世紀初頭)の段階で、戦争であれ革命であれ、弱者側(独・日や労働者・農民)の武力闘争による勝利の可能性は、とっくに無くなっていた。それは、武力によって統合された武力社会から、人々の共認によって統合される共認社会に既に移行していたからであり、かつその最強の課題共認が豊かさ追求=市場拡大だったからである。9234

戦前=前世紀初頭の段階で、共認社会に既に移行していたという視点は改めて読んで新鮮だった。

考えてみれば、古代から近世までの武力支配の時代は、まさしく力の序列で否応も無く権力に従わざるを得ない時代であった。日本で言えば江戸時代までは身分制度の枠を超えることは出来なかった。

しかし近代以降の先進国では、万民に市場社会でお金を儲ける=私権を獲得する可能性が開かれる。そして私権獲得を正当化する近代思想も成立する。

この時点で既に大衆は、権力によって無理やり私権追及に追いやられるのではなく、自ら市場社会を共認し近代思想を共認し私権追及を始めている。

明治以降、戦前の日本は今よりも圧倒的に国家権力が強かった。それは貧困が存在し序列原理が働いていたからと言う側面もあるが、それと同時に、市場拡大のために国家権力が必要であることを国民が共認していたからとも言える。

近代日本で社会主義革命が成功しなかったのは、市場拡大=資本主義に可能性を感じる国民の方が多かったからであろう。社会運動は権力に敗れたのではなく、大衆に共認されなかったことになる。

野田雄二

2015年7月 4日 (土)

「実現論」の登場により、もはや個人主義者の詭弁は通用しなくなった

近代思想やフロイト心理学で使われる「自我」と、実現論での「自我」は大きく異なります。

 実現論では、新概念定義集で次のように定義されています。

> 自我(じが)
> みんなの共認によって(自分には)与えられなかった評価を、他者否定と自己正当化によって、己に都合の良い幻想に収束することで自己充足を得る機能。これは共認機能の派生物であるが、みんなの共認を破壊する共認の敵対物でもあり、謂わば、共認機能が生み出した鬼っ子ともいえる。(新概念定義集より引用)

つまり、人間の意識は、共認機能を基盤にして「相手の期待に応えたい」という肯定意識と、共認機能の派生物として作られた「自分を評価してくれない相手が悪い」という否定意識=自我とで構成されていることが分かります。

 一方、近代思想の「自我」とは、実現論で定義している「自我」を大きく一括りにしただけのあいまいな観念であることが分かります。

しかも、近代思想の犯罪的なのは、肯定意識も自我も一括りにすることで、あたかも自我が人間にとって必要な物であるかのようにしてしまったことです。誰だって自分の意識があることを否定することは出来きません。自分の意識があるのならば、それは自我があることと同義、という論法です。これは自我の正当化に他なりません。

 今、実現論の登場によって、近代思想や価値観念に捉われることなく、人間の意識構造も事実認識として捉えられるようになりました。自分の意識を、必要な肯定意識と、封鎖すべき自我に分けて捉えることが出来ます。もはや、「個人」その核心の「自我」という古い観念は不要なものになったと言えます。

斎藤幸雄
 

2015年7月 2日 (木)

考えるな。感じろ。

ある大学にコンテンポラリー・ダンスの先生がいる。その先生が学生に対していつも言っている言葉が、タイトルの言葉。

「考えるな。感じろ。」

 その学生達の発表会を見に行った時、体が「ぞくぞくっ」として涙が出そうになった。

 なんだかわからないけど、すごく感動。体の奥のほうに突き刺さる感覚。

 コンテンポラリー・ダンスは、反バレエ、脱バレエという、これまでの既成ダンス様式からの脱却という形から始まっている。

 考えてしまうと、その既成様式、つまりは、既成観念に頭が支配され、体が支配されてしまうという事を先生は言っているのだと思う。それでは、本当の感動を観客に与える事はできないと。

 

旧観念からの脱却も同様の事が言える。考える事から始めれば、間違いなく旧観念に支配されてしまう。

 まず、感じる。相手の気持ちを感じる。相手の潜在思念潜在思念で感じる。

 そして、次の段階としてその感じだ潜在思念を観念化するのだ。

 ただし、これは、一人でやることではない。このるいネットのように、みんなで紡いでいくもの。

 考えるな。感じろ。そして、それを言葉にしろ。

 こういう事だと思う。

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