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2014年10月

2014年10月31日 (金)

まずは構造を知った。

 自己中な両親に対して、「子供は親のおもちゃではない。ひとつの思想・文化・人格があることを認めてほしい」という想いが心のどこかに常にあった。
 だからといって捨象することはできず、いったいどうやったらうまくいくのかと考え、歩みよる努力も双方してきたのにまるで効果がでない。
 あきらめようかと考えていたところだった。

 
>●欠損型=多数派も母親の期待への応望収束≒本源収束が強いが、欠損を孕んでいるため本源風の観念規範(いつも明るく、皆仲良くetc)に収束して統合するしかない。
注:欠損型の多くは、母親の期待内容が私権規範or支配観念に極めて近いので、特定の旧規範・旧観念への収束度が強い。(18423


 発見。

 自己中親の自我のむこうには、村落共同体が解体されて、ばらばらな個人が子育てに向わなければならなくなったという社会的背景があった。
 自分の親も自我が生起してしまうという社会的構造のなかにいた。

 だから、親のせいにしたところでそれは無意味であり、解決の糸口はそこでは無いのだなと思う。

長畑園子

2014年10月29日 (水)

真っ当な判断の基準とは?

>『必要か、必要でないか』という真っ当な判断の土俵が出来てゆく(33821

『必要か、必要でないか』という判断も、自分が『消費者側』もしくは『供給者側』かで、中身も大きく変わると思った。

消費者側、つまり「“自分にとって”必要か否か」という判断になってしまうと、ただの要求に成り下がってしまう。
これだと、私権時代と何ら変わらない。

それに対して供給者側、つまり「“みんなにとって”必要か否か」という判断なら、自然と意識は外に向かうし、活力も上がる☆

「必要か、必要でないか」の真っ当な判断が出来るようになるためには、意識をどれだけ「自分からみんな」へ転換出来るかにかかっているんだなぁと思いました。

吉岡由香里

2014年10月27日 (月)

旧い場の閉塞と新しい場の可能性

> 私権を活力源にする時代は終わり、みんなで圧力を作り出せるようになった!!と転換できて初めて、同類圧力を作り出すことができるんだ!!(142929)

> 生存圧力(自然圧力や外敵圧力)は、向こうからやってくる圧力であった。しかし、共認圧力は、期待と応望によって自分たちが作り出す圧力である。
> 何よりもまず最大の活力源としての『同類』と『期待・応望』の大切さを心に刻み、支配共認に逆らって意識的にでも心を開き、期待にフタをしないことが決定的に重要になる。実現論4_5_03

この「期待にフタをしない」という認識が提起されたしばらく後に、現代若者の“期待封鎖問題”が登場してきた。期待封鎖の直接原因は母親の親和欠損+過期待・無期待にあるが、大局的に見れば、自我私権の支配観念が世代間で蓄積された末の現象だとも言える。

しかし見方を変えればこれは、既に自我私権が衰弱した現在において、奇しくも「期待にフタをしないこと」が、より現実的・実践的な課題として鮮明に浮上してきたということ。

序列原理の崩壊による企業内部の統合不全にしろ、男女のセックスレス問題にしろ、旧い場の閉塞は新しい場の可能性と常に表裏一体の関係にある。その意味で、現代若者の期待封鎖問題も、(それを突破することで)「自分たちで期待・応望の共認圧力の場を生み出す」同類圧力の場を大きく顕在化させる可能性に繋がっているのではないだろうか。

田中素

2014年10月25日 (土)

現実を主体的に作り出す同類圧力

>自然圧力そのものは意識とは別個に、意識の対象として存在しており、『現実』は(人々の意識の中以前に)外的な自然圧力として意識されてきた。

私権圧力は、人々の共認によって形成された圧力ではあるが(従って、決して意識と別個に存在する圧力ではないが)、生存圧力が強い間は、やはり『現実』は外的な圧力として意識されてきた。

私権圧力のもとでは、自然圧力以外の『現実』に対しても外的な圧力として捉えていたのではないか。だから『現実』に対する否定意識も生まれていたのではないかと思う。

同類圧力は、人々の共認が形成する圧力である。従って、『現実』とは人々の意識に他ならなくなる。
しかも、主体=対象である以上、人々の意識とは、自分の意識に他ならない。つまり、自分自身の意識が、『現実』=同類圧力を形成していることになる。もっと簡単に云えば、現実とは自分自身に他ならない。

生存圧力から解放された人類は、この同類圧力により、初めて『現実』を主体的に作り出すことができるようになったのかもしれない。

磯貝朋広

2014年10月23日 (木)

女の自我発の性権力のパラダイムが近代以降の閉塞社会を作ってきた

実現論(実現論2_9_02)

>そもそも女王バチ(性的商品価値)に群がる働きバチ(生産者)という性市場のパラダイムを母胎にして、その上に物的商品価値⇒賃金労働という同じパラダイムを重ねたものが、商品市場である。

一番最初は、女の自我、といってもかわいいちょっとしたものだったでしょうが、それに迎合した男の姿があった。それに端を発してどんどん要求がエスカレートして近代の商品市場が作られてきた。なぜ最初の段階で男は女の自我を抑えられなかったのか?女の自我によって作られた性的商品価値に目が眩んだのか?

>従って、性市場(性本階級の要求)を母胎にして市場を拡大していった資本階級と生産階級は、性本階級の意に従わざるを得ないのであって、彼らが恋愛と市場拡大(市場主義)の共認に引き続いて、自由主義・個人主義を錦の御旗として掲げたのは当然である。

その時々はそうなる流れが誰にも止められそうになく、仕方なく、それが当たり前、むしろこれこそ新しい世界だと。しかし所詮自由主義にせよ個人主義にせよ、出所は本来の人類の進むべき道とはかけ離れたパラダイムの中での発想である。だから何をどう変えても結局は何も変わらず、逆に悪くなっていく一方である。近代思想の中でどんな主義主張を唱えても、どんど閉塞していくばかりである。

magarimame

2014年10月21日 (火)

みんなの期待を捉える事で外識機能はまともに働く

>〇外識機能は、個人や集団を超えた社会圧力(上記の共認圧力)を把握しようとする認識欠乏(注:これを脱集団という意味で、外向欠乏と呼ぶ)に収束する。(24648

仕事をする上でみんな何がしかの役割を担っている。おのおの、答えを出す事=構造化する事は、オリジナルのやり方、書式でも済む。しかし、最近はそれでは仕事をした事にならないのだと感じる。構造化した(思考法や手順段取り)がみんなが使える、とかみんなの役に立つ事が前提で、初めて成果になる。逆に言えば、同類圧力を捉えた上で、外識機能はまともに働くのだと感じる。

デラウェア

2014年10月19日 (日)

徹底した事実追求・理論追求がパラダイム転換を促す

>現実は、下部意識(潜在思念)と上部意識で構成されており、観念パラダイムの転換が必然であり不可逆なのは、下部意識はすでに転換しているからである!!142875

事実認識とその構造を解明、あるいは理解することが重要。
パラダイム転換ができないのは、追求や理解が甘いから。
すなわち、下部意識は既に転換しているのだから、上部意識の塗り替えが足りないだけである。

>数億年・数百万年の塗り重ねによって形成された下部意識を、頭で都合良く変えることなど出来ないが、観念は頭で塗り替えたら終いだからである。21495

つまり、徹底して現実を対象化し、事実追求・理論追求に向かうだけで充分ということである。

大嶋洋一

2014年10月17日 (金)

同類圧力の相乗効果

「しかし、いつも、よく勉強されていますよね。私も学ぶ事が多くて、ついていくの必死ですよ」

何度目かの打ち合わせの後で、同世代とおぼしきクライアントから、そんな言葉を聞いた。いつもその場に参加する何人かの中でも、とりわけ熱心にノートをとっているひとだ。

ストレートなほめ言葉にうれしさ半分、しかし実は、それもこれも彼(ら)のおかげだ、と内心ほくそえみ、感謝した。

営業という職種について10年は過ぎるが、商材=取り扱い領域が変わり、商品の専門知識ということに関しては1年目、素人の私。そんなことはつゆしらず、半年前、初対面のとき、彼らは私にこういった。「僕ら、設計事務所の方とどういうつきあいをしていいのかわからないんです」、おそらく経験上、施工に関する断片的知識なら私以上に持ち合わせているであろう彼らだったが、そのように率直に語ってくれた。

「これだ!」と思った。「素人であることを隠そうとしない、このひとたちの素朴な疑問・質問、不全にとにかく答えていこう。そうすることで、私自身も勉強していこう。具体的な現実課題を抱える彼らからの質問を繋ぎ合わせていくと、設計というもののアウトラインが見えてくるのではないか?」

人間問題集というわけではないが、クライアントを格好の勉強対象、同化対象とし、彼らから発せられる「なんで?」を、持ち帰って社内の人に尋ねたり、文献やHPで調べたり・・。すると、素人同士のわかりやすさなのか、課題の先にある、彼らが言語化できない不全も見えてくることもあったりして、彼らの業務のこのあたりがまだ足らない(追求不足)のではないか?と考え、提案したりする。

>『現実』とは人々の意識に他ならなくなる。
しかも、主体=対象である以上、人々の意識とは、自分の意識に他ならない。つまり、自分自身の意識が、『現実』=同類圧力を形成していることになる。もっと簡単に云えば、現実とは自分自身に他ならない。(20355)

お客とはいえ、相手もその業界の同類圧力にさらされている。われわれも同じ。仕事とは現実であり、したがって、ひとびとの意識でなりたっており、その地平においては、お客も営業する側も、お互いが同化対象なのだと思う。

阿部佳容子

2014年10月15日 (水)

女であることを肯定できない

性的充足存在という言葉を初めて聴いたときは、それを素直に肯定できなかったです。なんか性を受け容れられない、否定してしまう。

この辺りに問題があるのかも。

男性も女性も性への肯定性が薄くなってきていることが根本原因なのかもしれないですね。

きなこ

2014年10月13日 (月)

同類圧力を作り出すには?

21090の投稿の図解をした時、

'70年貧困の消滅→同類圧力

だとばかり思っていた!!

しかし、『貧困の消滅したら、同類圧力はうまれるの?』を追求してみると…142875の図解にあるように、

貧困の消滅→自我私権の衰弱⇒[充足基調⇒本源収束]→同類圧力

貧困が消滅したからといって、同類圧力は勝手にうまれてくれるものではない!!
貧困の消滅に伴い、下部意識が【充足基調⇒本源収束】に転換した。
私権を活力源にする時代は終わり、みんなで圧力を作り出せるようになった!!と転換できて初めて、同類圧力を作り出すことができるんだ!!

宮崎未帆

2014年10月11日 (土)

性意識の転換のかぎは集団再生にある

性的自我を剥き出しにして集団を割って出た掠奪婚以降、本源的な集団のありようや、社会そのものを捨象しつづけてきた私有婚が終焉した。今となっては性的商品価値を振りかざしても見向きもされない。規範なき現状ではとりあえず一緒になってみたり、また離れたりが繰り返されている。

心底では男も女も集団回帰へと向かっているが、その場が私的選択に委ねられる以上、まっとうな規範圧力がかからないままで、役割充足も乏しく、したがって長続きしない。

生産→社会課題を担う集団が再生されてはじめて、女が性的存在であることに対して(自らも、そして男たちも)全的に肯定できる。

麦秋

2014年10月 9日 (木)

私権統合を繕うための似非観念の耐用年数が短いのは当たり前

>「私権」とは、本源集団解体後、権力や私有権等、私益収束している無秩序な状態を統合するために造られたもの。言い換えると、私益の獲得を制度によって制限し、私権を獲得したものに、私益獲得の権利を与えるというものです。<129749

ここで大切なのは、統合という名目のために人工的に作り上げられたことであり、そのあくまで人工的な私権獲得を唯一の絶対的な課題にせざるを得なかったことだと思います。

私権(性権→占有権)の共認によって、社会の全ての財は私権(占有)の対象となり、人々は私権を確保しなければ生きてゆけなくなる。つまり、バラバラにされた個体の性闘争私権闘争は、私権の共認を媒介として私権の強制圧力(それがないと生きてゆけない、否も応も無い絶対強制力)を作り出す。しかも、武力による収奪や資力による搾取によって作り出された貧困(=絶対的な生存圧力)は、私権の強制圧力を何倍にも強化し、絶対的なものにしてゆく。<実現論2_4_02

ところが、人工的であるが故に年数を経るごとに「綻び」が広がり、収拾できなくなるために「宗教」、「思想」などの似非観念で繕うことが必要になってくる。しかし、似非観念であるが故に耐用年数がますます縮まってくる。

翻って、現代はその私権獲得が絶対的な強制圧力ではなくなってしまった。

私権獲得」が自然の摂理に反する全く意味をなさないものだということは明白である。もう一度「自然の摂理」に回帰した本物の事実認識が必要になっている。

ヘッドロック 

2014年10月 7日 (火)

何のために“事実”を追求するのか。

課題意識なしに、“事実ってなんだろう?”を考えようとすると、どんどん観念的になってしまう。

“事実”を追求するのは、物事を実現するため。

>皆の知っている限りの知識に照らし合わせて論理整合していれば、私はその仮説をいったん事実として認めます。もちろん、いったん認めた事実に反する現象事実が出てくれば、皆さんと共に速やかにその現象事実を組み込んで論理=構造事実を組み替えてゆきます。(967)
>みんなの発信によって『事実』が固まる(119415)

嶺山志保

2014年10月 5日 (日)

現実に直結した言葉であれば分かり易さは二の次になる

>倒錯観念にとって「答えに成っていること」かつ「分かり易くまとまっていること」は至上命題である。(7674)

 倒錯観念(=現実を否定し、頭の中だけで充足を得ようとする観念)が、もし分かりにくいものであったならば、古代宗教はまったく人々の収束先足り得なかっただろう。

 対して、現実を直視した、人々の潜在思念と繋がった観念であれば、多少分かりにくくとも、なんとなく(潜在的に)分かるという部分がどこかにあり、そこを出発点として、現実の事象と重ね合わせながらさらに探求することが出来る。

 思考停止を促す「分かり易い」言葉(=観念)に流されるのではなく、多少難しくても、現実に直結した言葉(=観念)を潜在思念で感じながら追究していくことが重要であると感じた。

加藤弘行

2014年10月 3日 (金)

暗く悲惨な現実を対象化するだけでは変革できない

>そこで、さすがに現実を捨象した綺麗事の価値観念だけでは現実を変えることが出来ないと思い知った一派が、暗い悲惨な現実を対象化し始める(19C)。<

マルクスは、労働者階級(プロレタリアート)が資本家階級(ブルジョアジー)から剰余価値を搾取され、支配されていると規定した。

>しかし、現実否定の正当化=倒錯思考というパラダイムの中で、どれだけ「現実」を対象化した所で、所詮は否定意識が対象化した偏った「現実」しか見ることができない(例えば、最基底にある性闘争→性的自我を全く対象化していないし、ましてや実現基盤など全く摘出できなかった)。<

マルクスの唯物史観では、生産関係という下部構造によって社会構造が決まり、下部構造が変われば上部構造も変わると考えた。しかし、何故生産力が発展していくのか(=市場拡大するのか)については明らかにされず、生産関係のさらに下部を成す性関係については実現論(実現史観)の登場を待たなければならなかった。

マルクス思想を理論的根拠とする共産革命は、中国・ソ連という共産主義国家を生み出すが、性的自我を最大限に利用し市場拡大に成功した西側資本主義国家に経済敗北し崩壊、または体制転換を余儀なくされた。

>結局彼らも現実を変革することは出来なかった。<
 
 

鈴木隆史

2014年10月 1日 (水)

頭(観念)で体(潜在思念)をコントロール ~観念派が陥る恐ろしい構造~

「本来の観念機能を再生することは、それほど困難なことではない」(実現論1_6_07

実現論にあるこの言葉の意味を自分はどれだけ実感できているのか、怪しい。というのも、元来周りからは「頭でっかち」「言葉あそびをしているだけ」「観念派」「理屈っぽい」と言われてきたからです。

しかし、「本来の観念機能は、本能課題と共認課題に直結して行動と一体となって作動する」(実現論1_6_06)という認識にふれて、なんとなく糸口が見えてきた気がします。

今までは、私権時代の現実が嫌で、己の中にある私権意識や相手の私権意識や自我という「いやらしい」現実には目を向けたくなかった。だから、美化された価値観念を使ったり、汚い現実を捨象してシンプルな現実だけを見ようとしてきたのだと思います。つまり、頭(=己に都合の良い観念)だけで現実を捉えようとしていた。

本来機能的には、潜在思念で様々な現実に潜む信号をキャッチし、そこから先端機能である観念に収束(=頭の中を統合)するのが自然なのに、全く逆の構造で、頭で現実を矮小化して認識した上で、後から体(潜在思念)をコントロールしようとしていたのです。なんとも恐ろしい構造です。

観念(頭)で現実に向かうのではなく、まずは潜在思念(体)でとことん現実を直視し対象化してゆく。そんな現実の作業の中で本当の意味でみんなから評価される観念機能を再生していきたい。

竹村誠一

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