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2013年11月26日 (火)

今、求められているのは「人間関係」のパラダイム転換ではないか?

> 「社会」に出れば、みんな認識欠乏を持った仲間なんだ。
> そう気づかせてもらってから、人に声をかけられることが多くなりました。買い物に行ったスーパーで車椅子のおじさんに。バスを待っている椅子のところで同じバスを待つおじいさんに。
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この投稿は、全く新しい現実への転換を示唆していると思う。

全く見知らぬ人に声をかける、かけられる、ということは、これまでは何かありえないこと、難しいことであるかのように考えられていた。

では、その「難しい」、「ありえない」という抵抗感はどこから来ているのかと言えば、自分以外は敵であるという私権時代以来の警戒心(、さらに深い次元における真猿集団以来の集団内、あるいは見知った人間以外には、話しかけたりしない、という暗黙の本源規範)ではないだろうか?

しかし、滅亡の危機を迎えた転換期である現在、古い私権のしがらみ(仕事の上下関係、解脱を基礎とした知人関係)の関係、既に知っている人間関係からは全く新しい可能性は出てこない。

この限界は、実は私権の現実に長くさらされてきた年長者ほど強く感じているはずである。私権の警戒心に閉じこもったまま年をとれば、可能性を持った新しい関係も、さらには古い関係さえもどんどん少なくなり、狭まってくる。
新しい関係を作ることに無頓着であれば、こんな限界はない。
これが、年をとれば男がますますさえなくなることの理由であり、逆に言えば、年をとっても女は元気であることの本質的な理由である

これを突破するための答えは一つしかない。
それは、全く未知の、新しい人間関係を、どんどん作っていくことである。

旧観念が無効になり、イチから新しい認識を作り、広めていくしかないのと同じように、旧関係が無効になった以上、イチから新しい関係を作り、広めていくことしか、もはや可能性はない。
このことは、私生活上も、仕事でも、社会統合の地平でも、同じである。

これは、「観念」のパラダイム転換に続く、「人間関係」のパラダイム転換である。
そして、既にその基盤となる欠乏は万人に潜在している。あとは、転換できるか否か、実践するか否か、しかないというところまできているのではないだろうか?

阪本剛

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