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2014年5月 5日 (月)

男にとって、新理論は闘争の根拠

子供のときの読書と、大人のする読書は微妙に違うと思う。
子供時ははらはらドキドキ一心不乱にするのが、
大人になると、これはためになるなー、
もっと大人になると、へ~そんな考えもあるのetc.

働いている感動の主体が、共認機能中心から観念機能中心になって行くという感じ。これが共認機能を衰退させることなく続けられたら、分かってくれない大人→分かってくれる大人に変われるだろうし、分かってくれる大人から素直に学べるのだろう。

人間は生まれてから死ぬまでずっと進化系でありたいと思う。だからこそ私権時代にも向上心なるものがあったし、できやしないが自己実現なることを考えた人もいた。まだまだいろいろ、人は模索した。全人格、トータルパーソンetc.

でも、ことごとくが私権時代に、共認よりも個を重視した。観念機能さえあれば共認機能は要らないのではないかなどと考えている思想もあるのかもしれない。しかしそれでは永久に子供の心は掴めない。女性の心も掴めない。

そんなことは庶民=素人ならばみんな知っている。知っているのに分からなくさせるような、分からなくさせてできなくさせるような、無感動なロボットにさせている何かが確かにある。

ロボットにさせているような何かを知るためには、いったん観念機能による思考をやめて共認機能による思考に戻らなければならないのだと思う。そして、ロボットにさせている観念が「旧観念」=プログラムであることを見抜くには、共認によって形成中の新理論が不可欠である!と思う。

それがないと、見抜こうと思っていた矢先に旧観念の中に保存されている本源があって、とても大切だからこそ旧観念を庇護してしまい逆に見抜けなくなってしまうという、結末になってしまうのだ。

言い換えれば、共認の大切さや原基に気づいても、思考停止させロボット化させるプログラムをやっつけない限り、再発→応急処置の繰り返しばかりでしまいには諦めモードに突入してしまうのだと思う。

そういう意味では、男にとっては新理論は闘争の根拠と言えるのではないだろうか。

佐藤英幸

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