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2015年6月

2015年6月30日 (火)

トラブルの根底に指揮系統あり。全てをネットへ

先日とあるトラブル総括会議で大きな気付きを得た。

問題、課題が顕在化しても誰も解決しようとせず、課題捨象されていく。後になればなるほど修復困難な問題になり最終的には大きなトラブルとなる。課題を認識していないが故にトラブルになるのではなく、課題と解っていても捨象され(or間抜けの独断で劣化し)トラブルになるのが特徴的である。何故課題捨象されてしまうのか?

その答えは指揮系統にある。
どの企業でも社長-部長-課長・・・など、肩書きや名前は違えど、ある課題を取り組んでいく集団には、その集団固有の指揮系統がある。この指揮系統は、本能原理である序列統合を下敷きにした私権時代の産物であるが、共認原理へと転換したことによって、指揮系統が課題隠蔽を引き起こすトラブルの根底問題として顕在化してきた。どういうことか?

私権時代であれば、この指揮系統は十全に機能していた。それは、問題隠蔽行為が即序列、生存を脅かすものとしての私権圧力が強力に働いていたから。その典型が反逆であり、反逆は重罪として存在していた。しかし、私権の圧力が衰弱した現代は、序列統合から共認統合に集団統合様式が変った。そこに指揮系統だけが残るとどうなるか?

問題や課題が発掘されても、私権圧力の働かない指揮系統の中では悉く隠蔽されていく構造ができあがる。上長と部下の指揮系統では、上司が問題を握りつぶし、部下は指揮系統を意識するほどに問題を発信できなくなり自ら隠蔽する。とりわけ決定的問題が発見されるほどにその問題は共認圧力にさらされず、その指揮系統の中で隠蔽されていく。現在起きている不祥事が、とりわけ旧い指揮系統を残存させている官僚機構に顕著なのもそのためである。今や指揮系統は問題隠蔽の巣窟となり、不正の温床ともなっている。

共認原理の時代の統合様式は共認統合による他はなく、社内NETこそ共認統合の場に相応しい。それは指揮系統を超えた皆の評価共認が働くからだ。皆の評価共認によって問題が固定化され、課題や方針に繋がっていく。そんな体制を構築した集団こそ、社会の評価共認を勝ち取っていく集団になるのは間違いない。

2015年6月28日 (日)

トラブル・ミスを繰り返すのは「出来ていない」という事実を真摯に受け入れられないからではないか?

なぜミスを繰り返してしまうのか?一連の投稿を読んで考えてみました。
今回は、僕と同年代ではなく、中高年の人たちに絞って考えました(おそらく僕ら若い人はまた異なる構造を持っている)彼らは会社での立場もそれなりの人が多く、彼らのミスというのは、トラブルに直結しやすいという意味でも重要です。

 さて、よくミスをしてしまう人の姿を思い返してみると、ある一つの共通項が浮かんできました。
それは、
「出来ていない」という事実を受け入れられない。
という事です。

 ミスをした時というのは、当たり前だけれども誰かしらから指摘されます。大抵は上司だと思うのですが、上司から指摘されている彼らの表情を見るとまるで抜け殻の様な表情をしている事が多いのです。また、何かを発する時も必ず言い訳が出てくる。
 言い訳はいわずもがなですが、表情が死んでいるときは、とにかく早くお説教が終わるのを待っているという感じがひしひしと伝わってきます。
むしろ指摘している人の方に対して大変だなあと感じる程に。
 この事はどの年代にも共通するのですが、中高年に顕著なのでは?と感じています。 そもそも「出来ていない」という事を受け入れられないのだから、改善するわけもないというわけです。だから繰り返す。

 しかしながらなぜそのような事になってしまうのでしょうか?
一つ考えられるのは、これは序列原理の名残なのではないか?という事です。先ほども書きましたが、ミスをしたときは、大抵上司から指摘されます。序列原理の特徴の一つは、「上には逆らえない」という事です。70年代まではこの原理で社会は動いていました。ところが、現実は変わってきています。もはや序列原理は崩壊しつつあり、みんなの評価が重要な判断軸になってきています。
しかしながら植えつけられた意識をいきなりなくすのは困難です。当然強烈ではないながらも残ってしまいます。
 まさにこの意識が中途半端に残存しているが為に
①なんとなく上司の言う事には反論しづらい

②もやもやしたことがあっても、上が言っているんだからしょうがないと 自己正当化して、思考停止したまま作業

③結果、ミスやトラブルが発生したとしても、そもそも自己正当化して行 った作業なので、言い訳しか出てこないし、分かったふりをしてひたすら時がすぎるのを待つ。

と言う状況を生み出してしまっているのではないでしょうか。ちなみにこの現象は意識、無意識に関わらず起こっていると感じます。むしろ、無意識だからこそ怖い。

ではどうしたらよいのでしょうか?
 序列原理の残存が一つの原因であれば、残念ながら上司がいくら指摘しても現実を受け入れることは出来ないのかも知れません。むしろ有効なのはその逆で、「彼らよりも立場の下の人」発の指摘なのではないでしょうか?
 しかし、序列原理の残ってしまっている彼らには一人では効果がありませんので、出来るだけ多くの人が一緒になって出来ていない現実を突きつける。この事が重要なのだと感じています。そういった評価の場にさらされる事で初めて出来ていないという事を実感することが出来るのではないでしょうか?

 この事実を受け入れることがミス・トラブルを減らす第一歩なのだと感じています。言い換えると、僕らがどれだけ事実を突きつけられるかにかかっているのだと思います。

アリンコ 

2015年6月26日 (金)

旧観念を理解できない若い子達に可能性を感じました

前回サロンで一緒になった女の子はすごく素直!
「現実を否定しちゃったら、自分がずれている所に気付くチャンスを逃しちゃいますよね?」
「自分さえよければいいなんて!ありえない・・・(T-T)」
ほんと、旧観念はすごいスピードで衰退していってます。

そこで思ったのは、若い子は旧観念に侵されてない!どんどん新認識を吸収していって、次代の戦力になっていってもらいたいな~ってこと。
でも、現実の支配観念はまだまだ旧観念、というズレもある。

>欺瞞観念(上部意識)だけは、全的に否定しなければならない。でないと、欺瞞になる。(20199

ここを明確に否定するには、構造認識が必要。
潜在思念は変わっていってるので、あとは構造認識をもって明確に旧観念を否定し、社会共認をつくっていく必要がある。

若い子は構造認識に目をキラキラさせてます。
すごく可能性を感じさせてもらいました☆

ぴんぐー 

2015年6月24日 (水)

ミスの原因追求も潜在思念から

>ミスやトラブルが起きたとき、その問題だけに同化し答えを求めていては、必ず答えには至らない。そんな時こそ、皆の潜在思念に再度同化し360度の視点を再構築していくことが求められる。そんな姿を主体性のある当事者というのだろう。360度の視点も突き詰めれば相手への同化能力である。(191273

その通りだと思う。ミスが発覚して、その解決のために原因追求を行う。その時出てくる理由?は、『考えていませんでした』『間違えました』というのが多い。

これは、自分が顕在意識で判断した内容以外は無いものと認識しているか、あいまいな、なんとなくそう思っていたがスルーしてしまったということでは理由にならないと思っているかどちらかだろう。

しかし、成果物を作成しているのだから、その時の判断はある。それが、顕在意識にまで上っていたか潜在思念上にとどまっていたかの違いはあるが。ミスも潜在思念から起こるというのが事実だ。

そのような時は、その作業時点を思い出し、クライアント・上司・部下などの関係者の中で、どのような思いを持っていたか?どんな心理状況であったかを思い出していけば、多くの事象が整合してくる。

この、トラブルが起きたあと過去を振り返り追求した、潜在思念を統合した状況認識が出来て初めて、今後どのような方針をとれば関係者は充足にむかえるのかが見えてくる。

その際には一見バラバラな事象も、『こう考えたから、あのようになった』という共認が担当者間で出来るようになる。そして、それを判断軸にすれば、同時期の他のミスも発見できるようになる。

この作業には、かなりの同化能力が必要とされるが、現実にそうやって問題解決をしている。偏った潜在思念がミスを起こすが、潜在思念の内容ごとにハッキリとある傾向を示す。

だから、ミスの原因追求が可能になるという構造にある。人間の行動は潜在思念によることころが大きいという事実を真摯に受け止めることが必要だと思う。

2015年6月22日 (月)

「思考パラダイムは一つの時代に一つしか成立し得ない」

旧観念 無用!!」を突きつけられた時、我々のような旧観念を拠り所として生きてきた旧世代の人間にとっては、かなりな衝撃でした。
 しかし、よく読んでみると、「時代は変わった」ことにまず気づくことが必要なのだということがよく分りました。

 ’70以降、貧困が消滅し、それまでの私権圧力から同類圧力の場に転換したこと。それに伴い、下部意識も私権収束から本源収束へと変わりつつあること。このように周囲をとりまく状況が大きく変われば、思考パラダイムもそれ以前の私権全盛の頃と大きくかわらねばならないのは当然です。

>とは云え、単なる思想なら一つの時代に何種類か存在し得るが、思考パラダイムは一つの時代に一つしか成立し得ない。しかも、旧パラダイムから新パラダイムへの移行は、不可逆的である。(21495)


上記のことから、我々が生きてきた時代は、私権全盛で私権収束は疑う余地のないものでした。だから個々に「思想」を拠り所にしていたのだと思いますが、’70年以降からは、「現実否定の倒錯思考」は無用になり、「現実肯定の実現思考」こそが必要になってきました。新パラダイムとはこのような時代に即応した思考方法であり、だからこそ「思考パラダイムは一つの時代に一つしか成立し得ない」のだということがよく分ります。



吾亦紅 

2015年6月20日 (土)

【図解】既成観念の全的否定(と既成観念に支配され続ける構造の違い)

          私 権 の 衰 弱
            ↓↓
           本 源 収 束
            ↓↓
┌──────────────────────────┐
| 潜 在 思 念 が 可 能 性 を 感 じ る  |
|                          |
|  真 の 探 求 者 ~~~~ 普 通 の 人  |
└──────────────────────────┘
   ↓↓     ↓       ↓↓    ↓
   ↓↓    既成観念     充足 → 観念は、
   ↓↓    に対する     実践   なんとなく
   ↓↓    違和感       ↓   捨象した
   ↓↓     ↓        ↓    ↓
┏━━━━━━━━━━━━━━━┓  ↓    ↓
┃ ★思考ベクトルの逆転!   ┃  ↓    ↓
┃  ↓↓     ↓↓    ┃  ↓    ↓
┃┌────┐ ┌──────┐┃  ↓ ┌─────┐
┃|潜在思念| |既成観念= |┃  ↓ |既成観念に|
┃|そのもの|→|否定の裏返し|┃  ↓ |に支配され|
┃|を対象化| |の全的否定 |┃  ↓ |続ける  |
┃└────┘ └──────┘┃  ↓ └─────┘
┗━━━━━━━━━━━━━━━┛  ↓    ↓    
   ↓↓      ↓       ↓    ↓ 
┏━━━━━━━━━━━━━━━┓  ↓    ↓ 
┃ ★新しい構造観念を作り出す ┃ 不全・課題は流産し続ける   ┗━━━━━━━━━━━━━━━┛       ↓
                     答えを待っている!

2001年→2008年
 社会不全→大破綻を前にして、多くの人の意識は、観念探索、そして新らしい構造観念を明確に求めるようになった!

田村正道
 

2015年6月18日 (木)

『いい悪い』から『可能性のある無し』へ

現在活力が出ないと悩んでいる人の多くが、『こうあるべき』などの『よい悪い』の判断軸をもとに、思考し行動している。

ここから抜け出すためには、『よい悪い』という判断から『可能性のある無し』という判断への転換するとよい。

というのは、よい悪いという判断のためには、その基準がいる。そして現代、その判断軸を作っているのは、ほとんどが現実否定の既成観念や規範だからだ。

それに対して、可能性のある無しで考えることは、それ自体がどこに可能性がある?⇒現実の対象化⇒構造認識、という思考方法に向かわせる。

これは、

>現実=下部意識を対象化すること、そして現実否定→倒錯思考の既成観念を全的に否定すること(現実否定の否定)。これこそ、窮極の観念パラダイムの転換である。(22203

を実現するたの実践的な方法だと思う。

2015年6月16日 (火)

「怒られるのはうれしい。」

後輩指導の話をしていた時に、ある人が「怒られるのはうれしい。」とおっしゃいました。

「気づいていないところを指摘してもらえるのは、とてもありがたいこと。自分が気づけていないと言うことは、同じミスで後々多大なトラブルになる可能性もある。他の人から指摘を受けたのであれば、そこを直せばいいんだから。」と。

ほんとだな~、としみじみ思いました。

「ミスはダメ!」では、指摘される方も、する方もなんだか活力上がらない。
相手の気づけてないところを、先回りして指導していく。自分の気づけてない部分に、先回りして指導してもらえている。
そう意識を転換するだけで、可能性に向かえるなと思いました。

いいじゃん☆ 

2015年6月14日 (日)

【図解】高見に立つ、その姿勢に断が下される。

私権闘争により生じる共認不全は、知識人などが作り出す感応観念によって頭の中だけの共認充足を得ることが出来た。

よって知識人たちの高みに立つ傍観者たる姿勢が、大衆には高尚な姿勢であるかのようにもてはやされたし、それによって大衆も一億総評論家化していくことになる。

しかし、生存圧力を克服し貧困が消滅すると、事態は一変する。
社会は、人々の期待に対する応合を活力源とする同類圧力に可能性収束していく。

そこでは、自分自身の意識が『現実』=同類圧力を形成していることになり、その意味で現実とは自分自身に他ならない。
従って、傍観者然とした姿勢は、現実からは無用・無縁となり、その高みに立った姿勢に断が下されることになる。

私権闘争―――――――――――――――――――>共認不全
 | ∥                     ∥ 
 | └==>社会を考える公的な         ∥
 |      立場に身を置く          ∥
 |         ∥             ∥
 |         ∨             ∥
 |  ┌=私権闘争や私権対立から=┐      ∥
 |  ∥   一歩外に身を置く   ∥      ∥
 |  ∨【知識人】        ∨【新聞】  ∥【一般大衆】
 | 高踏主義        中立・不偏不党    ∥
 |  └======┬======┘      ∥
 |         ∥             ∥
 |         ∨             ∨
 |      感応観念を紡ぐ―――――――>頭の中だけの
 |         |           共認充足
 |         |             | 
 |         ∨             ∨
 |     傍観者であることが<――――傍観者であることが
 |       正当化される      高尚な姿勢であるかのよう
 |         |         に大衆からもてはやされる
 |         |             |
 |         |             ∨
 |         |          一億総評論家化
 |         |             |
 |         ∨             ∨
 |    ┌――――――――――――――――――――――――┐
 |    |社 会 に 対 す る 傍 観 者 が 蔓 延 |
 ∨    └――――――――――――――――――――――――┘
生存圧力の克服    |             |
 ∥         |             |
 ∨         | ・ ・ ・ ・ ・ ・ |
同類圧力・・・・・・・・・・・・・・・・>断 が 下 さ れ る |
 |         |             |
 |         ∨             ∨
 ∨      ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
現実とは ――>┃ 傍観者は現実からは無用・無縁となる ┃
自分自身に   ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
他ならない             ∥
 |                ∨
 └――――――>自ら生きる場を形成していく現実的な基盤

2015年6月12日 (金)

構造認識を日常的に発信できないのは、なんで?

188128>発信するにも構造認識が必要> 188131>【思い込み】が全ての元凶の出発点> 188136>思い込みから脱出するためには?> 188943>周りがまず発信してゆく認識とは> をまとめて図解化すると、 共認欠乏 ===> 同化 ===> 発信 ===> 構造認識  ∥     (期待・応合)             ∧  ∥                         ∥≪※④≫  ∨                         ∥ 思い込み===>一部の評価===>周りが ===> 受け入れる側が ≪※①≫    という事実    この事実を    構造認識が必要  |       ≪※③≫    構造化      (発信が必要)  |                ∧  ↓≪※②≫            ∥ ┌────┐            ∥ |否定視 |==> 自我 ===>正当化観念 |↑   | |不可能視| |↑   | |不安  | └────┘  ※①:一部の人から受け入れてもらえない評価が絶対化=私権時代の評価    →私権原理の思考に囚われる ※②:人々の下部意識は「充足基調⇒本源収束」へ急速に転換し同類圧力 が主流となりつつあるという事実(関係パラダイムの転換)を認識できず、旧い私権時代の関係パラダイム「性闘争本能⇒警戒心・敵視」を起点にして思考する。 そのため、課題や人との関係を前にしたとき、不安や忌避感が最初に湧き上がり、それが不安→不可能視→否定視の意識に覆われる。 ※③:『私権原理から共認原理の大転換』    →共認原理で人と接する事が”評価”になるという事実 ※④:まず、関係パラダイムの転換を肉体化した人から率先して、『私権原理から共認原理の関係パラダイムの大転換』の供給 ○発信できないのは、 ★共認原理で人と関係をもつことで評価されるという事実  (もはや私権原理のままではマイナス評価にしかならないという事実)  を、思い込みが邪魔して受け入れきれていないから じゃぁ、どうしていけばいいか? 気付いた周りが『私権原理から共認原理の関係パラダイムの大転換』の構造認識を、様々な現実の場面に即して(実例を添えて)発信していく。 それが評価され活力になるという現実(事実)を明らかにしていく。

麻丘東出

2015年6月10日 (水)

実現論にみる存在論

>人類は直面する過酷な現実対象=自然を凝視し続ける中で、元来は同類を対象とする共認機能を自然に対して作動させ、自然との期待・応望=共認を試みたのである。そして遂に、感覚に映る自然(ex. 一本一本の木)の奥に、応望すべき相手=期待に応えてくれる相手=精霊を措定する(=見る)。人類が万物の背後に見たこの精霊こそ、人類最初の観念であり、人類固有の観念機能の原点である。(実現論1_6_02

人類がなぜ、他の生き物にはない観念機能を獲得できたのか。その大きなドラマがこの部分に描かれている。
それにしても、精霊の存在を皆が共認できたのはなぜだろうか。一説にはチャネリングによる仲間への無意識下での伝達が行なわれたためとも言われるが、科学的に実証することは難しいのも事実ではある。

ただ、他者や自然界と共認できるということは、やはり自身が単独ではなく、関係態として存在しているのだという証左にはなるはずである。

そうだとすれば、極論としては自身と他者(=取り巻く環境)は同一であり、その他者との期待・応望の中に生きてこそ“自身が全てとなることができる”といえるのではないか。

そして、そのような意志を明確に持つことによって、それまでの他者(=取り巻く環境)が全く違って感じられることになる。
具体的には自我が消失することは勿論、他人との諍いや羨望を抱くこともない。無限の可能性をすら感じる事が出来る。言い方を変えれば自由自在になれるのである。

実現論前史を学び終えた今、全章に亙ってその様な哲学性が貫かれていると感じている。

松岡隆 

2015年6月 8日 (月)

【図解】高見に立つ、その姿勢に断が下される。

私権闘争→私権闘争から一歩身を置くという仮装が必要  ∥     ∥           ∥  ∥     ∨           ∨  ∥   (知識人)        (新聞)  ∥   「高踏主義」     「中立・不偏不党」  ∥     ↓           ↓  ∥   観念的探索に埋没   傍観者である事が正当化  ∥     ∥           ∥  ∥     ∨           ∨  ∥   一億総評論家化・「何事もまず疑ってかかる」  ∥          ↑  ∨          ↓ 私権闘争→自ら生きる場を形成していく現実的な基盤が既に生まれている  衰弱         ↓      高みに立った姿勢=傍観者的姿勢の欺瞞性に断が下される

KOU

2015年6月 6日 (土)

旧パラダイムからいち早く脱却しかけている若者の「農」収束

日頃、農業に携わっていますが、ここ数年、農園での研修や体験を希望する学生や若者が多いことには、目を見張るものがあります。
 10年くらい前だと、現実社会からの逃避的な、或いは、のんびりした田舎暮らしに憧れるようなケースが多かったのですが、最近では、はっきりと、農業は社会に必要なもの、誰かがやらないといけないもの、そこで自分も役に立ちたい(立てそう)という意識の若者が増えているように感じます。
 そして、同時に、彼らの親達の多くは、
「それじゃ、飯食えないでしょ。普通の会社員になってくれ。」
「一生、乳搾りする気?」
と、彼らのやる気を削ごうとします。

 確かに、現実に生きて行く上で、それなりの収入を得ることは不可欠だし、農業という分野において、それが、現時点では厳しい状況にあるのは、事実です。

 しかし、大きく捉えれば、このような流れは、
生存圧力から共認圧力の時代に移行して、下部意識では、既に本源収束。それをいち早く潜在思念で捉えて、脱私権のとりあえずの収束先として農業に向かったのが若者。それが、さらに一歩進んで、私権旧観念)に替わる新しい可能性として積極的に肯定視して収束し始めたのが現在ではないでしょうか。
 それに対して、表層的には、「農業は素晴らしいですね。」と言いながら、自分の娘や息子がやるというと反対!するのが親世代。そういう意味では、まだまだ、旧パラダイムの範疇。

 今、農業に携わっている我々がすべきは、人間の営みとして必要なもの、これからの社会で不可欠なものとして「農」を肯定視し、新パラダイム(新観念)にも近しい彼らの受け皿を作って行くことではないかと思います。 

2015年6月 4日 (木)

【図解】観念パラダイムの逆転6 残る観念は、頭で塗り替えたら終い

         【私権時代】→(70’)→【現代】→→→→【近い将来】              :        : ┌─┐ ┌───(旧パラダイム)────┐  ┌(新パラダイム)┐ | | |  [倒錯観念・欺瞞観念]  | :| [実現思考] | |上| |       ↑       |  |   ∧    | | | |   [現 実 否 定]   | :|   |    | |部| |               |  |   |    | | | |        【旧観念の蓋】| :| [現実肯定] | |意| └────────────┃──┘  └────────┘ | |     ∧    :   ┃    :  ∧    ∧ |識|     ∥    :   ▼       ∥    ∥ | |     ∥    :┌─────┐ :┌────┐ ∥ └─┘     ∥    :|出口を塞ぐ|=>|観念闘争| ∥         ∥    :└─────┘ :└────┘ ∥         ∥    :   ∧            ∥         ∥    :   ∥    :       ∥ ・・・・・・・・∥・・・・:・・・∥・・・・・・・・・・・・∥・・ ┌─┐     ∥    :   ∥    :       ∥ |下|     ∥    :   ∥            ∥ |部| ┌───────┐: ┌───────────────┐ |意| |私 権 収 束|: |    本 源 収 束    | |識| └───────┘: └───────────────┘ └─┘     ∧    :        ∧ ・・・・・・・・∥・・・・:・・・・・・・・∥・・・・・・・・・・ ┌─┐     ∥    :        ∥ |外| ┌───────┐: ┌───────────────┐ |圧| |生 存 圧 力|: |    同 類 圧 力    | └─┘ └───────┘: └───────────────┘

土屋範明

2015年6月 2日 (火)

答えは誰が出す?

>答えがほしいけどないと感じた時、答えを待っているだけではいつまでたっても答えは出ない。
>まずはつたなくてもいい、10%でもいいから答えを探索し、発信する。
すると、考える仲間が増え、>もっと答えを求めようというサイクルが回り始め(185460)答えに近づいていく。

なるほど。

そもそも、大切なのは現実を探求する事であって、探求上にある言葉なら、自ずと共認される。(7675)

発信できないのは、考える事を諦めていたり、現実の問題に対し、頭を使って仮説を立てようとしていないという事なのだ。

ぷりごろ太

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